第2話 My job

 手元のカップには先ほど入れたミルクが渦を描き、くるくると回っている。そのまま眺めていると、褐色と乳白色は一つになり、もう幾何学的な渦巻き模様は見えなくなってしまった。カップを口元に運び、少し甘いコーヒーを一口飲む。

 店内には落ち着いたリズムの曲が流れ、客は他に一人もいない。黄ばんだ壁紙やくすんだカップ、日焼けしたポスターはこの店が歩んできた歴史を物語っている。

 煙草に火をつけ、三口吸ったところで、入り口のベルがからんと鳴り、目の前の席に白髪の男が着いた。男はだらしのないアロハを着て、趣味の悪いサングラスをしている。

「またそんなもの飲んでるのか。いい男はブラックで飲むものだぞ」

「……まだ半人前なんでね」

「ふん。まあいい、ヨハン、仕事の話だ」

 この男と会うときは決まってこの店だ。そして会うときは決まって”仕事”の話になる。俺がこの男に連れられてこの店に来てからもう十年が経つが、ここが彼の持つ店だと知ったのは最近のことだ。

「標的はこいつだ。この間の五人はどうやらトカゲの尻尾切りだったらしい。ジャンによく似た奴まで用意して、こちらを出し抜いたつもりのようだ。今回はこのジャンを、本人確認した上で、消してもらいたい」

「人数は」

 目の前の好々爺は不敵な笑みを浮かべる。この笑みも決まって悪いことの前触れになっている。俺はその表情を見た瞬間、伝票を持ち、立ち上がった。

「相手は多い。ざっと二十人は覚悟しておけ。この間のように楽勝には行かないだろう。何か必要なものがあるなら、準備しよう」

 俺は立ったまま逡巡し、頭を掻いた。

「催涙弾と、ガスマスク、それから、カービン銃を一つ」

「わかった。用意しよう」

 見知ったウェイターに声をかけ、勘定を済ます。赤いペンキがところどころ剥がれたドアを開け、店を出ようとすると背後から呼び止められた。

「ヨハン、お前いつからクリスチャンになったんだ」

 あの日から少女のロザリオを手首に巻いているのを、気づかれたようだ。わざわざ千切れていたのを直してまで着けている理由は、自分でも良くわかっていなかった。強いて言うなら、自分のルールを破ってしまったことを忘れないため、といったところか。

「別に信仰してるわけじゃない、セルゲイ」

 セルゲイはふん、と鼻を鳴らすと、期待している、と言った。


 銃身を分解し、くまなく清掃する。仮に弾詰まりでも起こされた日には、俺の頭に風穴が開くことになる。もっとも、今回の仕事ではメインの得物はライフルとカービン銃になるのだが、仕事前にはいつもしているように、拳銃の綿密なメンテナンスをしないと気が済まなかった。

 銃身のメンテナンスを終えると、再び組み直し、弾倉に一つずつ弾丸を込める。チェコ製のこの拳銃は十六発の装填が可能で、引き金は重い。撃つ、という確固たる信念を込めるようで、気に入っている。

 テーブルに乗せたランプを引き寄せると、手の中のそれは、鈍く光った。


 スコープ越しに歩哨の数を数える。表に二人、裏手に一人。一度顔をあげ、サイレンサーを締め直す。息を止め、立て続けに引き金を引くと、あっという間に三つの死体が転がった。そのまま様子を伺うが、室内には発射音が届いていないようで、誰も外には出てこない。

 ライフルはそのままに立ち上がり、あたりに誰もいないことを確認、建物に向かって歩き出す。

 未だ誰も気づいたそぶりのない平屋に到着すると、呼び鈴を押し、ナイフを握り直す。無防備に出てきたスキンヘッドの男の肋骨に沿って心臓を一突き、室内に催涙弾を投げ入れる、炸裂音を確認し、手にしたカービン銃の弾倉が空になるまで、あたりにぶちまける、新たなマガジンに替え、腰だめにもう一度掃射する。一旦外に出て、再び催涙弾を投げ込んでから室内の様子を確認すると、まだ微かに動いている者がおり、拳銃でとどめをさした。数を数えると、外の死体を含めて、十八人。

 下調べでは、ジャンは外出しており、後十分ほどで帰ってくるはずだ。その間に外の連中を中に入れるのと、まだ生き残りがいないか確認せねばならない。これだけの銃声がしておきながら、別室から誰も出てこないのを見ると、生き残りがいるとは考えづらいが、先に室内の点検を行うことにし、隣の部屋にも催涙弾を投げ込む。

 扉を蹴り開け、カービン銃を構えるが、動く物はない。こちらの部屋は寝床になっているようで、ベッドが数脚あるのみだった。まだ八時前なのもあり、誰も寝ていないようで、とりあえずは全員を始末したことになる。煙草を咥えながら、外の死体を室内に引き摺り込み、先ほど置いてきたライフルのところまで戻る。

 再び小高い丘に寝そべり、スコープを覗くと、赤いコルベットが戻ってくるのが見えた。ハンドルを握っているのがジャンで、後部座先に男が二人見える、と同時に後部座席の二人の頭に弾丸を叩き込む。

 突然血の花を咲かせた仲間に気づき、慌てて降りてきたジャンの膝を狙い撃つ、ジャンはその場に崩れ落ちる。

 ライフルを分解し、ケースにしまいこみ、肩に担ぐ。一旦車に戻り、ライフルとカービン銃をトランクに乗せ、ガスマスクも外す。腕時計の秒針が一周したのを確認し、ジャンの元に歩き出した。

「お前が、ジャンだな」

「なんだてめえ、こんなことしやがって!」

 お決まりのような派手なスポーツカーに乗る男は、セリフもまたお決まりのようで、あまつさえ懐から得物を取り出そうとしているが、それより早く肩を撃ち抜くと、大型の拳銃が転がり落ちた。大口径のリボルバーだ。どうしてこの手の奴らは無駄に大口径の拳銃を持ちたがるのか。不便な上に取り回しが悪く、馬鹿なんじゃないかと思う。

「クソッ! 何が望みだ!」

「お前を消すよう依頼されている。悪く思うな」

 そう言い残し、喚くジャンの胸に九ミリ弾を撃ち込む。男の目から生気が消えたのを確認し、いつもの番号を呼び出し、発信音を聞いていると、建物のドアが開くのを視界の端に捉えた。

 携帯電話を手にしたまま、振り返りざまに扉に向かって発砲する。動きの止まった扉に向かってもう一発撃つと、現在出られない旨を伝える自動アナウンスが流れた。

 通話を切り、扉に近づき、状況を確認する。念のため、もう一発撃つが、反応はない。そっと開くと、頭を抱えながらしゃがみこみ震えている少女がいた。

「あ、あなたは誰……?」

 大きなブルーの瞳はこぼれ落ちそうなほど見開かれ、俺の使った催涙弾の影響だろう、涙を流しながら咳き込んでいる。頰はこけ、鎖骨あたりまで伸びた金の髪はくすみ、ぼさぼさで、この少女もまた男たちの商品なのだとわかった。

「あたしも、殺すの?」

 咳が止まらないうちに絞り出すように続ける少女は、不安げな眼差しを俺に向けてくる。

「用があったのは、あそこの男だけだ。どこに隠れていた?」

「ベッドの下に……。あなた、殺し屋、なの?」

「ああ」

「外の人は?」

「みんな殺した」

 少女は視線を落とし、自分の左手を右手で握り、屹と顔をあげた。何かを決意したようで、その瞳にもう恐怖の色は見えない。

「あたしを連れて行って。朝になれば、こいつらの仲間がここにくる。あたしは、こんなところにいる場合じゃないの」

「お前さんの境遇は気の毒に思うが、俺の知ったことじゃない。まだ朝まで時間はあるから、どこへなりとも逃げられるだろう」

「逃げたところで、どうせすぐに見つかる。あたしにそこまで遠くに行く手段なんてないんだから。見つかれば最悪殺される」

 さっきまでの怯えた様子は何処へやら、俺に殺意がないとわかると随分と勝気なものだ。だが、言い分はもっともで、放っておけばまず間違いなくこの子は死ぬことになる。

「ねえ、どうせ拾った命、最後まで責任を持ってよ。あたしを、連れて行って」

「……今晩だけだ」

 朝になれば、どこか遠くの街の孤児院にでも連れて行こう、そう決心し、少女を車の助手席に乗せ、帰路に着いた。

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アゲラタムを飾って ゆゆゆ @sentiment_16g

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