人形のココロ

賢者テラ

短編

 備え付けの電話が鳴る。

 ……来たか。

「美由ちゃん、50分コースね。オプションで体操服B。10分で準備よろしく」

 ため息ひとつついて、衣装ケースから指定されたものを取り出し、身につける。



 私は、このファッションヘルスという種類の風俗店で働きだして、三ヶ月になる。

 名前は美由。もちろん源氏名だ。

 店では19とサバをよんでいるが、ホントは23。

 繁華街のド真ん中に、堂々とした店舗を構えて営業しているわけではない。

 受付はマンションの一室。広告を見て電話してきた客は、まずそこに来るように言われる。

 そして好みの子を決め、支払いを済ませてから、またさらにマンションの別の部屋へ行くように指示される。そこに、サービスを提供される風俗嬢がいるのだ。経営側で、部屋をいくつか押さえてあるというわけ。



 だから、今いるこのこぎれいなワンルームは、私の職場。

 客にリアリティを楽しんでもらうために、中は工夫していろいろと女の子の部屋っぽく装飾してある。

 今日は、次の客で三人目だ。

 よっしゃぁ、ガンバレ、ワタシ。

 頬を両手でピシッと叩いて、気合を入れる。

 チャイムが鳴ったので、営業スマイルに切り替え、ドアに駆け寄った。



 社会でお金を稼ぐということは、シンドイ。

 たまに「風俗嬢は自分のカラダが武器だから、抱かせておけば(フツーにバイトしたりOLしたりするより)結構な金額を手にできるんだから、若い女の子はいいよね~」って思ってる人がいる。客にも、「結構稼げるんでしょ?」と言ってくる心ないオヤジがいる。



 確かに、分不相応な現金を手にできるということは、否定しない。

 この仕事が続けられる限りは、一人でだって食って行ける。

 でも、やっぱりそのカネに見合ったものを犠牲にしてるんだと思う。

 全員じゃないとは思うよ。中には他人とのセックスが抵抗なく楽しめる、という人種もいるかもしれない。



 ……私は、客に抱かれる度に、何かを削り取られている。



 何をだ、と問われても、私のごとき学のない女には、うまく表現する術がない。

 だから、悪事や腐った特権以外の理由では、世の中労働に見合った代価しか受け取れないようにできているのだ。

 私らの給料が高いのは、「女を売る」ということのつらい・悲しくも高いその価値を提供しているから。

 ただ、それだけのこと。



 仕事と割り切らなければ、勤まらない。

 客のほとんどは、いい年したオヤジか、彼女のいないキモヲタ。

 だから接客中は、ずっとココロを無にしている。いわば私は、魂の宿ってないお人形さんみたいなもの。 

 相手は福沢諭吉かカボチャくらいに思ってるから、どんな顔してようが平気。 

 でも、仕事モードになってさえ唯一敵であり続けるのは、客の口臭と体臭。

 じっくりボディソープで客の体を丹念に洗う。

「美由ちゃん、丁寧だねぇ」とほめる客がいる。ごめんね、自分のためなんだ実は。心の中でぺろっと舌を出す。

 イソジンでうがいさせるが、これはそれ以上私にできることはない。

 付け焼刃のうがいは、年月の刻んだものには、さすがに勝てない。

 …頼むから、日々の歯磨きして、そんでもって歯肉炎を治してくれ。



 客に恋愛感情をもつなどは、かなりまれなケースなのではないだろうか。

 そこそこイケてる男なら、そもそも風俗になど来ない。

 こないだ、ひとり彼女の一人や二人いてもおかしくのない、ちょっとタイプのイケメン男が客でついた。

 話し上手でウィットに富んでいた。ますます彼のような人物がなぜ風俗に来るのか、不思議になったが、その謎はしばらくして解けた。

 彼は、イメージプレイをしたがったのだ。衣装を渡され、話の流れやセリフ、果てはオチまで決まっていて、彼のシナリオ通りに動かされた。ある程度なら、ワタシも仕事だから気乗りしてるフリして付き合うが、度を越したこだわりぶりにはウンザリした。なるほど、お金でも払わなければ彼なりに解消できないわけだ。

 私の気乗りしていないのがなんとなく伝わってしまったのか、それともイメージプレイのパートナーとしては彼の目に私は不合格だったのかー。その後、彼がリピーターとして来ることはなかった。

 きっと、彼は満足いく女の子を見つけるまで、風俗店を渡り歩くのであろう。



 とにかく、体を介したサービスをするというだけで、他はファーストフードの店員と大して変わらない。ハンバーガーじゃなくて提供するのは体だからその分高いけど、スマイルは0円。

 私のこの言葉に反発する風俗嬢は、きっと長くはココロがもたない人だ。

 逆に、私の方がすでにおかしいのだろうか。



 そんなある日のこと。

 変わった客が私についた。

 外見的には、特にこれといって変わったところはない。

 ブ男でもなければ、かといってイケメンでもない。いわゆるこれといって特徴のない、普通の男の人。年は多分、20代後半くらい。

 オジサンと肥えたオタクの客が連ちゃんで続いたので、意味もなく肩の力が抜けたのを覚えている。

 接客中にリラックスしたのは、初めてだ。

 やることは一通りフツーにやって帰っていった。

 会話も、はずんだっていうほどじゃないけど、それなりに楽しかった。

 AKB48のメンバー、何人まで言える?とかその程度だったと思うけど。



 一週間後も指名で、その男性はやって来た。

 今度は、前より少し長めのコースだった。

 私はこの時、仕事で性的サービスをしている最中に、はじめて「心を無」にしなかった。

 その辺の石ころやお人形さんとかわらない、魂の抜け殻になることで、自分を保っている世界があった。

 一体、何が私にそうさせたのか。一目で気に入るようなルックスだとか、話術が巧みだとか、そういうんではないな。おそらく「実直」な人柄なのだろう。言い方を変えると素朴、っていうのかな。

 「彼女はいない」って言ってた。バカにできない風俗嬢のカンにかけて、それはウソではないと思う。

 多分、彼は不器用、なんだよ。

 とってもいい人なのに、そこで損している。

 あなたのような人にもっと前に出会えていたら、よかったかも。

 彼に対する同情なのか、本来手にしたかった幸せの片鱗を彼に見出したかったのだろうか。組み敷かれ、唇を吸われながら、私はジブンを自覚していた。

 石には、人形にはなりきれなかった。



 全てが終わって、服をまとい帰りかけようとする彼と何気なく交わした会話。

 オススメの映画何かない?って聞いた。翌日が休みだったし、ビデオ借りる参考にしようと思ってね。

 彼が教えてくれたのは「ニューシネマ・パラダイス」。

 聞いたことないな。

 イタリア映画だってさ。感動するらしいけど、見るかどうか迷うなぁ。



 さっき見終わった。

 なるほど。

 確かに、イタリア映画らしい展開と内容だ。

 子役がカワイイ。


 ………………

 ………………


 プラスの意味で、この映画から感銘を受けたわけではない。

 しかし、何かが私の心をえぐった。

 かろうじて指先で崖につかまっているところを、足で踏まれた。

 私は、まっさかさまに海に転落したような、暗澹たる気分であった。

 というのも、映画のあるワンシーンが、頭から離れなかったのだ。



 恋に悩む主人公の青年に、映画の映写技師である友人が、あるおとぎ話を語る。



 昔むかし王様がパーティーを開いた

 国中の美しい貴婦人が集まった

 護衛の兵士が王女の通るのを見た

 王女が一番美しかった 兵士は恋におちた

 だが王女と兵士ではどうしようもない

 ある日 ついに兵士は王女に話しかけた

 王女なしでは生きていけぬと言った

 王女は彼の深い思いに驚いた

 そして言った



『100日の間 昼も夜も 私のバルコニーの下で待っていてくれたら、あなたのものになります』と

 兵士はすぐバルコニーの下に行った

 2日・・・10日 20日たった

 毎晩 王女は窓から見たが兵士は動かない

 雨の日も風の日も雪が降っても

 鳥が糞をし 蜂が刺しても

 兵士は動かなかった



 そして、90日がすぎた

 兵士はひからびてまっ白になった

 眼から涙が滴りおちた

 涙をおさえる力もなかった

 眠る気力さえなかった

 王女はずっと見守っていた



 99日目の夜……

 兵士は立ちあがった

 梯子を持ってどこかへ行ってしまった


 

 そのおとぎ話を聞き終えた青年は、尋ねた。

『何で、最後の日にやめちゃうの?あともう一日なのに?』

 映写技師は答えた。

『私も話を知っとるだけで、解釈は分からん。もしお前さんに分かったなら、教えてくれ』



 映画が進むにつれ、製作者がほのめかす「答え」のようなものが見え隠れしたがー

 私はいつの間にか、自分なりの答えをひねり出そうとしていた。

 そしてー



 答えが、出た。

 それと同時か遅れてか分からないが、眼がとらえている映像が切れた。

 テレビのスイッチをプチッ、と切ったみたいに、視界がゼロになった。

 私という存在が、頭のてっぺんからつま先まで、音を立てて崩壊する感じ。

 頭を殴られたような。脳味噌を全部入れ替えられたような。

 体中の細胞が逆転したような。

 頭が真っ白になった。

 私がどこの誰で、女で、23歳で、日本人で、風俗嬢で……

 そういうことを思い出すのに、30分ほどかかった。



 眠れなかった。

 妙に芯の冷えた頭の中で、グルグルと思考が堂々巡りをする。

 ヒトは生きるために、カネを稼ぐはずだ。

 もっと言えば、「幸せに」生きるために。

 もしくは、「誰か愛する人」のために。

 私は、ジブンを削ってオカネを稼いでいる。

 オカネを稼ぎながら、シアワセになるのとは逆走をしている。


 

 栓を抜いたバスタブに、いくらお湯をいれたところで、溜まるわけがない。

 そんなイメージを頭に思い描いた。

 自由な生活と少しの貯金と引き換えに、私が得たものは何だー。



 ※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※



 私は、風俗嬢をやめた。

 続けることはもはや不可能だった。

 私という人間の細胞の総入れ替えが起こったのが原因だ。

 もはや、以前と同じ見方で、この世界を見れなくなったから。

 決して、風俗嬢という職業そのものを否定するわけではない。もちろん、中にはそれが向いているというか、天職の子もいるだろう。それによって助かる男性もいるだろう。

 ただ、私には違ったというだけの話。



 今、あるデパ地下のケーキ売り場で働いている。

 収入はガタ落ちだが、でも、私は満足だ。

 ヒトは、どんな状態からでもやり直せるー。



 今でも時々思い出す。

 ついぞ名前も聞くことのなかった、2回体を重ねあったあの男性は、今一体どこでどうしているだろうか。急にやめたからなぁ。あの後店に来て、「私はもう在籍してない」 って言われて帰ったのかなぁ。

 あの人には、正直に生きた分の幸せをつかんでいて欲しいと願う。

 私は自分に素直に生きにくいこの世の不条理さを思い、その直後その思いを手放した。



 …実は、ヒトが幸せに生きるには、オカネは沢山はいらないんだね。

 その代わり、あるものがないと、オカネがいくらあってもしょうがないんだよねー



 親子連れがケーキを買いにきた。

 お母さんが男の子に、自分でお金を渡してごらん、という。

 男の子のちっちゃい手のひらに、折りたたまれた千円札。

 私はそれを受け取って、おつりの硬貨をにぎらせてあげた。

 よくできました。帰ってパパに報告だね。お釣りで落書き帳買っちゃだめ??

 仲良く会話しながら、親子連れは売り場を後にする。

「ありがとうございました」

 そう言いながら、私はお客様に頭を下げた。




 重力が、私の目に溜まったものを床へ落とした。

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人形のココロ 賢者テラ @eyeofgod

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