教授たちの死闘

「2, 3, 5, 7, 9, 11, 13…!」

 モニターとにらめっこしている俺の背後から、耳障りな騒がしい声が聞こえてくる。ラブラドールレトリバーのジョンソンが、素数を叫びながらリンボーダンスをしているのだ。

「うるさいぞ。黙ってくれ」

 俺は振り返ってジョンソンに指摘する。二本足で歩けて日本語を喋れる超絶天才犬だからといって、何をしても許される訳ではない。

「えぇーー??」

 ちょうど棒をくぐり抜ける途中、腰から背中を後ろに反らした体勢で、こちらに応答した。バカにするような声と相まって、ますます腹が立つ。

「教授、どうせプランク定数を100桁までしか言えないんですよね?」

 ジョンソンは目上であるはずの俺を煽りながら、テンポよく足を踏み出して棒の下をくぐってゆく。

「お前、これ以上侮辱するようなら、おやつのジャーキーを500円のやつから300円のやつに格下げするぞ」

 研究室の学生にはジュースをよくおごるのだが、ジョンソンには犬用ジャーキーをおごっている。この脅しには流石に参ったのか、ジョンソンは棒を吹き飛ばす勢いでこちらにやって来て

「それだけはやめてください!お願いします!」

と、俺の前で伏せをして頭を下げた。こうして研究室にひとときの平穏が訪れたのであった。


 井垣哲也は、国際信州大学の数理統計研究室の教授である。現在はサザエさんのじゃんけんで勝率を上げる方法を研究していた。1998年まで集計を終え、月別、年別、周期、本編の内容、その時の社会情勢など様々な視点から、何らかの相関性があるのか調べている。

「うーん、波平のストレス状態と関係が…?」

 研究室でひらすらアニメの映像を見ながら、頭を悩ましていた。サザエさんがカツオに怒鳴った回数、カツオが窓ガラスを割った回数など、とにかく取れるデータは片っ端から数値化して、人工知能に計算させる。

「うーん、わかんねぇなぁ…」

 アニメがEDに入ったので、ふと席の後ろを見る。ジョンソンはリンボーダンスに使っていた用具を物入れに片付けていた。


 犬のジョンソンは、インドネシアからの留学生としてこの大学に入学した。何故人と同じ生活が出来ているのかは色々と謎であるが、犬ではなく人として見てくれという本人(犬?)の意向により、普通の生徒としてこの研究室に所属している。

 残念ながら研究にあまり熱意を持っておらず、今はチェスボクシングやバブルサッカーなどマイナーなスポーツに熱中している。


 リンボーダンスの片付けが終わったと思ったら、謎の球を取り出していきなり走り出し、

「ガバティガバティガバティ!!!」

と叫ぶ。

「うるさい!『サザエさん一家』のサビが聴こえないだろ!」

 結局、静寂は2分しか続かなかった。研究室で犬が1人ガバティしている光景は極めてシュールで、他人にとっては強烈な見世物になるかもしれないが、自室でやられるのはたまったもんじゃない。これはジャーキー没収の刑だ。

「研究室は研究する場所だ!俺はちゃんと研究してるんだぞ!」

 俺はジョンソンにブチ切れた…


 と、その瞬間。

「どこがちゃんとしてるって?」

 この野太い声はジョンソンではない。扉の方を見ると、学内で見慣れた人物がそこに立っていた。俺たちが騒いでいる間に入って来たらしい。

 ソフトウェア工学研究室の教授、堀内和彦。情報学部の中でもトップクラスの権威を持っており、立派に携えた顎髭がただならぬ風格を示している。

「うるさいと思って来てみたら…相変わらずロクでもない研究室ですねぇ」

 髭を触りながら憎まれ口を叩く。こうやって私たちをバカにするのが、堀内の日課みたいなものだった。

「あのバカ犬は論外ですが、あなたも大概ですよ。そんなくだらない研究してどうするんです?」

「くだらないって…!」

 くだらない。相変わらす俺の気に触る言葉を吐く。いくら実績がある年長者とはいえ、言ってはいけないことがある。

「私はサザエさんのじゃんけん研究に誇りを持って取り組んでいます!そもそもあなただって、プリンを震度7でプルプルさせるシミュレーションしかしてないじゃないですか!」

「プリンがプルプルするのを見れば誰だって笑顔になる。世界平和に繋がるんだ」

 何を言ってるんだこの人。カツオみたいな思考回路してるな。

「百歩譲って、プリンプルプルが世界平和に繋がるとしましょう。しかしプリンプルプルを、大学の研究としてやる必要がありますか?」

 大学の研究は、大学からの多額の支援金により成り立っている。だから、無意味な研究にお金をつぎ込むことは許されない。

「そっくりそのままお返しします。サザエさんのじゃんけん研究を大学でやる必要は?」

 くっ、ブーメランだったか…!


「何をつまらない言い争いをしているんですか」

 ジョンソンは1人ガバティを打ち切って、こちらに話しかけてきた。

「男なら、"勝負"で決着をつけましょうよ」

「"勝負"?…いいだろう。わしが勝負で負けるはずがない」

 堀内は勝負という単語に弱いらしい。あっさりバカ犬の煽りに乗ってきた。

「勝負か…ならじゃんけんで正々堂々…」

と俺が言いかけたところ、ジョンソンが遮る。

「違いますよ井垣教授!エクストリームアイロニングです!」

「「エクストリームアイロニング!?!?」」

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ミクロカノニカルアンサンブル 小栗ジョン @ogurizyon

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