おもい

清瀬 六朗

おもい

 夜が明けてきていた。

 窓にはもう暖かい色が映えている。部屋のなかも明るくなり、その明るさにグラデーションがかかっていた。勉強机、衣裳戸棚、衣裳掛けに掛けたコート、本棚に置いたもの一つひとつまでやわらかに照らされている。

 佳寿子かずこはひとりでに身を起こした。

 いつもはすぐに身を起こすなんてことはない。できるかぎりふとんのなかでぬくぬくしている。

 でも、今日は、寝ている場所がきゅうくつで、いつもと場所が違うと感じたのだ。

 そうだ。

 昨日、同い年の従姉妹いとこで、子どものころから仲よくしている卯多うたがお泊まりで遊びに来たのだった。

 いつもは一人で寝る場所に、二人分のふとんを敷いて隣り合わせに寝ていた。だから窮屈だったんだ。

 卯多はどうしているだろう?

 すぐ隣に敷いた卯多のふとんを見る。

 息をのんだ。

 顔をそむける。

 すぐにどうして顔をそむけるんだろうと思う。それで、もういちど、そちらに顔を戻す。

 でもやっぱり、こわごわと。

 卯多はふりふりのついた黄色のパジャマを胸の下まではだけていた。

 掛けていたふとんも毛布も蹴って、足のほうに押しやっている。腰の線にようやく毛布だけが引っかかっていた。両手とも、乱闘したあとのように頭の横に投げ出している。

 そういえば、小学校のときにいっしょに旅行に行ったときも、卯多の寝相はこんなのだった。

 いまも子どもっぽいところを残している。それがうらやましい。

 「しようがないな」

 小さく言って、毛布だけでも掛けてやろうと手を伸ばした。

 ふと、その手が止まる。

 ……見えない……。

 シーツと同じ色だけが広がっている。

 そのどこに毛布を掛けてやればいいのだろう?

 シーツの上で卯多は溶けてしまった……。

 いや。

 しばらく見ていると、シーツの色と見分けがつかないところに卯多のほっそりしたおなかがゆっくりと浮かび上がってきた。

 それは、たぶん卯多の一夜の大暴れでくしゃくしゃにされたシーツの上になめらかに横たわっていた。

 つやつやと、そして、清らかに、なめらかに曲線を描いて。

 卯多の息に合わせて、規則正しく、そのほっそりしたおなかが上下している。

 そのおなかの線を胸のほうまでたどり、それが脱げかけたパジャマの下に消えるところまで追ったとき……。

 いきなり、佳寿子の胸の脇から首の下へと、得体の知れない気もちの悪さが沸き上がってきた。

 いや、けっして気もち悪いんじゃない。熱いっていうんだろうか。運動して熱いときの熱さとはまた違うようだけど。

 その感じは胸の全体を包みこんでしまった。息をする音も心臓が打つ音も、その感じで満たされた胸のなかで響く。夏、プールの中で声を出したときのようだ。くぐもって、大きい音になって、自分の耳に届く。

 佳寿子は、もういちど、卯多のおなかに手を伸ばそうとした。

 届かなかった。

 指を伸ばす。すぐそこなのに。すぐに触れられる場所なのに。

 でも、そこまで手と指を伸ばしても、もし卯多の肌にタッチできなかったら……。

 できなかったら、どうすればいい?

 すぐ近くなのに、それは別の場所だ。

 その別の場所で、触れたい卯多のおなかは、その息に合わせて、いまもしなやかに上下している。

 熱さに包まれた自分の胸は、その卯多の息に合わせて、上がったり下がったりを繰り返そうとしている。そうすることで、卯多の胸と、自分の胸が溶け合わさり、一つになって、それは胸だけでは終わらずに……。

 でも、できない。

 卯多の息に、佳寿子の息が合わない。自然に繰り返される卯多の息と、それに追いつこうとする自分の息のペースが、一致しない。

 こんなのははじめてだ。

 卯多と佳寿子で息のペースが一致しなかったことはこれまでも無数にあった。でも、息のペースが合わないのがこんなにもどかしいなんて。

 すぐ横にいるのに、とても遠い。

 とても遠いのに、一つになりたいと感じている。

 近さ遠さがぐちゃぐちゃになったようなのに、いつもどおりのはずの佳寿子の部屋は、四角くてとてもよく整頓されているように見えた。

 佳寿子はようやく自分の体を動かした。卯多から遠ざかるのなら動けた。それで、わざとおしりを自分のふとんにどんと下ろして、ゆっくりとまた横になる。

 掛けぶとんと毛布を引っ張り上げ、きれいに肩を下ろし、髪も整え、枕に頭を沈める。

 毛布の下で、両手を自分のおなかの上に組んだ。

 ゆっくりと、深く息をしてみる。

 胸にいっぱいになっていたあの「熱さ」は、爪先や手の指の先まで拡がって、穏やかなぬくもりに変わっていく。

 心地のよいぬくもりに。

 ここでひと眠りすれば。

 目覚めたときには、卯多と佳寿子は、また、あの小学生のときと同じようなおてんばな二人に戻っているだろう。

 でも、いまのこの感じを、さっきまで満ちていた胸の熱さを、忘れることはできない。

 そして、それはとても心地のよいことだと、佳寿子はぼんやりと思った。

(おわり)

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おもい 清瀬 六朗 @r_kiyose

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