幼女狩り ～第九官界流転帝国吸血鬼心中伝～

第一章：死ヌル時節ニハ死ヌガ良ク候

１話：追イ詰メル者

―――――――　　１　　―――――――

「まだ来ないのか、七課（ななか）の連中は！」

　銃（じゅう）を握（にぎ）る手が汗ばむ。

　もうすぐ太陽が沈（しず）む。

　この凶悪犯（ホシ）を、この建物の外に出してはいけない。

　しかし――

　次々と倒（たお）される仲間。今や無慙（むざん）に転（ころ）がる肉塊（にくかい）。最早（もはや）、誰（だれ）が誰なのかさえ、分からない。

　追い詰（つ）めた筈（はず）なのに、追い詰められている！

　多くの怪異（かいい）事件に携（たずさ）わった蓼丸（たでまる）ですら手に負えない。それ程の化物（ばけもの）、それ程の驚異（きょうい）。

　――吸血鬼（ヴァンパイア）。

　この亜人種（デミヒューマン）についての知識は十分（じゅうぶん）。勿論（もちろん）、その対策も。

　今回、犯人（こいつ）が吸血種（きゅうけつしゅ）である事は分かっていた。事件そのものがそう匂（にお）わすに十分たり得た。

　船橋（ふなばし）婦女（ふじょ）暴行連続殺人事件――

　発表ではそう銘打（めいう）ってはいるが、内々（うちうち）では『娼婦（しょうふ）連続食人（しょくじん）事件』。

　船橋市内で起こった娼婦を狙（ねら）った一連（いちれん）の犯行。

　その残忍（ざんにん）で変質（へんしつ）的な事件性から、早い段階で異常者（サイコパス）か吸血種（ヘマトファギア）の犯行であろうと当（あ）たりを付（つ）けていた。

　前者（ぜんしゃ）であればそれ程（ほど）問題なく、後者（こうしゃ）であっても然（しか）るべき対処法（たいしょほう）さえもってすれば取り分け問題ない、筈だった。

　――併（しか）し、こいつは……

　選（よ）りに選って病魔異（ノスフェラトゥ）種（しゅ）。

　白茶（しらちゃ）けた肌に禿頭（とくとう）、黄色く濁（にご）った瞳に齧歯類（げっしるい）を思わす顔付き。この特徴（とくちょう）的な姿は間違いなくノスフェラトゥ。

　純血（ヴラド）種と違いこいつらの“世代（オーダー）”を特定（とくてい）するのは難（むず）しい。それだけに弱点（クラック）が読み辛（づら）い。

　既（すで）に何発も銀弾（ぎんだん）を撃（う）ち込（こ）んでいる。だが、その硬（かた）い外皮（がいひ）に阻（はば）まれ、体内に迄（まで）届（とど）いていない。３８口径（こうけい）で通らないんじゃ手に負（お）えない。

　専門家の特殊（とくしゅ）装備、そう、七課やMAT（マット）の特殊兵装（へいそう）が必要だ。

「このままでは日が暮（く）れてしまいます、蓼丸（たでまる）警視（けいし）！　私（わたし）がタックルして動きを止めますから、アイツの目に向かって残る銀弾全部を撃ち込んで下さい！」

　新米（しんまい）の玄﨑（くろさき）日和（ひより）警部補（けいぶほ）が叫ぶ。

　彼女は勝（か）ち気（き）。まるで以前（むかし）の俺のように。

「ダメだ！　そんなんじゃヤツを仕留（しと）める事（こと）は出来（でき）やしない。落ち着（つ）けッ」

　落ち着け――か。

　ああ、無論（むろん）、それは俺自身への戒（いまし）めをも含（ふく）んだ言葉。

　冷静になるんだ。

　考えるんだ、奴（やつ）をこの建物から出さない為（ため）の方法を。思い付（つ）け、奴をこの場（ば）に釘付（くぎづ）ける方策（ほうさく）を。

　忍び寄（よ）る夕闇（ゆうやみ）に、奴を解（と）き放（はな）ってはいけない。夜は奴らの独壇場（どくだんじょう）。逃（の）がせば被害者（ひがいしゃ）が、そう、また増えてしまう。

　――どうすればいい？

　考えろ！　感じろ！閃（ひらめ）け！　思いを巡（めぐ）らし、記憶（きおく）を、記録（きろく）を、知識（ちしき）を、情報（じょうほう）を、紐解（ひもと）け！

「警視！日没（にちぼつ）迄（まで）時間がありません！もう七課の到着（とうちゃく）は間（ま）に合（あ）いません。

　私が組み伏（ふ）せますから、その隙（すき）にっ！」

「ダメだッ！　動くんじゃあない！」

「しかしっ、時間がっっっ」

　握り締（し）めた銃を天井（てんじょう）に掲（かか）げ、

「玄﨑君（くん）、我々（われわれ）六課（りっか）に蛮勇（ばんゆう）はいらない。冷静に始め（スタート）、どこまでも賢く（スマート）、一気に迸れ（スパート）ッ！」

「――！？」

　ズギュッ、ズギャン！　――ガッ、ドガッ！

　放たれた銃弾（じゅうだん）が天井に添（そ）え付けられた消防設備（しょうぼうせつび）にブチ当たり、乱雑（ランダム）に火花を散らす。

　――ブッ、ブブッ、

　硝煙（しょうえん）の臭（にお）いが僅（わず）かに薫（かお）る。

　ブシューーーッッッ！！！

　散水（さんすい）。

　砕（くだ）かれたスプリンクラーヘッドから勢（いきお）い良く放水（ほうすい）。

「警視！　なっ、なにをっ！？」

「流水、だ！」

　消火用散水機（スプリンクラー）から放出（ほうしゅつ）された散水は激（はげ）しく室内に降（ふ）り注（そそ）ぎ、その流水（りゅうすい）は宛（さなが）ら皮膜（ひまく）の様（よう）。

　弾丸（だんがん）さえ通らないその硬い外皮を持つ面妖（めんよう）な容疑者（ようぎしゃ）の肌が爛（ただ）れ、不気味（ぶきみ）な黄褐色（おうかっしょく）の雲烟（うんえん）を上げる。

　激しく撒（ま）き散らされる水滴（すいてき）がその青白い肌に触（ふ）れる度（たび）、まるで強酸性（きょうさんせい）の液体でも被（かぶ）ったかの様にその化物は悲鳴を上げ、体を捩（よじ）る。

「こっ、これは？」

「世代（オーダー）も位階（リンネ）も分からない病魔異（ノスフェラトゥ）。だが、陽光や流水に脆（もろ）い事は分かっている。

　そうだろ、玄﨑君」

「は、はい」

　床を濡（ぬ）らす水溜（みずた）まりは、機関銃（マシンガン）でも掃射（そうしゃ）したかのように降り注ぎ、暴風雨（ぼうふうう）のそれを思わすシャワーで床を叩（たた）かれ、薄（うす）らかな水面（みなも）を激（はげ）しく揺（ゆ）らす。

　ドラムを打ち鳴らす程（ほど）に囂（かまびす）しく流動（りゅうどう）する水飛沫（みずしぶき）の一つひとつが、吸血鬼を縛（しば）る鉄鎖（てっさ）。部屋中（じゅう）がその化物を閉ざす監獄（かんごく）と化（か）す。

　追い詰めた、今度こそ。

　捕（と）らえたぞ、奴を。

「……あっ、ああっ、警視！」

「――なんだ？　……ハッ！？」

　グジュゥ――

　皮膚（ひふ）を溶（と）かされ乍（なが）らも吸血鬼は屈（かが）み、床に転がるヒト型（がた）の肉塊、そう、さっきまで俺と一緒（いっしょ）に奴を囲んでいた仲間の骸（むくろ）を掴（つか）み上げる。

　ぶおん！

　とんでもない膂力（りょりょく）。８０ｋｇは優（ゆう）にあろうかという仲間の遺体（いたい）を片手で軽々と持ち上げ、天井に投げ飛ばす。

　――ズドォッ！

　天井に投げ付けられた遺骸（いがい）は激しく損壊（そんかい）。

　夥（おびただ）しい鮮血が霧散（むさん）し、砕（くだ）け散った肉片（にくへん）が膠着（こびりつ）く。

　スプリンクラーヘッドは肉片で埋（う）まり、奴を縛る筈（はず）の浄水（じょうすい）は今や血（ち）の雨。

　――こいつ！

　ズギュッ、ギャン！――

　二度、発砲（はっぽう）。

　銀弾が、弾かれていない。奴の外皮にめり込んでいる、白煙（はくえん）を上げて。

　散水による溶解（ようかい）効果で奴の外皮の硬度（こうど）は下がっている。角質（かくしつ）が溶（と）け、表皮（ひょうひ）が剥（む）き出しになっている。

　煙を上げているのは、銀弾の弾芯（だんしん）が奴の真皮（しんぴ）にまで達（たっ）しているからだ。

　利（き）いている。

　イケる――

　――だが、

　残り弾数が、僅か。３発、いや、２発か？

　溶解効果が著（いちじる）しい箇所（かしょ）を狙（ねら）わねば。

　スプリンクラーは今や血雨（けつう）。奴にダメージを与える流水ではなく、寧（むし）ろ奴の体組織（たいそしき）の再生を促（うなが）すデメリットでしかない。それに、もう直（じき）、日も沈（しず）む。

　ああ、時間が無（な）い。

「……にンげン」

　こいつ、未（ま）だ喋（しゃべ）れるのか。

　変容（メタモルフォーゼ）して尚（なお）、知性（ちせい）が残っているだと。

　まずい。

　悟（さと）られてはいけない。

　残弾（ざんだん）が少ない事を。

　焦（あせ）るな。

　狙（ねら）いをつけろ。溶解の進んだ場所、致命傷（ちめいしょう）となるべき箇所へ、と。

「お前（まえ）は終（お）わりだ。精々（せいぜい）、悪魔にでも祈（いの）りを捧（ささ）げていろ」

「……焦っテいるナ、にンげン」

　嗅覚（きゅうかく）、か。或（ある）いは、他の何（なに）かしらの器官（きかん）の所為（せい）か。

　なんて“勘（かん）”のいい奴だ。

　努（つと）めて冷静に、感付（かんづ）かれるな、狙いを。

「警視！」

　横目でちらりと見て、

「なんだ、玄﨑君？」

「どうして撃たないんですか！？」

「――……」

「ま、まさかっ！」

「……」

「残弾が無いんじゃ……」

「静かにしたまえ、玄﨑君……弾（たま）はある！　心配無用ッ」

「私が撃ちます！」

「止（や）め給（たま）え、君の護身用（ごしんよう）じゃ口径が小さ過（す）ぎる」

　――しまった！

　今の会話の流れ、まるで自白（じはく）。手の内（うち）を明（あ）かしてしまったようなもの。

　病魔異（ノスフェラトゥ）の濁（にご）った眼差（まなざ）しが、握る銃に注がれる。そう、感じる。

「……そうカ、弾ガ無いンだナ……あってモ僅か、そうダろう？」

「そう思うなら、試（ため）してみるか？」

「……いい、ヤ」

　奴が窓際（まどぎわ）に一歩近付く。

　踏（ふ）み出した床の水溜まりに波紋（はもん）が伝（つた）う。それは流水と呼べるものでは既（すで）にない。

「動くなッ（フリーズ）！」

　更（さら）に一歩、窓側（まどがわ）へと踏み出し、

「……いいヤ、止（と）マらン、ヨ」

　逃走（とうそう）――

　闘争（とうそう）から逃亡（とうぼう）へと考えを変えたか。

　なんて抜（ぬ）け目のない奴。いや、それがこいつら特有の生存（せいぞん）本能、か。

　強靭（きょうじん）ではあるものの弱点も多い、そんな奴らの保身術（ほしんじゅつ）。生き残る為（ため）に、戦うか逃げるか、どちらがより生存への確率が高いのか、ごく自然に身につけている本能（リビドー）の類（たぐい）。

　尤（もっと）も、奴らが“生（い）き物（もの）”だと仮定（かてい）したら、の話なのだが。

「撃つぞッ！」

　我乍（われなが）ら、なんて間抜（まぬ）けな発言。

　散々、発砲しておき乍ら今更（いまさら）。

　併し――

　今なら狙える、奴の眉間（みけん）を。

　スプリンクラーからの散水を最も浴（あ）びているのが頭頂部（とうちょうぶ）。皮膚の爛れはそれだけ顕著（けんちょ）。

　そして、奴は俺を、俺の銃口（じゅうこう）を注視（ちゅうし）している、執拗（しつよう）に。

　間違（まちが）いない、千載一遇（せんざいいちぐう）の好機（チャンス）。

「終わりだッ！！」

　言い切ったのが先か、銃爪（トリガー）を引いたのが先か、自分でも分からない。

　――ガオン！

　心音（しんおん）が奏（かな）でる鼓動（こどう）とほぼ同じ速度で撃鉄（げきてつ）が跳（は）ね、銀弾の弾薬（だんやく）を撃針（げきしん）が正確に打ち、炸薬（さくやく）が閃（ひらめ）き発火（はっか）。

　純銀（じゅんぎん）の弾頭（だんとう）が音を置いてきぼりにして射出（しゃしゅつ）。連動して空薬莢（からやっきょう）が弧（こ）を描いて排出（はいしゅつ）。

　６条（じょう）右回りの施条（しじょう）から螺旋状（らせんじょう）に錐揉（きりも）み回転し乍ら、白銀（しろがね）の凶弾（きょうだん）が吸血鬼の眉間目掛（めが）けて疾走（しっそう）する。

　確信（かくしん）――

　銀弾が眉間を撃ち抜き、鼻骨間縫合（びこつかんほうごう）を砕き、前頭葉（ぜんとうよう）を抉（えぐ）り、脳下垂体（のうかすいたい）を粉砕（ふんさい）。

　そんな、勝利の予知夢（ヴィジョン）が脳裏（のうり）を過（よぎ）る。

　――勝った！

　パシュッ！

　強烈な発光を伴（ともな）い、甲高（かんだか）く響（ひび）く破裂音（はれつおん）。

　カラン――何かが床に落ちて転がる音。続いて、ジューっと水が熱せられる音。

　何事（なにごと）？

　判断（はんだん）が、現実に追い付かない、観測が追い付けない。

　抉られ拉（へしゃ）げた銀弾が床を転がる。

　何が起（お）きたんだ。

「目からビームがっ！！？」

　彼女は何を云（い）っているんだ？

　目からビームだって？

　恐怖のあまり気でも違（ちが）えたのか？

　――なんだッ！？

　奴の瞳孔（どうこう）が、開いている。

　いや、瞳が大きくなっているという比喩（ひゆ）表現ではない。文字通り、開いている。海盤車（ヒトデ）の口のように、裂（さ）けている。

　その穴（あな）から何かが零（こぼ）れ、滴（したた）っている。

　体液（たいえき）――

　まさか、奴は体液を噴出（ふんしゅつ）して弾丸を弾いたのか？

　鍛（きた）え上げた大胸筋（だいきょうきん）を左右交互（さゆうこうご）に動かすように、あの化物は瞳孔や体液迄も意識して動かせるのか？

　――狂（くる）っていやがる……

「ま……ダ、弾、残っテいる、ナ？」

「……――」

「ホーるドオーぷンしてナい……銃把（グリップ）ガ軽そうダ。薬室（チェンバー）だけカ、そレとも弾倉（マガジン）ニ、あッテも１、２発……カ」

　こいつ――銃を知っている！

　どうする？

　玄﨑警部補のアイデアを一部拝借（はいしゃく）する、か。

　そう、奴に“タックル”を。

　今、奴は窓（まど）に近い。

　下半身にタックルを仕掛（しか）け、両膝（りょうひざ）を奪（うば）い、腰を浮（う）かせ、倒（たお）す。バランスを崩（くず）さすだけでいい。

　そうだ――窓に向けて、少しでもその体勢（たいせい）を崩しさえすれば、そら、その夕日（ゆうひ）が――

　――その夕日が……

　あの赤い筈の夕日が――

　――……無い

　暗（くら）く、闇（くら）く、沈（しず）んでいる。

　黒（くろ）く、黑（くろ）く、闇（やみ）が空を支配している。

　なんてこと、だ――【夜（ナハト）】の到来（とうらい）、奴らの“刻（トキ）”だ。

「……時間切（じかんぎ）れ、ダ、にンげン」

「――……」

　窓に手を掛ける病魔異（ノスフェラトゥ）。

　ここまで来て、何も出来ないとは……

　この凶悪犯（きょうあくはん）を、いや、化物を、食い止めなければ！

　――だと云うのに。

　無力（むりょく）――

　なんてこった（オー・マイ・ヘーカ）！

　千万（ちよろず）の神々よ、我（われ）を助け賜（たま）え！

「警視っ！」

「！？　――どうした、玄﨑君！」

「窓にっ！窓にィ！」

　――なッ、なんだとォッ！！？