米国某所で発見された文書
ここに私の記録を示そうと思う。
これを読む誰かが、この歴史を語り継ぎ残してくれることを祈って。
私が体験した――――いや、私が見た世界の終わりについて語ろうと思う。
その予兆があったのはいつからだっただろうか。正直なところ、正確な日付は思い出せない。
というのも、当時のNASAだったか何だったかが世界にそれを発表した時には、既に人類にとって相当に手遅れな状況だった気がするのだ。
ただ、予兆という点に絞って話をするならば、もっと早い段階で気づける要素は沢山あったように思える。
増え続ける異常気象、特定の地域で多数発生し続ける地震。噴火件数の上昇。
ともかく、人類にはどうしようもない災害が増えていたように思える。
そういう所にいた人たちは、もっと早くに異常に気づけていただろう。
気づいたところで、どうすることもできないことには変わりはなかったのだろうが。
幸いというか、不幸というか、ともかく私はそう言ったこととはわずかながら離れたところにいた。
だからだろうか、誤差程度の、ほんの僅かな“気づき”の差が私の延命に協力してくれたのだろうか。
最初に流れてきた情報は、SNSの他愛もないリークだったと思う。
近々大型ロケットの打ち上げ計画があるらしいが、その目的は不明だとか。
別に興味もなかったし、それに付きまとうゴシップにも目は引かれなかった気がする。
ただ何故こんな話を思い出せたかといえば、思えばこれが人類に与えられた最初のヒントのように思えたからだ。
ほぼ同時期に、いろんなニュースが流れだした。
あの国の緊張が高まっているだとか、その国の経済状況がどうだとか。歴史の教科書に載っているような、人類が試される状況が刻一刻と、足音を立てて近づいてきているような気分だった。
何度も言うが、状況は我々の想定を大きく超えていたのだが。
そんな予兆を知っていようが、変わらないものもあった。
それは私たちの生活だ。
起きる時間も、仕事の内容も、隣人関係も毎朝口にする牛乳の味も変わらない。
我々は日常を送っていた。
ガソリンの値段が上がっても、ジョエルが「まただ」と髪の薄い頭を困ったように撫でるだけだったし、トイレットペーパーの値段が上がってもミセス・バートレットがいつも通りの愚痴を言うだけだった。
今にして思えば、それでも世界が混乱に陥っていなかったのは、良くも悪くも世界中の優秀な誰か達がうまく隠していたからだろう。
あの嘘のつきづらい情報社会の中でよくやり通したものだと感心する。
だからだろうか、我々が気づき始める頃にはもう既に、どうしようもないところまで、なおかつ身勝手に話が進んでいたのだろう。
何から話し始めようか。
やはり“検査キット”の話からだろうか。
・・・ ・・・ ・・・
あれは雪が降り始めた頃だっただろうか。まだそこまで積もってはいなかったが、冷え込み始めていたことは覚えている。
何より息が白くなっていたし、向かいの家の子供たちが窓に指で落書きなんかをして、窓の向こう側にいた私に笑いかけていた気がする。
確か、その日は休日だった気がする。いや、休日だった。朝起きて、レンジで牛乳を温める合間に新聞を取りに行く。その時子供たちが目に入ったのだ。
それからトースターでパンを焼きながらメールチェックをする。
そうだ、思い出した。その時テレビを付けたんだ。ちょうどそこに朝のニュースがやっていて、奇妙なことに気づいたんだ。
世界保健機構の緊急会見だったか、ともかく年を取った人間があのマークがたくさん並んでいる壁を背景に何かを喋っていた。
別に緊急会見なんてものに興味はなかったし、その手も物は年に数回はある。そのときもそこまで深刻には考えていなかったように思える。
ただ、恐らく、そのニュースを見ていた大半――――半分くらいだろうか――――の人間は妙な違和感があったと思う。
そのニュースは合衆国から発信されていて、世界に向けて配信されていた。同時翻訳でだ。
そのあと知ったことだが、主要五ヶ国語に加えて、その他四つくらいの言語に同時翻訳されていたらしい。
世界保健機構がいくら世界的に影響力のある組織だとしても、それはいくら何でもやりすぎではないかって話だ。
それに、余談だが、当時あの組織の信用はお世辞にも高いとは言えなかった。
まあ、そんな話はさておくとして。
ともかく、そんな違和感に気づいた私は珍しくパソコンをいじる手を止めてテレビに目を向けた。
内容の詳細は思い出せないが、ただ一つ分かりやすいことはこうだ。
『世界中で生活している人間の“遺伝子的な強さ”を調べるために国連加盟国を中心に段階的に検査キットを配布する。』
確か、そんな内容だった筈だ。
考えるまでもなく、これは奇妙な話だった。
あの組織は警鐘やアドバイスこそするものの、“こうしろ”という類の強制はしない傾向にある。いや、あったはずだ。もうかなり前の話だから曖昧だが。
だからこそ、当時は義務としてその話を進めているということに変な感覚。こう、言いようのない気持ち悪さがあった。
私はこの手の話に付きまとう、SF小説から丸々持ってきたような陰謀論を信じない質だと自負しているが、この時ばかりは公園にいる、あの名も知らない老人が言いふらしていた陰謀論を二割くらい信じていた。
要はそのくらいには気持ちの悪い話だったのだ。あの機構のお偉いさんのよそよそしい態度も含めて。
だが、それ以上でもそれ以下でもなかった。こういったことを含めて、我々には遠く手の届かないところの話だったのだと今ならはっきりわかる。
例の検査キットはすぐに届いた。ニュースから一週間ぐらい後だっただろうか。その辺はよく覚えていない。
この検査キットはこれこれこういう目的の為の、こういうものです。とか言う文言と綿棒を伸ばしたものみたいなのが入っていた。
近所の人間も、職場の人間も、若い連中を中心にこの検査に否定的な奴は結構いたと思う。SNSだか何だかで、盛んに流れてくる妙に信憑性のある話を皆が一様に信じて言いふらしていたのだ。
それはそれで奇妙な、というか不気味な流れではあったが。
だが、それも最初だけの話だった。どんなに健全な若者でも国の掲げる“義務”という言葉の前には立ち向かう勇気がなかったらしい。
なにより、SNSで流れる情報を否定する勢力も、正確性を謳うリサーチ屋も今回はどうにも手のだしようがなかったらしい。
なにせ本当の情報が一切なかったのだから。
取りあえず、私が初めて違和感を実感した話はこんな感じだろうか。私が“検査キット”をどうしたかって?
もちろん、国に提出したさ。契約中の保険会社を通じてね。
これ以前のことは曖昧ではっきりしていない。
しかし、これより後のことははっきりと覚えている。
あの時、あのテレビで語った学者の顔は今でも忘れられない。
・・・ ・・・ ・・・
冬が深まった日の事だ。
確か年を越えて少し経った日だったと思う。
夜に仕事の疲れを癒すウィスキーを呷る傍ら、片手間にテレビをつけたのを覚えている。
流れていたのはワイドショーだった気がする。
テレビを見るつもりなんかは端からなく、流れる音をBGMに小説でも読むつもりだった。
しかし、私の耳は意思とは反対にその内容に強く惹かれた。
「――――本当にそのようなことが、起こるのでしょうか?」
「はい……我々天文学者は、このデータを何度も計算し直し、世界中で意見を交わして何度も再検討を繰り返しました。しかし、目の前に示された結果は覆らなかった。」
「ではなぜ、今になってここで発表したのですか?」
「それは……いえ、私たちは一度この結果をしかるべきところに委ねました」
「しかるべきところ、とは?」
「各国の政府機関です。彼等はすぐに対応を考えると言い、正式な発表があるまでは我々からはこの情報を発信しないようにと言われました」
「ということは、今日はご自身の独断で発表に踏み切ったということですか?」
「はい……もう耐えられなかったのです。あれだけ危険だと、あれだけ近づいてきていると言っているのに、政府や各機関の動きは少ししか見られない。もう九十年、あと九十年しかないんですよ!」
あまりに熱の入った語り口に、私は思わず小説から目を上げた。
どうせ一ページも読み進んでいなかったのだから、この際気にすることなくテレビを見るつもりでいた。
テレビに映っていたのはメイクをしっかりした赤いスーツの女性と口元の皺が目立ち始めた中年の男性。
「落ち着きましたか?」
「ええ、はい、すみません」
男は震える手で唇を撫でて何とか平静を装っていた。
「今夜、事は大きく動くでしょう。ですが、まだ間に合うはずなんです。世界中の皆さんが手を取り合えば」
男はまるで“世界中の人間が協力し合う”ということが希望的観測であるかのような声色でそう言った。
「もう一度言います。このまま何もしなければ世界は、地球は……人類は九十年後に確実に滅びます。」
ゴトリ、という重たい何かが落ちる音が頭の中で響いた。
・・・ ・・・ ・・・
あまりに現実味のない告白に、私は一度椅子から立った。
キッチンに向かい、置いておいたグラスに新しいウィスキーを注ぐ。
ぼんやりとした頭のまま椅子に戻ると、ゴンと私のつま先が何かを蹴った。
椅子の前を転がっていくのは、先ほどまで私が使っていたグラス。
はっと手元を見れば、当たり前だが新しいグラスに琥珀色の液体が揺れていた。
グラスを机に置いて、落ちていたグラスを拾おうとする。
「?」
震えていた、自分の右手が。
私はその右手を信じられないような気分で見つめた。
その一瞬だけ、右手が誰か別人のものに思えたのだ。
ウィスキーを一口呷ってから、テレビのチャンネルを何度か変えて状況を確認した。
その中で一番よく見るニュース番組は、大統領の緊急会見があると伝え先程の学者の映像を繰り返し流していた。
ほどなくして始まった大統領の会見はあまりにも整然としていて、質疑応答にもしっかりと答えていた。
あの学者が発表していようとしていまいと、こうなることは確実だったかのような流れのよさだった。
そして、その会見が朝から晩まで何度も流されるようになると、次第に衝撃は遠のき、現実味がなくなっていく感覚があった。
太陽系に中性子星が近づいてきているとか、人類の惑星系外脱出計画が国連主導で進んでいるだとか。
そんな話は自分にとっては遠い話で、隣人も家族も含めて皆今まで通りの日常を歩んでいるように思えた。
だが見えないところでは確実に狂気が侵食していたのだと思う。
さて、地球のタイムリミットが九十年だと言うことが判明したと同時になし崩し的に様々な情報が暴露されることになる。
例えば目的不明のロケット打ち上げは、地球の大気圏外にシリンダー型の居住区を建設するためだったとか、保険機構の免疫調査は宇宙環境下での遺伝的な強さを調べるためだったとか。
そしてそれについて回る黒い噂もひっきりなしだった。
どんなに頑張ろうとも生き残って宇宙への旅に出られるのは、全人口の一パーセントに届くかもわからないことや、宇宙船や居住区の建設にしたって、世界中が協力し合い乏しい資源を効率よく循環させないといけないことなど。
その手の話は、考察が進めば進むほど現実的だと我々に示していた。
そしていつの日からか、世界中で戦争が常態化していた。
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