第3話:猫は神様を信じない

 何で走っているのか分からず、とりあえず勢いに任せて走り続けた。成る程、下りの階段で飛ばすとこんなにスリル満点なのかと、どうでもよさげなことを思いながら、半ばエンは落ちるように駆け下っていく。

 下に降りきって、人の気配のした部屋にエンが入ったのは、見事なまでに最悪なタイミングだった。


 クウの身体に銃弾がめり込んだ。

 丁度その時その瞬間、エンは部屋に飛び込んだ。


 部屋には確かにクウがいた。そして当然のようにナギもいた。

 だがそれだけではなく、他の飼い主に飼われていると思われる猫数匹も、部屋にずらっと待ち伏せていたのだ。

 クウはそれに包囲される形になっていた。背後の入り口、エンが飛び込んできた所だけは猫がいなかったが、そこから脱出する気配などクウは毛頭見せなかっただろう。


 赤い飛沫を飛ばし、クウはエンの足下に倒れる。

 息を飲んで、エンはクウを覗き込んだ。


「その眼は、……エンか。

 遅えぞ、クソガキ。俺が見せ場をとっちまったぜ」

「こんな、……見せ場かよ」

「うるせえ。……ザマぁねえぜ」


 クウはくしゃくしゃとエンの頭を撫でた。


「最後までガキ扱いか」

「ガキだろ」


 ふっと笑ってからクウはうめき声をあげる。


「ハン、俺も油断したぜ……この間の契約破り野郎、全滅しちゃいなかった。

 最初ッから、裏切る気だったんだよ。ったく、本気で何匹猫飼ってんだか」

「結局お前も失敗してんじゃねえか、バーカ」


 エンの口をついて出た言葉に、クウは苦笑いすると、頭を弱々しくこづいて言った。


「馬、鹿野郎。年上にゃ、敬語……」


 そう言って、クウは事切れた。

 手から、刃こぼれしたナイフが滑り落ちる。


「……なーんかさあ」


 ナイフをポケットにしまうと、ふらりとエンは立ち上がって、ナギとその取り巻いている猫たちを見た。

 懐のナイフに、静かに手を伸ばす。

 気付いた猫が応戦しようとしたが、間に合わない。

 銃は貴重だ。下っ端の猫は、使い方を覚えていたとしても、普段は携帯などしていないことが多い。彼らも、そうであるようだった。


「大体さ、今時、ナイフなんて使ってる方が時代遅れだよね」


 エンはナイフを両手でつかみ、舞うようにそれを駆使しながら静かに言った。


「ばっかじゃねぇの? 今時、銃を握ったことがねーなんてさぁ」


 言って、エンは一閃する。


「何が技能だよ、ばーか。結局やられてんじゃねーか、クソセンパイ」


 刃こぼれしたナイフを投げつけ、ひるんだ猫を足で薙ぎ払う。


「……ざまぁねぇぜ、大馬鹿野郎」


 エンは手当たり次第手近なもので攻撃をし続けた。

 切って、殴って、蹴って。

 相手が倒れても、尚。


「相当キてるね、エンの坊や」


 気付けば、部屋で立っているのはナギ一人だった。

 目を充血させたエンを除けば。それは赤い瞳に拍車をかけて、迫力を増した。


「うちに欲しいくらいだ。お前なら狗にまでなれるよ」

「馬鹿ぬかせ。願い下げ、だ。馴れ合いなんてくそくらえだね」


 足元には、銃が転がっていた。既に息絶えた猫が持っていたものである。ナギとこの猫だけが銃を所有していたらしい。

 エンはそれを拾い上げ、ナギに向け銃を撃った。

 しかし彼は予測してそれを避ける。

 避けた先でナギはエンに銃弾を放った。避け損ねたエンは、腕に熱い傷を負う。

 反撃にもう一発撃とうとして、エンは弾切れに気付いた。舌打ちすると、エンはそれをフウに向かって投げつける。

 ナギは動じない。

 が、同時にエンは前に飛び出した。その手に握られたのは、ナイフ。






 何故新米のエンが、ベテランのナギを刺せたのか分からない。

 しかし、とにかくエンのナイフはナギに深々と突き刺さった。


 ナギは身体を二つに丸めて、床に横たわった。


「……お前は色々言ってたけどよ、ナイフも捨てがたいと思うぜ、僕はよ」

「銃派が言ってンじゃねえよ」


 エンはナギを見下ろして言う。


「でも銃に勝ったじゃねえか」


 ナギは自分で腹に刺さったナイフを抜く。傷口から血が噴き出した。


「前には、ああ言ったけど、よ。やっぱお前、銃の使い方なっちゃいねえよ。ナイフの方がずっと上手え。……クウの野郎が、重々仕込んだからか」


 クウ、という単語にエンは拳を握った。ナギは息を深く吐き出す。


「あーあ、面目ねえ。新米に負けるとは、な」


 ナギは顔の前に手をかざした。


「この任務に成功すれば、晴れて狗になれたってえのに」

「……狗がそんなに嬉しいかよ」

「ああ、嬉しいぜ」


 嫌悪感丸出しで言ったエンに、ナギは嫌らしい笑みを浮かべて答えた。


「金も地位も前より良くなる。ましな部屋にも住めるし手下がつく。

 だけど……猫の方が、気楽だがな」


 エンは無表情で返答しなかった。

 ナギはクウと同じようにして、エンを撫でる。


「全く、お前等はお人好し……すぎるんだ。馬鹿馬鹿しい、くらいに、な。

……あーあ、一緒にいて虫唾、が走ったわ。

 けど、」


 ナギはいったん呼吸をおいてから、言った。


「でも、お前等のマスターは、嫌いじゃ……なかったぜ」


 口から血をごぼっと吐き出し、血塗れであの引きつったような憎たらしい笑みを浮かべた。


「お前等も、な」


 嗚呼。

 きれいな世界も汚い世界も、世の中は馬鹿ばかりだ。


「最後に答えろ大馬鹿野郎」

「何だ。今日の僕は、出血大サービスだ。何だって答えてやるぜ」


 にやっと嫌な笑みを浮かべナギは親指を立てて見せた。


「何で俺をここに連れてきたんだよ」

「ん?」

「連れて来たのは、てめぇだろうよ。

 それと。さっき、手加減してたろ。じゃなきゃ、……俺は勝てねぇよ」


 ナギは首を傾けながら何ともいえない表情を浮かべて、言った。


「そりゃあ、お前……お前を一目見て、惚れちまったからからよ」

「…………」

「お、そんな顔すんなって。冗談。エンの坊やなんかに惚れるわきゃねえだろ気色悪りい。

ま、しいていうなら、だ。似てたんだよ」

「何が」

「死んだ僕の弟に、な」

「…………」


 全く。全く、世の中は、本当に。


「ナギ」

「何だ」

「いっそ死ね」

「……頼まれなくても、死んでやらぁ」


 ナギはこれまでに浮かべた事のない笑みを浮かべて、頭を垂れた。



「てめーの最悪を、……悔いて死ね」



 ナギにその声が、届いていたのかどうかは、ついぞ分からない。




***




『……エンよう』


 いつかの誰かの言葉が蘇った。

 それがマスターのものだったか、クウのものだったか、ナギのものだったか、分からない。

 そんなことは、どうでも良かった。


『俺達は、カゲロウだぜ。……ふわふわふわふわ漂ってる』

『……どの』


(カゲロウったって、いっぱいあるぜ?)


『バーカ、それくらい、てめえで考えやがれ』


(あるいは、全部、じゃねえのか?)


『そこで消えちまっても』

『燃えてたことは、違いねえ』


『なあ、神って信じてるか?』

『いるわけねぇだろう、バカか』

『バカはてめぇだろクソガキ』


『……いるんだよ、神はよ。生きてるってことが、そういうことだ。

 血が、流れるだろ。血が流れるのは、生きてるってことだろ。

 ああいう赤を見ると、俺だって信じちゃいなかったんだが、そういう存在がいても仕方ねぇなと思うようになったんだ。

 だって、死ぬくせに綺麗すぎるじゃねぇか。赤は好きだぜ、俺ァ』


『バカじゃねぇの』

『殺すぞクソガキ』






 いっそのこと、面倒くさいまま終わらせてくれればよかったと、エンは思う。

 けれども、それは、叶わなかった。


 忌々しい、ことに。

 どんなにくだらない、腐った世界であった、としても。馴れ合いでも。

 エンにとって、そこは既に。




『なあ、知ってるか? お前の名前の意味』

『知るかよ、ばぁか』

『……お前の名前はな、円、縁、……炎。良い名前だぜぇ?

 ま、意味なんてのは後からこじつけたんだけどな。

 要は、だ。初めにお前を見たときな、目に火が見えたんだ』

『……火』

『ああ、火だ。何もかも燃やしちまう、火だ。

 けどな、よく考えろ。火がなきゃ、何ができるってんだ?』

 

 記憶の中で、誰かは、そうして口から煙草の煙を吐いた。



『精々、燃え上がってこい。……どんだけ腐れてようと、てめーの人生だ』



 生きているのか死んでいるのかすら分からないこの腐れた世界の中で。

 それでもどういう訳か、どうにかして、世界は廻っている。

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月影フレイムベイン 佐久良 明兎 @akito39

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