殺し屋のリスク

人を殺す「殺し屋」は常に殺されるリスクを負っている。

死ぬのは「私」か、「俺」か――。


*   *   *   *   *




 男は闇に紛れるように、ビルとビルの間のわずかな隙間にある錆びた外階段を上っていった。小振りなギターケースのようなものを背負っている。だが、その中身がギターではないことは容易に想像がついた。男が三階まで達したのを確認すると、俺は階段に足を掛ける。腰に備え付けたナイフの柄の感触を確かめる。男の足音にあわせて自分の足を踏み出した。




 まっとうな生活を送っている皆さんにはあまり馴染みがないと思うが、誰かを殺すことを生業なりわいにしている、いわゆる「殺し屋」というのは確かに存在する。例えば、俺がそうだ。


 殺し屋と聞くと、相応の額の金さえもらえれば誰でも殺すと思っている市民もいるようだが、そして実際にそういう殺し屋もいるのだが、俺は違う。俺は、依頼者の性格や思考、依頼するに至った背景などを細かく聞き、納得した仕事のみを行う。「金は払うからさっさとやってくれ」という客も多いが、これはいわば仕事の流儀だから変えられない。「美学」という言葉の背後にある胡散臭さが嫌いな俺の、数少ない美学だと言ってもいい。だから、今もこうしてわざわざ依頼者の話を聞いている。


「最近、親父の周辺を嗅ぎ回ってるやつがいるらしくてな、そいつをってほしい」

「嗅ぎ回ってるだけで殺しちまっていいのか?」

「嗅ぎ回ってるだけで殺しちまっていいんだよ。あいつら、最近俺たちの縄張りでクスリ売ってるみたいだしな」


 もっとも新規の客なんてそうそういるものではない。今回も付き合いのある稲山会の組員からの依頼だったので、さっき言った「依頼者の性格や思考」の部分は省略した。よく言っても知った仲。正確に言えば、ただの下請けだ。


 聞けば、稲山会の下っ端が対立する川口組幹部の女に手を出したことが事の始まりらしい。どうしてそれが一足飛びに稲山会組長の周囲に及ぶのかはよくわからなかったが、要はいがみあう者同士は何でもいいから相手を攻撃する理由やきっかけが必要なのだろう。


「またいつもの方法でやるのか?」

「俺はこれが一番得意なんだ」

 腰のあたりから取り出したナイフを手の中で弄びながら俺は言った。柄の部分に竜が彫刻されたそれは、昔の仕事仲間の形見だった。




 やがて男の足音が止んだ。どうやら屋上に到着したらしい。私はより一層足音を忍ばせ、残り三階分の階段を上がっていく。屋上は思ったよりも広かった。巨大なエアコンの室外機や何のためかわからない装置、ダクトや貯水タンクのようなものが設置されており、それらの間を太いケーブルが何本も通っていた。身を隠しながら、慎重に先へと進んでいく。時折、強い風が吹き抜けた。


 少し離れたところに男の背中が見えた。ビル内部から屋上へと通じる出口なのだろう。コンクリート壁の四角い小屋のようなものがあり、その壁に身を隠しながら向こう側の様子を窺っている。私の位置からは、男の視線の先の光景は確認できない。


 どうする? 身を寄せたエアコンの室外機から出る温風を左半身に感じながら、思案した。この先は身を隠す場所がない。男が行動に移した瞬間にこちらも仕掛けたとして、先に仕留められるかは微妙なところだった。


 その時、男の手元が隣のビルのネオンを反射し一瞬だけ光った。私は、はっとした。くそっ、いつの間にナイフなんか――。そう思った時には、男は駆けだしていた。慌てて地面を蹴り、全力で走る。男の姿が見通せる場所……。


 ここだ――! 片膝を付き、瞬時に態勢を安定させる。と同時に、引き金を引く。サイレンサーを通過した弾丸はほぼ無音のうちに発射され、男の右を抜ける。間髪入れずに二発目を放つが、これも右に逸れた。くそっ、風が……!


 男は走りながら態勢を一段と低くする。狙われた人物は虚を突かれ、その場に尻もちをついた。息を吐く。風が収まる。最後のチャンス。人差し指を引くと、確かな反動があった。男が仰け反り、「ぎゃっ!」という短い悲鳴とともに倒れた。


 銃をしまうと、倒れた男のもとに歩み寄る。相棒はまだ尻もちをついたまま、わなわなと震えている。


「お、遅いよ……危なかったじゃないか。もう少しで殺されるところだった」

「思ったよりも近寄れなかった。それにビル風が強くてな」

 言ったそばから二人の間を一陣の風が吹き抜ける。私が手を差し出すと、相棒はその手を支えに起き上がった。

「お前こそ、やっぱり護身術の一つくらい身に付けたらどうだ? 『殺し屋』が襲われて腰抜かすなんてダサいぞ」

「別にダサくてもいいよ」

「別にダサくてもいいかもしれないが、死ぬのは嫌だろ?」

「あんたが守ってくれるだろ? 今みたいに」

「他力本願かよ」


 相棒が脇に置かれたケースからスナイパーライフルを取り出すと、手際よく設置していく。

「ターゲットは?」

「向かいのビル。ホテルのパーティー会場なんだけど、窓際にマイクがあるでしょ? 今からあそこでスピーチすることになってる」

 見ると、大きなガラス窓の向こうで、何人もの正装した男女がグラスを片手に談笑している。およそ三十メートル。表情まではわからない距離だ。

「一発で当てられるか?」

「風さえなければ難しい距離じゃない」


 虫の息の男が弱々しいうめき声を発する。おそらくは稲山会が雇った同業者だろう。ふと、傍らに男のナイフが落ちているのが目に入り、拾い上げる。柄の部分に竜のような模様が彫られている。

「かっこいいな」


「いい? やるよ?」

 相棒が、まるで夕食ができたことを知らせるみたいに軽快な口調で言う。私はナイフを腰のベルトに挟み込むと言った。

「あぁ、よろしくどうぞ」



 束の間の静寂のあと、鋭い発砲音が夜の闇を切り裂いた。


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光と闇のアンソロジー Nico @Nicolulu

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