第5話 ネコ電気は永遠に
「ちょっと、
いきなり弓村さんに発電データシートを差し出された。何だろう、さっき発電部から送られてきた定期報告なのだが。
「最近になって発電量が右肩下がりなんだけど。ちゃんと原因と対策を検討してから回付して頂戴って、いつも言ってるよね」
「え、そうですか。まあ、この頃は湿気が多いし、仕方ないんじゃないですか」
弓村さんは、つん、と口を尖らせた。
「発電室の湿度はエアコンで完全管理されてるでしょ。データを見てそれくらい気付きなさいよ」
なぜだか、今日はひどく弓村さんの機嫌が悪いような気がする。機嫌が悪いというか、緊張感が漂っているというか。
「そんなだから、君の仕事は落語家だと言われるのよ」
初耳なんですが、落語家って。
「で、弓村さん。そのこころは」
「必ず、最後にオチがあるってこと。詰めが甘いのよ、凪瀬くんは」
思ったより上手いことを言われた。
「分りました。あとで座布団を一枚お持ちします」
「そんなものはいいのよ、山田くん」
凪瀬です。
そこで弓村さんは声をひそめた。
いま管制室には、休日出勤している僕たちしかいないのだが。
「今日は凪瀬くん、当直じゃなかったよね」
「ええ。夕方から松山くんが出て来ますけど、なにか」
うん、まあ。とか言葉を濁す弓村さん。
「こ、こ、今夜……だけど」
「はい?」
「一緒に食事とか、いかがでしょうかっ!」
弓村さん、急に敬語になってます。まあ、でも。
「いいですよ。特に用事はありませんし」
「ほうっ?」
奇声をあげた弓村さんは、なんだか、ぎこちない動きで自分の席に戻っていった。
「10…9…8…」
後ろで弓村さんがカウントダウンしている声が聞こえる。
それが0になると同時に、終業のチャイムが鳴った。
「よし、帰るよ凪瀬くん。行きつけの店があるんだ」
☆
「さあ、遠慮せずにどんどん食べて」
僕たちのテーブルの上には一面に料理が並んでいる。
焼き魚、野菜の煮物、中華風炒め物、酢の物、唐揚げ。玉子焼き……。ご飯と味噌汁まで付いている。
僕は周囲のテーブルを見回した。
この定食屋さんのなかで、こんなに料理を並べているのは、やはり僕たちだけだった。
「いつもこんなに食べてるんですか?」
「え、普通でしょ、これくらい」
それでこの細身のスタイルを維持しているのだとしたら、すごいけど。
弓村さんはビールをお茶代わりに、次々と料理を平らげていく。
「ほら、凪瀬くんも食べないと無くなるよ」
「ああ……はい」
僕も慌てて箸を伸ばす。
「美味しいですね、ここの料理」
すごく家庭的で、僕がそう言うと弓村さんはにっこりと笑った。
「そうでしょ。これが、わたしの母親の味なんだから」
「へえ」
「おや、
奥から出てきた女将さんが、弓村さんに声をかけた。顔が弓村さんにそっくりだった。何だかいやな予感がする。
「おやおや、彼氏と一緒だから遠慮してるのかな。この人がいつも知世が
「やめてよ、お母さん。凪瀬くんとは、別にそんなんじゃないから」
真っ赤になって否定しているが、顔が緩みきっている。
母親の味なのも当然だ。弓村さんの行きつけの店って、まさかの実家だった。
「もう、お母さんは向こう行ってて。大事な話があるんだから」
「あら! まあ。じゃあ、頑張ってね」
むふふ、と笑いながら、弓村さんのお母さんは奥に戻って行った。
「何ですか、話って」
「うぐっ」
どうやら、唐揚げが喉につまったらしい。
「大丈夫ですか、弓村さん」
「お、おう」
「な、凪瀬くん……あ、あの」
かつて見たことがない程、弓村さんは緊張していた。 グラスのビールを一気飲みする。そして、僕の顔をじっと見詰めた。
「凪瀬くん、わたしと付き合って下さいっ!」
一瞬にして店内が静まり返る。視線が僕たちに集中し、僕がどう答えるか、お客さん全員が聞き耳を立てているのが分かった。
「弓村さん」
「は、はいっ! 凪瀬くん」
その時、弓村さんの携帯電話の呼び出し音が鳴った。
☆
『やられた!テロだ。発電室が襲われた。ネコたちが……』
緊迫した松山くんの声だった。
「わかった、すぐに出社します」
弓村さんが僕を見た。僕も頷き返す。
「
会社に向いながら、弓村さんは街並みを見渡した。今はまだ明かりが灯っているが、蓄電器に残る電気が無くなれば、大停電の始まりだ。
『Ao-nekoでんりょく』の社屋に駆け込むと、すでに何人かの社員が出社して来ていた。
「おう凪瀬さん、ちょっと行ってくるぜ」
岩沫係長率いる設備維持係の作業班が、送電系統の切替えに向うところだった。知らない人が見れば、ヤクザの出入りと勘違いされるかもしれない。揃いもそろって柄の悪いメンバーだ。いや、もちろん、本当はいい人なのだが。
「あちこちのお客さんに使用制限をしてもらわなきゃならんのでね」
使用量が減れば、蓄電器の稼働可能時間もそれだけ長くなる。緊急事態だ、これもやむを得ない。
管制室に入ると、モニターの前ではすでにオペレーターが待機し、部屋の中央では管制室長が指示を出していた。
「弓村、凪瀬。君たちは発電室へ応援に行ってくれ。中に何か撒かれたらしい。その対応に人手が必要なんだ」
☆
「これは……」
僕と弓村さんは言葉を失った。
発電室の中は白っぽく霞んでいた。
「毒ガス、じゃないでしょうね……」
弓村さんの声が震えていた。
ネコたちは床に倒れたままで、ときおり苦しげに身をよじっている。
「ああ、弓村主任と凪瀬くん。いつもご免ね。こんな状態なのよ、悪いけど手伝ってちょうだい」
発電室の
「犯人は捕まえたんだけどね。そいつ、とんでもない事をしてくれた訳よ」
はあっ、と大きくため息をつく。
「一体、中には何が撒かれたんです。」
怒りの余り泣きそうな弓村さんだった。
「ネコにとっては最悪。だって、大量のマタタビ粉なんだもの」
戌井室長は唇を噛みしめた。
……だからみんな酔っ払ったような状態なんだ。
だけどあの白い霧のようなものは。
「どちらかといえば、そっちの方が問題ね。あれは帯電防止剤。つまり、ネコたちの静電気が起きなくなってるのよ」
これはネコ発電にとって死活問題だ。
「と、いう事で。中に入って、ネコについた薬剤を拭き取って欲しいの。全力で換気扇を回しているから空気は入れ替わるんだけど、ネコに付いちゃったものは、ね」
そう言って、戌井室長は僕たちにタオルの山を手渡した。
「わたしがネコアレルギーでさえなかったら、自分で行くんだけどね」
それは、仕方ない。
「ああ、それと。耐電防護服は他のみんなが使ってしまっていて……」
最悪の凶報だった。
☆
辛うじて、
マタタビと帯電防止剤を撒いた犯人は、社長の息子だった。コネ入社だったくせに、何だか会社に対して不満があったらしい。
「もう、まだ全身が帯電してるよ」
弓村さんは何かに触るたびに悲鳴をあげている。それは僕も同じだった。やっと発電室から出て、管制室へ向う廊下の途中だった。
「弓村さん」
僕は彼女に呼びかけた。
「僕はOKですから」
「ん?」
弓村さんは振り向くと、怪訝そうに首をかしげた。
「さっきの答えです。あの、実家のお店での……」
「あ、あ、そう。へ、へへ」
弓村さんの顔がへにゃへにゃ、と蕩けた。
「じゃ、よろしくお願いしちゃおうかな、凪瀬くん」
僕たちの初めてのキスは、青ネコ電気の味がした。
……なんて可愛いものじゃ無かったけれど。実のところ、激痛とともに、目の前を青いネコが走り抜けた気がした。やはり静電気はバカにできない。
☆
それから一年ほどが過ぎ、相変わらず僕と弓村さんは一緒に管制室で働いていた。
「凪瀬くんまで、わたしを旧姓で呼ぶのは納得いかないんだけど」
「だって、紛らわしいだろ。おなじ職場に同姓が二人いたら」
それはそうだけど、と彼女は苦笑した。
今この時も、発電室の中では7000匹のネコたちが、じゃれ合いながら静電気を起こしている。そしてその静電気の青ネコを、張り巡らせた電線の中へ送り込み、各家庭やオフィスの電灯を点け、電化製品を動かしているのだ。
そこに有るのが当然で、まるで空気のように。
「だけど、傍にいるのが当然とか思わないでね」
僕は弓村さん、いや知世に釘を刺される。これはどうも電気の話ではなさそうだ。
「もちろん、分っていますとも。さ、帰ろうか」
今夜は知世の実家で夕食を頂けるらしい。
だから今日は警報は鳴らないで欲しい。いや、できれば明日も明後日もずっと。
そう願いながら、僕と知世は家路につく。
そんな僕たちを見下ろすように、電線を青ネコが走り抜けていった。
(終わり)
青猫でんりょく株式会社 杉浦ヒナタ @gallia-3
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます