月影フレイムベイン
佐久良 明兎
第1話:猫は怠惰に任務をこなす
錆び付いた刃がこぼれ落ちた。
と、耳元を銃声がかすめた。
「……チッ」
一歩、二歩、跳びすさって後退する。
その影が横飛びに路地へ隠れた刹那、影を追うようにして悪戯に数発の銃弾が後ろのレンガの壁にくい込んだ。
――撤退だ。
影は使い物にならなくなったナイフをうち捨てると、ほとんど音もなく素早い仕草でその場を立ち去った。置き土産に、火薬の詰まった鉄の塊を放り投げてから。
先ほどまでその影がいた暗がりの路地に残るのは、微かな硝煙と刃こぼれしたナイフ。
そして一人の少年の、死体。
動かぬ骸は、数秒後にもう少し数を増やす。
そこから少し離れた側の狭い路地を、赤い瞳をした少年が、月明かりの下で息を切らしながら、暗がりを猫のように素早く駆け抜けた。
***
「なーにやってんだよ」
月明かりが遮られ、黒々とした影になった場所から突然聞こえた声に振り向くと、灰色の壁に腕を組んで寄りかかった一人の男が立っていた。
年齢としては、青年と表現して差し支えないかも知れない。それにしては、足下にはあまりに大量の煙草の吸い殻が捨ててあったけれども。
左手のライターの炎が彼の顔を照らし出すが、それでも尚路地は薄暗く、彼の微細な表情は伺い知ることが出来ない。煙草の先に火を灯し、彼は口から細く白い煙を吐いた。
先ほど路地を立ち去った影は青年の姿を認めて乱暴に立ち止まる。月明かりにも見放されたこの暗がりでは、皆等しく影であった。
微かな明かりに照らされたその姿を見れば彼もまた若く、青年どころか、その風貌は少年という形容に相応しいものである。
「うるせぇ」
答えた少年は、手の甲の血を嘗めながら青年を睨み付ける。
「向こうも猫を飼ってるなんて知らなかったんだ」
感情の込められていない、淡々とした声で少年が答えた。青年は、やれやれといったように煙を吐き出しながら肩をすくめる。
「それくらい前提しろよ、お子ちゃま猫が」
青年の言葉をさりげなく無視し、少年は黙って手に提げていたアルミケースの鞄を青年に向かって放り投げた。
受け取ると、青年は中身を確かめることもせずに肩にかける。気だるそうに煙を吐きながら青年はぼやいた。
「まあ予感はしてたが、やっぱりウチとの契約破りやがったかあの強欲好色野郎が。ったく、一体何匹猫抱えれば気が済むのかねえ。
……にしても派手にやったな、エンよ」
「別に。手っ取り早かったから」
「で。肝心の猫は、ちゃんと始末したんだろーな?」
「殺ったよ」
無機質に少年は返答する。
「ただし一匹だけ」
「おいおいおい」
少しとがめるような口調で言い眉根をひそめると、青年は煙草を地面へ落とし火を足でもみ消した。
「冗談キッツイよエンくん」
わざと遠くに視線をずらすと、少年――エンは、何食わぬ顔で飄々として答える。
「最後に弾を投げてきたから、もう数匹は殺ってると思うけど。馬鹿みたいにうじゃうじゃ猫がいたから、流石に後ろの方にいた何匹かは取り逃がしたんじゃないの。
ほっといちゃ、まずいんでない? クウ先輩」
「自分の不始末を、よく言うぜ」
青年は苦い顔をしてから、懐から何か四角い金属の物を取りだし、いじくり始めた。エンは手を握ったり開いたりしながら顔をしかめる。
「クウ、ナイフなんかじゃ応戦出来ねーよ面倒くせえ。いい加減、銃使ったらどーだ?」
「何言ってんだ、あんなキナくせえ物に頼って嬉しいか?」
青年、クウは顔を上げて抗議した。
「ナギは使ってるじゃねえか」
「あの能面ヅラにもポリシーがある。ナギはナギの流儀、俺には俺の流儀だ。そしてお前は、直属の先輩たる俺に従うモンなの」
「うっわ納得いかねー……」
エンがさらに顔をしかめたのを見て、クウはぺしりと頭を叩く。
「銃なんてに頼ってナイフで応戦できねーのは、てめーの実力が足りねえから、よ」
「今時、銃を使わねえ奴の方が時代遅れなんじゃないの? 古いってか」
クウはエンの頭をつかんで、ぐしゃぐしゃと髪をかき回した。
「う、る、せ、え。先輩の言う事には従うモンなの。大体センパイには敬語だクソガキ」
「使ってほしけりゃそれ相応の人間になりな」
「は、言ってくれやがる……」
唇を歪めてクウは笑う。
そして手に持った物体を、エンが逃げてきた路地に向かって放り投げた。
「まだ猫の死体があるから連中はいるよな?」
「投げてから聞くな馬鹿」
二人の会話が終わるか終わらないかのうちに、向こうの路地から爆音が聞こえる。それに混じって微かな悲鳴も聞こえた。
手をパンパンとはたいてクウは満足げに笑んだ。
「いっちょあーがりっと」
もくもくと燃え上がった煙を見て、クウは鼻で笑う。
火薬の匂いが鼻をついて、エンは顔をしかめた。
「はん、契約を破った方が悪い、小さい組織と思ってなめんじゃねえぞ。
てめーの災厄を悔いて死ね」
呆れたようにその先を見つめ、エンは言う。
「派手なのはどっちだよ。つーかさ、同じ『魔のもの』でも、銃は拒否んのに火炎弾はいいのな、意味分かんねえ」
「黙ってろクソガキ、俺様の流儀に口出しすんな。
それにあと数年もすりゃ失敗もなく、俺様のようにスマートに野暮用をこなせる訳よ」
「お前みたいにとか頼むから願い下げだ、さっさと肺ガンで死ね」
「言いやがる……」
エンの髪を、くしゃ、と撫でたついでに、にやりと笑いながら、青年はまた煙草に火を付けた。
「行くぞ、エン。一応、残党がいねえか確認だ」
「勝手に逝け、クウ」
「……意味合い別の意図を込めて言ったろ、絶対」
「気のせいッスよ、センパイ。あーだるい面倒くせえ」
「一言も二言も余分なんだよお前はよぉ……」
二人は辺りが炎上しているのもお構いなく、燃え上がる路地の奥に向かって歩き始めた。
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