第2話:猫はそうそう馴れ合わない

 彼らは『猫』と称される。


 文字通り、彼らは『飼い主』に飼われ、そして飼い主から与えられる任務を遂行する。その任務は、所謂表の世界と一線を画した、闇の世界の任務だ。

 だからいつも、彼らは仕事中、日の光を拝むことがない。月の光の下で、動き回っていた。

 彼らは、一般には流通しない『魔のもの』と言われる武器を使う。それは格段に威力が高く、簡単に人を殺傷しうる武器だ。知っているのはそれくらいで、詳しいことはエンには分からない。

 主にエンがやっていることは、そういった魔のものを運ぶ、という仕事であるらしかった。

 しかし、あくまでそれは予想であって、自分がやっているのが具体的に一体何なのかは、実のところエン自身にもいまいちよくは分かっていなかった。さして、興味もなかったのである。


 猫は、そんな裏世界の、つまるところは使いっ走りである。

 因みにもう少し年長になり、技能が上がり飼い主が信頼をおけるようになると、『猫』は『狗』に昇格する。


 猫が使いっ走りでしかない由縁は、彼らの性格に起因する。

 猫は気まぐれだ。いつ爪をたてるか分からない。

 大抵の飼い主は、狗の方を珍重し、猫に大した任務は与えない。猫は、いざというときには捨てられる、便利な使い捨てであった。

  一応のところ寝子ではない。あくまで、猫だ。そこまで落ちぶれてはいなかった。少なくともエンはそうだった。


 その飼い主にエンが『拾われて』きたのは、半年ほど前のことだった。



***



「こいつが新入り、か」


 今から思えばエンをそこに連れて行ったのはナギだったか。あの当時から相変わらずナギは無表情で無愛想だった。

 ここに来る前の事は、今以上にくだらなさ過ぎて、あまり覚えていない。エンを連れてきたのが仮に死に神であっても、別にそんな事はどうでもよかった。興味がなかった。

 厳つそうな机に、いかにもといった黒い革張りの椅子。

 そこに、エンのマスターとなる人物は座っていた。


「……おっさん、誰」


 言った途端、クウに殴られた。勿論、当時はクウの名前など知らなかったが。


「口の利き方に気をつけろ、ひよっこ。間違ってもクソオヤジとか呼ぶんじゃねえぞ」

「お前もな、クウ」


 ナギはクウがエンにやったのと同じく、クウの頭を叩いた。

 そのとき微かにマスターが微笑んだのをエンは見ていた。


「お前は、エンだ」


 何の前振りもなく唐突にマスターは言った。

 じっと、マスターはエンと呼ばれた少年の顔をじっと見つめる。

 それでようやく、彼は自分がマスターにエンと命名されたことを知ったのだった。


「今日から、お前はエンだ。……よろしく頼む」


 そのとき、その瞬間。

 今まで、ただの生きモノに過ぎなかった彼は、『エン』となった。



***



「てめーの災厄を悔いて死ね」


 クウの言葉が聞こえたか聞こえないか、いずれにせよ倒れ込みこの世とお別れしてしまった敵へそれを確認するすべはない。

 任務完了、とばかりにしたり顔でナイフをしまい込んだクウに、エンは水を浴びせる。


「……いちいちそうやって恰好つけなきゃ仕事もできねんすかクウ」

「うっせ、俺なりの儀式だ、儀式」


 生き残っていた残党を一掃し、帰路につきながらクウはエンに説教を垂れた。


「今度からは不用意にエモノを残してくるんじゃねぇぞ。まだ向こうにお前のデータがねぇからな。面が割れる。

 ただでさえてめぇは、赤い目で目立つんだからよ」

「わーってるよ。会った奴、殺った場所、全部消せばいいだけの話だろ面倒だけどさ」

「消すって簡単に言うけどな。お前、全部を全部自分で処理しきれるほどの実力があると思ってんのか?」

「だからさ」


 エンはなおも食って掛かる。


「銃を使えばいいじゃねぇかよ。なんでそんな流儀なんだかしらねぇけど、どう考えたってそっちの方がいいじゃんか。ちまちまナイフでやるから面倒くせぇんだよ。

 そうすりゃ俺一人だって、なんだって処理できらぁ」

「口だけは達者だなクソガキが……」


 ひくりと口を引きつらせ、クウがエンをまた軽く引っぱたこうとした矢先。


「じゃあ、僕と来るかよエンの坊や」


 抑揚のない声に目を向ければ、そこに立っていたのはナギだった。


「よーうナギ、文句でもあんのかよ貴様」


 クウは挨拶がてらに喧嘩を売る。

 それを「いや、直属の先輩たるクウの流儀に従うのが一番だろ、口出しはしねぇよ」と軽く受け流し、しかししっかりと付け加えた。


「けど、若者の可能性を閉ざすのは忍びないな。

 こんな肺ガン予備軍より、僕に付いた方が得だぜエンの坊やよ」


 相変わらずの仏頂面のまま、ナギはしれっと言ってのける。そういうところがたまにクウの怒りを誘った。


「てめ、俺様の子分を盗ろうとしてんじゃねぇよ」

「ほぼ強引にエンを子分にしたのはお前だろ。僕だって下っ端が欲しい。隙見ていいようにガキを捕まえた泥棒猫じゃねぇかよ。

 まあ、がちがちに凝り固まった自分の思想で染め上げた手足を作るたあ、その点は悪党として評価すべきかもな」


 クウは暗い目でナギを睨みつける。


「てめぇは喧嘩を売ったつもりらしいが、俺様が意外に寛容な紳士たることをしらねぇみてぇだな。次に似たようなことを言った日にゃ、てめえが自分の手足とさよならだ」

「僕のことを分かっていないのはそっちの方だな、まともに喧嘩を吹っかけたところでクウの無能ごときが僕に敵うはずねぇだろうさ、暇つぶしにもなりゃしねぇよ」


 冷やかにナギは言う。

 クウはついさっき紳士と言ったのも忘れたか、今にも臨戦態勢にはいる構えだったが、ナギは視線をついとそらしてエンを見下ろした。


「で、どうするよエンの坊や。僕の下に付くなら、銃でもなんでも教えるけどな」


 エンは肩をすくめた。


「いや、俺はどっちでもいいんだけどさ。銃は知りたいしな」

「おいこら言ってくれるなクソガキなびいてんじゃねぇよ」


 クウの言葉は無視し、エンはけだるそうに続けた。


「こいつに付いて、いつ肺ガンで死ぬか見届けるのが俺の趣味なんだ」

「……てっめ」


 クウの怒りの矛先がエンに向き、しこたまエンの髪が乱暴にかきむしられたのは、言うまでもない。

 ナギはやはり仏頂面のまま、ふうん、と漏らした。



***



 その日、エンはクウと共にマスターの部屋への階段を上っていた。


「今度は何の仕事だよ……面倒くせえ」

「バッカ、マスターにくらい敬語使え」

「いやぁ俺そういうの慣れてないっすから」


 クウが嘘吐け今更、とエンに毒づきながら、マスターの部屋の扉へ手をかける。

 エンがどことなく違和感に気付いたのは、その時だった。


「……開けんな」

「は?」


 エンの言葉の前に、既にクウは扉を大きく開け放っていた。

 ふわりとその向こうに見えた光景は、赤。

 部屋の真ん中には、上手い具合にナギが立っていた。手にはマスターご愛用のコンピュータと、いくらかの書類。

 そして、机の向こう側に。


「……マスター!」


 クウはマスターに駆け寄った。エンは机の方に数歩踏み出して足下を見る。エンの靴を、血が汚した。

 クウはマスターを揺する。まだ意識はあった。

 だが、到底、手当てして助かるような傷ではなかった。


「……じゃあな、お前等」


 いつも以上に無表情で、ナギはこの重い空気の中をすり抜けるようにして、マスターの部屋を出て行った。


「っ、待ちやがれ野郎!」


 激高し、クウはナギを追いかけていく。

 エンはどうしたらいいか分からず、立ち尽くした。

 しかし微かにマスターが身じろぎし、ぴちゃん、という湿った音を聞くと我に返り、クウの後を追おうと部屋の外へ一歩踏み出す。

 が、後ろから、エンを引き留める声がした。


「……何スか」


 エンは無表情で振り返る。

 マスターは、光の消えつつある瞳でエンを見つめた。


「……、追って……止めて、……やってくれ」


 マスターは弱い声で、苦しげに微笑んで言った。


「クウを、殺してくれるな」


 その言葉を聞いて、エンはいつかのマスターとの言葉を思い返した。






「俺が何で狗じゃなく猫ばかり飼うか、分かるか?」


 いつものようにマスターがエンに唐突に言った。

 マスターは何故か狗は一匹も飼っていない。


「……少年趣味だからじゃないスか」


 マスターはエンの頭をばしりと叩いた。


「馴れ合いが嫌いだから、だよ」


 マスターは葉巻に火を付けて言う。


「いざというとき、未練が残っちまうだろ?」


 そう言って笑うと、マスターはエンの頭をくしゃくしゃと撫でた。






 ――馬鹿マスター。結局、未練残ってるじゃねえか。



 心の中で悪態をつきながら、エンは、走った。



 嗚呼。

 ああ、面倒くさい。



 なんで、動揺させられなくちゃならねぇんだ。

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