わたしのひかり

南雲 皋

──*

 あの夏の日、俺は、俺たちは、彼女から永遠に"光"を奪ってしまったんだ──



 久住光は俺たちの友達だった。

 少し身体が弱く、幼稚園時代は数えるほどしか遊んでいない。

 けれど、それでも俺たちは光の友達だった。


 小学校に上がる少し前、光は手術を受けた。予定より長く時間が掛かったものの、手術は無事成功した。

 光は、元気になった。


 俺たちは良く一緒に遊んだ。

 俺と、俊介と、由香利と……そして光の姉さんと。


 光の姉さんは光のことが大好きだった。心配性で、過保護で、光はもう元気なのに片時も光の傍を離れず、面倒を見た。

 彼女は俺たちの二歳上だった。

 対して変わらないはずなのに彼女はどこか大人びていて、俺たちは少しの違和感と共に、毎日を過ごしていた。


 あの日だ。あの夏の日。

 俺たちは五年生になっていて、彼女は中学一年生。

 学校の終わる時間がズレることにより、光は時々一人で俺たちと遊べるようになっていた。

 

 光は、彼女がいない時の方が明らかに楽しそうで、それは勿論俺たちもそうだった。

 けれど直接彼女にそんなことを言えるほどの勇気もなかった。

 あの日、夏休みに入って最初にみんなで遊んだ日。

 彼女も同じく夏休みに入っていたから、当然のようにあの日も彼女はついてきた。


 俺たちは裏山に来ていた。裏山は夏でもひんやりと涼しく、小さい川も流れているため、夏の間の恰好の遊び場だった。


 俺たちはかくれんぼをしていた。

 鬼は、俺。

 俺は真っ先に由香利を見つけ、次に俊介を見つけた。

 少し不思議に思った。

 いつもなら、二人で一緒に隠れている光たちを一番に見つけるのに。


 俺たちは三人で光たちを探し、木陰に立ちすくむ光を見つけた。

 光の足元に、彼女が倒れていた。


 呆然と立ちすくむ光に、俺たちは何があったのかと尋ねた。

 隠れ場所を探している途中、彼女のお節介に腹が立った光はつい、彼女に文句を言ってしまった。

 彼女は怒り、そして喧嘩になった。思わず彼女を突き飛ばすと、彼女は足をもつれさせて転び、木に頭をぶつけて倒れてしまった。

 そういうことらしかった。


 彼女は確かに頭にたんこぶを作っていたが、気を失っているだけだった。

 そのとき、誰かが言ったんだ。


 殺そう


 多分全員、心のどこかで同じことを思っていて、だから俺たちは誰からともなく彼女の重たい身体を持ち上げたのだった。

 裏山には所々、崖のように切り立った場所があった。

 普段は絶対に近付かない場所へ、彼女を運んでいく。

 俺たちは一言も発せず、だけど奇妙な一体感をもって彼女を崖から放り投げた。


 彼女の身体は重力に逆らわず、崖下に落ちていく。


「あ」


 崖下には倒木があって。

 その倒木から突き出た枝が、彼女の顔面に突き刺さった。

 真っ赤な血が顔から噴き出して、俺たちは先を争うように近くの川へと走った。

 げぇげぇと、みんなが吐いた。

 だってまさか、あんなことになるなんて。


 それから俺たちは、みんなで光の家に行った。

 かくれんぼをしていたけど、彼女がいつになっても見つからないと、みんなで言った。

 大人たちが裏山へ探しに行き、しばらくして彼女は見つかった。

 光の両親は、半狂乱になっていた。


 だが、俺たちは何のお咎めもなかった。

 怪しまれもしなかった。

 むしろ同情さえ、されていた。

 葬式では泣くフリをした。

 光のためなんだと、これでよかったんだと言い聞かせながら、日々を過ごしていた。


◆◇◆


 裏山に幽霊が出るという噂が流れはじめたのは、俺たちが中学生になった頃だった。

 俺たちは未だに仲良くやっていたが、裏山にはあの日以来一度も行っていなかった。


 その幽霊は、あの日の彼女と同じ格好をしていた。

 俺たちは顔を見合わせ、その日の夜、集まった。


 懐中電灯に照らされた裏山は、記憶の中にある裏山よりも恐ろしく感じられた。

 俺たちは道なき道を、ざくざくと木葉を踏み締めながら進む。


 もうすぐ、あの崖だ。


 ふ、と。懐中電灯に照らされて何かが見えた気がして立ち止まった。

 ゆらゆらと、所在なく揺れるのは二本の腕だった。

 そこから辿っていけば、あの日の彼女が着ていたワンピース。


 顔は。

 顔は、ぐちゃぐちゃだった。

 後頭部の方から凄い圧力が掛かったように顔の皮膚は前に向かってめくれあがり、骨と肉が覗いている。

 目も、鼻も、口もない。

 かろうじて残った顎はぶらりと垂れ下がり、そこから涎とも血ともつかない何かが滴り落ちていた。


 思わず叫びそうになるのを、口をふさいで何とか堪える。

 彼女は、目がないから当然かもしれないが前が見えていないみたいで、二本の腕をさ迷わせながら歩いている。

 何かを探しているみたいだった。

 何か?

 そんなの決まってる。


 "光"だ。


 光を探しているんだ。

 俺たちは、泣いた。

 泣いて、謝った。


 謝って済む問題じゃないことくらい分かってる。

 でも、謝らずにいられなかった。

 俺たちは彼女から、全て奪ってしまったんだ。


 光が、彼女に触れた。

 彼女は驚いたように立ち止まり、二本の手が光の顔や身体を探った。

 それから、彼女は光を抱きしめた。

 光も彼女を抱きしめて、そしてごめんなさいと、ありがとうと言った。


 彼女は光から離れ、左右に首を振った。

 光の手を取り、手の平に何かを書いた。

 光は、声を上げて泣いた。

 獣のような雄叫びを上げて、光は、彼女に何度も何度も贖罪の言葉を掛け続けた。


 彼女の身体が淡く光を放ち、脚から、手から、さらさらと空気に溶けるように消えていく。

 俺たちは両手を合わせて、彼女を見送った。


 光に、彼女は最後何を書いたのか聞いた。

 光は鼻をずるずるとすすり上げながら、嗚咽混じりに息も絶え絶え、言った。



『あなたは わたしの ひかり』

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

わたしのひかり 南雲 皋 @nagumo-satsuki

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ