プライド、及び自己認識

山船

エピソードタイトル無し

 神話に曰く、昔昔に人間はその技術の粋を集めて神へと届こうとし、神の怒りを買ったという。神の怒りは人々の言語を粉々にし、意思疎通を取れなくしてしまった。地域に拡がった大帝国がそこに単一の言語を用意することこそあれど、全世界的に統一されることは終ぞ無かった。いや、むしろ人々にとってはその言語の拡がる領域こそが世界なのだから世界は統一されていた、と見る向きもあるかもしれない。

 時は流れ、時代は今。もはや陸上に未知の領域は殆ど残されておらず、海中探査も進展甚だしい。全球は高度な情報ネットワークで接続され、母語は違えども覇権を握った言語によって相互に情報を伝えられる。学のない者から見れば、人間はありとあらゆる領域を征服し尽くしたとも思える世界になっている。しかしながら知性の探求をやめたかと言われればカンマ一秒で人類は止まっていない、止まらないと誰でも答えられる。人々は無限の知性を求めて進軍していく。

 数年前のニュースは、前世紀の天才の理論にはまだ破綻が見られないようだ、ということを伝えた。ブラックホールの影を撮影したというニュース。当時高校生だった私はそのニュースを歓迎し、天文部に所属しながらもそれを正確には理解できないことを悔やんだ。天文部に入ったこともそう、その前に宇宙に興味を持ったこともそう。私は、はっきりと記憶している限りでは遅くとも小学校の四年生のころから、知ることの歓喜を覚えた。図鑑、物語、論説、なんでもいいからと本の虫だった。特に物語文は浴びるように読んでいて、それがなぜかと考えると知らない世界を感じられるからだった。そう気づいた私はすぐに物語以外も読むようになって、と同時に物語文も意図的により難しいものを選んで、できるだけ知ろうと試みていた。私は級友にもこの感動を感じて欲しいと思って話をしても、すごいね、とかに終始して全然賛同してくれる人はいなかった。教師ですらもそうで、というよりは教師だからこそなのかもしれないが、広い範囲に興味を持ててえらいね、ぐらいで終わってしまった。それでも私の熱意は留まるところを知らず、急速に知を得ることに没頭していった。当時はわからなかったが、このころから段々と煙たがられるようになっていたかもしれない。

 中学に入って、算数が数学になって、理科が増えて、理屈の世界がどこまでも広がるように感じた。教科書をどこまで読んでも知られていないことは出てこず、説明が不十分でも調べれば満足な説明がでてくるか、まだ理解が及ばないか。この分なら私は学ぶ立場に安心して座っていられるだろうという安心が当時はあった。他方、図書室でふと借りた歴史書は私に歴史の覚知を迫るには十分なほど私の知らない世界を見せてくれるものだった。そして、私が私の知らない先人の遺していった物どもを全て噛み砕いて飲み込みたい、というのも早晩思い当たることであるし、実際そうだった。そしてそういうことを話しても、普通の公立中学校ゆえ、かどうかはわからないがとにかく同意してくれる人は少なくとも私は認知できなくて、反応も小学校と同じ感じで増々内向的になっていった。特に女子の方から、物知り気取りとか、ちょっと頭いいからって調子に乗って、とかそんな理由で排斥されていたと思う。結果として比較的に男子と話すことの方が多かったからか告白されることも三年間で二回だけあったのだけど、両方とも私の全知を目指す姿勢が理解されないことに対する怒りの叩きつけになってしまった。そしてそんな話をして引かない人は、女子はもとより男子にもおらず。ついでに、興味の対象も徐々に学校でやる範囲から離れていき、もっと先へ、もっともっと先へとなっていったため、学校の成績も中途半端なものになってしまった。それでも、と一大決心をして三年生になってからは塾にも通い始めた。このころの私はエリート主義みたいなのに陥っていて、きっとここがただの公立中だからいけないんだ、高校で頭のいいところに入ればきっと理解者で溢れているはずなんだ、という思想を一縷の希望としていた。あと、中三の時の担任が大分粗野とも言える性格であったのも功を奏した要因かもしれない。内申が良くなく、家も裕福と言えずせめて私立に通うのは高校か大学のどちらかにしてくれと言われたのでとある国立高校を志望したのだが、担任にはにべもなくお前にゃ無理でしょと切って捨てられてしまった。そんなことがあるか、私は全知を叶えるに足る人間だ、と自分を狂信する形で受験勉強に打ち込み、蓋を開けてみれば合格で、一泡吹かせてやった、と万々歳。今でもその担任の苦笑は目に浮かべることができる。

 入った高校は理系教育を重視することで有名で、その影響か男女比も大きく男子に偏るものだった。私という実例があるように女子だからといって理系が弱いなどということは断固として無いはずなのだが、なるほど私が中学で受けた仕打ちを考えると女子は自らの手で”リケジョ”を減らしているのかもしれない。話しかけてみると、物語の話は殆どに通る。数学とかは、通る人には通る。ここにははっきりとした断絶が見て取れた。それでも”少ない”とゼロの差は甚大なもので、完璧な理想との差にちょっとの失望こそあれども大満足するものだった。それに、わからなくとも興味を示してくれることが比較にならないほど多くて、すごいね止まりの人も殆どおらず、ああ、この学校に来てよかった、と心底思ったことを覚えている。それに、もっと稀だったが私よりもすごい人もいた。先輩に限らず、級友にも。絶対に張り合うという強い意志で、尚精進することを決意するには十二分の威力だ。

 高校に入った頃にはもうインターネットも使い慣れ、案外と近い所に人類にとっての未知があることを知った。数学の未解決問題、理論物理学上の瑕疵、歴史上の決着を見ていない論争、そして堆く積み上がる誰も手を付けていない問題たち。それは、私が昔から一番好きだった宇宙においては尚更のことだった。そんな問題を―――百三八億年続いたこの世界の中でさえ誰も知らないその答えを―――誰よりも早く解き明かすことができたとしたら、それは最上の喜びに違いない。考えるだけで全身が浮き立つようで、この想いはもう止まれない。有り余るそのエネルギーで、アマチュア天文家らしく休日には望遠鏡を持って比較的光害の少ない郊外へと出かけたものだ。そしてそこから一年ぐらいたった時、あのニュースを聞いたのだった。

 ところで、少し前の話を思い出して欲しい。私が興味を持っているのは、全ての知識についてだ。知の大翼で遍くを包み、その悉くを摂るが本望。今でも、そう本気で思っている。さらに言うと、宇宙なんてものをやろうとすると馬鹿みたいな量の数式と対面することを強いられる。だったら今のうちから数学も物理も、ついでに化学とか歴史とかもやっておこう、となるのは……きっと、どんな人でも思う自然なことだと思う、たぶん。少なくとも高校レベルでは、これらを全部やることは不可能ではなかった。それでもアマチュア天文家としての行動と、付随してちょくちょく高校範囲を抜けたがる数学とか物理とかを相手取るのはなかなかに骨が折れるものだった。

 あるとき、天文部の先輩から聞かされたのは電波望遠鏡の話。曰く、天文部はあんまり予算を使わないので結構貯まっているから、学校にかけあってパラボラアンテナを置きたい、という話だ。先輩の話し口は段々と熱を帯びてきて、私もそれに乗せられて先輩を完全に後押しする立ち位置に立たされてしまった。顧問の先生に話すと、じゃあ何日の午後は割合暇だからその時に来て説得してみろ、と言われた。先輩大丈夫なんですか、と急に不安に駆られて尋ねると先輩はやけに自信満々といった様子で、話を聞くと、まあ屋上の利用許可はもうあるから最悪自費でやればいいし、ということだったのでずっこけてしまった。

 数日後、顧問の先生のいる教員室に道場破りか何かのような意気込みでノックをする。先輩と一緒に部屋に入り、説得を開始。弱い点はどこだ、と刺されば痛いポイントを言葉の槍で突き刺そうとする先生にそれを叩き砕く先輩。サイズの想定はできてるのか、アンテナ直径で五メートルぐらいです。なんでそんなに大きいのが必要なんだ、電波の周波数が低いから解像度が低いからです。電波法とかはよく調べたか、発信しないので問題ないことがわかってます。受信した電波をどうするんだ、信頼のなる友人に依頼して画像にします。等々。私は横で眺めているしかできなかった。暫くすると先生が折れ、ついに電波望遠鏡の設置を認めるとのことだった。先輩は見る間に喜色満面になり、腕も中途半端なガッツポーズのようなものになっていた。もちろん私もだ。先生は本棚から本を取り出したかと思うと先輩に手渡した。表紙に見えるは基礎的な電波の理論に関するもの。先生は、この知識を得ておくことは間違いなく役立つだろう、と。これを見た瞬間、私の心は知識を狩る大鷲となって私に言葉を喋らせた。先輩、私にそれを先に読ませてください!思ったよりも大声が出て驚いた。

 話は逸れるが、私は昔からずっと物語文が好きだ。ほかの探求に圧迫されて使える時間はじわじわ減らされていったけれど、それでも私は物語を読む。で、この趣味で一致した男子がいた。そこそこ解釈違いが起きそうな雰囲気はあれども大枠では激情こそが美しい、という点で一致する。憔悴、絶望、憤怒など。いくつかのオタク的会話をしたあと、人間として間違いなく信用が置ける、という結論を得た。なので、最終確認。教室もにぎやかな昼休みに、その男子にこんな話をした。こんなに男子の多い学校なのに、彼氏の一つもできやしない、いっそ彼女を作ろうか、という。実際、高校に入ってからは一度も告白されていない。私からは、普通人間は未知よりつまらないので間違っても告白しないことを考えると、相手からの告白がなければカップリングが成立しないのだ。そしてその男子は、間髪入れずに”おっ、いいじゃん、応援するよ”と。決まりだ。全面的に信頼がなる。少なくともこの男子には色恋沙汰とかで悩まされることは無いだろう。

それから、その男子とは主にサブカルについて話すことが多かった。逸れた話題だとよく互いが既に知っているラインを余裕綽々飛び越えてきて、何もわからなくなるからだ。二次元に関しては、男女の差など高々性別の違いであった。私に対して、女性という扱いはもとより、そもそも私の思考にだけ重点を置いてくれるというのはとても気楽で、心地いいものだった。私は、私と決定的な断絶を持つキャラクターを楽しんでいる。そこにあたかも読者/視聴者/プレイヤーを投影することを前提とした立ち位置があったとして、どこまで行っても私ではない。そうでなくてはならない。

 三年に上がり一ヶ月ほど経って、ようやく電波望遠鏡が設置された。先輩も時々来校して手伝ってくれる。というか先輩がいないとかなり困る。そんななのに先輩は開口合成レーダーってやってみたくないか、とかよくわからないことを言い出すのでそれどころじゃないです、と突っぱねておいた。いくら全知を目指すと言っても段階を踏まないと。結局、私が三年のうちは受験勉強に忙殺されてしまい。知的好奇心の掌を大きくする余裕もなく、結局はあの男子と休み時間中に趣味について話すとかぐらいしかできず、受験を成功させて天文部に顔を出してみるといつの間にか画像が表示できるようになっていた、ぐらい。この半年……一年間?の知的拡充の進捗の少なさよ。決意を新たにして、改めて期間は短いが少なくとも大学に入学するまでは覚知に邁進する、という自分内目標を打ち立てた。そういえば受かった大学もなかなかに偏差値の高いところのはずだが、今回は特には担任からの罵倒なども無かった。もしや、罵倒があったほうが捗るのか、それはマゾなのか反骨なのか。……多分反骨でしょ。そう思わせて。

 して、知を底引き網にかけてやらねばならぬ。そういえば、最近は宇宙の死について調べた。宇宙の膨張が収縮に転じてついには一点にまで戻る、ビッグクランチ。熱力学第二法則に基づき、宇宙の全ての熱が全ての物質に均等になり、ついには何も起きなくなるビッグフリーズ。宇宙の膨張が際限なく進行し、ついには素粒子レベルで互いの間隔が事象の地平面を越えて全ての物質が孤立するビッグリップ。どれでもよいが、とにかく宇宙は将来死ぬのである。これを検討した私は、一晩ほどそのうち宇宙が死んでしまうならば知識を蓄えたところで、また機械化などによる擬似的不死ができたとしてなんの意味もなくなるんじゃないか、と恐怖に駆られたがそれも一晩限りのものだった。そんな事が起こるのは一万年すら及びもつかない人類には実質無限の未来と考えていい代物だし、そのころにはそれを解決する人類の英知もあろう、そうでなければ滅びているであろう、といったところだ。大半の恐怖は受け入れて検討してしまえば枯れ尾花。やはり、知識の絶対主義の信仰が必要だと再認識した。ちなみに、遠い遠い未来では陽子が崩壊しないなら全ての元素は鉄に、するなら陽電子と光子とその他諸々の素粒子たちになるらしい。

 卒業間際とはいえ授業はある。というかむしろ合格が決まって遊び呆けないように授業を組んでいるらしい。その休み時間に、あの男子にも宇宙を布教しなければと、今私が一番ロマンを懐いている天体であるところのマグネターについて話をしている。地球上の殆どの化学的結合の役割を担う電磁相互作用というものがあり、これは原子そのものの構成にもかかわるのだが、マグネターの近くではその力よりも強い電磁場が有るので外のものは放り込んだものから雲散霧消していくに違いない、というロマンだ。それだけ電磁場が強ければ物理法則だって地球上とは根本的に違うだろうが、今の人類では探査することがSFでさえ難しいので、ロマンの塊だ。……気づいたら、完全に一方的に話していた。まあいいか。私はその男子に布教する。その男子も私に布教する。Win-Winというやつだろう。

 卒業式。感動的だけど形式的。外から見る分には素晴らしく、体感する分には極めて退屈。祝電、卒業証書授与、校歌に国歌と式次第が進み、卒業が完了した。脳みそは感傷一割、大学への期待一割、読んでる本の続きが気になることに八割。さっさと帰って本を読もう、と思っていたらあの男子に呼び止められ、校舎裏に来た。普通だったらまあ告白だろうな、いやベタすぎるでしょ。でもこの男子のことだからそうではないだろう。何か別の、

「ずっと前から好きでした。付きあ―――

 途中からはもう聞こえない。『好き』という言葉を認識した私は、その瞬間頭には一瞬本当に殴られたかのような痛みのない衝撃と、胸には巨大な球を入れられ今まさに内部から私を殺さんとするような違和感、忌避感、拒否感。私はひたすら立つことすらできなくなったかのような感覚と、それに反して転ばないことによるある種の浮遊感を覚える。そして数瞬して地に足が付いていることを分かった私は、とにかく目の前の存在の前にいてはだめだ、と感じ、それでも動かない足を回そうとして、頭の中がデッドロック。結果として、この一秒ぐらいを外から眺めていたら表情が見えていなければ棒立ちに見えただろう。もしかしたら表情も変えられていなかったかもしれない。とにかく、

「ストップ」

 真剣極まる目。その姿がとても大きく見えて、言われなくても動けない。影だけを持った、とても大きな柱状の、私を圧倒する何かが、それが私の平衡感覚を崩れ倒れさせるようで、心は何よりさっさとこの存在の前からいなくならせてほしいと叫んで、だって、

「ストップ、ストップ。一度落ち着いて。……君も、多分僕と同じはずだから」

 落ち着け?同じ?同じってなんのことを言っているんだ。そんなわけがあるか。私はとにかくここに在りたくない。そしてそっちは動機が何であれ告白なんて真似をしてきたんだ、同じはずがない!嫌だ、嫌だ!『好き』が私に向かうのが嫌だ!ふつふつと怒りすら湧いてきた、いらない感情は叩きつけてしまえ!……そう思い口を開くと出てきた音は、あまりにも震えていた。これでは虚勢を張ってるみたいだ、私はそんなことはない、そんなことは無いはずなのに。ああもうこんなことになったのも全部こいつのせいだ。感覚が真っ当に戻るまでは話を聴いてやろうじゃないの。そう思って、話を促した。

 話はこうだった。まず、告白については本気のものではない、申し訳無い、と。この男子が数ヶ月前、ゲーム中で人が入ってないキャラクターに告白され、それは形式ばかりのものであったはずなのに強い恐怖と拒否を覚えたと。キャラクター自体は嫌いどころか大好きだし、恋愛対象として見られるのが気持ち悪い、とかそういうことでもないらしい。そして、その感情を覚えること自体に対して興味深さを見た、というわけだ。前に私がこの男子にちらと語った昔の話とか、話中の断片からもしや同じ感情を抱きうるのでは、とこの男子は考えた。その考えは次第に確信に変わって、けれど万一間違っていたら怖すぎるからと、そもそも別の要因によって嫌悪を覚えるならそれも嫌だと、と後腐れ無いように卒業式の日、と。私はもう脱力極まる感じで、ついに立っていられなくなってしまい非常階段に腰掛けた。その男子が、休憩を許さぬと追撃という風で、というよりはむしろこれが彼の大本命の問いなのだろう、その前の質問にも増してゆっくりと、押し込むように質問を撃ち込んでくる。言われたときの感情を、整理してみてほしい、と。私はまだ混乱の只中にあって、到底整理できる状況じゃない。だからと、この期に及んでようやく初めての連絡先交換をした。クラスのグループはあったけどどれが誰だか識別できてるわけ無いので、同じアプリ内だけど初という判定で十分良いと私は思う。……普通は本名なのか。

 二日経って、夕暮れ。一応言葉にはできて、それでもまだまとまりを欠く作りかけのスライムのような文を無責任に放り投げた。多分あとで見返したら、何この文章酷すぎないと消したくなること請け合いだ。だから絶対に見直さない。多分垂れ流しこそが素直な感情の吐露になるはずだし、という自己弁護もつけて、送りつけてしまった。ダメ、もう画面も見てられない。本を読もうにも文字を見ると連想されてしまう。歌詞のある曲もダメだ、クラシックこそが今の私の逃げ場だ。

 ……一楽章聞き終わってしまった。画面を開く。努めて送った文は読まないように視線を動かし、見ると既読はまだない。これは暫く読まれそうにないかもしれない。じゃあ私はわたしのやりたいことをやろう、即ち今したいのはゲームだ。没頭して時間を忘れよう……。

 ふと意識が戻る。寝落ちしてしまったみたいだ。窓の外は薄明かり、寝ていたのは30分程度か……と時計を見ると午前五時。随分と熟睡じゃないかと自分を笑って、溜息が出た。恐る恐るメッセージを開いてみると既読の文字が。それと、その男子からの「やっぱり」。そんなはずはない、という確証はあるはずなのだけど、それでも心の奥底まで完全に分かられているような間隔を惹起されて、不思議と拒否より先に安心感が湧いてくるようでもあった。なんとなくメッセージを返す気も起きず、渡す言葉も浮かばず、結局その男子とのやりとりはそれきりになってしまった。


 大学に入り、今まで散々に大学に入ったら大変だぞ、と脅されてきたことがやっぱり嘘だったことがわかった。高校入学の時だって中学校入学のときだって、記憶にはないけど多分小学校に入学したときだってそうだった。むしろ、一時間単位で隙間時間があるので、まだ研究にも手を付けてないような一年のうちには知的好奇心に大いに餌をやることができた。そんな時に読んでいた本のうちの一つが電波工学の入門書で、なるほど高校の時の先輩の言っていた開口合成というのはそういうことだったのか、と得心した。曰く、電波も結局は三角関数だからその位相、フェーズをずらしてやることで別々のアンテナで単一の目標を同期して捉えることができるから、めちゃくちゃ大きなアンテナがあるのと同じノリで観測できるようになる、ということだ。そしてブラックホールの影を捉えた、というのは地球規模でそれを行った結果らしい。つまるところ、地球まるごと電波望遠鏡だ。その話を見て、おそらく多くの人も同じようなことを思いつくだろうとは思ったが、じゃあ地球軌道規模でやってみたい、となるのは自然なことだろう。だから私は、宇宙物理を専攻することを決意した。

 素人に説明しろ、と言われても難しいようなものを学んだし、論文も書いた。部屋の本棚の中身が減ることはあったが、専攻以外の分野の知識も着実に増やしていった。無際限の未知の征服!自らの未だ及び知らぬ一つ一つに刃を突き立て血肉としていくことの喜び!知識の点を無限の次元に拡張し、その奔流を一身に浴びる快楽!こんなものがあれば他者との関係など心底必要ないと思える。心理学、人間工学、そういった要素要素は面白いと思うけれど一個人自体はどうでもよい。むしろそこから不和が起こることのほうが不利益を生む。そういう思考をしていた……あの男子以外には。あの男子には心の底まで分かられてしまった。だから、私も奴の心の底までわかってやりたい。それと、これは断じて恋ではない。私だって一応人間、二次元のキャラクターに対してとはいえガチ恋の1回ぐらいは経験がある。そのときには恋焦がれるという言い回しは言い得て妙だと納得したものだ。相手を第一に据えて、付け合せに焦燥感を置いたもの。あの男子に対する気持ちはそんなものではなく、むしろ半ば怨念的ですらあると思う。でも、もう二度と会うことも無いだろう。

 ある時、学内で人工衛星を打ち上げようという企画があることを知り、その末席を汚させていただく機会があった。打ち上げて宇宙空間に投入して、ちょっと通信するだけのものだ。それでも、過去に参加した人からは例えば今は某宇宙開発事業の団体で探査機のプロジェクトリーダーをやっているような人までいる。すなわちこれは有意義に違いないだろう、と確信できた。それに、こういうものは理論を知っていても実際にやると細かい知識不足が空気に溶け出してくるかのように出てくる。そしてそれを水に溶かして版で擦りつけてやるのだ。

 やろうとすることは、理屈の上では至極簡単。外気圏まで打ち上げて、ちょっと通信、そのまま再突入して塵の一つも残らない。いくつかのチームに分かれて同じロケットに同乗する複数のミニ人工衛星を作るのだが、チームを作る際にどうせだから開口合成を試してみないかと提案した。流石好き者の集まりと言うべきか、話に乗る人を集めずとも十分な人数でチームを組めた。どこを観測しようか、という話は幸か不幸か技術力の都合上、精々月ぐらいが限度だろうというのは分かっていたので月を観測しようとすぐ纏まった。打ち上げ日を確認するとその日は新月に近かった。つまり、打ち上げたあとに月が視界に入ることはほぼ確定視できる。これは僥倖だった。メンバーにはそんなことも確認せずに話を持ちかけたのか、と早速呆れられてしまったけど結果オーライ。

 回路検証、オッケー。通信、完璧。地上(を想定した回路)との同期、オッケー。姿勢制御、及第点。耐振動……だめ。これはどうしたものだろう。耐振動、考えたこともなかった。これは……もしや、八方塞がり。そう思っていたら班員からいい案があると言われた。そういえば班員が居た、わからないことは投げてしまったほうが良いのかもしれない。曰く腕時計の耐衝撃と同じ仕組みでいけるんじゃないかとか言っていた。後で調べよう。

 リハーサルの日になった。この企画が面倒を見てくれるのは打ち上げと再突入だけで、宇宙空間でなにかやろうとしても特に支援は入れてくれない。良心的な先生方はアドバイスぐらいは聞きに行けば教えてくれることもあったけど。ともあれ、ここで問題なければその範囲は9割方上手くいくだろうということだった。問題があればデスマーチだ。徹夜は露骨に思考能力落ちるからやだな。幸いにもリハーサルは上々の結果だった。

 そして本番。H-Ⅱシリーズのロケットの空きスペースに同乗するらしい。もちろんこのロケットの主目的は一個で中小国の一人あたりGDPを上回るようなお高い人工衛星の打ち上げなんだけども、それだけじゃまだ載せる所(ペイロード)が余るのでこの企画みたいなものとかマイクロ人工衛星みたいなものを募るとか昔つくばの施設の見学に行ったときに聞いた。打ち上げは種子島だけど私達は教室を一つ借りて管制室代わりにしている。打ち上げまでまだあと1時間半もあるというのに、心が箱の中を跳ね回るようで浮足立ってしょうがない。ロボコンとかだったらこういう時間に直前リハとかできるものだろうに、機体と一緒に心までここにあらずといった風になってしまったかのようだ。こんな心境じゃ本なんて読めないし、仮眠だって取れやしない。やっぱりクラシックこそが私の友だ、主旋律を繰り返し繰り返し聞かせてくれるクラシックのその形式は他の何よりも何よりも心をその旋律に収斂させて、落ち着かせてくれる。……今日の選曲は、ラヴェルのボレロ。

 いつの間にか眠ってしまったのか、私は体を揺すられて意識を取り戻した。跳ね起きて携帯で時間を見ると打ち上げの19分前。そういえば打ち上げの20分ぐらい前からは映像中継が入るとか言っていたっけか。起こしてくれた人に二言三言礼を言ってから見回すと、機器のセットアップで四苦八苦する人々が目に入った。ぼんやりと眺めている内になんとか準備は完了したらしく、ロケットと発射台の映像が映し出された。それは当然といえば当然なのだが、テレビを通して見るそれとの違いは何らなく、そこに私達の作ったものが入っているとはとても実感できない……なんてことを考えていたらあそこに私達のが……と感傷じみた気持ちが浮かんできてむしろ実感が発生してきた。なんだか調子が狂う。それでも……もう1時間前か、その時ような、それこそ宇宙に放り出されて回転も止められないかのような気持ちではもう無い。落ち着いて、打ち上げのその時を待てる。

 打ち上げ自体はもはや勝手見知ったような、まあ『いつもの』だった。それでも案外盛り上がるもので、室内は万雷の拍手。私もその一端に加わった。本番はあと10分15分後。少しして高度100​kmのカーマン・ラインを越えて宇宙空間に突入したという知らせが入ってきた。もう、いよいよ宇宙だ。耐温度、耐放射線だって実験した。きっと動いてくれるはず、きっと。

 結果を端的にいうと、失敗だった。宇宙まで飛ばして、地上との通信はできて再突入、制御落下に近いけど大気で燃え尽きるので地上の心配はない、も成功だったので、企画としては万々歳の大成功だった。それでも、私達の班が打ち立てた目標、月表面の観測は失敗。教師連はよくやったよと褒めてくれた、班員も俺らすげーよと言い合っていた。どうしてそんなことができるのか、私は失敗したんだよ!

 失敗の原因については調べようもない。普通は失敗した機体を見ればいいが、燃え尽きてるから。一応、設計データを参照してすぐに分かるようなミスは見当たらなかった。そんなものがあったら失敗への憤慨は自分への虚無感情に変わってたことだろうけど、そんなことは無くてよかった。さて、少し時間が置かれたことで頭は冷えた。失敗こそしたけども多くの知識を吸収できた。何より企画の目標は文句なしの達成だった。それでいいじゃないか。時間が私に諦めを飲ませてくれた。そして、この企画は大学時代の思い出の一つとして就職のときにでも散々語られるだろう、そう思っていた。

 あの男に再開した。あの男”子”なんて文字はつけてやらない。どういうわけか私が企画で独自にやっていたこと、開口合成レーダーによる観測、それをどこからか嗅ぎつけてきたらしい。陽も沈んで帰ろうとしていたとき、声をかけられたので止まらざるを得なかった。その男は、目を輝かせて開口一番に、すごいじゃん、と。何がすごいもんか、お前は先輩と一緒に高校生だったころにもう同じ実験ができてるだろう!それを成功させているんだ!すごいじゃん、の口調が小馬鹿にするようなものだったらまだ良かった。その口調は、まるで小さな子供が200円のガシャポンでちょっとした機構のボウガンを出して大喜びするみたいなものだった。それが私にはわからなくて、自分のせいで失敗したことを思い出させて、口から漏れ出たのは言葉なのか呻きなのか、ともすれば耳鳴りか。あの男は少し眉をひそめて、こちらを見てきた。やめて、訝しがらないで。視線は私のすべてを見通すかのように感じて。視線が私の心理障壁の具現化を一点から貫き、自意識と固まり侵食する複合体となって、隠しておきたい全てを陽の当たる所にさらけ出して、まるで犯罪の証拠のように並べられて写真を取られてしまうかのよう。短く断続的な嗚咽を鳴らす私に、その男の顔は困惑と憐憫のないまぜに変わった。そう、それでいい。私は失敗したんだ。憐憫の情を向けられるか、さもなくば嘲笑されるのが筋じゃないか。もうさっさと帰ってしまおう。失敗したんだから、とだけ行って駅へ足を向けようとしたとき、ちょうど二年前のやり直しみたいにその男が、

「ずっと前から」

こんなのはあまりにもずるい。嗚咽すらも急に吸われる息の前に止まる。混乱している状況下で告白すればいけるだろうという魂胆か?いやその考えは自分が混乱しているだけだろう。本当に?そもそも告白と思い込んでいることの自意識過剰では?いやこんな言い回しは告白以外じゃ滅多にないぞ。

 数秒の乱考の後、漂ったのは沈黙。顔を見やると、二年前と同じような目。ということは、これは告白じゃない。長い溜息をつくと、私は不機嫌ですという顔を男に向けて、その男はそれを無視するかのように口を開いた。

「自分と一緒に、今度こそ成功させてみないか」

何を?言わないでもわかるだろう。なぜ?まだできていないから、じゃダメか。なんで、失敗した、私なんかを?

 その男は答えに窮したように見えて、なんでもいいからとにかく参加してくれないか、とか言ってきた。無責任な。むしろこれで参加する人が居たら知りたい。ちなみに私は参加する。理由は簡単極まる。私ができなくてこんな男にできることがあってはならない。二年前にも私を心底動揺させ、今も無駄な心労をかけてきたようなこんな男に劣等することがあってはいけないからだ。傍目にはそうとうちょろいようにも見えたかもしれない。でも、この男の驚いた顔を見ると少しやり返せたような気がして胸がすく思いではあった。


 どう考えても失敗だ。同じ失敗でもちょっと打ち上げて思ったとおりにいかなかったぐらいのものなんてどうでもいいぐらいだ。なんで私はこんなにも安請け合いしたんだろう?なんとなく愉快な気持ちで電車に乗って帰宅した、あの時の自分は酔ってでもいたのか。時計の短針が一周するぐらい寝て、起きた時の気分は最悪だった。携帯の画面を見ると連絡が入っていることを示すアイコンが。アプリを開くともうあの男が私にグループの招待を送りつけていた。この分ならもう根回しも済んでいることなのだろう。手が早いことで。眉間に皺を可能な限り寄せつつも、なんだかどうでもよくなってきて口角を上げてしまった。ああそうだそうだ、昨日の夕暮れもこんなだった。諦めて起き上がって、何とはなしに腕を伸ばしたり回したりと踊りのようなものをしていたら、手の甲を椅子の背もたれに叩きつけてしまった。痛い。画面を見やればちょうど今日集まりがあるらしい。……今から行けば一応間に合うか。もうしょうがないから行こう、行って自分を丸め込もう。行きの電車中で流す音楽はショスタコーヴィチの交響曲第七番、レニングラード。包囲されてる時に思いついたとかなんとか。わかりやすいヤケだ。

 電車を降りて徒歩三分、都内某所の貸会議室。入口近くのホワイトボードに目的のグループ名が書いてあることを確認して、部屋に入った。見回すとあの男はすぐに見つかった。談笑していてこちらには気づかぬ様子。でも伝手は他にないので少し頭にきつつも口角だけ上げて慇懃無礼風味に挨拶してやった。無邪気な笑いが憎たらしい。すぐに談笑していた人にも紹介されて、「服装もボサッとしていて信頼が置ける」との評価を頂戴した。……このご時世、その言い方はセクハラとか気にしないのか。それと私、ちゃんと服選んできた……つもりなんだけどな。あるいはボサッとしていなければ全員おちゃらけ文系かのような偏見でもあるんだろうか。ありそう。

 他の方々の紹介を受けて、早くも私のヤケと、私が私を丸め込もうとしたその過去を後悔した。何が辛いって強い人々がたくさんいる。SNSのプロフィールにすらまともにかけるような実績も持たない私には強いが過ぎる。私を丸め込む私プライムが負けている。私プライムを丸め込むための私プライムプライムはいづこにあらむ、あるいは無限後退を強いられるか。無限後退っぽそうだ。じゃあしょうがない、知識を吸収する寄生虫となるしかない。引きずり込んだのはあの男だ、私は悪くない。

 引きずり込んだのがあの男なら、当然説明責任もあろうとつついてみた。一つに、公的機関の協賛こそあるけど技術協力なんかはさっぱり無いと。一つに、更に言うと数学とか物理とかのつよつよ人材こそ居れども実際に打ち上げまでやってみたのは私ぐらいだと、だからどちらかというと教授側に回れと。どれだけ私の頭痛を増させれば気が済むんだろうか?強い人相手に教えるなんて……とかいう思いより、この男の顔を見ていたら腹が立ってきた。ああやってやろうじゃないの、ええ。どうせ間違いなんかそこかしこにあるでしょう、指摘で私の知識が増やせれば御の字よ。でもこの男は自分の推薦した教師枠が実際はよわよわということで批判を浴びるに違いない、だから私はやってやる。

 意気込んだはいいものの、今日は顔合わせ程度で終わるらしい。この余った勢いは何ゴミに出せばいいですか。

 次週から作業に取り掛かる、というわけにもいかずまずはゼミのようなものから始まった。どこを実際に制作するかにかかわらず、網羅的に知っておくことが有効であるという思想からまずは全体に対して、講師役が入れ替わりながら講釈をした。驚いたことに、飲み込みが早いことこの上ない。私が通ってる大学だって世間から見ればかなり頭の良い部類のはずだ。でもそこでやったときよりも圧倒的に早い。大学のほうが一を聞いて十を知るとすれば、こっちは一を聞いて256ぐらいを知っている。これで私がそろそろフェードアウトすれば完璧……とするにはこの男を振り切る必要がある。これはなかなかつらいぞ。なんて言ったって二年間接点がなかったはずなのに突然こんなところに突き落としたぐらいだから。素直に諦める方が楽というものだ。私の言ったことに間違いがあってもこの人達なら自分らで訂正できるだろうという安心もあった。

 数週経って、製作が始まった。やはり順調そのものといった感じで、そろそろ私はフェードアウトしても……とか思っていたけど意外と仕事があったので参加する。今度のは太陽周回軌道に乗せるので、事実上人工衛星ではなく人工惑星になるとかなんとかいう話だ。それで地球から見て太陽の反対側の、ラグランジュ点なる準安定な点に保持させることでレーダーの実質幅も広々とできるだろう、ということらしい。平行して、その点と太陽を中心に正三角形を描けるような位置にも別のラグランジュ点が有るらしいのでそこに乗せるのもやるとか。そうじゃないと通信できないし観測精度も悪いし、ということで複数打ち上げるらしい。やけに大規模だな、と不審がっていたら国から助成金が出たとかいう紙が貼ってあったのを発見した。若者の科学的云々がなんとかかんとか、と小冊子レベルになっているものが磁石で白板にポン、と。なんてプロジェクトに引き込んでくれたんだ、あの男は。

 結局フェードアウトすることは適わず、もう再来週には打ち上げになってしまった。来週が台風の予報で一週間遅れることになったので、丸一週間時間が増えたようなものだが機体はもう受け渡し済なのでいまから手を加えることはできない。

 ……私は、本当にちゃんとできたんだろうか?教えるのに本は使ったけど、本を私が解釈して言って教えてた。だから私が間違ってれば、いやそれ以前に私の理解がダメなばかりに本選びを間違えていた可能性は。いや本は問題ないだろう、大学の方から紹介された本の一つなんだから、いやでも理解できているかの確認のためにとかでもしかしたら意図的に悪書が選ばれていたかもしれないし、でもそれだったら中身は度し難いはずで、それを筋道立って理解したと思いこんでしまったならばとんでもないミスで。あの本、あの本はどこだ、今はグループの別の人に貸してるはずだ。でもそんなことで連絡するのは申し訳ないし、というか本が間違っていればそれこそ目も当てられないし。じゃあそれを元にした私の理解は間違ってないのか、私が私を検証する限りでは間違ってないはず、ってそんな検証無意味じゃん。いやそんなことはない、私には他の本の知識もある、でもだからこそ驕って解釈を誤ったりした可能性は?ということは他の本の理解も間違っているかもしれない。そして私がゼミの主導役を務めたりしたことも一度程度では済まない、じゃあわだしが参加したがために助成金まで出たようなプロジェクトをゴミ箱に叩き込む羽目になったんじゃないのか。眠りに落ちようとしていた私は、息を吸うのも忘れるような恐慌のループに囚われてしまった。ダイニングまで出て、親がたまに使っている睡眠薬を拝借して思考の電源を落とすことしかできなかった。

 目が覚めた。即座に眠る前のことを思い出し、それでも記憶というかたちだからかループにたいしてその外側から眺めることができた。気分が悪い。だからといって読書もクラシック鑑賞も手に付かない。第一今日も今日とて講義もある。要らない思考を振り払おうとニュースに傾聴したりとかしてみたけど、ダメだった。駅までの道のりも、電車の揺れも、大学の冷たい席すらも、私の頭に焦げ跡のようにこびりついた厄介な思考をこそげ落とす役には立ってくれなかった。講義なんか聞けたものではなかったが、出席点の付くものもあったから全くの無駄ではなかった、と自分に思わせることができたことでわずかでも救われた気がした。あるいは、救われた、と思い込んだ。

 弱り目に祟り目、泣きっ面に蜂とはこのことで、帰ろうとしたところにあの男に鉢合わせた。ばつが悪いので顔を背けたら、近づいてきた。やめてほしい。私が出てきたのがちょっと遅かったというのもあって、周りでは歩く人の姿もほとんど無い。建物と建物の間、やや影になるところ、精神的な密室のようなものが周囲にはあった。

「やぁ、調子とかはどう?」

表面的に軽薄で、表面的に全能にすら見えるようなこの男。好意のあった高校時代が最早信じられない。八つ当たり的な怒りが沸いてきて、気づけば私の口は腹の奥から吐き出される呪詛を言うために開かれていた。社会性フィルタを通して、定型文に変換された。

「ええ、お陰様で」

「最初、僕のことを見て嫌な顔をしただろ?何かあったんでしょ、言ってご覧よ」

癪にさわることばかり言いおる、それならお望みどおり言ってやろうじゃないの。

まずは大きく溜息。ただ叩きつけるだけじゃ芸がないから言い回しを、とか普段の私なら考える所だったし、普段ならこの溜息は思考の時間稼ぎだったはずだ。でも、この時は吐瀉でもするかのような勢いで吐き出すことしか考えられなかった。私の理解はド素人のそれであろうこと、だから参考にした本の解釈も間違っているはずであろうこと、そして講釈を垂れた対象の人にも誤ったことが伝えられているはずで、それならいくら頭が良くても良い方向には進むまい、私を呼びつけたがために大失敗でしょうね、様ぁ無いわね!

 言葉の嘔吐はもしかしたら本当に粘膜を傷つけたのかもしれないというぐらいには実際に吐き気がこみ上げてきた。感情由来でない涙が目に追加で浮かぶ。あ、これはダメなやつ、嘔吐前に特有の唾液が溢れてきて、近くに……排水溝はある、そこに、。

 ……………………吐き気の発作も止んだ。地面に膝を付いたからズボンの膝の部分が汚れてしまった。あとは水道があったはずだから、適当なペットボトル飲料を買って水を汲んで流してしまえ。何往復かすると、嘔吐があったと思えばあったんだなと思う程度には流せた。

「……ずっと前から、好きでした。」

 男が口を開いたかと思うと、もう心を揺さぶる要素も無くなってしまった言葉が出てきた。吐いて冷静になれたのか、意図を勘ぐるも思い当たらない。

「高校の時から、何というか、超越的で。自分に強い揺さぶりがあっても、それすらも観察できてしまうような雰囲気すらあなたにはありました。そんなところに、僕は惹かれてたんですよ。」

は、何を言い出しているんだ。続けるな。続けないでくれ。頼むから、私に対して形式的以上の好意を示さないで。治まったはずの吐き気がぶり返すかのような心情にこの十数秒で叩き落とされた。

「それでも、実際に強い揺れを引き起こすと、そうではなくて。僕は、もっと、圧倒的であってほしくて。………………。」

なんだ、それは、私はもう吐く物も無いのにえづくことをやめられない。もう一度大きく排水溝に向かって体を折っていたら、いつの間にかあの男はどこかへ行っていた。言いたいことだけ言って、私の精神をなるたけ不安定にして、それでどこかに行くなんて、なんて勝手なやつだ。……でも、おかげで落ち着くことは……多分、できた。

 『圧倒的であってほしくて』……、その言葉を帰りの電車でも、家に帰っても、布団に入っても考えていた。なんだ、手につかないのは落ち着いても同じじゃない?ちょっと自嘲しつつ、笑いが溢れる。たとえ自分だろうと滑稽なものは滑稽だ。

 ともあれ、『圧倒的である』、とは何なのか。それは、揺さぶりにも動かないこと。それを外から観察できること。あの男の言っていたことは、そんなところだ、然らば。それは、自分に関する諸々を、模型でも持つかのように扱える、そんなこと、だろうか。恐慌のループに陥った私を、手の中に抑えつけようと傷だらけになる私を、その肩越しに眺めて理解するように。


 結局、プロジェクトは基本目標を十分達成、応用目標も部分的に達成と次の補助金を受け取るにも満足な結果で幕を下ろした。私の心配は杞憂、それでも私の恐慌は本物。超越的、というのはそういうことかと、けどいまいち掴みかねる。これは問いたださねばなるまい。アプリを開き、あの男にメッセージを送った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

プライド、及び自己認識 山船 @ikabomb

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ