落チル

「あ、えーと……」


 糺が言い淀む。

 店員さんが困った表情で慌てている。


「えっとですね、うちは骨董品も扱っておりまして、それは模造刀で……」

「栞、いいよ。ボクからちゃんと話す。でも一匹逃げた。そいつが先だ」


「何の……話? 一匹って……何が逃げたの?」


「詳しく説明できない。逃げたのは『虫』」

「虫? 虫相手に刀?」

 殺虫剤じゃなくて?

「ただの『虫』じゃない。悪い方のが逃げた。栞、彼女を頼む」

「分かったわ。こっちに来て」

 緊迫した雰囲気の中、店員さんに店の奥へと促され、私は糺を振り返った。


 刀を構える糺の姿は手慣れた感じがして、映画やなんかで見るような感じじゃなくてとても実践的なものに見えた。


 糺のバイトって……何?


「さ、早く。ここは危険だから」

 言いかけた店員さんの視線が足元に落ち、短い悲鳴が上がる。

 つられて私も足元へ視線を落とす。

 が、その瞬間、何かに吸い込まれるような感覚に襲われた。


「ここは……どこ?」


 ぺたん、と真っ白な世界に座り込んでいた。

 地面の感触はコンクリートの床みたいなのに、とても高い所から落ちた気がしたけどどこも全然痛くなかった。


 辺りは本当に真っ白で、床も天井も何もかもが白い空間で、だから自分が座っているのか浮いているのか不思議な感覚に陥った。

 この場所が広いのか狭いのかも分からない。


「なんなの……?」


 呟く声がすぐに消える。

 喋った声が何かに食べられるみたいな不思議な感覚。


 周囲を見渡す。

 今自分がどこを向いているのか分からない。

 歩き出そうとするけど、進んでいるのか同じ場所のままなのかも分からない。

 だって本当に真っ白なんだもん。


 これは夢?

 そうだ、夢だ。

 だって私、本屋にいた。

 それも夢?

 きっと夢。

 絶対、夢。

 だって、こんなの現実的じゃない。

 全然現実的じゃないよ。


 その場に座り込みたい気持ちになったけど、ふと何かの気配を感じて振り返った。

 振り返って後悔した。


 巨大なカブトムシの幼虫みたいなのがいた。

 糺が言ってた『虫』ってこれなの?

 確かにこんな『虫』に殺虫剤は効かない気がした。

 刀で正解だ。


 悲鳴を上げる。

 でも、すぐに何かに食べられるみたいに消えていく。

 逃げなきゃって思うのに足が竦んで動けなくて、もうダメだって頭抱えて座り込んだ。


「見つけた」


 その声は消えることなくはっきりと私の耳に届いた。


 それからヒュッ、と風を斬り裂く音がして大きなものがドサッと崩れ落ちる音がした。


 ゆっくり顔を上げると、糺が背中を向けて立ってた。


 足元にはさっきの『虫』が真っ二つになって転がってた。

 黒い墨のような血? 体液? を撒き散らして。

 糺の持つ刀も黒くなってた。


「立てる?」


 振り返った糺はとても困った顔をしていて、差し出された手に私は思わず泣き出した。

 子供みたいにわんわん泣いた。

 糺はそんな私を優しく包み込んで頭を撫でてくれた。

 私が落ち着くまで、ずっと。


「ごめんね。ちゃんと説明するから」


 ようやく泣き止むと、なんだかちょっと恥ずかしくなった。

 高校生にもなって友達の胸でわんわん泣くなんて。


 でも糺は笑ったりせず、すまなさそうにそう言って全部話してくれた。


 糺の『バイト』の話を。

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