第5話

酒場を抜けて、昨日入ってきた入口とは別の場所から地上へ上がる。同じところから何度も出入りすると兵士に見つかる可能性があり危険らしい。何となく分かってはいたが、あの地下の酒場や宿は非合法な場所だったんだなと蒼太は理解した。

出た先は同じような路地裏で、大通りまでは少し歩くらしい。


「ここは ろじうら ばっかりだ」

折角別の場所から出たというのに、またもや似たような景色だったことに少しがっかりしながら蒼太は呟く。

「仕方ねえさ、こんだけ入り組んだ所でもねえと俺らみたいな奴等は姿を隠せねえ。⋯⋯まあ俺はあんまり隠せてねえんだけどな」

すぐ近くにいる蒼太が最後に小さく呟いた不穏な言葉を拾わないわけがない。

「さっきハイネスって ひとが いってた”ごうわん”ってやつか」

「察しがいいなソータ、その通りだ。二つ名つく程には有名でな」

何処か遠い所を見るように頭を上げるガルドの様子に聞かない方がいいなと思いつつ、代わりに自分が今一番気になっていることを聞いてみることにした。


「ガルド は どうして かおを みせて くれない?」

そう言うと、ガルドはその巨体をびくっと小さく震わせ、こちらを向いた。

「⋯⋯やっぱり見せなきゃ駄目か?」

明らかに渋り切った声音である。相当に顔を晒したくないらしい。

その様子からよっぽどの不細工か目を覆いたくなるような傷でもあるのかと思った蒼太だったが、

「できれば みたい。ちちおや の かおだし」

そう返事した。

その途端、ガルドは歩みを止めた。蒼太としてはこれから生活を共にする相手であり、保護者となる相手の顔も知らない訳にはいかず、至極無難かつ真っ当な答えを返したつもりだったのだが。


「⋯⋯父親⋯⋯」

絞り出すようなその声に、蒼太は訝しげにガルドを見上げようとした。しかしそれは叶わず、瞬間全身を圧迫感が支配した。

「!??」

丸太のように力強い両腕と逞しくも豊満な胸板に圧迫され、息が出来ない。懸命に暴れるもののがっちりと四方を囲まれまともに動けない。ぺちぺちと渾身の力でギブアップを申告するも聞き入れるどころかその締りはどんどんとレベルアップしていく。

「(あ、これは死ぬ⋯⋯雄っぱいに圧迫されて死ぬ⋯⋯)」

遠のく意識の中、蒼太は若干悟りを開きかけていた。



蒼太は夢を見ていた。

小さい頃の夢だ。今よりもっと活発で行動力もやる気もあり、外に出て遊ぶことが多かった少年時代。当時よく遊んでいた幼馴染達と一緒に公園で遊んでいる。そこは当時暮らしていた家から少し遠い場所にあった運動公園で、時折幼馴染達と共に遊びに来ていた。

公園内にあった土管に似せた遊具が複数個散らばるようにして置かれたエリアで彼等はいつも遊んでいた。当時小学5年生ほどだった蒼太達にとってそこは思いのほか広くて。今も皆で駆け回ってキャーキャーと騒いでいる。

「隠れ鬼しようぜ!!」

仲間達のリーダーを務めていた少年が大声で呼びかける。「やるー!」「いいよー」「わかった」「しゃーなしやで!」それぞれに賛同の声を上げて、ゲームが始まった。


蒼太は西側の隅にある土管の中に隠れた。見つかることへの不安と期待、相手を欺こうとしていることでの緊張感と背徳感で、必要以上に鼓動が大きくなっていくのが分かる。蒼太はそれなりに影の薄い子供だったので、隠れることが得意だった。最後まで隠れきった時の友達の驚く顔が今回も楽しみで、期待に胸を躍らせる。

「みーつけた!」「やっべ逃げるぞ!!」「こっち来んなや!?」皆が叫ぶ声が聞こえる。「蒼太~!!」と自分を呼ぶ声も聞こえてきて、くすくすと笑いが込み上げてきた。


そんな時、ふと誰かが近付く気配がした。すぐに逃げられるように身構える蒼太だったが、現れたのは仲間達ではなく、知らない男性だった。

「なにしてるんだい?」

男がそう尋ねながら土管の中にそっと侵入してきた。蒼太は声を落として、「隠れ鬼してる」と人差し指を口元に立てるジェスチャーと共に答えた。

男性はその姿に楽しそうに笑うと、「じゃあ少しだけおじさんともゲームをしない?」と聞いてきた。

無垢な蒼太は好奇心いっぱいに首肯する。その途端、男の顔は嫌な歪み方をして。そのまま蒼太に手を伸ばし─────。



「ソータ!!!」

叫ぶような呼び掛けに、はっと意識を取り戻した。

声のした方を見ると、見たことの無い男が自分を抱え込み手を握りしめて必死な顔をしている。

「⋯⋯ガルド⋯⋯?」

何となくそう呟くと、男は「そうだ」と何度も首を縦に振った。

「さっきは悪かった、大丈夫か!?具合はどうだ、怪我はないか」

そうまくしたてられたので、初めて見たガルドの素顔を観察したい気持ちを一先ず頭の横へと追いやり、蒼太は自分の身体の具合を確かめた。

あれだけぎゅうぎゅうに圧迫された割には怪我や痛みは特になく、痣なども見当たらない。ただ全身からは先程の夢のせいだろう、とめどなく嫌な汗が噴き出している。

しかしガルドの冷や汗も尋常ではなかった。蒼太を傷付けてしまったかと気が気では無かったのだ。顔面蒼白である。絞め落とされた蒼太よりも、ガルドの方がよっぽど重症患者のようだった。

蒼太はそんな彼の様子が思わず面白くなって。握られた手を握り返しながら、

「だいじょうぶ、しんぱいかけた」

薄く笑いながらそう応えると、ガルドは「そうか⋯そうか⋯⋯!」と漸くほっと胸を撫で下ろした。


「それで、どうして あんなことを」

蒼太が尋ねると、ガルドはきまりの悪そうな顔をしながら、

「実は俺も孤児でな⋯⋯親の顔も知らなかったんだ。そんな自分が”父親”になったんだなって思ったらよ、なんかこう、どうしようもない気持ちでいっぱいになって。抱き締めずにはいらんなかった」

と答えた。

蒼太は心から思った、「このガルドの子供が自分で良かった」と。でなければ絞め殺していたかもしれないし、人殺しな上に実子殺しの残忍無慈悲な人間として更なる悪評が広まる所だっただろう。「自分なら構わないのか?」と聞かれればそうだと言い切れる自信も無かったが、幾分かマシだっただろうとは思う。

「ガルド、これからは きをつけて」

「おう⋯⋯ほんとすまんかった⋯⋯」

肩を落としてがっくりとする彼の体は、いつもよりも萎んで見えた。


「もういい、きにしないで。それよりも やっと ガルドの かお みれた」

蒼太がそう言うと今まで気付いていなかったのか、一瞬きょとんとした顔になった後に急いでフードを被り直した。

「せっかく みれたのに、もう かくすの?」

残念そうに呟く蒼太だったが、

「ここじゃ誰が見てるかも分かんねえだろうが。そう易々と顔出しちゃいらんねえんだよ。それにな、「誰かに顔を見せてるのを見られる」のだって下手すっと危険なんだ。主に”見た方”がな」

そう言われて、何故彼が自分に顔を見せたがらないのか漸く納得した。二つ名を持つ人間というのは蒼太の考えていた以上に大変らしい。


しかし蒼太こどもの身を案じていたからとはいえ、流石に難しいことをしていたよな、と蒼太むすこは思う。

「おれは いつかは みた。だって これから ずっといっしょ、でしょ?おとーさん」

子供らしくそう言う。

「それもそうだな」と返ってきたガルドの声は、酷く嬉しそうだった。



”父親”。

その言葉にどれほどの憧れを抱いたことだろうか。小さい頃から身寄りもなく、天涯孤独だった自分を拾ってくれたのは今の上司の女だった。彼女は女手一つでガルドを育て、同時に組織も束ね、今ではこの街⋯⋯いや、国でも指折りの実力者だ。

彼女はガルドの恩人であり恩師であり、目標だ。そして何よりも”母親”だ。ガルドは母よりも強い女を知らないし、彼女ほど心の強い男だって見たことがない。ガルドにとって”母親”とは”父親”でもあった。

しかしやはり、彼女は”女”で”男”ではなかった。母親が決まった男を作らない理由は知っていたし理解もしていたが、納得は出来なかった。

結局のところ、ガルドはずっと男親という存在に憧れを抱いていたのだ。


蒼太に”父親”と言われた時、彼を襲ったのは大きな喜びと小さな不安と、そして底知れぬ恐怖だった。

ガルドは所帯を持たない。それは自身の職業柄故だったし、今置かれている立場のためでもあった。それでも蒼太という”家族”を得ようとしたのは何故なのか。彼自身にもよく分かってはいなかった。

しかしそうしなければ永遠に後悔することになったと確信めいて思えるし、これで良かったのだと納得もしている。だが彼は理解していなかったのだ、”父親”であることの重みを。


蒼太に呼ばれてようやく感じたその重みと、それに押しつぶされないほどに明るい気持ちに、頭がどうにかなりそうだった。思わず力の限り蒼太を抱き締めてしまって、今度は自分が物凄く恐ろしくなった。

この子供を生かすも殺すも自分次第なのだ、と突きつけられた瞬間だった。繰り返し行ってきた作業から次第に心が摩耗して、いくら他人を殺そうとも仕事として割り切れるようになっていた自分が恐ろしく思えた。


本人も気付かぬうちに、既にガルドの心は蒼太の占める割合が殆どだった。

蒼太が微笑んで、ガルドの手を握り返してくれた時にガルドは改めて心に誓った。

「こいつは何があっても責任を持って俺が守り抜く」と。




「それにしても、けしからん雄っぱいだな」

唐突に、そう本当に唐突に。蒼太はむにりとガルドの双峰を鷲づかんだ。

「うおっ!?」

思わず変な声を上げ、飛び上がるガルド。しかしその様子を一向に気にする素振りもなく、蒼太はむにむにとその紅葉のような手で揉みしだいていく。

「この ほうまんな きょうあく 雄っぱいの せいで!なんて 雄っぱいだ けしからん、しょあく の ごんげめ、雄っぱいの くせに たてつきおって、この、雄っぱいめっ、さいこうの もみごこちじゃないか このっこのっ」

怒涛の勢いで怨嗟をまくし立てる蒼太。

「ちょっ、何でおっぱいだけやけに発音が流暢なんだよ!?あと何処と無くニュアンス違くねえか!!?って、あっ、ちょ、そこっ、」

蒼太の指先が小さなしこりに当たった。

「ほう、ここか、ここがええのんか」

手のひらに当てがいながら、休むことなく胸を揉み続ける。

「あぅっ、ばっかやめっ、んんっ、だっから、あんっ、やめっ、ろって言ってんだろうが!!!!!」


キャラも忘れ雄っぱいへの復讐に明け暮れる蒼太と、義理の息子にいいようにされる(若干悩ましげな)義父の叫び声。

それは蒼太の腕が疲れるまで続き、薄暗い路地裏に虚しく響き渡るのだった⋯⋯。

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割とよくある?異世界転移もの 刺身マグロ(赤身) @kujifuku214

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