Action3

「お前やっぱ子育て向いてんじゃーん。保育士目指せってぇ」


 明仁は苦い顔になって唇をゆがめる。


「またそれかよー。俺もできるならやりたいけどさぁ、保育士になるお金もないし、学力もない俺が保育士になれるとは思えないんだよねー」


「お前そんなこと言ってたらいつまでたっても結婚なんかできねえぞ」


「いやー、そんなに結婚したいって思わないんだよねぇー。俺には由香ちゃんがいるから」


 明仁は満面の笑みを咲かせる。


「え、自分の子供欲しくないの?」


 明仁は唸って逡巡し、濁った声で思わしくない唇を動かす。


「自分の子供じゃなくてもかわいいもんはかわいいからね」


「いやでもよ。35にもなってニートはまずいだろぅー」


「まあまあまあ、そうなんだけどね」


 明仁はニヤリと不敵な笑みを見せる。


「んでも、競馬で億馬券当たったら…………働くのかったるいじゃん?」


 祐賢は無垢に笑う明仁を見ながら固まってしまう。


「お前すごいな!」


「ありがとう」


「今の皮肉だからね!」


「いやでもさ、俺はもう由香ちゃんがいれば金なんてなくたっていいんだよ。俺はこの子が健康に育ってくれることが、一番の生きがいだから」


「そう思ってくれるのは、うん、ありがたいよ」


 祐賢は心配の念がうまく伝わっていないもどかしい気持ちを呑みこんだ。

 その時、赤ちゃんがキャハキャハとかわいい笑い声を上げる。


「由香ちゃん、元気だな。うぇぇぇーー」


 明仁は自分の顔を揺らしておどける。赤ちゃんはますます笑い出す。

 それを側で見ている祐賢は羨ましい思いをしながら見つめる。

 ひとしきりあやし、赤ちゃんの笑い声が収まると、赤ちゃんの口から言葉が漏れた。


「パァパ」


「お、しゃべったな? 今しゃべりましたねぇ? 由香ちゃん。賢いな~。もうすぐ話せるようになるんじゃないか、なあ祐賢?」


 明仁は祐賢と喜びを分かち合おうとしたのだが、祐賢の顔は険しい。


「どうした?」


 祐賢は厳しい顔つきで明仁を見据えるが何も答えない。目線を逸らし、前かがみになって深刻な表情でテーブルの向こうにある床を一点に見つめる。そして首を傾げてぶつぶつと何かを呟き始める。


「今のは、ん? パパだよなぁ。パパって……言ったよなぁ。あれ、パパって俺だよな。でも、パパって聞こえただけで、別のなにかだったって可能性もあるしなぁ」


「おい」


「ハハ……。でも絶対パだったよなぁー」


「祐賢?」


「パン? パンツ? まだまともに言葉を話せない赤ちゃんがいきなりパンツは言わないか」


 祐賢はソファの背にもたれかかり、天井を仰いで腕組みをする。


「祐賢、どうした?」


 明仁は少し大きな声でかけるが、祐賢の独り言は止まらない。


「パーマ? いやいくらなんでもませすぎだろー。パイパイ。でも女の子だしなぁ」


「今ぱいぱいって言った?」


「パー子!? うん、無理がある!」


「さっきからなに言ってんの? なあ! 祐賢!」


「ストップ」


 祐賢は明仁に片手をかざして制した。


「お前が止まれよ。なにお前、こえよー」


「ごめんごめん、ちょっと気になることがー……あってね」


 祐賢は難しい顔をして神妙に語る。


「今、由香が言ったのって、パパ、だよね?」


「……うん」


 明仁は戸惑いつつ首肯した。

 祐賢はハッとした顔で目を見開く。


「そおだよね!! うん……」


 祐賢は口を真一文字にして、顔を上下に小刻みに揺らす。


「それやめて。見たことねえよそんな奴。首振り人形でもそんな揺れねえよ」


 明仁は口こそ笑っているが、若干引いていた。


「で、ここからが大事!」


 祐賢は語気を強めて言った。そして、咳払いをして慎重に言葉を続ける。


「由香、お前を見て、パパって言ったよね?」


「……うん」


 明仁は迷いながら正直に首肯した。すると、祐賢は表情を渋くさせ、誰もいないソファの座面を一度強く叩いた。


「やっぱりなあああぁぁーー!!」


「声でけえって!?」


「ああああああ!!!!」


「赤ちゃん泣いちゃうだろ! なんだよ」


 祐賢の取り乱し方が尋常じゃない。腰が前にずれ、背中が座面につきそうなくらい座高が低くなる。だらしない座り方をしてイカッたサルみたいな顔をする。やけ酒をした酔っぱらい。ディープな飲み屋街にいそうだ。


「はあーーーーー」


 大きなため息を吐き、嫌々姿勢を正す祐賢。


「なに?」


 明仁はいぶかしげに尋ねる。


「明仁、俺はね。娘の成長が楽しみなの」


「うん」


「お前は、その楽しみを奪ったんだよ!」


 祐賢はすごい剣幕で怒鳴る。明仁は一時停止をして考えるが、ピンと来ない。


「どういうこと?」


「俺は、パパって呼ばれたかったのー! なのにお前が、パパって呼ばれてんじゃん!!」


「いや、パパって呼んだってだけで、お前がお父さんに変わりはないだろ」


「違う違う」


 祐賢は怒りを鎮めるため、または現実から目を背けるために瞼を落とし首を横に振る。


「なにが?」


「由香が、お前をパパって呼んだってことは、お前をパパって認識してるってことだろ?」


 祐賢は重要なことだと言いたげに強調して話す。しかし、明仁は失笑する。


「いやいや、ただパパって呼んだってだけじゃん。男で世話してくれる人だったらどんな赤ちゃんだってパパって言っちゃう時期なんだって」


「そんな時期あるっ!?」


「あるでしょ! まだ生後1年もたってない赤ちゃんだよ? まだ認識がおぼつかないこともあるでしょ。お前が気にしすぎなんだって」


「んじゃそこはいいよ。由香がそういう時期だったとしよう! 問題はまだある!」


「は?」


 明仁はまったくわからない。


「俺はずっとずっと、パパと呼ばれたかった。なのにお前は、すでに俺が夢見ていたパパを呼ばれていた」


 祐賢は右隣にいる足を組んで明仁から体を離す。


「ショックですよーー~。俺が父親なのに。赤の他人はもうパパと呼ばれている。こんなことがあっていいのでしょうかあああ!?」


「顔近えよ。そんなすごまなくても……」


 祐賢は明仁に響いてない感じがして苛立ちを覚える。体をまた離し、いじけるように不細工な表情になる。


「え、もしかしてお前、呼ばれたことないの?」


「そうだよ! だからこんなに怒ってんだよ!」


「じゃあ呼ばれるようになればいいじゃん」


「なんだその上から目線はっ!」


「別に上からとかじゃないって」


 明仁は口をすぼめるようにして言う。


「上からだろ」


「スネんなよ。俺も協力するから」


「もう遅いよ」


 祐賢は静かに口をついた。


「なんで?」


 明仁の無垢な疑問が露骨に浮かんでいた。祐賢は正面切って真剣な表情になる。


「俺はっ! 由香が初めて口にするパパを聞きたかったの!!」


 空気が止まった。2人は見つめ合う。長い沈黙。それがとてもとても長い時間に思えた祐賢は、明仁の見識を疑い愕然とする。


「おい!」


 思わず口がついた。


「なんか言えよ」


「だって意味わかんねえんだもん」


 祐賢は視界がくらみそうになって目をしばしばさせる。胸やけが喉を通り、重苦しいため息がこぼれて宙で消失する。

 明仁は悶える祐賢がだだをこねる子供みたいでカッコ悪く見え、鬱陶うっとうしげな眼差しを注いでいた。


「なんでわっかんねえの!? 娘からパパと呼ばれたい! お前はパパと呼ばれた。その時なんとも思わなかったの?」


「そんなことないよ。俺だって嬉しかったよ」


「だろ? だったら、俺が最初に呼ばれたいっていう親心、これわかるでしょ!?」


 明仁は「……あ!」と声を漏らす。


「お前が、最初に呼ばれたかったってこと?」


「そうだよ!」


「あー」


「あーじゃないよ! そんな難しい話じゃなかったろ」


「いやもう、お前の乱心ぶりが無様すぎて話が入ってこないんだって」


「無様言うな」


 明仁はようやく真剣な顔をして考え出す。ただ、すぐに解決方法は見つかった。

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