超犯罪者収容病院

庵字

超犯罪者収容病院

「あそこでベンチに座っている男性、彼が五社川ごしゃがわ崩助ほうすけさんです」


 白衣を着た壮年の男は、右手を懐に入れたまま左手で数メートル先のベンチを指し示す。そこには、淡いベージュ色の病院着を着た痩せこけた男が座っていた。白衣の男は、自分の隣に立つ背広の男を向いて、


「彼が『四次元の死角』で見せたアリバイトリックは、鮮やかに読者の「死角」を突いた見事なものでしたね。そのトリックを暴いた“地下鉄探偵”くれない芽都露めとろの名推理も見事でしたが」

「は、はあ」

「『四次元の死角』、お読みになったことは?」

「いえ、ありません」

「そうですか」白衣の男性は残念そうな声を出すと、「アリバイ崩しものの傑作ですよ。ぜひ読んでみて下さい。時刻表アレルギーという方にも楽しんでもらえる、希有けうな鉄道ミステリですよ」

「はあ、なかなか本を読む時間も取れなくて……しかし、驚きましたよ。ミステリ小説に登場した犯人――超犯罪者と呼称するんですか?――だけを収容する、こんな病院があったなんて」

「どこから、ここの情報を?」


 訝しげな表情をして訊いた白衣の男は、窮屈そうに体を揺すった。見たところ、体格に比して羽織っている白衣のサイズが合っていないようだ。プロレスラーかラガーマンだといっても通用するほどの大柄な体を、小さな白衣の中に無理やり押し込んだようになっており、どこか見るものに滑稽ささえ憶えさせる。


「そこはそこ、カルト系の雑誌記者なんてやってますと、蛇の道は蛇ってやつで、色々な噂が入ってくるわけですよ……」


 背広の男は粘っこい笑みを浮かべて言葉を濁すと、自分たちがいる病院の中庭を見回して、


「先生、少し歩きながらいいですか?」


 庭の奥に向けて顎をしゃくった。白衣の男も黙って頷き、背広の男について歩き出した。白衣の男が足を踏み出すたびに、いかつい肩が揺れる。限界まで伸びきった彼の白衣が、いつ音を立てて破れるか分かったものではなかった。

 背広の男は、なるべく人のいない場所へと誘導するように歩を進めながら、


「で、先生、取材の件なんですが……」

「最初に申し上げましたが、それだけはご勘弁ください。当病院の方針ですので。超犯罪者とはいえプライバシーはあります」

「そこをなんとか、お願いしますよ。記者として、こんなとびきりのネタを見逃すなんてあり得ません」

「ここは、不可能犯罪などという大きな罪を犯してしまった超犯罪者を治療、更正させるための、極めてデリケートな施設なのです。そこをお察し下さい」

「それは理解しますけれどね。世の中を震撼させた稀代の犯罪者が、捕まったあとにどんな処遇を受けているのか、我々にだって知る権利というものがあるはずですよ」


 だが、その訴えかけにも白衣の男は首肯しなかった。背広の男は小さく嘆息すると、


「では先生、どうなんですか? 実際、入院した患者に治療の効果はあるんですか?」


 からめ手を用いるつもりなのか、話題を変えてきた。白衣の男は、表情に沈痛なものを混ぜて、


「正直、個人差があるとしか言えませんね。ほとんどの超犯罪者は、その罪を悔い、社会復帰に向けて頑張っているのですが、すぐに効果の出る人もいれば、いくら治療を施してもまったく変わらない人も……ごく稀ですが、中には、治療の効果がないどころか、院内で罪を犯してしまう人も――おっと、これ以上は」

「えっ? 何ですかそれ? 非常に興味をそそられますね……」背広の男は、突破の糸口をみつけたとばかりに目を輝かせて、「そんな不祥事、絶対に院外に漏らすわけにはいきませんよね」

「…………」


 白衣の男は口をつぐむ。


「先生」背広の男は、ここぞとばかりににじり寄り、「もちろんただでとは言いませんよ。相応の取材費は出します」

「そういう問題ではありません」

「先生のお名前は決して出しませんから――おわっ!」


 背広の男は跳び退いた。中庭の生け垣の向こうから突然、病院着を着た女性が飛びだしてきたためだった。青白い顔をしたその女性は、顔の前に垂らした長い髪の隙間から濁った目を向けている。背広の男は、白衣の男の大きな背中に身を隠すようにしながら、


「この人……彼女も?」

「はい。湯出戸ゆでとミミさん。またの名を“123ワンツースリーキラー”です。『一ノ瀬さん』を『一丁目』で、『二階堂さん』を『二丁目』で、という具合に、被害者の名字と現場の丁名が符号するように殺人を重ねた超犯罪者です。専門用語で『ABC殺人』というのですが。彼女の場合は、『五丁目』の犯行のときに犯してしまった致命的なミスがきっかけで逮捕されてしまいました。実に些細なミスだったのですが、それを見逃さなかった“花言葉探偵”花野原はなのはら野花のかがさすがだったと言わざるを得ないでしょうね」

「は、はあ……」

「『殺人番地百丁目』という小説の犯人なのですが、読んだことは?」

「あ、ありません……」


 背広の男が答える間に“123キラー”湯出戸ミミは、二人の顔を交互に見ると目を見開き、逃げるように走り去っていった。


 二人の周りに静寂が訪れた。背広の男はぐるりを見回し、自分たちの周りに誰の姿もないことを確認すると、


「ねえ、先生……」と声をひそめ、「なんでしたら、正規のものとは別に、病院を通さない個人的な謝礼をご用意することもやぶさかではありません」


 その申し出にも、白衣の男は黙って首を横に振るだけだった。埒の開かない状況に苛立ったのか、背広の男は腕組みをして俯き、顔に渋面を作った。が、背の高い白衣の男からは彼の表情は見えなかっただろう。

 背広の男は、すぐに腕をほどき、渋面を友好的な笑みで上書きした顔を上げると、


「先生、それであれば、ひとりだけ、たったひとりだけを取材させていただくというのでは、いかがでしょう?」

「ひとりだけ?」

「はい。その取材さえ叶えていただければ、当然、は一切口外いたしません」

「……どなたですか?」


 白衣の男が返答すると、背広の男は口角を上げた。取材対象人物が誰かを訊かれたということは、十分に交渉の余地ありと踏んだのだろう。背広の男は、その心中を悟られまいとしてか、ことさら表情を引き締めて背筋を伸ばすと、


「“プリ・マンティス”を……」

「プリ・マンティス――!」


 背広の男の口から、その超犯罪者の渾名あだなが出ると、表情を歪めた白衣の男は左手で口元を押さえ、懐に入れたままの右手をもぞもぞと動かした。体をよじったことで、小さすぎる白衣が破断寸前まで引き延ばされ、声なき悲鳴を上げた。その反応を面白そうに見た背広の男は、引き締めていた表情を崩し、歪んだ笑みを浮かべると、


「殺した被害者の男性器をハサミで切り取って、それを死体の口にねじ込むという、恐ろしい犯行を重ねた、稀代の女殺人鬼ですよね。ぜひとも取材をお願いしたい」

「ですが、あなた、先ほどから話を聞いていると、ミステリ小説はほとんど読まないようですが……」

「ほとんどというか、全然読みませんね」

「それなのに、どうしてプリ・マンティスのことを?」

「この病院の存在を知って取材に行こうと決めてから、最近話題になっているミステリ小説を検索してみたんです。取材対象として面白そうな超犯罪者がいないかと思いましてね。そうしたら“プリ・マンティス”が登場する『あるカマキリの恋』をいう作品を知りました。書評サイトであらすじを読んで、これだ、と思ったんですよ」

「ですが、プリ・マンティスの犯行は、ただ残虐というだけで、犯行自体には特にトリックも謎もありませんよ。死体への異様きわまる装飾も、“見立て”などの理由もがあるわけではなく、隠された意味もメッセージもない。単に犯人――と一部の読者――の猟奇的趣味を満足させるという効果を狙ったものでしかありません。それでしたら、先ほど会った“123キラー”こと湯出戸ミミさんの、巧みに真の動機につながる“ミッシング・リンク”を覆い隠した隠蔽工作ですとか、五社川さんの、時間と空間と人の意識の認知を少しずつずらして犯行時間を作り出した、多次元的アリバイトリックなどのほうが、余程面白い記事を書けると思うのですが」

「いえいえ」と、背広の男は手を振って、「動機とか、アリバイトリックとか、そういうのには興味ないんです。私だけじゃなくて、私が記事を載せている雑誌の読者もそうですよ。大事なのはインパクト、ただそれだけです」

「インパクト、ですか……」


 白衣の男が呟くと、背広の男は大きく頷いて、


「そうです。最高じゃないですか、殺した男の性器を切り取って死体の口にねじこんだ女殺人鬼への単独インタビューなんて。これは面白い記事になりますよ」


 くっくっ、と薄笑いを浮かべた。白衣の男は、はあ、とため息を吐くと、


「ミステリ小説には、そういった卑俗的な興味を喚起するという役割も、あるにはありますが、本質的には読者の知的好奇心を満足させ、インテリジェントな驚きを提供する、質の高い娯楽なのですがね」

「娯楽といっても、今は他にもっと気軽に楽しめるものがいくらでもあるじゃないですか。今どき、読書を娯楽の最優先に置いている人なんて滅多にいませんよ。町の書店だって、どんどんなくなっていますしね。それに同じ読書なんて面倒くさいことをするなら、荒唐無稽な人殺しの話なんかじゃなくって、ビジネス本とか自己啓発本とか、何かしらメリットがあって、収入に直結する本のほうを読みますよ」


 それを聞くと白衣の男は黙り込み、何かを逡巡するような無表情を顔に貼り付けた。白衣の懐に入れられている右手が、もぞもぞと布地の下で胎動するように動く。


「どうですか? 先生。具体的な謝礼の額の話をしようじゃないですか」


 ここが攻めどきと踏んだのか、背広の男は口調に熱を帯びさせる。それとは対照的に、白衣の男は口を一文字に結んだ無表情のまま、おもむろに腰を折った。例によって白衣の背中部分が無言で叫ぶ。


「……?」


 背広の男がその動きを目で追う中、白衣の男は、自分が履いているズボンの右裾を、ゆっくりと左手でまくり上げた。


「――えっ?」


 背広の男は絶句した。露わになった白衣の男の右脚は、膝から下が樹脂製の義足となっていた。


「せ、先生……その脚は……?」


 背広の男は、義足と白衣の男の顔とに、交互に視線を送る。

 自分の義足を目にしてもなお、背広の男が呆然として立ち尽くしたままでいるのを見ると、白衣の男は一度嘆息して、


「……その反応。あなたが『あるカマキリの恋』を読んでいないというのは本当のようですね」

「ど、どういうことですか?」

「先ほど私は、『あるカマキリの恋』にはトリックがないと言いましたが、正確には違います。あの作品にもトリックはあります」

「ど、どんなトリックが……?」

「あなたが『あるカマキリの恋』を知ったという書評サイトは、かなり良心的な運営がなされていたようですね。“ネタバレ”に配慮がされていたらしい」

「……?」

「『あるカマキリの恋』に仕掛けられたトリックというのはですね、“叙述トリック”なんですよ」

「じょ……じゅつ……?」

「あの小説は、主人公である刑事の一人称と、犯人の手記だけで構成されていましてね、読者にような書き方がされているんです」

「……」


 本能的に危険を察知したのか、助けを求めるように周囲に視線をさまよわせた背広の男は、視界の端にそれを捉えた。白衣の男の向こう、生け垣の下に何かがある。それは小柄な男性の……死体だった。その男性は、ティ。さらに、よく観察すると、その死体となって横たわっている小柄な男性は、

 音を耳にして、背広の男は目の前に立つ男に視線を戻した。その羽織っている白衣の右肩部分が縫い目から破れており、下に着ているシャツの色を覗かせていた。今しがた彼が聞いたのは、キャパシティ以上の体躯を納めきれず、ついに肩の縫い目部分が裂けてしまった白衣の――今度は「音」として発せられた――悲鳴だった。白衣の男は、肩のほつれなど気にとめることなく、瞳に明らかに普通ではない光を宿しながら、


「きちんと小説を読んでいれば、犯人であるプリ・マンティスの正体が主人公の上司、だと分かったはずなのですが……」


 白衣の男が懐から抜いた右手には、所々に赤いものが残る、鈍く光ったハサミが握られていて……。

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