5話:逃レル者

   ※   ※   ※   ※   ※




 ヒタヒタと忍び寄る足音、いや、付き従う影のようにピタリと尾行つけてくる気配に、も言われぬ戦慄せんりつを覚える。


 いつからだろう。

 情報屋ディープワンと会った後からだろうか。それとも、その前から?

 “迂闊うかつ”だった。それ以上に無策むさくだった。

 完全に追跡トレースされている。


 ――参ったなぁ……




―――――




 新米しんまいの私に、刑事のかんなんてものはない。

 ここに、千葉市チバシティにやって来たのは、たんなる思い付き。それ以上でもそれ以下でもない。

 あの少年の、血塗ちぬられた太刀たちの刃に、ブラッディブレイドクランの存在を思い出し、重ね合わせた、それだけ。確信も確証も、計算も計画も、何のひねりも、そんなものは一つもない。有り得ない。有りもしない……だと云うのに。

 偶然ぐうぜん――

 そう、偶々たまたま、だった。

 ――だのに、

 強運きょううん。いや、凶運きょううんかも知れないけれど、少年についての情報がつかめた。

 意外いがいえば意外。あまりにも簡単、いとも容易たやすく、それくらいに淡泊あっさりと尻尾を掴んだ。


 情報屋ディープワンとは栄町さかえちょうで待ち合わせをした。

 名を、オドゥオール。名うての潜没師ダイバーにして機巧士からくりし

 肯尼亜ケニアの言葉、ルオ語で“真夜中まよなか”を意味する名前。とは云え、彼は生粋きっすいの日本人。情報屋として本人特定をされにくくするための通名、だとか。

 一目ひとめ見て、そうではない、と分かってしまう素性隠しに何の意味があるのか、薩張さっぱり分からない雖然けれども


 その情報屋オドゥオールは、少年の特徴を聞いただけで共感覚洋クオリアスタジア没入ジャックインすることもなく、軽口でも叩くようにサラリと語った。

 ――ああ、

 の名は――


 ――――天道てんどう龍也たつや


 かつて、“心謎解アガルマト色絲鬭ネクロバウト”と呼ばれる殺人さつりくショーで殺戮士ドールと呼ばれる現代の剣闘士けんとうしとして活躍していた少年。

 最強の殺戮士ドール血のミス・復讐鬼ヴェンデッタ介添人セコンドをしていた者。

 そして、罵軁郶廬佞バル・ベルデの独裁者にして真祖しんそファビオ・バルコ・ベラスケスをほふった人物。


 にわかには信じられない事実。

 あれだけ検索をかけ、調査したにも関わらず、何一つ、その情報の断片だんぺんさえも探し出す事の出来なかった太刀の少年を、こんなにも易々やすやすと認知している者がいる事実。

 世界的規模で開催されている違法死亡遊戯デスゲームに出場していた者が殺人マーダー許可証ライセンスを取得している事実。

 そして、吸血鬼の真祖を倒したという事実。

 どれもこれも、とても信じ難い。

 少なくとも、罵軁郶廬佞バル・ベルデの独裁政権に終止符を打ったのは枢軸リーグ・オブ・連盟アクシズパワーズによる介入であったはず。特定の個人による活躍など、どの報道でも取り扱ってはいなかった。


 オドゥオールという男――

 私を小娘こむすめと馬鹿にして適当な話を並べ立てているだけではないだろうか?

 いや、だとしたら、ただたんに“知らない”とだけ答えればいい、それだけ。

 共感覚洋クオリアスタジアで情報を洗うまでもなく、少年について答えたと云う事は……

 ああ、――――本物。

 その情報、限りなく“しん”なり。


「おじょうさん、これだけは云っておく。を、天道てんどうをさ、探すのは止めておくんだ」


 この男、蓼丸たでまる警視と同じ事を……

「なぜ?」


「お嬢さん、刑事だろ?なんもしなけりゃ一生安泰あんたいだ、そうだろ?

 “縁起えんぎ”が悪いぜ、あんな“死”の間際まぎわ三途川スティクスみぎわるヤツに関わっちゃいけない」


「――どう云う意味ですか?」


「ヤツには“悲劇のラヴェイル面紗ミザリア”の呪いが掛けられている。ヤツに関わった女はみな、例外なく、破滅するアポトーシス


「……そんな非科学的オカルトな話を信じろ、と?」


眉唾物オカルトじゃあない、哲学原理デカルトさ」


「どちらも洗脳カルトよ」


「いいや、五感マカルトさ」


 この男、調弄からかっているのか?

 それとも、純粋に警告しているだけなのか。

 いずれにせよ、もう止められない。それ程に、彼への、少年への興味が、彼を知りたいと思う知的好奇心こうきしんが、おさえられない。


「大丈夫です、わきまえています」


「そうかいそうかい、それなら良かった。そうそう、少しだけ忠告しておこう」


「――はい?」


「ヤツを追えばそれは必然、吸血鬼共に追われる。それだけじゃあない、血刃氏ちばしは勿論、他の吸血鬼ハンターにも。そして、破天連バテレンや他の宗教者共、ついでに人工知能AIにも」


「――ご忠告、有難う御座います……」


 どう云う事だろうか?

 あの少年が名うての吸血鬼ハンターであれば、狩られる立場にある吸血鬼達がそれを追うのは分かる。しか何故なぜ、同業者からも追われるのだろうか。それに聖職者せいしょくしゃ達はかくAIエー・アイに追われるとは一体いったい

 全容ぜんようも詳細も分かりやしないが、只一ただひとつ明確なのは、少年には“敵”が多い、という事くらいか。


「本当に困った時には、葬儀屋アンダーテイカーの“双重葬デュエット”を頼ってみるといいよ」


「――葬儀屋そうぎや双重葬そうじゅうそう……分かりました」


 ――葬儀屋?

 隠語いんご、か。

 狩人ハンターとは違うのだろうか。殺し屋のたぐい?何かしらの仲介者ちゅうかいしゃしくは運び屋か?

 オドゥオール……この男、忠告などとは云ってはいるが、けむいているだけかも知れない。

 それがかを聞き返す事は容易たやすい。でも、無知むちさとられる程、彼を信用してはいない。

 この奥歯に衣着きぬきせたような言い回し。相当そうとう、少年について知っているのか、あるいは最近、私以外の何者なにものかが少年についてたずねて来たかのよう

 そうでなければ説明がつかない。私が彼を信用していないのと同様、彼もまた、私を信用している筈もない。にも関わらず、忠告としょうして情報の断片フラグメントを放り込んでくるくらいだ。


 何か、――なにか、




―――――




 そう、勘付かんづいていた。


 情報屋ディープワンとの接触で、私は勘付いていた。刑事の勘などではなく、人としての勘。

 第六感だいろっかん、いや、もっと前の段階。経験則けいけんそくからの確信ではなく、話した感じ、その様子、発言内容、雰囲気。それらを総合的、いや、相対的にた時に思い付いた知恵、そして、感覚。ひらめき――違う。

 防衛本能――危機意識の芽生めばえ、か。

 こんな処迄ところまでってきてしまった迂闊うかつな好奇心をますに十分なリスクへの認知。それをあの情報屋ディープワンが呼び覚ましてくれたんだ。


 ――だと云うのに……


 尾行つけられている。

 と分かるって事が、かえって怖ろしい。

 気付かせているんだ、尾行者びこうしゃは。

 新米の私だって、本気で尾行するのであれば、もっと上手うま気配けはいを消せる。なのに、この追っ手は、をしていない。

 急に、不意ふいに、尾行つけている事を、私に悟らせる。故意だ。


 つとめる――

 歩調を変えず、歩む速度を一定に。鼓動こどうを抑える、呼吸を乱さず、冷静に。緊張を捨てる、背後を気にしない、唯々ただただ普通に、少なくともそう芝居せる。

 尾行を気付きづかせようと、その存在を気取けどらせようとえて気配をあらわにしたの姿を、幻影を、殊更ことさら、気付かないように、いや、ように、と。

 無能むのうなように、無害むがいなように、無意識に、無頓着むとんちゃく阿呆あほのように、気ままに歩む。

 私が尾行者ソイツにとって、取るに足らない存在、と偽証しょうめいしなければ。


 時は夕刻。

 畢竟つまりは吸血鬼ではない。

 少なくとも、人間。太陽のもとを歩く、それだけでと証明出来る。それだけは、分かる、間違いない。

 かずはなれずの距離を保ってはいるが、める時の歩幅ストライドからさっするに、男。

 今、くのは難しい。

 土地勘は、。でも、男性相手ではが悪い。

 少なくとも、日が落ちるまで待たねばならない。それ迄、出来る限り繁華街を、人出のある場所を、道を、極々ごくごく自然体しぜんたいで歩くしかない。

 逃げる素振そぶりをすれば、それは単に事態を悪化させる。一番いいのは、尾行者ソイツが私への興味を失う事なのだから。


 間もなく、夜のとばりりる。

 不用意に歩き続けるのは不自然。だから、行く先々さきざきの店先で時折ときおり立ち止まり、意味もなく、興味のない商品を手に取り、りとて興味津々しんしんていながめてみる。

 じき、京成の千葉中央駅に着く。

 そこが、好機チャンス、だ。


 かどにあるフランチャイズの即席飲食ファストフード店舗てんぽ。そこは同じ建物にありながら店内とトイレが独立している古い作り。店内からトイレに行くには店内に設置された鉄扉を通るか、或いは一度、おもてに出て隣接する脇の扉から建物内の通路に入り、奥の共用トイレに行く道筋みちすじ

 その脇扉は常に開け放たれている。と云うのも、上階じょうかいにも店舗があり、その利用客の往来おうらいがある為。

 そして、その通路奥には、裏口うらぐち、がある。裏口を抜けると狭い路地に出る事が出来る。その裏路地を使う者はほとんどいない。近所の店の従業員か、余程よほど土地勘のある者しか使わない歩行者用の抜け道。

 その抜け道を右に行けば大通りに、左に行けば右に折れ、その細道は別の通りに繋がる。何より、右に折れて間もなく左手に死角の多い駐車場が隣接しており、その駐車場を抜ければ、別の路地に抜ける事も出来る。


 この複雑な構造が、追跡者ついせきしゃを撒く好機。

 店舗脇の扉を入り、共用トイレのある通路が無数の分岐点ぶんきてんを生む。尾行者との距離を考えれば、それがそのまま無数の選択肢せんたくしを与える事になり、迷わせる。

 まさに――迷宮ラビリンス

 鉄扉を開けて即席飲食ファストフード店に入るのか、上階の店舗へと向かうのか、どの店舗に入るのか、それともトイレに入るのか、裏口を抜けるのか、その右手へ向かうのか、左手へ向かうのか、更に道なりに進むのか、駐車場を抜けるのか、更には別の店舗に入るのか、その選択肢は未知数。

 仮に追跡者が、その建物の、路地の、街並まちなみの構造を知っていたとしても、十分、注意をらすに時間すきを生む事になる。構造を知らなければ、最早、追う事はほぼ不可能。

 或いは、AIなら予測可能か。だとしても、追跡手段が1つであれば、十分撒ける。そう、この迷宮は、私の為にこそ、ある。


 この“嫌い”な街が、私を助けるのか?

 一方通行な愛が、街からの愛が、有りがた迷惑なその仕打ちが、ひど痛々いたいたしい。

 ――いや、

 痛々しいのは一層いっそ、私のほう、か――


 ――日が暮れた。

 それが完全な日没なのか、それとも建物の影になっているだけなのか迄は分からないが、併し、十分。

 その、店舗脇の、開け放たれた扉に入る。その通路が、そのまま脱出口だっしゅつこう


 焦るな!

 同じ歩幅、同じ歩調、同じ雰囲気ふんいき、そうだ、一定の律動リズム

 入ってから。建物に、いや、扉をくぐった瞬間、尾行者にとっての死角に入った瞬間に、そう、加速ダッシュ。その緩急かんきゅうこそが決め手。

 どこへ逃げるかって?

 多くの選択肢、尾行者が迷う程の選択肢。そんなものを、今、現時点で私が決めている筈もない。私自身が決めていないのだから、誰にも読まれない。勿論、尾行者にも。


 扉を、潜る。

 体が、建物内に入りきった刹那せつなけ抜ける。一気に。我武者羅がむしゃらに。一呼吸で。躊躇ためらいなく。

 どこに逃げるか、なんて決めてない。

 でも、もう、決まっていたんだ。

 ――兎に角、

 遠く、へ。只管ひたすらに。

 一刻も早く、尾行者ソイツから逃げたい。

 最初に感じた、あの身の毛も弥立よだつ戦慄から、一瞬でも早く解放されたい。

 だから、走った。真っ直ぐに。

 共用トイレの脇、通路真正面の裏口、その鉄扉。

 裏路地へ――

 思い切り扉を開け、併し、音を立てないよう、静かに閉める。

 ヤツの視覚を遮断しゃだん

 これで逃げおおせる――

 ――筈。



 “迂闊”だった。


 追跡者が私の行く先を読めないように、私も私自身が行く先を、その先を、見通せる訳もない。

 何が起こるかなんて、何が起こっているかなんて、少なくとも当事者達には誰も分からない。そんな事くらい、誰にだって分かる筈なのに。その当然が、今の私には分からなかった。

 今は決して無策ではなかったのに、筈だったのに、やはり、私は、

 迂闊、だった――

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幼女狩り ~第九官界流転帝国吸血鬼心中伝~ 武論斗 @marianoel

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