エピローグ

エピローグ 




 己の願いを叶えようと、理想へ向かって突き進む。

 人々はいつもそうやって頑張って、誰かの願いを踏みにじっていく。


 それは、かつて先生が教えてくれたもので、自身の経験を持って痛感したことだ。今でも、その考えが変わっていない。これからもきっとそうだろう。

 すでに究明した真理は、いかなる反論を受けようと、解明済みの問題である故に変えられることはない。

 だが、妥協することはあるようだ。

「こんなところか」

 と、ここ数日の出来事を日記にまとめて記し、日記帳を閉じる。

 あの日、未開発区域で根岸が計画の失敗を悟り、少なくとも二人は道連れにすると覚悟した。事前に仕込んだ爆弾を起動して、建設途中の建物ごと工事現場を爆発したのだ。

 神谷が風の障壁を作って爆炎と爆風を防いだおかげで、二人は怪我せずに済んだのだが、根岸がそうはいかなかった。

 最初から失敗するときのことを考えていたのか、自分の体にも爆弾を仕掛けたのだ。玉砕覚悟というやつだ。

 冬戸が爆発寸前で、その拘束を振り解いていなかったら、今頃重傷か、すでに死んでいてもおかしくないだろう。

 やり方は過激だとしても、正義の味方、ヒーローになりたいという根岸の願いは、もともとはもっと子供っぽくて、きれいな願いのはずなのに。

(………もうこれ以上、同じ悲劇を起こさせないためにも)

 根岸が成功しかけたインスラでの大量虐殺、それと、冬戸が六年前に起こしてしまった黒曜事件。このような悲劇を未然に防ぐのは自分の責任だと、今度の事件で改めて思った。

 願いを叶える行動は他人の願いを踏みにじる。それと同じように、幸せにすることもできる。

 きっと、先生が本当に伝えたかったのは、願いが他人を傷つけることではなく、他人を幸せにできる力を持っていることだろう。それを、妹の神谷が思い出させてくれた。

 なら、いつまでも立ち止まってはいけないだろう。

 根岸の一件が終わったとしても、その原因となるものも終わったわけじゃないのだ。それこそ根岸の言ったように、第二第三の棺運びは必ず現れる。

 それに、かつて第一次AF戦争で使われていた道化師の傀儡を、根岸はどこでそれほどの数を手に入れたのもまだ謎だ。

 一応、人造鋳装や爆弾、棺運びをインスラに輸入してきたのは、前々から根岸と共謀していた建材会社という調査結果が出たが、たかが建材会社が人造鋳装の製作なんてできるわけがない。

 まだ黒幕があるだろう。それも第一次AF戦争か、黒曜事件が生み出した悲しみや憎しみを六年間持ち続け、それを糧にして成長してきた途方なき悪意に違いない。

 根岸が死んだ今では、これ以上の情報は手に入れられなくなったのだが、情報の収集も含めて、自分と神谷の仕事だ。

 そのためなら、鋳装を鍛造せざるを得ない状況に陥ることもあるだろう。そうすれば、残り僅かの姉さんの記憶も、消えてなくなる。これを知った上でやると決めるのは、初めて出会ったとき神谷が言った、記憶より大事なことがある、ということかもしれない。

「………ふぅ」

 小さく息をついて、日記帳を本棚に戻す。

 最新の日記帳から離れた指先が本棚の前から離れ、重力に従い下ろされる。……と思ったら、なぜか自分でも分からないが、指が空中で少し止まり、また本棚に伸ばされていく。指先が、自然と一番最初の日記帳に触れる。

 それを取り出して懐かしい気分でページをめくり、文字を目で追っていく。

 姉さんに言われて仕方なく書き始めた日記。あのときは、忘れてもかまわないなんて言っていたらしいが、正直、今は忘れ去った時間を文字で記しておいてよかったと思う。

「……ん?」

 ふと、最後のページを読み終わった視線が、裏表紙の内側に移る。なんだか……少し、違和感を覚える。

 冬戸の日記帳は同じものを使ってきたのだから、裏表紙の内側も日記帳を使い切ったたびに何度も見てきた。けど、この一冊だけがなぜか、少し違う気がする。

 古すぎるだけという可能性もあるのだが、それでも、確かめようと指先でなぞる。すると、紙が少し剥けたのが分かった。

 経年劣化ではない破け方。明らかに誰かに刃物で切られたものだ。繊細で丁寧な手付きで、厚めの裏表紙を切り、紙一枚の蓋がついているようにしている。

 疑問に思いながら蓋となった紙をめくると、中から一枚の紙が落ちてきた。六年の年月を経て、黄ばんだ……一通の手紙。

 ………姉さんの、筆跡だ。


『大事な私の弟くんへ:


 冬戸が、私をここから連れ出してくれた約束をしたから、この手紙を書こうと思ったの!

 バレたら怖いから、こそこそ書いたんだ。ほかの子も皆知らないし、この手紙は、私たち二人だけの秘密なんだよ。今は、私一人の秘密だけどね。

 正直、皆を置いていくのはちょっと悲しい。でも、皆は昔と違って変わってしまった。仲良くしたい。でも、一緒に逃げようと言ったら、賛成してくれなさそう。だから、悲しくても、私は冬戸と二人でここを出るの。それに、実はというと、私、ちょっと嬉しいかもしれない。だって、これは冬戸が初めて、自分から約束してくれたことだもの。

 だから、私もお姉ちゃんとして、何かプレゼントをあげようと思う。でも、ここではそんなこともできないから、すごく悩んだ。いろいろ考えたらやはり最後はこれだ! と決めたんだ。

 プレゼントは、この時間を超える手紙だよ。覚えているかな。昔、冬戸が読み聞かせてくれた小説に出てきた、何年後の君に届ける手紙。これはその真似で、五年後の冬戸に届ける予定だよ。五年後は、私が二十歳に、冬戸が高校生になったときだからね。喜んでくれたら嬉しいな。どんな顔で読んでくれるのかな。

 あ、ついでに、当たってみよう。今の私と冬戸は、どんな生活をしているのかな。私、冬戸みたいにすごくないから、言い当てられないかもしれないけど、こう暮らしたいなと思うことはあるんだよ。冬戸と小さな家で暮らして、私が金を稼いで、冬戸が学校に通いながらもバイトして、毎日疲れるけど、とても幸せな日々を送っている。私はお姉ちゃんだから、毎日冬戸のお弁当を作ったり、冬戸の学校行事にも出たりするかな。そして、冬戸は高校生なのに、生意気なところは相変わらず。社会人のお姉ちゃんにいつもお説教をしている。でも、それは愛の裏返しだってことを、お姉ちゃんがちゃんと分かっている。そして、休みの日は、二人でどこかに遊びに行くこともある。夏は海で、冬は雪を見るね。孤児院のとき行った祭りにももう一度行きたい。秋は一緒に紅葉狩り、春はやっぱり桜! きっと、私と冬戸なら、どこでも幸せになれると思うの。だって、家族だもの!

 でも、私たちは使用者。考えたくはないけど、私、もしいなくなったら、冬戸はいっぱい悲しんでくれてね。悲しんで、涙流して、そして笑顔になるの。そして、私でいなくなった私を捨てないでほしいんだ。もう一度友達になって、家族になってくれると、すごく嬉しい。代わりに、冬戸が記憶を全部失って、お姉ちゃんのことを覚えていなくても、私は何度でも冬戸と友達となって、家族となって、楽しい思い出をいっぱいいっぱい作るの! それで、もしそれだけでも叶えなくて、もう会えなくなったら、一つだけ、わがままを聞いてほしい。

 冬戸は、ずっとずっと、幸せでいてね。

 辛いかもしれないけど、また大事な人を見つけて、願いを見つけて、ちゃんと、笑って生きていってほしい。わがままな願いだから、お姉ちゃんもお礼に一つ、秘密を教えてあげる。

 私はあのとき、あの声に答えた願いは、冬戸と一緒に幸せになることなんだよ。

 だから、私のためにも、その願いの半分を叶えてほしい。もし、何もかも嫌になったら、これだけ覚えておいて。お姉ちゃんが贈る魔法の言葉なんだから、きっと力になるんだ。

 ずっとずっと大好きだよ!

                                   凜華』


 いつの間にか、頬に一筋の涙が伝わっていた。あの苦しい生活の中、こんな手紙をこっそり書いてしまうなんて、律儀で、バカで、どこまでも姉さんらしい。

 胸のあたりに、温かくて、痛くて、優しくて、でもどこか寂しい感じがする。この数年の温度のない生活ですっかり冷めてしまった冬戸の生活を一気に温かくしてくれた、どこまでも優しい痛みだ。

 冬戸と一緒に幸せになる。

 そんなバカげた願いでAFプログラムの能力を獲得したなんて、今更ながら呆れた。だが、それは確実に、今の冬戸を幸せな気分にさせた。これが神谷が、先生が言った、人を幸せにさせる願いかもしれない。

「なにが……五年後の冬戸に届ける手紙なんだよ……。一年遅れたじゃねぇか……」

 手にした手紙を、体を丸めて胸元に抱き寄せる。

 なんというか、自分なんかにはもったいないぐらい、幸せな気分だ。

「先に進むよ、姉さん。あなたの分も一緒に。どこまでいけるかは分からないけど、今度は、ちゃんと……進むよ」

 温かい光に満ちる部屋の中で過去から届いた手紙を胸に、冬戸はこの数年無視してきた気持ちの氷が、手紙が届く温かさで一気に解けてしまい、涙となって流れてくるかのように、一人で泣き続けた。




「以上です」

 棺運び事件が過ぎて数日、ようやく調査が一段落ついた。それを中央部へ報告した神谷は、疲れた顔で警備部の扉を出てきた。疲れを飛ばそうと大きく伸びをすると、入口の傍で待っていてくれた冬戸が読んでいた日記帳を閉じて、制服の内ポケットにしまう。

「どうだった?」

「未開発区域の開発計画がやばいことになったらしいけど、それ以外は大体片付けたわ。建材会社も変えたし」

「そうか」

 相槌を打って、自然と肩を並べて歩いていく。

「でも、根岸が死んだだけで終わるわけじゃない。人造鋳装、そんなものがあるなんて……」

「ま、AFプログラムの能力、戦争の兵器にしては便利すぎるものだからな」

「そうかもしれないけど……。はぁ、いっか」

 ちょっと頬を膨らませてこちらを睨むように見上げてきたと思うと、ため息をついて、急に吹っ切れたような感じで声をこぼした。

「いっかって、お前にしてはずいぶんと適当だな」

「別に、もうやること決まったから、ぐちゃぐちゃ言ってもしょうがないでしょう」

「やること?」

「そう」

 ふと、神谷が両手を背に、冬戸の前に回り込むとくるとくるりと踵を返す。早朝の光を背に、冬戸の心を見透かすかのように、海色の目を向けてきた。

「人造鋳装はどこから来たのか、それを調査する任務を受けた。長期任務になるから、すぐ何かをするわけじゃないけど、そのための捜査を始めるの」

「………人造鋳装の調査。また唐突だな。お前にできるか。頭がいる仕事だぞ、これ」

「………あたしの頭に何の文句があるの?」

 半眼を作り、じーっと冬戸を睨む。

「いや別に。言っただろう、お前みたいな大バカしか世界を変えられないって」

 肩をすくめて、両手を上げ降参のポーズを取って見せると、神谷が呆れたかのようにぽかーんと口を開けたが、すぐくすっと笑い出す。

「褒めるならもっとストレートに言いなさいよね」

「そんな性格じゃないんで、悪いな」

「いいや、あたし、あんたのそういうとこ、結構好きかもだよ」

「そりゃどうも」

「そういえば」

 笑うのをどうにか押さえて、神谷は目尻に浮かんだ涙を拭って、犬歯を見せるようにいたずらっぽく笑った。同時に、その小さい手で指鉄砲を作って、銃口の指先を向けてきた。

「あんたも手伝うことになったわ。あんなすごい能力、使わないともったいないし」

「またそんな勝手な……」

「観念しなさい! これから、あんたはこのあたしの専属独立官になるのよ!」

 なんだかとびっきり嬉しそうな笑みを浮かべ、小学生じゃないかと思わせるほど無邪気な笑顔で、神谷がバンッと指鉄砲を撃った。指先に撃ち出された風が、拳代わりに軽く冬戸の胸元を叩く。痛くはないが、しっかりした感覚が残る。思わず顔を上げて神谷に目を向けると、追い討ちをかけるように、桜色の舌をぺっと出して見せた。


「これからよろしくね、冬戸」

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空気鍛造エアフォージング 白木九柊 @sakakishuusuke

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