最終話 試練の卒業検定
決戦の日の朝にはすっぱいものがよく似合う。卒業検定を迎えた朝、俺はCCレモンを飲んでから家を出た。愛用の時計、ジョルジオロッシを身につける。教習所へ向かう途中、かつやでカツ丼を食べる。
敵に勝つ! ゲンかつぎって奴だ。
世間ではもう学校が始まっている。山手線に乗って教習所へ向かう道中、可愛らしい女子高生の集団が大塚駅から乗り込んできた。イスに座っている俺の目の前で横顔でも美少女と分かる女子高生がお尻をフリフリしている。う~ん。朝からついているのかいないのか、よくわからない展開だ。とっ電車にブレーキがかかり、女子高生の膝裏がボクの膝小僧に当たってしまった。
「キャッ。あっ・・・ごめんなさい」
可愛い女子高生は振りかえり、俺にお辞儀をする。
ああ、今日が卒業検定じゃなかったら、こんなに幸せな朝は無いのになあ。この後に控える死闘が気になって素直にガッツポーズできない。
駅に着き、教習所へと向かう。寂れた商店街はまるで西部劇の崩れかけた店先のようだ。ここに、もやもやさまぁ~ず、が来てくれたらいいのになぁ。ふとそんなことを考えている俺の心にはまだ余裕があるのだろうか。
MPプレーヤーからは、丁度レッチリのByTheWayが流れていた。
はっきり言ってこの曲はとても教習の前に聴いてよい代物ではない。
PVなんて映画のTAXIさながらだし。
でもテンションはあがってきた。
最後の戦い。いざ参る!!
御免と心の暖簾をくぐりながら教習所に入った。
相変わらず待合室は整然としている。
教習生もまばらだし、誰もしゃべっていない。
約一名、PCでようつべ鑑賞をしている若者がいるが、まあ人間にもいろいろいるという事だな。
受付に必要書類を渡し、検定室へと足を運ぶ。
部屋に入った瞬間、やられた! と思った。
すでに3人、微妙な間隔を開けて座っていたのだ。
しかも全員テーブルに地図を置いている。
正直なところ、自分が一番乗りだと思っていた。
きっとココにいる奴らはみんな羊をしこたま数えていたに違いない。
周りをけん制しつつ適当な席に座り、さっそく教本と地図を出そうとした。
・・・・・教習で使用していた地図を出そうとしていたのだが、見当たらない。
嫌な予感がした。
昨日、明日のルートシュミュレーションのために部屋で広げていたのを思い出した。多分今の自分の部屋においてあるはずだ。
ここにきて忘れ物をするとは、なんという不覚。
波乱の予感がする。波乱の予感がする。
それからどれだけの時間が経過したのかはわからない。
検定員が部屋に入ってきて、ようやくスタートを実感したというのが正直なところだ。
現れた検定員はAT担当だと俺たちに告げる。
彼はシュミュレーターのときにお世話になった人だ。
俺が事故を起こしたときにギャハハと声を上げて笑っていた、とても素敵なお方だ。
こうして始まった卒業検定。
テーブルに置かれたファイルには地図も入っていたのでなんとか助かった。
内容は、一般課題走行、特別課題走行、方向転換。
方向転換が来たときには正直ガッツポーズをした。
前日のみきわめでも散々やった。上手くやれる自信はあった。
特別課題コースも、指導員が言っていた通り、おおよそこれまでの自主経路で走った道と同じであった。
ただ、走ってから随分時がたつルートだったので困った。
検定員の話を聴きつつ、コース表を見ながらそのときの自分の運転を思い返していた。
渡された地図には透明のシートがかぶさっていて、その上から赤いマーカーで走るルートを塗りつぶすように指示されるのでその通りにする。
それからAT車担当の検定員さんが独り言と称していろいろとアドバイスをしてくれたのでそれを聞く。しかしすでに緊張のあまり耳に入っていても頭には入っていない状態だった。ファイルの中の採点表をまじまじと眺めてみる。検定員の印鑑が押してあるので確認。見覚えのある名前だなと思う。その瞬間、今は亡き火曜サスペンス劇場の例の音楽が大音量で脳内に流れた。
・・・なんと、一徹さんだ・・・。
前回のみきわめの頑固親父といい、なんという展開。
よりによって検定員が一徹さんだなんて・・こいつはタフな戦いになりそうだぜ。
採点表と地図が入ったファイルを持って所内コース前の待合室へと降りる。
そこには足を組んで外の景色を眺めたそがれている一徹さんの姿があった。
まっまさか、まさかてめえ・・いや、あなたが検定員の資格をお持ちだとは思いませんでしたよ、オホホ。
MT車の検定を受けるのは2名。
もう一人は俺よりも明らかに10歳以上は年上に見えた。まあ、皆まで言うまい。人生にはいろいろあるのだから。
早速検定車に乗り込む。どうやら俺がトップバッターらしい。
話し合いでも高速教習の時のようにジャンケンでもなく、検定員からの指示であった。
またか。
またトップバッターか!!!
仮免の時もそうだったが、トップバッターというのは本当に精神的にキツイものだ。
まずなんといっても車を所内から車道に出すところから始めないといけない。
精神的アドバンテージが全然違うんだよド畜生。
っと思ったら一般課題走行までは一徹さんが運転してくれた。
これは意外。前言撤回、やっぱり一番バッターにかぎるね。
とか何とか言ってるうちに、運命の検定がスタート。
序盤、俺は緊張しつつも落ち着いて運転する事が出来ていた。
自主経路のスタート地点まではそれほど道路も込んでいなかったし、信号の無い横断歩道も歩行者がいなかったのでスイスイ通る事が出来た。
自主経路スタート地点までは、全く問題なく到着。
そして運命の自主経路。
卒業検定その2、特別課題走行
ここから本当の検定スタートだ。
自分の走るコースでネックとなっていたのは、やはり交差点をすぐ曲がった先にある国道だ。
ここは60キロ、50キロ、40キロと段階的に速度制限がなされていく教習生泣かせの地点だ。
しかもどの地点から速度制限がかかるのか初心者には分かりづらい。
前に走ったときはたしか頭がグチャグチャになっちまったはずだ。
信号もセパレートだし、3車線だし。カーブも多い。
よりによって卒業検定でこの道を走る事になるとは思っていなかったから俺は困っていた。全検定コースの中でも最難関だと思われる。
なんでこう俺の行く手には困難ばかり立ちはだかるのか。
そういう人生なのか。
でも、負けるつもりは、もう無いんだ!
ここまで来たんだ。必ず合格してみせる。
くじけそうな気持ちと不安を前向きな気持ちで押しつぶしてから、僕は颯爽とギアをサードまで入れて速度をグングン上げていった。
まずは無難に交差点を左折。
そして真ん中の車線を狙って大通りへと入る。
時速60キロまで速度を上げる。
以前指導員から聞いた減速地点の目安、消防署を通り過ぎる。
ここから先が50キロ・・・。時速50キロの場合、45~55キロの間で走れば検定上は合格となる。
あとは40キロ地点を見極めるだけ・・。
必死に視線を動かし速度標示を確認するが、・・・そんなものは見当たらない。いや、どこかにあるのかもしれない。俺が見落としているだけだと思うのだが、何処にあるのかわからない。しかし、そろそろ次の左折地点に近づいてきたので速度を落とそうと思った瞬間、検定員が俺に言葉をかけてきた。
「速度速いよ。ここ40キロ道路だよ・・」
そのとき、俺の脳裏では聖女たちのララバイのイントロが流れ始めていた。
速度オーバーは確か程度にもよるが-10点だか、-15点だか・・・・・・。
しかし、ここで動揺してはいけない。まだ検定は続いている。
話は突然変わるが、俺はアクションゲームが得意だ。
そんなアクションゲームにとってもっとも大事な事。
それは平常心。
たとえ残りライフが1になっても落ち着いて敵の行動を予測し、的確に攻撃を当てていく。もう駄目だ、と思うか、このままこの行動・攻撃を繰り返していれば勝てると思い続けられるか。こういうときは心を強く保つ者が勝つ。たとえ駄目だという思いが頭をよぎってしまっても、その戦いの中で、次なる戦いのために、少しでも相手の情報を仕入れようとする頭の切り替えの速さも重要だ。あとは同じ事を苦にせず繰り返せる忍耐力。
この三つがあればどんなアクションゲームもクリアできる。
数々の難関ゲームを攻略してきた俺が言うのだから間違いない。
心の強さ。
頭の切り替え。
忍耐力。
この三つは別にゲームに限らず車の運転、他様々なことに当てはまるのではないかと俺は個人的に思っている。
この時点で、僕の心は赤みがかった黄色って感じであったろう。だが、そのときの僕は自分でも怖いぐらい、正常心を保ち続けていた。
国道を左折し、今度は40キロ制限道路に入る。信号の無い横断歩道がある4車線の素敵な大通りだ。今まで教習中、何度この通りに泣かされてきた事か・・。
だがしかし、もう泣くわけにはいかない。
歩行者に注意しつつ、難なく通過。
そして右折して、ゴールに到着。
エンジンを切り、卒業検定特有の所作を済ませてから車を降りたところで、路上での検定終了。
とりあえず、一発アウトになるような致命的なミスはなかった。
だが検定中にもっともやってはいけないことTOP3に入る速度超過をやらかしてしまったのは事実だ。これで大幅に点を減らされたことは間違いない。しかし、俺の計算では、次の方向転換ミスしなければ確実に合格できるという自信があった。もう一人の検定コースが俺よりずっと楽だったのが多少腹立たしかった。
二人目の検定も終り、検定員の運転で教習所まで帰還する。
とりあえず、次の方向転換でミスさえしなければ・・・いける!
卒業検定その3、方向転換。
続く方向転換も、当然俺が最初だった。
トップバッターというのは本当に嫌なものだ。
後から行う人は前の人の運転を見て軌道修正できる。
でもトップバッターの俺にはそれができない。
逃げたい。本当に緊張と不安で逃げたい。心が痛い。
そんな気持ちを必死に抑えつつ、方向転換に挑む。方向転換はかなりうまく出来る。みきわめでも全く問題ないと言われた。大丈夫、自分を信じろ。心を強く持て。仮にミスしたとしても、頭を直ぐに切り替えろ。大事なのは平常心だ。
気持ちを集中させて早速方向転換コースへ入る。
入り口に入ったところで一時停止し、検定員の今から検定を始めます、という声を合図にスタート。
いつもの感じで、まず、寄せは成功。しかし、車半分前に出すところで
少し前に出すぎてしまったような感じがした。少しバックしようかとも思ったが、問題ないだろうとそのままハンドルを一回転させて車を斜めにし、さらに前進。もうちょっといけるかとも思ったが、これぐらいでいいだろうという地点で停止し、バックを始める。
バックし始めてから、すぐに失敗したと気付いた。
車の右後輪がコーナーに寄るどころか、どんどん離れていくのだ。
しまった!!
自分はバックする前に、車を前に出す前に、行わなければいけない作業を一つ忘れていた。
車を寄せたらハンドル一個分ぐらい回して車 に角度をつける。垂直のまま前に車を出してバックしても仕方がないじゃないか。なんという凡ミス。教習車は、名誉挽回とばかりのハンドル操作で一応入った。当然の事ながら車が左に寄り過ぎていて出られない・・・。
「このまま出ますか?」
「切り替えさせて下さい」
まだ失敗はしていない。俺は強気だった。
要するに入って出られればいいんだから。ただそれだけのことなのだから。こういう土壇場に追い詰められたときの俺は強い。
しかし必死に切り返し、再度入れなおすも、バック時にハンドルを真っ直ぐにするのを忘れ、前よりも酷い状態になってしまった。さすがに何回も切り返すとマイナスになっていく。
検定中止。
俺の脳裏に今もっとも見たくない四文字が一瞬浮かんだ。
「どうする? もう出る? 出られればそれでいいんだからね」
俺は悩んだ末に「じゃあ出ます」と告げて、車を発進させた。
もう頭の中は悔しさで一杯だった。
なんで見極めでは問題なくできたのに、
なんでこんな
大事なときに失敗するんだ!
そんな思いを心の奥底にぐっと押し込めて慎重に、慎重にクランクの要領で曲がっていく。
ガコッと音がした。車の右前輪が脱輪したのだ。瞬間、僕は思わず天を仰いでしまった。
だがしかし、まだ検定中止にはなっていない。
検定員が検定中止というまでは終わりじゃない。
あきらめるな!! まだ勝負はついてない。
ここで立て直して、キチンと抜けだせればまだ望みはある。
俺は瞬時に頭を切り替えて、これまで身につけてきた力と勇気と知恵と教習所生活で得た全ての技術を駆使して、なんとかギリギリ擦らずに方向転換コースを抜け出す事ができた。
検定終了。
だが路上での速度超過と方向転換での、
まさかの脱輪。初めての脱輪!これが本当に痛かった。方向転換だけは指導員もお墨付きなぐらい完璧だったのに。それさえなければガッツポーズもできてたんだろうが・・・。
検定車から降りて、結果発表の教室へと向かう途中、ピーチと会う。軽く挨拶をして通りすぎようとしたら、俺の地図がみきわめ時に乗車したMT車内に置いてあったと教えてくれた。やはり、車の中においてきてしまっていたのか・・。
俺は急いで該当する車を探したが、見つからない。まだ帰ってきていないようだ。
ひょっとしたら、俺がまだ教習所で学ぶ必要がある、という警告かもしれない。結果発表が終わったら、もう一度探しにこようと思いつつ、いよいよ俺は運命の検定室へと向かった。
AT組2人とMT車の相方はすでに座っていた。
MT車の方はかなり機嫌が良さそうだ。
まあ、この人は合格だろう。
後ろで乗ってても全く問題を感じなかったし。2度目だし、おめでとう。
一方の俺は・・・正直際どい・・。いや、こいつは落ちたかもわからんね。一応不合格の発表を受けても平静を装えるように心の準備だけはしておくことにした。
時間が立つほど、どんどん不安になっていく。検定員二人が入ってきたときには、もう次に来る日の事を考えていた。検定期限はまだある。大丈夫。卒業はできるはず。
早速星一徹風の検定員さんが俺ともう一人の前に立つ。
緊張の一瞬。
「じゃあまず結論から言うよ」
心臓が一気に高鳴る。ああ、神よ・・・!!
「段さん・・・・・・合格」
まっマジですかっ!!
俺は大きく口をあけて驚いたが、すぐにへなへなと脱力状態になって俯いてしまった。
「まあ、ギリギリだったけどね」
やっぱり、な。
検定員さんには、やはり速度超過の部分と、
方向転換の失敗、脱輪を指摘された。やはりこの三つはかなり大きなマイナスポイントだったらしい。
しかし、最後に一徹さんは笑顔で「でも、大分上手くなったよ。上手くなった、うん」
と俺に言ってくれた。その目はまるで子供の成長を喜ぶ父親のようだった。
そういえば、この指導員さんは、第一段階のみきわめのどん底から第二段階の多くを指導してもらったんだったな。結局一番同乗回数多かったし。俺の成長を一番隣で見て感じてくれていたんだろうな。そう思うと、俺は本当に感謝の気持ちで一杯になった。そして、ありがとうございます、とすぐに返事をした。
一番厳しかった指導員は間違いなくこの人だ。
大人になってからこんなにも人を憎む事ってあるんだって思った。
でも思い起こせば、一番俺を褒めてくれたのもこの人だと気づいた。
彼の厳しさがなければ、俺はもっと駄目な運転をするようになっていたはずだ。
この指導員さんに散々言われたおかげで、俺は視野も広くなったし歩行者にも敏感に反応するようになった。
本当に、本当に、ありがとうございました・・・。
そして卒業証明書の交付。
これを持っていよいよ免許試験場での学科試験へと向かうことになる。
そして後日無事に学科試験を通過し、免許証は無事交付された。
30代に差し掛かってのMT免許取得は本当に大変だった。
物覚えが悪い俺は、何度も諦めそうになったし、AT限定にも散々誘惑された。
でもどうせ取るならMT免許と決めたからには頑張ろう。
最後までやり遂げよう。
そう自らを奮い立たせて、無事に卒業を迎える事ができた。
こうして、俺の挑戦は終わった。
いや、まだ終わっていない。
どうせならゴールド免許を目指したい。
優良ドライバーになりたい。
俺の本当の挑戦は、ここからがスタートなんだ。
これからも沢山の困難が俺には待ち受けているだろう。
でも頑張る人は美しいし、何かに挑戦することは素晴らしい。
これからも俺は挑戦する心を忘れないように生きていこうと思う。
無事に免許を取得した俺は、親父から車を借り、莉来をドライブに連れて行った。
「ねえ段君、こっちむいて」
運転中に彼女がそういうもんだから、少しだけチラ見すると、なんと彼女が俺にキスしてきた。
「ご褒美、だよ」
今夜は眠れそうにないな。
派生元作品はこちら
https://kakuyomu.jp/works/1177354054890338560/episodes/1177354054890338592
33歳で自動車免許取りに行きます。何か問題でも? 伊可乃万 @arete3589
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