~ある男の記録2~

 いつの間にか、世界はずっと焦げ臭くなっていた。

 どこに行っても血と硝煙の臭いが鼻を突き、体中に砂と血と油がまとわりつき、体はいつまで経っても傷だらけだった。

 それでも隣には戦友がいたし、隊長ほど頼りになる男はいなかった。

 どれだけ長く戦地にいても、本国に帰れば家で娘と妻が待っていた。

 あの二人の「お帰りなさい」の一言が、私の疲れを吹き飛ばしてくれた。

 でもどれだけ俺たちが力を尽くしても、世界には自分勝手なやつがたくさんいて、それは英国も例外ではなかった。

 終焉が確定した世界に火種は尽きなかった。

 権利をめぐる戦争。資源をめぐる戦争。金をめぐる戦争……いちいち上げていたらキリがない。

 ただ一つわかったことと言えば、人類は何処まで行っても愚かで、愚民を導く救世主は現れるどころか神の存在を否定したと言うことだけだ。

 米国は自国の人間だけを脱出させる気だと誰かが言えば、世界がそれを後押しした。

 それはどの国も米国に嫉妬していたから。

 露国が技術と資源を占有したと誰かが主張すれば、世界がそれを後押しした。

 それはどの国も露国を陥れたいと思っていたから。

 そしていつしか、誰かがこう主張した。

「我が国には核兵器がある」

 誰が最初にそのスイッチに手を触れたのか、今では思い出せない。

 しかし気付けば米国と露国の半分は何も残らない死地へと化し。

 世界の戦争は規模が小さくなると同時に数が増えていた。

 人類は、自らその首を吊って運命を全うしたのだ。


 そして、それはあの日の私にも訪れていた。


 あの日、中東での任務を終えた私達は後方の基地に引き返していた。

 到着したら一晩を置いて本国への帰還が約束されている。

 中東での任務はいつも通りの苛烈を極めた。

 民間人二人を護りながら雪崩れ込む数百人の反政府勢力を相手に撤退戦を繰り返し、重傷者を複数出しながらも死者数0でなんとか味方の援護に助けられホットゾーンを脱出することができた。

 重傷者が優先的に基地に送られ、最後に残ったヘリに乗った私に隣に座ったコミスが話しかける。

「嫁さんの移住権のこと、どうなった?」

 私とコミスに関わらず、編成直後のSAS出身者とSBS出身者の仲は悪かった。

 だが何度も死線を掻い潜るうちに互いに不可欠な存在となり、隊としての結束は英国のどの部隊よりも最強に相応しいものになっていた。

「蹴ったというか……娘に託せないか上司に申請中らしい」

 多数の国がいがみ合い、蹴落としあう中でも国連は計画を進めていた。

 そしてミアは英国からの技術提供者として、移住権獲得の打診があった。

 自分の妻がそれほどまでに優秀なのが素直に誇らしくある反面、しかし彼女も私もその結果を素直に喜べないでいたのである。

 娘の存在がどうしても気がかりになるのは、親ならば誰もが考えることなのだろう。

 約九十年という途方もない未来は、老い先長くはない人間にとっては届くことのない未来でも、まだ未来のある子供と言う存在にはあまりにも残酷に見える。

 だからミアは、自分に与えられた“箱舟に乗る権利”を何とか娘に受け渡せないかと動いている。

「まあ、そう考える親は多いだろうな。現実には難しいだろうが」

「ああ……それに、首都の状況もある」

「そうかぁ」

 どの国もそうであるように、英国も国内の状況は芳しくない。

 しかし、ジョンたちはあまり国内の情報を集めることが歯がゆい。

「俺の落ち着くまで家族は田舎に帰るらしい」

「ああ。ミアも今週中に実家に帰ると言っていた」

「そうか……」

 そこから私たちは一度も口を開くことはなかった。

 轟音と、激しい揺れと共に基地にヘリが到着しても緊張は解けず、装備を解除して振り分けられたベッドに寝転んだ時に初めて糸が切れる感覚があった。

 この糸が途切れる感覚。最近では初めて実戦を経験した時より強く感じる。

 昔はほつれるように意識が途切れて、暖かく粘度のある海に沈む感覚だった。

 だが今は、テレビを切るようにぷっつりと意識が途切れる。

 気絶、というのが一番正しい表現なのだろう。

 今日もその感覚を味わうまでもなく体を休めるつもりだった。

 しかし、誰かが途切れた糸を掴み、私を現実に引っ張り上げた。

「起きろ!緊急招集だ!」

 飛び起きた私たちは夜な夜な狭い仮設ブリーフィングルームに詰め込まれ、渋い表情をコンクリートで固めたような隊長が一言目を発するのを今か今かと固唾を飲んでいた。

 こういうことは珍しい事ではない。

 爆発で起こされなかっただけまだ命の危機ではないとわかるが、状況が芳しくないことはすぐにわかった。

「よし、全員集まったな」

 そして隊長は話だした。

「今から五分前。首都ロンドンにて大規模な攻撃活動があった」

 隊長はあくまで静かに伝えたが、やはり隊員達の動揺は抑えられなかった。

「静かに。話を続けるぞ」

 隊長の一言で隊員たちは表面上の落ち着きを取り戻した。

「現地の部隊がすぐに対応に動いたが、敵は優秀だ。首都の象徴的な場所をほぼ同時に攻撃し、現地部隊の想定を上回る戦力を持って軍を押し返している」

 誰の顔にも浮かんでいたのは“焦り”の感情。

 誰よりも早く首都に赴き、国民を護らなければと誰もが逸っている。

「そこで本国は、各作戦地域の余剰部隊を緊急招集するとした。我が部隊はこれよりロンドン塔へ急行し、テムズ川を上りウェストミンスター宮殿の味方部隊への支援に回る。各員四分で準備しろ。解散!」

 その隊長の一言を聞くなり我先にと隊員たちは駆け出し、最速で準備を整える。

 ジョンも遅れまいと準備を整えるとダッシュでヘリの発着場へと向かう。

 しかし思考が追い付いていなかった。視界に流れる景色がコマ送りのように進み、隣を走るコミスの悪態がとぎれとぎれに聞こえる。

 整列し、点呼に応え。ヘリに乗って輸送される間にも視界が遠退いていく。

 まるでテレビの画面が遠ざかっていくような感覚だ。視野が狭くなり音が遠くなる。

 その周りに広がるのはただの虚だ。

「おい!」

 脳が揺さぶられるほどの衝撃に襲われ、現実世界に引き戻された。

「――――え?あ――」

 ヘリは既に二回の給油を終えて、眼下に広がる景色には懐かしの祖国の夜景。

 しかし美しいはずの夜景には黒煙が点々と立ちこめ、遠方までの視界を遮っていた。

「しっかりしてくれ。お前だけじゃないんだ」

「――ッ!」

 そして、ヘルメットを殴ったコミスに胸を貫かれるような一言を言われ、視界も聴覚もクリアになる。

「……すまない」

「ああ」

 首都近辺に家族がいるのはなにもジョンだけじゃない。

 それに、既に実家に移っている可能性も十分にあるのだ。

 心の隙が生み出すのは、仲間の死だけだ。

 ジョンはそう自分を鼓舞すると、到着したヘリから降りて輸送用の舟艇に乗り込んだ。


[××月××日 緊急通信]ロンドン同時多発攻撃・軍内部からクーデターが発生]



 ロンドン中心部で今日未明、国会議事堂他多数の主要な場所に同時多発的な攻撃があった。

 多数の武装した集団が各地点を襲撃し、占拠。人質を取ることなく一時間後にBBCの放送にて声明を発表。

 国民の不安に対し行動を示さない政府に改革を必要とする旨の主張を示した。

 これに対し、ロバート首相はSNSにて国民に対し「まずは安全を確保し、決して外に出ないように。我々は手段を既に有している。この問題を解決し次第発表する準備もある」と声明を発した。

 国内の緊張が高まる中、軍部の動きが大きいこのタイミングでのクーデターの衝撃は大きく、ロンドンは騒然としていた。

 警察当局などは死者数、負傷者数ともに現在確認中としながらも、その数は絶望的との見解を発表している。

 

 そして同日、夜明けとともに軍は他国に派遣していた各部隊を招集し各施設に強襲を開始。

 国会議事堂を筆頭に施設の奪還が始まると、クーデター軍は収縮の動きを見せた。

 しかし午前五時、混乱した一部のクーデター軍が町への無差別な攻撃を開始しロンドンは再び混乱へと堕ちる。

 軍は素早く各部隊を動かしこれを鎮圧するも、各地で起きた激しい銃撃戦の残した爪痕は深く、朝のロンドンは騒然としていた。

 救急も消防も破壊されたインフラの影響で身動きを取れない中、軽傷の市民たちが軍と協力して動き市民の救出や、重傷者の手当てが進んでいるがそれでも人手は足りていない。


 今後の動きは、情報が入り次第順次配信していきます。

(添付された写真は、携行型のロケット弾によって崩壊したアパートの前に呆然と佇む軍人の背中を映したもの)



 遠くに聞こえる何かが落ちる音は、ずっと頭の中に響いている。

 遠くで聞こえているはずなのに、トンネルみたいにガンガンと頭に響く音は耳元で鳴っている。

 何の音なのだろうか。何時から聞こえているのだろうか。

 重傷者を運びだし、瓦礫をどけて、軽傷者の応急手当てをする。

 部隊はこれを繰り返しながら、救急隊が到着すると別の地点へ移動する。

 そうしていつしか、見慣れていたはずの地区にたどり着き、その様変わりに皆一様に衝撃を受け、それでも手を止めずにこぼれそうな命を何度も繋いでいた。

 そして、そこにあったはずの我が家の前に立った時、私は手から何かを落とした。

 その時の音だろう。ずっと頭に響いている。

 私の目の前にはアパートはなく、ただ崩れ落ちたレンガ調の瓦礫の山が積み重なっているだけだった。

 しかし以外にも私は、驚くことも悲しむことも、まして絶望することもなかった。

 まるで自分の背中を見ているように、「ああ、もう実家に逃げられたんだな」と勝手に解釈していたのだ。

 だから、仲間が心配そうな顔をしていても平気でそこの瓦礫を片付けることができた。

 もうすでに手遅れと一目でわかる遺体を何度も掘り起こしても、ひたすらに国民を救うことができなかった自分の無力さを痛感するだけだった。

 見慣れた家具も、砂だらけになった家族写真も、妻のお気に入りだったホーローのやかんも私の心を動かすことはなかった。

「…………」

 そして、何かが落ちる音が聞こえた。

 小さくて、酷く華奢に見えるそれは、しかしよく見ると砂の下に見える肌は健康的な色をしていて、しかしもう酸素を含んだ鮮血を送られることは二度となくて。

 千切れた子供の腕の先の、小さな手には私の代わりのボロボロの人形が力強く握られていたのだ。

 そこからはよく覚えていない。

 スクラップした写真のように、一つ一つの場面が脳に刻まれているだけだ。

 現実から目を逸らし、淡い希望を胸に、か細い子供の腕を手に軍の緊急回線を無理やり借りて妻の実家へ電話をかけ。

 妻が実家へ帰っていないことを知り、ロンドンの状況を案じていた祖父母が絶望の声を上げるのを遠くで聞いた。

 ほどなくして、比較的きれいな妻の死体と凄惨な娘の肉片が見つかるとただ茫然と、娘を完成させようとして隊長に殴り飛ばされ。

 気が付けば自分は病院の待合室の床で目を覚ましていた。

 誰も気に留めない病院から基地まで徒歩で向かい、そして誰かが埋めた妻と娘のありかを聞き出すと、徒歩でそこに向かい。

 気が付けば、自分は中東の戦線で傭兵をやっていた。

 何とかつながった通信でコミスからその後の事を聞き出すと、私はそれ以降軍に姿を現さなかったらしい。

 その日のうちに隊長に軍を辞めることを伝え、その手続きに一ヶ月ほどかかり、首都の復興は絶望的な状況の中、私は国を捨てて命を投げ捨てようと必死になっていたらしい。

 それを聞いた時、確かに私ならそうするだろうと他人事のようにそう思った。

 見慣れたロンドンを、そこに行きかう人々を見れば、自然と「もしかて」と考えてしまうのはわかりきっていた。

 そして確認するように更地になったアパートに訪れ、そこで自分がいかに無力で無能であるかを再確認して、浮浪者のように街を練り歩く。

 そうなる前に私は逃げ出したのだ。

 家族との思い出からも。愛する祖国からも。優しい仲間たちからも。

 そして惨めに死のうとしながらも、本能は浅ましくも生に縋りつこうとしている。

 今でも頭にはあの音が響いている。

 この音を消すために、私はある噂が流れている中東のある戦線に赴いていた。

 そこでは、少女の形をした死神が現れるのだと言う。

 その死神は市街地での近接戦に置いて無類の強さを誇りまさに無敵にして百人力。

 一人で何十人もの敵を葬り、決して傷を負わない。

 そんな化け物ならば、私の頭に響く音を止めてくれると思ったのだ。

 AKを抱えてボロボロの輸送トラックに乗り、同乗する他の傭兵たちの冗談を全て無視して前線へ向かい。

 待ち構える邪魔な正規兵どもを容赦なく撃ち殺し続け、補給線を断ち切った時。


 ついに天使は現れたのだ。


 突然現れては数人を確実に屠り、数で囲めば殺せるという誰もが考える心理を利用して狭い室内に誘い込むと、道徳も人権も無視した散弾銃で銃を持った大人たちを肉塊へと変えていく。

 私はその強さに衝撃を覚えると共に、感動すらしていた。

 もしかしてこの子ならば、と。

 そうしてその天使の背中を追ううちに、気づけば前を走る同業者は切り刻まれ、隣に並んだ血気盛んな若者はどこぞへと逃げ、その戦場には私と彼女だけがいた。

 窓がなく、砂だらけの室内で最後の一人の喉を貫いた彼女は年相応の無邪気な笑みを私に向け「おじさんで最後だね」と言った。

「でもおじさんすごいね!全然弾当たらないし、銃剣振ってるのに別の人に当たるんだもん」

「そんなつもりは――」

 確かにおかしな話だった。

 この子に殺してほしければ、誰よりも真正面に立って真っ向勝負を挑めばいい。

 しかし、いつしか本能は無意識に“他の人間を利用して勝つ方法”を模索していた。

 結局私は、また浅ましくも生にしがみ付いていたのだ。

 それを知った時、私は銃を落としそうになった。

「え!駄目だよ!諦めちゃ!」

「ッ!?」

 何を言っているのだ。この少女は。

 絶対に勝てる戦いで、たとえ私が銃を持ち戦おうとしても勝てるはずなのに、私に銃を持って戦えと言っているのだ。

「どうして……君は、戦っているんだ」

 気づけば私は、無意識にそう問う。

 よく見れば、目の前に立つのは天使でも死神でもない。ただの普通の少女だった。

 端整なアジア系の顔つきは、娘ほどの年齢に見える。

 そう気づいた途端、こみ上げる吐き気を抑えきれなかった。

「ど、どうしたの?大丈夫?!」

 そこで死ぬのかと思えば、少女は私に何をするでもなく、あろうことか心配すらしてきたのだ。

「何なんだ――君は一体――」

「私?私はスーだよ」

「そうじゃない。――――一体なんで、こんな所で戦っていて、どうして俺を殺さないんだ」

 そう言うと、少女はきょとんと首を傾げた。年相応の少女の態度だ。

「うーんと……ここにいる人たちは、本気で戦ってくれるからかな」

 そして、こう続けたのだ。

「もちろん、私にはこれしかないってのもあるけど、私は本気で向かってきてくれる人がいるのがうれしいんだ。本気で向かってきてくれる人は、それまでどうやって戦ってきたのかわかるし、その人の人生がわかるきがするんだ」

 私には、その少女が何を言っているのかわからなかった。

 しかし、そんな少女が銃を持つことを嬉々としそれを人生とすることに拭いきれない違和感があった。

 そもそも銃を持った少女が戦場にいることに対する違和感を今の今まで感じなかったことがおかしいと言える。

「じゃあ、俺の事もわかるのか?」

 だからと言って、自分には何もすることはない。

 今まで見てきた少年兵と同じように、それは救うことができない存在と頭でジャンル分けしているのだ。

 この子は救えない、と。

 そうして見上げた少女は、昔見た娘のような、太陽のように無邪気な笑みでこう返した。

「うん!少しだけ。まだ全力で戦ったわけじゃないからわからないけど」

「嘘をつくな!お前に何がわかるってんだ!」

 もう訳が分からなかった。

 死ぬためにこの少女に会いにきたというのに、実際に会ってみればただの少女で、そのくせ人間離れした動きで無邪気に人を殺し、その上戦えば人のことがわかると言う。

 そんな怪物じみた奴が、娘の表情で「お前のことがわかるぞ」と抜かしやがる。

 気づけば、衝動的にあふれた言葉を暴力的にぶつけていた。

「俺が今まで何人殺してきたと思う?!家族を守るだとかなんだとか言っておいて!俺は戦場で何人も殺して来たんだぞ!娘と同じくらいの子供が死ぬのも何度も見てきた!助けられるとわかっていながらな!自分が死ぬのが怖かったからな!その癖妻がおだてればいい気になるんだ!面倒なことを全部任せて!俺はな、血だらけの手を見られるのが怖くて戦場に籠っていたただの臆病者なんだよ!」

 少女は驚いていた。

 大の大人が大声を上げて起こる姿が珍しいのだろうか。

「家族が死んだら、今度は自分が死ぬことを怖がっている。お前にそれがわかるのか?!」

 少女は困った顔をして「そこまでは……」と小さく言った。まるで怒鳴る大人に怯える子供だ。

 ほら見たことかと鼻で笑おうとしたが、少女が「でも」と続けた。

「おじさん……すごく、悲しそうだったよ」

 どうせ口からのでまかせだろう。

 今まで抑え込んでいた感情を吐きだしたら、逆にすがすがしい気持ちになっていた。

 ある意味では自棄を起こしているとも言えるだろう。

 もうどうでもよくなった。

 どっちにしても自分は死ぬ。

 ならば、本気で戦い華々しく散ればいい。

 ふらふらと立ち上がり、銃を持つ。

「そこまで言うなら本気でかかってこいよ。俺も本気でやってやる」

「ほ、ほんとに?」

 少女は不安と期待が混じった声で、もじもじと散弾銃を持つ。

 それは、休日に遊園地に行こうと約束された子供のような反応だ。

 そしてそう言う約束は、大概守られない。

 だが、今回はしっかりと守れる自信があった。

「ああ」

「本当!やったぁ!……で、どうするの?」

「そうだな――この部屋のそっちの端とこの隅に立って、このコインが床に落ちたらスタートってのは」

「いいね!いいね!それでやろう!」

 少女はうきうきと部屋の入り口側の角に向かう。

 対して私は堂々と背中を向けて反対の角に向かう。

 大人の歩幅で十歩ほどの正方形の部屋には何もなく、端には梯子がかけられ上の階に繋がっている。

 向かい合った少女は今にも走り出したい衝動を抑える顔をしている。

 真正面から本気で戦っても勝てる保証は一ミリもない。

 まさにガンマンの撃ち合いだ。だが引き金を引く速度で勝てる自信はない。

 そもそもこの距離で散弾銃を、それも銃口を切り詰めたものを撃たれればどう動こうがミンチになる。それは少女もわかっているはずだ。

 しかしそれでは少女はつまらないだろう。

 絶対に負ける、だが一瞬で勝負を終わらせては面白くない。

 この感覚は懐かしい。昔陸軍に入ったばかりの頃、趣味で始めた競技射撃の決勝戦を思い出す。

「じゃあ、行くぞ」

「うん」

 互いに銃口を地面に下ろし。両手を体の横に付けて自然体に立つ。

コインを左手で持つと、引きつけて指で弾いた。

 軽いコインが無風の室内を舞い、ゆっくりと部屋の中心へと引きつけられていく。

 そして固い地面で小さく音を立てた瞬間。全てが決まった。

 小銃を素早く構えて引き金を引く。

 狙いは少女ではなくそのまわり。

 最初の賭けは私の勝ちだと言えるだろう。

 少女は散弾銃を構えることなく、イノシシが如く突撃してきたのだ。小銃の火線を掻い潜りながら。

 これまでの戦いを見る限り、少女は“弾を避ける”ことができる。

 視線と銃口の方向、引き金にかかる指の力加減を見て銃弾がなぞる線をよけていると考察していた。

 だからこそ、視線は少女を見つつ銃口は少女からずらし“少女が左右に動く”ことを封じるつもりだった。

 そのためには少女が一瞬で勝負がつくことをつまらないと思い、真正面から近接戦を挑んでくることを祈る必要があった。

 少女は一瞬驚いた表情をしたが、速度を落とすことなく低い姿勢で突っ込んでくる。

 このままなら銃剣で切り捨てられるだろう。

 だから私は少女が小銃の銃身の下にくるまで耐えた。

 逸る心を押さえつけ、迫りくる死の感覚から逃れないように足を踏ん張る。

 少女は散弾銃を振りかぶり銃剣を袈裟で切り下ろそうとする。

 ここだ。このタイミングだ。

 少女が足りない身長差を埋めるために跳躍したタイミングに合わせて小銃を槍のように突き出した。

 銃口で殴る。小銃での近接戦において基本的な攻撃で私は少女を牽制した。

 もちろん当てるつもりも、当たる気もない。

 少女を下げて再び小銃の火線で抑え込み、そのまま押し潰す算段だった。

「すごい!楽しい!」

 しかし少女は感動の声を上げると同時に空中で体を捻ったのだ。

 そして銃口の槍を避けると体の捻りを利用し、そのまま体を切りつけんとしたのだ。

「嘘だろッ!」

 反射的に一歩下がるが間に合わない。

 このまま自分が鎖骨から切り捨てられるのが脳に映る。

 それと同時に、目に映る映像はスローになり体が鉛のように重たくなる。


 ああ、これが“死”か。


 私はここで死ぬ。

 あれほどまでに望んだ“死”が目の前に迫った時。

 


「どうして、世界が終わるのにそんなにうれしそうなんだ?」

「うーん。確かに悲しいこともたくさんあるし、困ったこともたくさんあるけど……やっぱり、星の命が終わる瞬間を見られるかもしれないってすごいことだと思うんだ」

「そうか?」

「そうだよ!だってそれって、誰も体験したことない瞬間だよ!それをあなたと体験できたら、きっと誰よりも幸せなんだろうなぁって」

 視界の隅で妻は、そう言って笑った。


「――――――――ぁぁぁぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!」

 足が千切れんばかりの力を振り絞って地面を蹴った。

 胸の辺りを銃剣が掠めて、服が切れるのを無視して小銃を下から少女に向かって投げる。

 銃剣を避けられた少女は空中で一回転すると、地面に着地して小銃を避ける動きを取る。

 だが、その動きは読んでいた。

 だから腰から拳銃を抜いて少女が着地するより速くその地面を撃っていた。

「――ッ!」

 そこで初めて少女の焦る息遣いが聞こえた。

 少女は地面に銃剣を突き立てると全力で突いて天井へと飛ぶ。

 天井を蹴って距離を取ろうとするがそれは許さない。

 3 Gun mathcでやったどの動きよりも速く、地面に落ちる前の小銃を掴み、拳銃を投げ捨てる。

 後ろに飛んだ少女目掛けて残りの全弾をばら撒きながら突撃し、動きを封じられた少女を小銃で組み伏せようとした。

 しかし少女は倒れるでもなく、散弾銃で攻撃を受け壁際まで靴で地面を削りながら押し込まれた。

「すごい!すごい!どうして諦めないの?ここまで粘り強い人初めて!どうしてそこまで粘れるの?」

 少女はずっと変わらない笑顔で楽しそうに問う。

 歯にひびが入るほど食いしばり、鼻から血を流すほど頭を回転させ、全力で死から抗っていた自分からは本能しか語れなかった。

「死にたくない!死ぬわけにはいかない!俺は、俺は――――」

 あの時誓ったから。

 

 星が死ぬまで生きていようと。

 

 星が死ぬのを絶対に見届けようと。


「俺はあああああああああああああああああああああああ―――――――――――――――」

 化物じみた力で押し返えされながら、全力で抗う。

 あの時彼女は言ったのだ。

「もし私やあの子がいなくなっても、必ず見届けてね。私もそうするから」

 だから、こんなところで死ぬわけにはいかないのだ。

 たとえ星に救いがなくても、未来に希望が無くても、それを見届けるのが私の人生なのだから。

「――――――――――――――――――」

 言葉にならない全力で銃が折れる音を聞いた時。

 私は無様に地面に転がされていた。

 振り返って拳を振り上げたが、そこにいたのは好奇心を浮かべた少女だったのだ。

 その手に銃は握られておらず、両手は期待を抑え込むように両手を胸の前で小さく振っている。

「すごい!おじさんすごい!私も見てみたい!」

「――――え?」

「おじさんが見たい景色、私も見てみたい!」

 その少女が何を言っているのか理解するのに、私は酷く時間を要した。

 この戦闘中に何かを言った覚えはない。

 走馬灯を見てからは記憶があいまいになるほど、獣のようにただ生に縋りついていたことだけは覚えている。

 しかし朧げな記憶の欠片を積み上げると、初めてこの終わりへと向かう世界での目的が見えた。

「そうか……」

 ずっと忘れていた記憶は、最後の作戦の前日に基地で妻と通話した時の記憶だ。

「私も一緒についていっていい?」

「え?」

「今思ったんだ!おじさんに付いて行った方が絶対面白いって!」

 少女は興奮を抑えることなくまくしたてる。

 困惑しながらもその発言の旨について妄想する。

 これからどうしようかと。

「ねえ、おじさんいつもは何してたの?」

「あ、えーと、そうだな」

 終わりゆく世界をどうやって過ごすべきなのか。

「旅、かな」

「たびって何?」

「この世界を歩き回って、いろんな景色を見るんだ」

「いろんな景色って?」

「そうだな――例えば、オーロラ、とか?」

「おーろら?」

「ああ。北の、すごい寒いところで見られるんだ。いや、実際に見たことはないけど、すごいきれいなんだって。ちょうど今ぐらいなら見れるかな」

「すごい!おもしろそう!今から見に行こうよ!」

「今から?!それは、難しいな」

「えーだめなの」

「駄目じゃないが……そうだな、見に行こう」

「うん。見に行こう」



 この世界の終わりを――――。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

仄暗い灰色の中で(終末系おじロリもの) 紅夢 @unknown735

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ