Action4

「んじゃさっきのなしでいいじゃん」


「は?」


「聞かなかったことにして」


「え、なにそれ」


 祐賢の顔が曇る。


「だから、お前が忘れればいいんだよ」


「え、俺が忘れんの!?」


「うん」


「俺悪くないのにっ!?」


「良い悪いじゃなくて……」


「うっわ」


 祐賢はソファの背の上に片肘をつき、頭を抱える。


「なにぃ……」


 明仁はめんどくさそうに言う。祐賢の足が貧乏ゆすりを始め、トントンと速いテンポで音を鳴らしていく。


「そういうとこ。お前は」


「は?」


「お前はそういうところがムカつくよなぁ」


 明仁は帰りたくなってきて、1メートルくらいの高さの棚に置かれた時計を見る。18時になろうかというところ。どういう口実で帰るかを考えてみたが、暇を持て余している自分の身で、しかも現に目の前で絡み酒のような口調の男は、まだまだ物言いを終わらせようとしない。


「食事は遠慮するくせに、ちゃっかりパパと呼ばれる。逆っだろ!」


「逆?」


 明仁は笑いながら首を傾げる。


「パパを遠慮しろって言ってんだよ!」


「遠慮もなにも、由香ちゃんが言っちゃったんだからどうしようもないでしょ」


「そうじゃなくて、俺も鬼じゃないから。由香がパパってお前を呼んだ時に、俺に一言、パパって呼ばれてごめんな、くらいあってもよかったでしょっていうことよ!」


 祐賢は大きな手振りで端的に話す。


「だって俺知らなかったし。お前がパパと呼ばれたいとか、まだパパと呼ばれてないとか」


「察しろ!」


 祐賢は食い気味に言った。


「無理でしょ」


 明仁は呆れながら笑う。


「ほんとお前はズルい」


「愚痴が止まんねえー」


「言わないとやってらんないから。覚悟してぇ!」


 祐賢は真顔で言い切る。


「ええっ!? もういいってぇー。ごめんなさい! 祐賢ごめん!」


「だからそういうとこだって言ってんの」


 祐賢はだらけた姿勢のままやさぐれ感を滲ませて言う。

 明仁は話に付き合うのもめんどくさくなってきた。


「お前は働いてないくせに億万長者になって、自由気ままに過ごしている最中、俺は出張で全国各地に飛び回って時間に余裕がない。テレビ電話で娘の成長を見ることしかできないんだよ。帰ってくるのは夜の遅い時間、娘の寝顔くらいしか見られない日々が続いてるってのに、お前はもうパパと呼ばれてる存在になっていた! こんなことがあって、いいのでしょうかあああああ!!?」


 祐賢は言葉を連ねているうちに怒りが再燃し、言葉尻にかけて荒々しくなった。


「うるさいってもう~。ミュージカルの人みたいになってんじゃーん」


 すると、赤ちゃんが大きく泣き出してしまった。


「ほら~、お前がデカい声出すから」


 明仁は赤ちゃんをあやし始める。

 その時、困惑を携えて佳弥が戻ってきた。


「なあにさっきから、うるさいんだけど」


 佳弥は顔をしかめて苦情を言う。


「すみません佳弥さん、なんか祐賢の虫の居所が悪いみたいで」


 佳弥は怪訝けげんな顔で祐賢を見る。


「どうしたの?」


「お前には関係ねえよ」


 祐賢は怒りが収まらないせいか立ち上がっており、ぶっきら棒に言い放つ。


「そんなことより、ミルクはどうしたんだよ?」


 祐賢は刺々しい口調のまま尋ねる。


「まだ作ってる途中だから」


「何分かかってんだよ!」


「友達から電話があって落ち込んでたから、話を聞いてたの」


「由香ほったらかしてなにやってんだよ!」


「そんな言い方しなくてもいいだろ」


 明仁は冷静な口調で祐賢をたしなめる。


「すみません佳弥さん、由香ちゃんここじゃ落ち着かないみたいなんで、別部屋に移してもらっていいですか?」


「ああ、うんわかった」


 佳弥は戸惑いながら首肯する。


「すみません」


「いいから」


 佳弥は赤ちゃんを受け取る際、祐賢に見えないようウィンクした。明仁は小さく頷き、佳弥の背に軽く会釈する。振り返ると、両腰に手を添えてそっぽを向く祐賢がいた。


「とりあえず、冷静に話し合お。せっかく久しぶりに由香ちゃんに会えた日に、一番会いたがってたお前が機嫌悪くてどうすんだよ」


「機嫌も悪くなるだろ。俺は念願のファーストパパを奪われたんだぞ」


 明仁は頬を緩ませながら眉をひそめる。


「ファーストパパってなんだよ」


「最初に子供から呼ばれるパパ、ファーストパパだろうが!」


 祐賢は引き締まった表情で言い切った。


「ファーストキスみたいに言うなよ」


「俺のファーストパパは、目の前であっけなく奪われた。俺が聞くのはセカンドパパだ」


 明仁はこめかみを掻く仕草で笑いをこらえようとするも撃沈する。

 その間に、佳弥がリビングに戻ってきた。


「あ、佳弥さん、由香ちゃんは?」


 明仁は赤ちゃんの様子を心配そうに聞く。


「泣き疲れて寝たわ」


「あ、よかった」


 佳弥の瞳が鋭くなり、祐賢に注がれる。


「ほんとどうしたのよ。一体なにがあったの?」


 祐賢に事情を問いただすが、祐賢は唇を尖らせてなにも話そうとしない。


「由香ちゃんにパパと呼ばれたかったんですって。俺より最初に」


 明仁は祐賢が話さないことを悟って代わりに話した。


「そんなこと!?」


 佳弥は驚愕して声を上ずらせる。


「そんなことってなんだよ。俺はすごく楽しみにしてたんだよ」


 佳弥は小さく開いた口で嘆息する。


「それで子供を泣かせてたら、もうパパって呼んでもらえなくなるよ?」


 佳弥は諭すかのように語りかける。


「私は、あなたが家族のために頑張ってくれてるって、ちゃんとわかってるつもりよ。そりゃ、明仁君が世話してくれてるんだから、由香だってパパと間違うことだってあるわよ。だけど、由香が大きくなったら、パパはあなただって、ちゃんとわかるはずよ」


 しんみりと漂う、湿っぽい温度。水気を纏い、熱くなった感情を冷ましていく。

 佳弥はシュンとなって立ち尽くす祐賢の手を取り、優美な笑みを向ける。


「あなたは、ちゃんとお父さんよ。これからも頑張ってね、パパ」


「うん……そうだな。俺は、由香のパパだ……」


 祐賢は佳弥の手を握り返し、沁みこんだ胸から呼応させるみたいに言った。佳弥は美しさと大人びたかわいらしい笑顔を見せる。


「だがしかーし、俺のファーストパパは二度と帰ってこないっ!」


「ええ!?」


 明仁は驚きのあまり声を上げた。すると、間髪入れずに祐賢の闘志溢れる眼差しが明仁に定められる。


「明仁!」


 祐賢は大股で明仁に近づいていく。


「え、なになにっ!!?」


 明仁は少し怯えた様子でソファに座ったまま体を引いたが、祐賢の両手が明仁の胸倉を掴んだ。そのまま体ごと体重をかけられ、明仁は体を硬直させる。

 祐賢は怒りに変わった瞳を明仁の目に近づけ、威嚇するように顔を突き合わせた。



「俺のパパを返せえ"え"え"え"え"え"え"え"え"え"え"ー!!!!」



 明仁は首を反らせて苦悶し、荒れ狂う友人の様子に疲弊感を供する笑みを浮かべた。


「ちょ、一回離れて。お願いだから」


 明仁は片手で軽く祐賢の肩を押して懇願する。祐賢はおもいっきり叫んだからか、素直に体を離した。


「大丈夫?」


 佳弥は祐賢の様子に戸惑いながら明仁を気遣う。


「あ、はい大丈夫です」


「で? お前はどうしてくれんだよ」


 祐賢は怒り心頭という顔つきで詰問する。


「まず言っていい?」


「おおん」


「お前さっき、俺のパパを返せって言ったよね? 俺別にお前の親父さんさらってねぇんだよ。聞きようによっちゃあ俺がお前の親父さんとデキてるみたいに聞こえるから、大声そんな恥ずかしいこと言わないで。意外とこのマンション壁薄いんだからさぁ。噂立っちゃうよ?」


 その時、2人が言い争っている間に佳弥の表情が疑念を持つ。


「家賃安くて悪かったな! お前はタワーホテルですか!?」


「そういうことじゃなくて……」


 明仁は言いよどんでどもった。


「俺が悪かったところもあるよ。でも充分聞いたし、これからもし仕事で休める時があったら、お前も由香ちゃんと一緒にね! 佳弥さん……」


 明仁が視線を後ろに向けると、弥子の目と合った。しかし佳弥の目は、不審者に向ける目をしているような気がした。


「佳弥さん? なんですか?」


 明仁はなぜそんな顔で見るのかと問う。佳弥は視線を泳がせ、躊躇する口が迷って言葉にならない。


「いえ、その……」


 数秒迷って、佳弥の目は決心を固めたみたいに真っすぐ明仁を捉える。


「明仁君ってそういう趣味なの?」


「……え? はっ!?」


 明仁はピキーンと背筋が凍る気分だった。


「いや違いますって! なんでそうなるんですか! 俺別に祐賢の親父さんとはなんもないですから!」


「そうなの?」


「当たり前ですよ! っていうか、今の今まで見てたでしょ!? 俺が一番警戒してた誤解をなんで佳弥さんがしれっと勘違いしてんすか!」


「あ、ごめんなさい。違うのね?」


 佳弥は警戒気味に確認する。


「違いますから」


「でも明仁君、今日由香を舐め回したいって……」


 明仁はしんどそうな表情を貼りつける。


「冗談って言ったじゃないですか!」


「でもほら! ロリコンの達人になったとか言ってたから、もしかしたらそっちもいけるのかなって」


「俺はロリコンの達人になってませんから」


 明仁は弁解に四苦八苦する。その時、祐賢が口をはさんだ。


「ああこいつはロリコンの達人じゃない。変態の達人だ!」


「お前話をややこしくすんなよっ!」


 明仁は床に膝をついて片手で髪を掻き乱す。


「もうなにこの夫婦、めんどくせえよぅ!」


「それはこっちのセリフよ!!!」


 明仁よりも何倍も怒気を含んだ声でしんと静まり返る。


「黙って聞いてりゃあれこれ訳のわかんねえこと言いやがって!!」


 明仁は目を丸くした。


「亭主は口を開けば仕事仕事!! いいベビーシッターを知ってるって言うから期待してたのに、来たのは亭主の友人で世間知らずのちゃらんぽらんじゃねえか!」


 驚いているのは夫のはずの祐賢もだった。


「無料なのはいいよ! だから我慢したんだ。でもなんで要らない日までくんだよーーー!」


 佳弥に歯をむき出しにして怒鳴られ、目を瞑って顔を背ける。


「私はこいつが来るたびに、おかしなことをしないか見張らないといけなかったのよ。やることが減るどころか増えたわ!!」


 2人の男は萎縮して動けない。祐賢は佳弥を見つめたまま微動だにしない。表情はこわばり、口が半開きになっている。


「まだ素質があったからやっとこれで安心して任せられるなって思った矢先よ、ヤラしい顔で娘の体に脂ぎった顔を押しつけて、くんかくんか、してんのっ! 四六時中気持ち悪かったっ!」


 佳弥はを大げさに醜悪な様子を強調して言う。辛辣な言葉を浴びせられた明仁は唇を噛んだ。


「変なヤツ紹介してんじゃねえよ!!」


 佳弥は祐賢に矛先を変えて罵声を浴びせる。可憐で優しい妻はどこへ行った。祐賢が佳弥に抱いていたイメージは見る影もない。今や夫にも吠えまくる闘犬のようだった。


「お前もお前だよ」


 佳弥は普段のぱっちりおめめをまた大きく開き、祐賢にゆっくり近づいていく。

 祐賢の引きつった表情、視線は行方不明。一刻も早く逃げたかった。だが、逃げたらなにをされるかというくらい、佳弥の変わりようが恐かった。


「最初にパパと呼ばれたいってなに? そういうこと言う前にやることあんだろ! ええ!? パパくれジジイッ!!」


 佳弥はえげつない顔をして祐賢を罵倒した。

 祐賢は35にしてジジイと呼ばれ、なぜか目を瞑って噛みしめている。


「もうあんたとやってけない。娘と実家に帰らせてもらいます」


 佳弥はリビングを出ていった。


 嵐が去ったような静けさ。何が起こったんだと、2人の顔が主張し、目線が交わる。


「お前の奥さん、めっちゃ恐いじゃん」


 明仁は青ざめた表情で呟いた。


「恐いなー」


 祐賢は低い声のトーンで同調した。


「俺、殺されんじゃねえかなって思った。なんなのあの人、色々……色々言ってどっか消えたけど」


 明仁は恐怖から解放された反動から早口にまくしたてる。


「お前、気持ち悪かったって」


 明仁は額に脂汗を滲ませて首肯する。


「そう。しかも四六時中。四六時中気持ち悪かったって」


「あと、ロリコンの達人な」


「いやそれはもう忘れて」


 明仁は嫌そうな顔をして、祐賢の肩に手を置いてすがる。


「忘れらんないよ」


「ロリコンの達人は嫌だよ。ロリコンまでならいいけど、達人つけたらヤバい奴になっちゃう」


「達してるからね!」


「達しちゃダメね」


「ああ、誤解を生むな」


 祐賢は腕組みをして、明仁の様子に感化されたのか大きめの声でしゃべるようになる。


「達した挙句、変態の達人になったからね」


「それお前だよ! お前が言い出したんだよ! 変態の達人にもなってないからね!」


「ああそうか。ごめんごめん」


「でお前、なんかパパくれジジイ言われてたじゃん」


 明仁は半笑いで話す。


「言われたなぁ」


「結婚してるんだよね?」


「してるよ。娘もいる、うん、しかも新婚ね。新婚であんななるかねぇ?」


「わかんないけど、あんま、新婚でああいう感じのののしられ方されてるの聞いたことねえよ。すげえ顔だったし」


「なあ、あんな佳弥の顔見たことねえわ」


「ホラー映画に出てきそうな」


「目カッと開いてなあ」


「新婚の夫に向かってパパくれジジイだろ?」


「俺妖怪じゃん」


「うん」


 祐賢は酷い言い草をされて溜めこんだもの吐き出したが、こうやって愚痴っても心はまだモヤってしまう。

 ひとしきりとつとつと愚痴を話したら、会話が途切れ、2人して視線を落とす。流れる空気は重く、静かな思案に揺れる。


「どうする? ご飯」


「ん? ああーいや、もうここで食う気分じゃなくなった」


 明仁は険しい顔で答える。祐賢もどこかでそんな答えが返ってくることを察していた。


「まあそうか。んじゃあ、外で食いに行く?」


 すると、明仁はひらめいた様子で「あっ」と口を零す。


「ちょっと待って。食いに行くのもいいけど、お前にとっておきの場所思いついたんだけど」


「え、なに?」


 明仁は祐賢に歩み寄り、声を潜める。


「イメクラ」


「は? なんで?」


「イメクラ行けば、パパって呼んでもらえるじゃん。よくない?」


 祐賢は厳しい顔つきになる。


「おい、明仁!」


 祐賢は腰に手を添えて怒気を含む声を出した。明仁はとっさに怒られると思い、身構える。


「ナイス、アイディアだ!」


「だろーー!?」


 明仁の顔がぱっと晴れていく。


「お金払えばパパって呼ばれ放題ってことよ!」


「その手があったな!! よーし! ファーストパパ! 呼ばれてやるぜぃ!!」


「ええーい!!」


 それから、2人は夜の歓楽街へ出向くのだった。





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パパと呼ばれたい! 國灯闇一 @w8quintedseven

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