アゲラタムを飾って

ゆゆゆ

第1話 Sultry night

 ひどく蒸し暑い夜だった。連日降り続いた雨がようやく止み、月が出ている。

 じっとりと額に浮かぶ汗を拭い、安全装置を外す。建物の見取り図を思い浮かべ、深呼吸をする。

 そっと腰を上げ、窓を覗き込むと、ソファに身を預ける痩せぎすな男が見える。手にはグラスを持ち、琥珀色の液体を眺めている。すぐそばのテーブルには拳銃が置かれているが、男に警戒した様子はない。

 割れたガラスの隙間から銃身を差し込み、慎重に狙いを定め、引き金を引く、控えめな拍手のような音とともに、弾丸が男の胸を貫く。まず一人。

 留め金を外し、窓を開けて室内に侵入すると、饐えたにおいが鼻腔を刺激する。絨毯には赤黒く変色した染みが付着し、この部屋で多くの血が流されたことが想像された。

 扉に耳を押し当て、隣の部屋の様子を窺うが、物音はしない。聞いていた情報では建物内に五人いるはずだが、先ほどの発砲で感づかれたのだろうか。サイレンサーを装着しているとはいえ、完全には無音にならない。

 音を立てないように古びた扉を開く。誰もいない。もう一度額の汗を拭い、一歩踏み出すと、背後で無線が鳴った。

「これから帰投する。収穫はなしだ、オーバー」

 どうやらいるはずのお仲間たちは外出していたらしい。異変に気づかれないよう、短く了解した、と返事をしておく。

 念のため、もう一つある部屋を確認しておく。こちらも物音はせず、人はいないようだが、警戒しながら薄く扉を開き、中を窺うと小さなランプが灯っている。人の姿は確認できず、やはりいまは誰もいないらしい。扉を完全に開き、最後の一室に入ると、壁際で何かが動いた。

「動くな」

 咄嗟に銃を向け、目をこらす。動いたのは薄汚い毛布のようだ。俺の言葉が届かなかったのか、もぞもぞと動き続けている。大きさから見るに、子供だろうか。奴らの商品だとしたら、俺がここにいることを知らされるかもしれない。

 毛布の端に手をかけ、一気にめくると、果たして中から現れたのはまだ小さな少女だった。どう見積もっても3、4歳にしか見えない彼女の双眸は焦点を結ばず、口はだらしなく開き、涎を垂らしながら何かをぶつぶつと呟いている。

「おい、しっかりしろ。俺の言葉がわかるか」

 無駄とわかっていながら声をかけるが、やはり意思のある返答はない。おそらく奴らに薬漬けにされ、自我を失ってしまっているのだろう。気の毒だが、こうなってしまっては元に戻る術はなく、一生夢を見ながら禁断症状に苛まれ続けることになる。

 哀れな少女が何かを握りしめていることに気づく。途中で千切れたロザリオのようだ。絶えず紡いでいるのは言葉にならない祈りだろうか。

 ぎゅっと奥歯を噛み締め、少女の頭に照準を合わせ、引き金を引いた。俺にはこうして解放してやることしか、できない。

 薄く開いたままの瞳を閉じてやり、再び毛布をかけ、部屋を後にする。

「すまない。あとで埋葬してやるから、少し待っててくれ」

 目を閉じ、短く息を吐き出す。気持ちを切り替えろ。仕事はまだ終わっていない。感傷に浸るのは全てが終わってからだ。


 残りの4人を始末するには、車から降りたところを一気に制圧する方がいい。隙を与えれば囲まれて不利な状況に追い込まれる。俺は一度入ってきた窓から外に出て、門のそばにしゃがみこんだ。

 それから少しして、車の音が聞こえた。門から顔を出さないように様子を窺うと、SUVから四人の男たちが降りてくるのが見えた。

 ぎりぎりまで引きつけて、門から躍り出る、一人を羽交い締めにしながらリズムよく引き金を引き、三人を絶命させる、すぐにナイフに持ち替え、羽交い締めにした男の首元に突きつけた。

「ここに電話をかけろ」

 番号を書いた紙を見せながら、携帯電話を渡す。まだ状況が飲み込めていない男に早くしろ、と更に締め付けると、何度も取り落としそうになりながら、やっとコールした。

「私だ。約束の期日はすぎているが、どうなった」

「あ、あんたか。こんなことしてタダで済むと--」

「次はないと忠告したはずだ。もういい、彼に代われ」

 何か抵抗の言葉を返そうとしたが、無駄だとわかったのか、大人しく男が俺に携帯電話を差し出してくる。それを受け取り、答える。

「ヤクの確認をして、殺せ」

 電話を切り、ナイフを男の首元に当てがいながら、建物に導く。ソファで死んでいる仲間の姿を見て、息を呑んだ様子だが、一度解放してやると、引き出しから白い粉の入ったビニール袋を取り出した。

「それで全部だ。他はもう売っちまったんだ、本当だ。もう今後はあんたらのシマで勝手なことはしねえ! だから、見逃してくれ!」

 それを受け取り、持ってきたバッグに詰め込む。そのままの体勢で顔をあげ、男の胸に向かって二発叩き込んだ。携帯電話を取り出し、同じ番号にかけ、遂行した旨伝えると、金はいつもの口座に振り込んでおく、と返答があった。

 煙草に火をつける。煙を深く吸い込み、また深く吐き出しながら、室内を見渡す。何か土を掘るのに役立ちそうなものはないかと思ったが、どうやら奴隷たちの武器にされないためか、何も置いていない。

 仕方なく一度外に出るも、結果は振るわず、そばの木の枝でも折って使うか、と考えた時、男たちの乗っていたSUVが目に入った。何か使えるものがあるかもしれない。

 倒れている死体をまさぐり、車のキーを見つけ出す。それを鍵穴にねじ込み、ドアを開けると、後部座席の足元に土の付いたスコップが転がっていた。どうやら日常的に”何か”を埋めているらしい。

 最後の一仕事だ。彼女を早く埋葬してやらねば。大きく振りかぶり、スコップを地面に突き立てる。土を掘り起こしてはそばに積み、また振り上げる。そうして繰り返して、息が上がってきた頃、彼女が収まるくらいの墓穴が完成した。

 室内から彼女を抱きかかえてくる。軽い。いくらなんでも軽すぎる。なぜこんなに小さな子が、こんな目に合わなければならないのか。

 そっと穴の底におろして、祈りを捧げる。神にではなく、彼女のために。せめて次は、幸せに生きられるように。

 ふと彼女が手にしていたロザリオがなくなっていることに気がつく。運んでくるときに落としてしまったのだろう。一緒に埋めてやろうと思い、探して見たが、見当たらない。

「すまない。大事なものだったろうに」

 申し訳なく思いながら、土をかぶせ、せめてもの謝罪に木の枝で組んだ十字架を立ててやる。代わりになるとは思えないが、これで許してくれ。

 ここへきてから、かなりの時間が経っていたのか、朝日が昇り始めた。そろそろ帰らねば、と踵を返すと光を反射し、輝くものが地面に落ちているのがわかった。

「すまない」

 もう埋めてしまった少女にもう一度謝罪する。掘り返して一緒に埋葬してやりたいが、これ以上ここにいると、誰かに姿を見られてしまう。ロザリオを拾い上げると、ポケットに入れ、そこを後にした。

 ひどく蒸し暑い。早く帰ってシャワーを浴び、さっさと寝てしまいたかった。

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