2話:血ヲ振ルウ者

 まどこう、闇夜やみよ人影ひとかげ

 星空ほしぞら背負せおうは、青年、いや、少年。

 くらしずんだそのひとみは、深淵テホムさながら。何も反射はんしゃしやしない。の瞳には、何もうつらない。

 ああ、知っている――彼を。

 わすれようはずい。

 あんな冷たい目を持つ者など、そうはない。居てたまるか!


 およそ、ヒトとはても似付につかない顔であるにもかかわらず、病魔異ノスフェラトゥは表情をくもらせ、

「……ダ、誰ダ?」、と。


「け、警視けいしっ! 人が、窓の外に少年がっ!」


「ああ、――分かってる」


 分かっているさ。

 分かっているからこそ、最悪さいあく、だ。

 化物をけていた筈だというのに、“惡魔ドラクル出会でくわしちまうなんて。


玄﨑くろさきくん、彼を、直視ちょくししてはいけない」

「えっ!?」

「目を見てはいけない」

「どういうことですか、警視?」

ほだされる」

「――ほださ……れる??」


 グワシャッ!――

 窓硝子ガラスくだかれる。

 やつめ、わけの分からぬ来訪者らいほうしゃを、そのまま興味きょうみいだく事なく、考えるまでもなく、立ちるつもりか。

 “ナハトトキ”が奴自身じしん警戒心けいかいしんき、生来せいらい持ち尊大そんだいさがすきを生む。


 ――あわれ。

 ねがった訳でも、ねらった訳でも、はかった訳でもありゃしないが、はかな運命フェイトだったな、病魔異ノスフェラトゥ

 俺にたおされていれば、恐怖テラー、を知る必要等なかったろうに。


 砕いた窓を、わくについた無数のガラスへんさえ気にせず、皮膚をかれながら、病魔異ノスフェラトゥはベランダへとみ出す。

 少年を無視むしして。


何処どこくつもりだ、下﨟げろう


「……にンげンの子供キッズカ。オスニ興味ハ無い……見逃みのがシてやルからレ」


風邪かぜを引いた程度の血液淫虐症ヘマトディプシア患者クランケ風情ふぜいるな」


「……殺さレたいヨウだ、ナ」


 ブォン!

 病魔異ノスフェラトゥ所々ところどころただれた不気味ぶきみな腕が音を立ててるわれる。青白く浮かび上がる血管けっかんに黄色い血液が流れ、別の生き物かのように各々おのおの独立して脈動みゃくどうとても目で追うこと出来できないスピードで横薙よこなぐ。

 疾風しっぷうまとった、その歪形いびつなり鈎状かぎじょうつめがネコ科のそれを思わせるほどび、少年をおそう。


 ――

 素早すばやくも、たくみでも、かろうじてでもなく、まる蹴躓けつまづいてバランスをくずしたかのように、ただ偶然ぐうぜんさながら、少年はそのがった凶爪きょうそう一掻ひとかきをかわす。

 刹那せつな、――パッと薄汚うすよごれた黄色い鮮血がちゅうう。

 少年は、擘指おやゆび示指ひとさしゆび丈高指なかゆびの三本を、胡桃くるみでも握っているかのごとく強く曲げ、むしるように病魔異ノスフェラトゥ脇腹わきばらえぐる。


「!? ……ナ、なンだハ?」


「どうする、血液淫虐症ヘマトディプシア症例ケース

 再生出来ない程、細切こまぎれに千切ちぎられ苦しむのがいいか、それとも、一瞬いっしゅんらくになりたいか?どっちだ、えらばせてやる」


「……ガ、がキめ……おのれこソ、挽肉ミンチにシてヤるゥ!」


 病魔異ノスフェラトゥの、その病的びょうてきまで痩身そうしん異変いへん

 背骨の椎骨ついこつ一つひとつが皮膚ひふき、り上がる。拳から牙状きばじょう骨格こっかくが出現し、尺骨しゃっこつは外皮をやぶり、刃状やいばじょうに広がる。

 足はけもののような逆関節ぎゃくかんせつへしゃげ伸び、腓骨ひこつかかとから後ろがわに突き出し湾曲わんきょく体躯たいくゆうに3mにたっする。

 爛れた肌はぬらぬらとした体液につつまれ、まばらにうろこと毛が転々てんてんとし、鎖骨さこつ周辺に鰓状えらじょうひだ形成けいせいされる。

 何よりおそるべきは、肩甲骨けんこうこつから骨針こっしんき出し、蝙蝠こうもりの羽を思わす黒いつばさあらわれ、齧歯類のようだった頭部は変貌へんぼうし、太古たいこ恐竜きょうりゅうを想像させる。

 哺乳類ほにゅうるいとも爬虫類はちゅうるいとも両生類りょうせいるいとも鳥類ちょうるいともつかない、まごうこと化物ばけもの


からさら変容メタモルフォーゼだとッ!?レベル3だったか……」


「レ、レベル3!!? 災害ディザスタークラス!! 警視っ、私達の手にえるではありません!軍を、軍を呼ばなければっ」


「待て、玄﨑君。手遅ておくれだ」


「……手遅れ!?」


「ああ、にとって、な」


「えっ!?」


 通常、かりにレベル3であったとしても、あそこ迄の変容へんようける。

 極度きょくどの変容は、元の姿、つまり、人態ひとなりもどれなくなる恐れがある上、仮に戻ったとしてもどこかに化物としての片鱗へんりんが残ってしまう。そう、残滓レムナント

 吸血行為きゅうけつこういを行う上で、人態ひとなり程、人間社会にけ込むのが容易よういなのは無い。化物としての容姿ようしわずかでも残ってしまえば、人間社会でらすのが困難になる。

 だからこそ、余程よほど馬鹿ばかでもない限り、危険きけんな変容迄実行しない。

 しかし、奴はえてその姿を取った。

 それは――

 すなわち、

 ――奴にとっての危機ピンチ


 ベランダの手摺てすりを吹き飛ばし、その巨軀きょくふるわせ乍ら、

「……フシュルルルルゥー! 下等かとう生物ノにンげンのチビがァ~ッ、脳髄のうずい引きリ出シてバりバりらい尽くシてヤるゥーッ!」


 少年は左手で鼻を軽くまみ、

処構ところかまわず、遺伝子ゲノムむさぼり喰ってきたようだな。じつに、醜悪しゅうあく。何より、


 キシャーッ!

 獣のような奇声きせいを発し乍ら、先程より倍以上に巨大化したいびつな爪で少年をおそう。

「危ないっ!」

 玄﨑の声を余所よそに、少年はと動く。

 陽炎かげろう――

 目の錯覚さっかく、か?

 少年の周辺がもやもやとらめき、輪郭りんかくやけかすみ、闇に溶け込んでいるかのよう

 まばたきをした刹那せつな、少年の姿はベランダの腰壁こしかべの上に、と。

 標的ひょうてきらえそこなった病魔異ノスフェラトゥの凶爪は、ベランダの床と手摺壁てすりかべの一部をむしけずる。


 腰壁の笠木かさぎ天端てんば爪先つまさき立ちした少年は、外套ローブ腰元こしもとと右腕をしのばせ、と見えるつかに手を掛ける。

 裾元すそもとから少年の、琺瑯エナメルのサイハイブーツからのぞ太股ふともも自棄やけに白い。その手も、指先も。

 白子症アルビノのような真綿色まわたいろの肌だが、頭巾フードから覘く髪は漆黒しっこく。併し、分光性塗料マジョーラのようにころころと色が変わって見える。まるで暗闇くらやみひそんだ玉虫たまむしはねごとく。


 一瞬、少年の、その冷たい表情の口許くちもとに笑み?

 いや、口角が上がっているだけ?

「あっ!?」

 いつの間にか、かたなかれている。

 長い!長過ぎるっ!

 鋒両刃造きっさきもろはづくり野太刀のだち、いや、大太刀おおだちか?

 長大な刀身は鳥居反とりいぞり、細身ほそみり高く、大鋒おおきっさき両端りょうたん共にふくら付き、しのぎ刀身とうしんほぼ中央、棒樋ぼうひはばの異なる三段深溝ふかみぞとなりどおし、手前てまえ庵棟いおりむね棟方むねかた棟区むねまちいた薙刀樋なぎなたひき、り強く極めて優美ゆうび地鉄じがね小板目こいためはだよくみ、所々ところどころ大肌おおはだじり、地沸じにえあつく付き、地景ちけい深く入る。刃文はもん小乱こみだしゅとなり小足こあし逆足さかあし入り、小沸こにえ付き、二重刃、三重刃、金筋きんすじ稲妻いなずま走り、匂口においぐち深く、十字形じゅうじがた打除うちのしきりに入り、鋩子ぼうし小丸ごころに返る。

 取りかれる程、魅入みいる程、心うばわれる程に冷たくも美しいやいば


 いている――

 一時ひととき静寂せいじゃくの中、まされたき身の刃は、ただ何をせずとも大気を、空気を裂き、人間の可聴音域かちょうおんいきでは聞き取る事の出来ない超高音域ちょうこうおんいき振動しんどうを発している。

 ――いや、いているのか?

 その刃、閑雅しとやかに泣いている。


「……グルルルルゥ! 刀なゾ取り出シたところデ只の鉄ノ棒切ぼうきれニ過ぎンぞ、小童こわっぱァ!」


 恫喝がな病魔異ノスフェラトゥおくする素振そぶりもせ見せず、すずしい表情の少年はつぶやくように、

ぐに理解りかいするだろう、いやう程」


 おもむろに、少年は刃元はもとに手首をき出す。

 触れるやいなや、パッとひらめき散る鮮血せんけつ

 血流ちながしとも呼ばれる鎬に沿ったつたい、流れでる少年の血が刀身をのぼる。

 毛細管現象もうさいかんげんしょうではあろうが、まるで刀が血を吸い上げているかのよう

 地鉄はビーフブラッドの紅玉ルビーを思わす赤黒あかぐろさをび、刃はあわ薄紅うすべにを纏ってほのかに光る。そう見える。

 少年は、その幻想的げんそうてきえる長太刀ながだちしなやかにと振るう。


 病魔異ノスフェラトゥ羽虫はむしでもはらうかのように、その巨大な前肢うでで少年の刃を振り払う。

 ――ガリリィッ!

 少年の緩やかスローリー太刀筋たちすじは、今や山羊やぎつののように曲がりくねって肥大化ひだいかした病魔異ノスフェラトゥの爪によってといとも容易たやすふさがれ鍔迫つばぜう。


「……フシュルフシュルル!叩き折ッてヤるゥ~ッ!」


 鼻息はないきあらく力をめる病魔異ノスフェラトゥ


「――どうか、な?」


 少年は手のうちと柄を回し、むねを爪にあてがいあつのがしつつ、かた太刀たちかつぐようにしてかがみ、病魔異ノスフェラトゥの巨体のわきり抜ける。

 たいを入れざまきっさき内反うちぞがわ諸刃もろは病魔異ノスフェラトゥわきり付ける。

 ごく僅かな病魔異ノスフェラトゥ鬱金色うこんいろの血液が鋒に纏わり付き、糸を引く。


「……グルルルッ、痛クもかゆくモ無イわッ!」


「それが辞世じせいか?」


「……フシュルシュルゥ~、ぬァ~にぃヲ巫山戯ふざけたコとかシて――ッ!?」


 ピシィッ!――

 竹でもれたかのようなかわいた甲高かんだかい音がこだまする。

 病魔異ノスフェラトゥの腋から上腕じょうわん、胸、脇腹わきばら石化せきかし、ひびが走る。その裂け目からはサラサラと灰がこぼれ落ちる。

 脇腹を押さえ、苦しそうにう。

「……グゥギギギィ、ナっ、なニをシたァっ!?」


 急性溶血性ようけつせい輸血ゆけつ副作用?

 急性即時型過敏症アナフィラキシー反応?

 いや、あんなふうにはならない。

 

一体いったい、なにが?」


劇症型げきしょうがた死血性しけつせい灰化かいか反応。もう終わりだ」


「警視、なんですか、それは!?」


「今に分かる」


 この僅かな時間で病魔異ノスフェラトゥの石化している範囲が広がっている。

 脇腹から腹部ふくぶ、腰にかけて、上腕から肩口かたぐち前腕ぜんわんにかけて、翼の付け鎖骨さこつ付近ふきんから首の根本ねもと迄、広範囲にわたって石化し、各所かくしょ罅割ひびわれを起こして崩壊ほうかい、灰となって崩落ほうらくする。


「……グギィィィ! ぶ、ブっ、ぶブぶbUッ殺シてヤrrrるルRuゥーッっ!!」


我が體マイバディワズ既に鋼也オールレディスティール我が心マイハートワズ既に空也オールレディエンピリアン掲諦ギャーテー掲諦ギャーテー波羅掲諦ハラギャーテー波羅僧掲諦ハラソーギャーテー菩提娑婆訶ボージーソワカ! 一之太刀ひとつのたち天・魔・覆・滅てん・ま・ふく・めつ>!!」


 鋒両刃きっさきもろはわり太刀がきらめきひるがえり、無情ミゼラブルなる軌跡きせきちゅうめぐおどう。

 決してはやいとは云えない太刀筋だが、ながぼしにもき付ける魅力みりょくがある。それはあたか磁力じりょくのように病魔異ノスフェラトゥの体を吸い寄せ、まるでみずから斬られに行くかのよう

 ――ザグン!


「…………グッ、グぶプ……」


「我が心にお前の墓碑銘エピタフきざもう。そして、我が記憶の中で永遠とわなれ」



―――――



 夜のとばりがとっぷりとり、朦乎ぼんやりとした飾燈ネオンあかりが闇をらし、静寂せいじゃくあたりを包む。

 かの出来事できごと夢幻むげん彼方かなたはかなく消ゆる走馬灯そうまとう――なんかじゃない。

 鼓動が、みゃくが速い。恐らくは、体温も高い。平常へいじょう、じゃいられない。

 体が火照ほてる。今夜は眠れそうにない。

 は切っ掛けに過ぎない。そんな、予感よかん

 確証なんて何一つ、ありはしない。

 でも――分かる。

 そう、は確かなる“はじまり”。


 ――眠らないまちに、一頻ひとしききりる。

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