第2話
明くる日、河西は飛行鞄をとりだし た。
「飛ぶの?」妻が聞いた。
「 仕事」
「 ふーん。 気をつけてね」
「 大丈夫」と言ったが、昨日の疲れが腰の当たりに残っている。飛ぶことより、 こちらの方が危ない年齢だ。
リードヒル・エアポートでセスナ172をレンタルした。
タワーに連絡を取り 、平日のためにあまり 込んでない飛行場を飛び立った。 少 し北にはサンホセ・インターナシ ョ ナル・ エアポートがある。飛行場空域に入らないよ うにヘイワー ドの街を見下ろしながら有視界飛行で北に向かった。
よい天気だ 。 写真を撮るには最高だった。
投資会社の会長宅の航空写真を撮るつもりだった。 家はパロアルトにある。 位置はサンホセの北に広がるサンフランシスコ・ ベイをはさんで西側になる 。
河西は、湾を横切 るためベイ・コ ント ロールを呼び出して飛行の許可を取った。 左のラ ダーを大きく踏み込みコ ントロール・ ウイール ( 操縦輪)を適当に左に傾ける。 機体が滑らないようにスロッ トルを押し込んでパワ ーを出し た。
六十度のバンクでまわって水平飛行に移った。 左前方にはミルピタス、サンタクララと言ったシリコン・ ヴァ レーの町並みが広がっている。
粘土質の土壌で農作には適せず、スモモ畑だった二束三文の土地がコンピューター のおかげで一転 し、土地所有者に高額の利益をもたらした。
河西は有視界飛行可能な高さの範囲で低く飛んでいる 。 高くすると計器飛行に切り 替えなければならないめんどくさい空域である。
パロアルトに近づいた。 丸みのある丘のむこうにフリーウェイ 280号線が見えている 。 河 西はハナとドライブした道を確認するために、 この空域で他の飛行機が飛んでいないことを確認した後、45 度のバンク で回転しながら場所を確認した。 間違いない。 あの小山の向こうに目指す家があるはずだ。
家の辺りを、飛行マッ プで調べると 、有視界飛行できないエリアに入っていた。 彼の飛行機は当然 レーダーで追われているはずだから、違反した飛びかたをすると FAA( 航空局) からお目玉をくらうことにも なりかねない。
しかし、彼は左ラダーを踏込み操舵輪を右に深く倒した。
セスナ172は、機体を滑らせてググッと深く下降した。 適当なとこで水平に戻し 丘の影から目指す家の上空に入った。家の周囲に彫刻が並んでいる 。 河西は真上で 60 度のバ ンクで左に急旋回すると写真のシャッターをおしこんだ。 自動でシャッ ターは切れ、かなりの写真をとることができた。
次に機体を右旋回させながら下方に滑らせて、家の周囲を目で確認した。 電線などに注意を払い、河西は再び丘の影から飛行空域の正常な高さに上昇し た。
スロットルを戻し 、飛行スピードを落とすとセスナ172のエンジン音が普通に戻った。 しばらく一般的な飛びかたをつづけた後、 コントロ ラー を呼び出して、再びベイを横切った。
飛行機を返した後、行き付けの写真屋によった。 店主は、米軍の特撮隊にいた男である 。 空中写真の撮影で金を稼いでお り、河西とは顔なじみだ。 早急な現像と拡大、やきまわしを頼み自分の家に戻った。
妻は既に自分の店に出かけていなかったが 、調査会社のスーザンから 連絡をくれと 留守電が入っていた。
河西は、調査会社から頼まれたモトローラ社の翻訳を、 まだ終えていない。 おそるおそるスーザンに電話を入れた。
「 サム。ハイ ジがどこいるか知らない?」と、スーザンが単刀直入に聞いて来た。
「えっ? ハイ ジ? 知りませんけど 、どうかしたんですか?」
「 会社に来ないし 、連絡も取れないのよ 」
「 ロス・ ガトスの家の方にも ですか?」
「 そうなの」
「 何日ほどです?」
「 二日だけど 、おかしいわねえ。 今までこんなこと、なかったけど ・・・」スー ザンが心配そうに言った。
「 わかりました。 心当たりのところを捜して見ます」
「 そう ? ありがとう。 ところで、翻訳終わったの?」仕事のことも忘れていなかった 。
「進行中です」しかし、1ページも終わっていない。
「 ありがとう。 よろしくね」
「 だいじょうぶです」と、河西は不安なことを言い受話器を置いた 。 同時に、翻訳の仕事の事は忘れて、ハイ ジのことを考えた。
ハイ ジは、投資会社の調査を行っていた。 殺さ れた中国人ジニー・ウォンの事も 絡んでいる事件だった。
河西は、先ずコーヒーを作ることにした。
自分の家で、贅沢し ているのはコーヒーだけだと思う 。 コーヒーは良いものしか飲まない。 人間一つだけでも 贅沢して、金持ちと同レベルの物を味わうことも必要だ。 もっとも これは河西の身勝手な持論に過ぎない。河西は、一飲みしたコーヒー・カップを雑誌の表紙の上に置いた。正午にちかいせいか日ごろは騒々しいアパートも静かだ。 今朝、読まなかった新聞のサンホセ・ マーキュリー紙をとりあげてページをめくった。
新聞のファスト ・ページには、今年十一月に任期満了と なるクリントン大統領のあとをねらった候補者戦が報じられている 。 民主党の現副大統領ゴア氏 6 3 %、共和党ブ ッシュ 氏 4 1% と報じ、この二人の写真を前面にして後六人の候補者の顔写真がならんでいる。 河西は、ふと下段の方に目を向けた。
ジニ ー・ワオ ンの小さ な顔写真が載っていた。 見出し は 「大人の行方不明者を持つ家族の捜査にもっと援助を」というものだった。
記事はジニーのことから始まり 、裏面ではベイ ・エリ ア ( サンフ ラ ンシス コ湾地域) における大人の行方不明者四名をレポートして、数多い大人の行方不明者の実態を数字でも報じていた。
ジニーの記事は全く偶然である 。 日本の小説のように昔の恋人同士が、 ある日偶然に東京駅の雑踏で出くわす場面を思い出した 。 確立の低いことが現実になると、まるで事故のようなものだ。
河西はコーヒー・カッ プに手を伸ばした。 二杯ほどコヒーを飲んで記事を読み終えた。ページをおりかえして前面にも どると、 ジニーの顔写真をながめた 。 美人で、面長な知的な顔は微笑して写っている。
一体、この女性に何が起こったのであろうか? ある時期までは幸福な生活をしていたはずだ 。 彼女を襲った不幸は、彼女自らが招いたものなのか、それとも、 他人が彼女を利用するためにしくんだ罠に落ち込んだ結果なのだろうか。 罠とは、他人を陥(おとしい)れるための謀略と広辞苑 には説明してある。
他人を陥れるととは、 自分を優位に持っていくことになる。 スポーツでもないかぎり 、 他人を陥れることが人間の道徳的倫理に適(かな)っているはずがない。しかし、残念ながら人聞社会の人聞の価値は、お金によって決められる部分が少なからず多い。 一人の金持ちは、数え切れない貧乏人の上で、始めて成立つ 。 河西は腹が立ってきた。
カセット・テープの浪曲をラジカセにセットするとコーヒーをつぎたしてソファにもどった。
三味線のいい音色とかけごえで虎造節が始まっ た。
“おちゃのかおりのとおおおかいいいどう。 しいみずういっかあのおお、めいぶつうおとこう。 えんしゅううもりのおお、いしまあつは。 しらふのときはよいけれえどおお 、おさけえのんだらあ、らんぼうものよお。 けんかばやいがああ、たまにきいいずう。ばかはしななああきゃああ 、 なをらあなあああいいい”
「 おい、おい」ポケットから声がした。 プラ トンだ。
河西はあわててポケットに手を入れてプラ トンを雑誌の上におこうとしたが、 雑誌をはねのけ 、 あたりにあったものをほっぽりだしてから 、テーブルの真ん中にプラトンを置いた。
光が出てきた。プラトンが現れた。
「 お、おはようございます」 河西は、少し 緊張して挨拶した。
プラトンは、やあと言い、 あたりをキョ ロキョロと見回し 「 乱雑だねJ と言った。
「 あっ、すみません。まさか、おいでになるとは思わなかったものですから 」
「へんな 、音楽が聞こえたものだから ね」
「 音楽 ?」
「そ・・・」
「 音楽はかけてませんよ」
「へんだね。 なかなかいいメ ロディだったが・・・」
「ああ、あれは、浪曲です」
「ろうきょく ? なんだい、それ」
「聞いてみますか 」
「そう だな。 ひまだし 、聞いてみるか」 プラトンは、突然光の中に現れた椅子に座った。 河西は、ラジカセのスイッチをいれた。
プラトンは浪曲が終わるまで一言も口をきかなかった。 プツンと カセ ットが終わると 「 すばらし い」と、彼は言った。
「 あのう・・・この、浪曲がですか?」
「 すばらしい。まったく 、すばらし い」
「プラ トンさん、アメ リカ人でしょう ? 本当に浪曲分かります?」 河西が疑ったように言うと、プラトンはコホンとせきばらいをし「 君、私は、コ ンピュターだよ。 アメ リカ人ではない」
「 じゃあ、選挙権もないですねえ」
「 もちろん、ない」
「 アメ リカには、不法滞在ですか? 」
「 いや、特別な権利をもっている」
「 そうでしょうね、 多分。 と こ ろで、先たっては、給料ありがとうございました」
「必要だったら、もっとあげていい」
「いえ、 とんでも ない。 あれで、十分です。 ととろで、今 日は何か用事でも 、も ちろん仕事ならなんでもします」
「 あっ、いけねえ。 わすれていた?」と、 プラ トンは言った。
「 忘れていた? あなた、 コンピューターでしょ う?」
「 そう 」
「 忘れてたんですか?」
プラ トンは、へへへとテレ笑いした。
「 それに“ いけねえ” という 言葉は、よくないですよ」
「 分かった。 ところで、写真できたか?」
「 写真?」
「 今朝、飛行機から 撮った写真」
「 どうして知っているんです?」
「 ときどき、君の脳波から 情報を得ているからね」
「 えっ ?」 河西は、やばいと思った。昨日、ハナの家、いや、 アルマデンの公園で体験 したこと は、どうなのだろう ?
「プ、プラトンさん。 つかぬことをお伺いしますが・・・」
「なんだね?」
「 あの、失礼ですけど 、 あなたは、人間のセ ックスなどについての興味とか、その、 あの・・・知識とか、持っています?」
「 もっているよ」プラトンはあっさり答えた。
「わっ、まいった、はずかしいなあ 。 まさか、ぼくの昨日のふるまいを、 どこからか見てたんじゃないでしょうね?」
「見てた」 プラトンは言った。
「わあ、そ、それは、私は仕事でして、いや、決し て嫌いな方ではないのですが 、 呪術に陥ったような感じでして」 と 、河西は赤くなって釈明 したがプラトンは、きょとんとして 「 何のこ とかね?」と言った。
河西は内心、セック スのことなどは、 このコンピューターにはインプッ トされていないんだと考えて内心ホッとした。
「 いえ、なんでも ありません。 写真ですよね。 私の撮った航空写真」
「できたかね?」
「 そうですね。 もうできていると思いますが、必要ですか?」
「 うむ・・・その写真をみてみたまえ。 問題の家の付近に誰かが写っているはずだ。 その人間は、先ほど悪い人間につかまった。 君は、その人を助けてくれないか ?」
「それは、仕事ですか?」
「 危ないけどね。 われわれは、人間の生命に責任がある。正直君に伝えよう。 一台のコン ピュ ータ ー が私の命令を聞かなくなった。 そのコンピューター は、人間の作った卑猥なソフトに狂わさ れてしまっている。 そして、他の一台のコンピュー ターも問題のソフトが乗せられた。殺人まで起きた」
「 なるほど・・・今、わかりまし た。 筋書きはできていたんだ。血が騒ぎますよ。 まかせてください」
河西は浪曲調で言った。
「 わるいね」と、プラ トン。
「どんな仕事でも 、ないより、あったほうがいいですよ」
「 問題のコンピューターの所にだどりついたら 、 わたしを、そのコンピ ューター のまえにおいてくれ。説得してみる」
「 わかりました。 でも 、危ない気がしますねえ・・・」
「 しかたない。 では、君は写真をもらってきて確認してくれたまえ」プラトンは片手を河西にあげるとスーと消えた。 河西は写真屋に向かった。
写真屋の店主に頼んで、一枚の写真 を拡大してもらった。 確かに人聞が一人、彫刻のある庭の手前にある谷のような場所に潜んでいた 。 女のようである。
河西は礼を言って写真屋を出ると、車をパロアル トに走らせた。 写真の女はハイジの 可能性がある。
プラトンは、潜んでいた人聞が悪い人聞に捕まったと言った。 それがハイジだとすると 、 あいてはかなりのセキュリティー・システムと優れたガードの人間をつかっていることになる。 ハイ ジは優秀な調査員だし 、高度な武術や捜査テクニック を持っている女性だ。 しかし、一般 の人間が一人で立ち向かえる相手ではない。
河西は、 トラック をハナと来たことのある 小山の入り口付近で止めた。 この辺りにはまだ人家がある。 車を駐車していても 怪しまれることはない。 彼は、 特殊に作られた軽くて足蹴りのできる靴にはきかえた。
問題の家から死角になっている場所を選び、 まっすぐ 尾根に向かった。
尾根に出ると 、問題の家は以前に見た時と同じように転々と家をとりまく性器の彫刻に囲まれている。 ハイジと思える女性が潜んでいた谷間は、家に身を隠しながら 近づくには最適であろうと思われた。
しかし 、彼女は捕まってしまった。 多分、 家の周囲には何かの仕掛けがあるのだろう 。 監視カメラであれば、 その死角を通り抜けるテクニックはもっている 。 元特殊部隊にいた人物に教わって実践経験まである。
問題は、他の装置だ 。 捕まったのがハイ ジとしたら、多分最新式のセンサーを張り 巡らせているのかもしれない。 見たところ探知ビームは、使っていないようだ。 これが野外に使われることはほとんどない。 すると 、センサーか音の収納装置か? 相手はコ ンピューターに強い入間達だ。そして、 彼達の弱点 はコンピューターに頼りすぎるということだろう。 間違いなくセンサーとコンビューターを直結したガード・システムを使っているはずだ。
河西は地上に腰を落とした。 ガード・システムがわからないかぎり、家に近づいても すぐに捕まってしまう。
河西は瞑想した。 しかし、精神を集中する前にハナの家で経験した桃源郷の夢を思い起こしてしまった。 桃源郷は、きらきら光っていた。 蛇の頭がそこに向かった・・・蛇? 男性の性器? 河西は目を聞いた。 立ち上がってもう一度家を見た。 卑猥な彫刻やオブジェが家を取り巻いている。 先ほどの光景だ。 彫刻はうまく配置されていた。 穴を突き抜けたオブジェの先端は空間にある。 あれだ。 あれらの先にセンサーが取り付けられている。
河西は持ってきた小さ なパック を引き寄せた。 なかに、センサー の動きを止める特殊なスプレーがある。これを進む両側にある棒状のオブジェの先に軽 く噴射すれば、数時間の間セン サーの機能が落ちる。
捕まっている女性のことが気になっ た。 河西は、谷をめがけてするすると尾根から降りて行った。
谷の茂みの影から家の様子をうかがった。 人影はない。 ポケットからチョコレートを取り出してかじった。
その時、 幽かに車のエンジン音が聞こえてきた。 車はこの家に向かっている。かなり古い車のエンジン音が不規則に聞こえてくる。
くねりながら上がっている私道を低い樹木の影から見ると、曲がりくねったカーブの先端部分だけが見える。
やがて、カーブでチラ リと車が見えた。 やはり 、大型の古い アメ 車だ。河西は同じ車をどこかで見た覚えがあった。
車は、アルメダン公園で見たものだ。”おい” という言葉を連発する芸術家。
彼の奥さんが最後に言った言葉を思い出した。 私とジニーのモノはあそこにある わ、と彼女は言った。
すると、 この庭に飾られている彫刻は、彼女たちのモノを彫刻化したオブジェであろうか。
車は数度ほどカーブの先に見え、しばらく山肌にかくれたが家の正門付近であらわ れて停まった。 中に男一人が乗っていた。 あの芸術家だ。
やがて門が開くと、車は家の中庭の方に進んで行った。
いろいろなことがつながっているなと、河西は思った。 谷を背に前方の小山の尾根を眺めると 、久しぶりの青い空がきれいに見えた。
日ごろ、 普通に働いている自分が失業をきっかけにして、 まるで日本の推理小説の中にでてくるようなことをやっている。
「 おい」 誰かが声をかけた。 河西は反射的に身構えた。
声はポケットからした。 なんだ、プラトンか、 と思い取り出そうとしたら 「 このままでいい」とプラトンが言った。
河西は、現実にかえった。
せっかく手に入れたコンピューター会社の仕事である 。
ここで、しり込みして、再び職を失いたくなかった。
「 おい、きをつけろ」と、プラトンは言った。
「 もちろん、 きをつけてますよ。 きをつけてますがいろんな事を考えましてね」
「 ふん。 どんなこと?」 プラトンが聞いた。
「 いやに、おちついていますねえ。 ぼくなんか小便をちびりそうですよ」
「 でも 、君のデーターに出てないよ 」
「 いや、それは、ですね。 お金がほしいからですよ 」
「 ふん。 じゃ、今度、ロッ テリー・ティ ケッ ト( カリフォルニアの宝くじで一等は数億ドルほどにもなる)の当たり 番号を教えてやっていい ・・・まてよ、 これは、ちょっとまずいか」と、プラトンは訂正した。
「 いえ! ぜんぜんまずくありません」河西はあわてて言った。
「シー静かに。 声が大きいよ」プラトンの言葉に河西は家の方を見上げた。 芸術家が家の中には行っていくのが見えた。
「 プラト ンさ ん。 センサーを見つけましたよ」
「うん。 君からデーターをとった」
「 ああ、そうですか」
「 ふてくされるのは、よくない」プラトンが言った。
「 これが成功したら、ボ ーナスくださいよ」
「 わかった。 あげる」
「 おねがいします」
「 わかった、わかった。 さあ、行こうか」
「 突入ですか?」
「 うん。 今がチャンスだ。 あと数時間もすると ボブ・ホプスが帰って来る」
「わかりました。 中には何人ぐらいますかねえ・・・」
「 十人だ。 ガードが七人、 うち二人は女だ。 コンピューターの管理者が 一人。 女中が二人」
「 かなり、いますねえ」
「 心配するな、私がついている」プラトンが言った。
「 お願いしますよ。妻と子が待っているんですから 」
河西は動きはじめた。 プラトンが指示する通りに進んだ。
一番目のオブジェに下から 近づくと例のスプレーを噴射した。 二つ三つとすすんで家の壁にたどり着いた。
河西は胃カメ ラのように光ファイバーでできたワイヤーの先端を窓にあて、携帯用の小さなスク リーンに中の光景を映し出した。
男がふたり手術台の様なものに女性を乗せた。 ハイジだ。 裸体だった。多分睡眠薬 で眠らされているのだろう。 動かない。
一人の男が何かを彼女の秘部に塗り付けた。 彼達はハイ ジの両股を大きく左右に広げてベルトで固定し た。
芸術家が別の男と入ってきた。 男はハイ ジを指差して何か芸術家に話している。 河西は、あわてて盗聴用の特殊な好感度マイ クを壁につけた。
「どうだい。 いい玉だろう? これなら、できるだろう?」
「 もう、 どんな女でも 、いやだと言っただろう ?おい」 芸術家の声だ。
「 おめえの、キャサリンはどうなる? ジニーのようになっていいのかい?」
キャサリンとは、 アルメ ダン公園であった彼の妻のことだ 。
「 キャサリンには、手を出さない約束じゃあないか、 おい」
「会長に助けてもらった恩をわすれたのか」
「 あの時の病院の治療費は、彫刻で払い戻したはずだ」 芸術家は “おい” を付け加えずに、 怒った口調で言った。
「 いいから 、 この女の肌を見ろ。 創作意欲が出るぜ? 」 男が他の二人に目配せすると、彼達は芸術家に近寄って両サイド から挟むようにしてハイ ジの両股の間に連れて行った。
芸術家はまじまじとハイ ジの股をみた。へビに睨まれたカエルのようにそのまま立ちつづけた。
「 なっ 、気にいったかい」 男が言った。
芸術家の身体がハイ ジの秘部のほうに折り曲がり 、彼の鼻先が秘部をつついた。 彼は頭を持ち上げて、立ち上がる と「確かに、上玉だ・・・」と、言葉をもらすようにポツリと発した。
彼の右手が近くにおいであった器の中の白い布をつかみ上げた。 その布で太股から 秘部にかけて、丁寧に拭き始めた。
多分刺青のための消毒だろうと推測できた。
「 プラトンさん」 河西はポケットの中のプラトンに低い声で呼びかけた。
「 なんだね ?」
「 この次、 どう しますかねえ?」
「 中の男達がいなくなるまで、しばらく待て」
「 ハイジはどうしましょうか?」
「 まだ、だいじょうぶだ」
河西はチョコ レートを取り出して、かじりはじめた。 二口ほどかじった時、 男三人は部屋から出て行った。
芸術家は夢中でハイジの股付近を拭いている 。
「プラトンさん。 男達はいなくなりました。 芸術家とハイ ジだけです」
「 よし、入るか」と、プラ トンは言った。
「 窓を蹴破ってですか?」
「 私にまかせておきなさい」
「 芸術家は、どうしましょう?」
「 入った後、当て身で眠らすことだね」
「 わかり ました。 でも 、 どうやってはいります?」
「 私を外にだしてくれたまえ」 河西は、プラ トンを外に出した。
「 私を壁に向けてくれ」
河西はプラトンを右手に持つと、壁の方に突き出し た。
プラトンのセンターから 青白い光がでて壁にあたった。 そこ に直径が五十センチメートルほどの青白く丸い円が描かれた。
「 さあ、 ゆこう」プラ トンが言った。
「 どこえですか?」
「 なかにだよ 」
「どうやって?」
「 いたって、かんたん」
「 ?」
「あの丸い輪の中にとびこむのだよ 」
「 それだけ?」
「 そう 」
「じょうだんでしょう ?頭から突っ込んだら 、壁に “ゴン” じゃあないでしょうね?」
「心配ない。 壁を構成する物質の粒子を空気のような粒子にかえてある」
「 ほんとうですか?」
「 ほんとうだ」
河西は身の回りのものをつかみ、 えいままよと 頭から 壁に突っ込んだ。 体が壁をスーと抜けた。 自の前に芸術家の後ろ姿があっ た。
河西は 「 ごめん」 と小さく言うと彼の横腹に当て身を入れた。 芸術家は声も立てずくずれおちた。
顔を前方に向けるとハイ ジの下部が大きく広がっていた。
「 しつれい・・・」 河西は不必要なことばをかけ、思わず目をつむったが 「 はやくしろ」と言うプラ トンの言葉で現実にかえった。
ハイジの両足と両手のバンド をはずし 、両股をとじると腰部に自分の着ていた T シャツをかけた。 バックより 睡眠から 目覚めさせる 特殊な薬を 取り出し、ハイ ジの口を開けて流し込んだ。 そのあとは、 ビンタだった。これは、習ったことだったので仕方ない。 パシパシとビンタ をはると 、ハイ ジの目が聞いた。 声を上げよ うとしたので、その口を手で押さえて簡単に事情を説明した。
ハイジは立ち上がって初めて自分の一糸まとわぬ姿に気づき 、小さく 「 キャ 」 と言った。
河西は、う ずくまってから だを隠したハイジに、彼女からずり落ちた Tーシャ ツを拾い上げて渡すと、後ろ向きになって、ハイジがそれを着るのを待った。
LLサイ ズのTーシャ ツだったので、何とか彼女の太股あたりまで隠れた。 その時、男が一人部屋に入って来て彼達に気がつくと懐からピ ストルを抜こうとした。 河西の横蹴りが男の腹にくいこんだ。 男は声もたてずまえにくずれた。 ピストルが床に落ちた。 ハイジがそれを拾い上げた。
すべての事が速いテンポで進んでいる。
「 つぎ、 どう する?」 プラ トンに聞いた。
「 へやをでて廊下を右にすすんでくれ」とプラトンが言った。
「 わかった」
「ねえ、サム。 無線で話しているの?」後に続いている ハイジが聞いた。
「 うん・・・」多分この場でプラトンの事を話しても簡単に信じてもらえないだろう 。 後ろから声がした。 つづいてパンパンと 何かが飛び跳ねるような乾いた音がし た。 河西 の耳元でヒュンと ピストルの弾がうなった。
ハイジが後ろを振り向くとピストルを撃った。 相手がパタンと後ろに倒れた。
「いそげ。 そこを左だ」プラトンが言った。
左に行くと突き当たりが階段になっていた。 「二階だ」プラ トンの指示に河西と ハイジが 数歩階段を上った時、階上からピストルの音がし た。 同時にハイジがピストルを二発撃った。
男が二人倒れた。
二階に上がると、プラトンはここを真っ直ぐ進めと言う。 まっすぐな廊下がかなり の長さでつづいている 。 昼なのに辺りは薄暗くしてあった。
突然、前方の部屋の角から 男と女があらわれて襲いかかってきた。 武術の心得があるらしく変な掛け声とともに鋭い蹴りと突きを入れて来る。 河西は下腹に力を入れて両手を相手に突き出すような構えになると、相手の攻撃を待った。 これは映画のシーンではない。 一発の蹴りか突きが勝負を決める。
男の相手が大きな気合とともに右前足蹴りを鋭く入れてきた。
河西は体を右にひねりながら 左手で蹴りを受けて、相手の体を半身にまわすと、すかさず固く握った右の拳で相手の脇腹をめがけて突きを入れた。
ハイ ジと 戦っていた女性が、河西の後ろからまわし 蹴りを入れてきた。 左手を立てて右手をそれにつなぎ蹴りをとめた。 河西は攻撃を控えた。 相手が女性だったからだ。 しかし 、相手は右正拳を河西の顔に突き出してきた。 反射的に河西の左手が輸を描き、 これを止めると相手の腕を握って引っ張った。 相手はバラ ンスを崩して前のめりとなった。 本来なら、ここで河西の右正拳が相手を攻撃しているところだ。
河西は女をハイジの方に押し た。 ハイジが相手に蹴りをいれた。 彼女の T-シャ ツがもちあがって秘部がチラリと見えた。
「 ハイ ジ、 この際この女の服をもらったら ?」 河西の言葉にハイジは領いた。
河西とハイジは敵の女性の服をはがし始めた。 脱がした服をハイジが着ていく 。 スポーツ服のような弾力のあるズボンを脱がすと、 黒い色の下着をつけていた。
全く 最近、女性のこの部分とよくお目にかかるなあと 、河西が感慨深そうに見つめてい ると「 サム。 何見てるのよ!」 ハイ ジの怒った声がした。
「 ちょっとだけだよ」
「 すけベ」
「 なんだよ。 おまえのは、すっぽんぽんをみたぞ」これは、英語で言うのが難しかった。
「 えっ? 見たの?」
「 ハイ ジ。 そんなことより、後一人女のガードがいるから注意がひつようだ」
「話をそらさないでよ」ハイジがふくれた。
「 いいじゃあないか、少しぐらいみても 。 アメリカ人って、見せても 平気だろう ?」 いき なりハイジの手にしたズボンが河西をおそった。
「 いて! なにしやがるんだ、 このアマ」 これは、日本語だった。
「 こ ら!サム 、いそげ」プラトンが言った。
とにかく 、着替えの終わったハイジを促し て、突き当たり の廊下を右に折れた 。 何と、ややこしい部屋の配置になっているのだろう 。 すべてが異常な作りだ。
「 プラトンさん、出口はどこへ向かっているのです ? どこがどうなっているやら 、さっぱり分からなくなってきました」
「 わたしたちは、ただ、部屋の中をぐるぐるまわっているだけだ」
「 な、なんですって?」
「 コンピューターの作っている幻想の世界だよ」
「じゃ、 いままで倒した敵は?」
「彼達は、 本物の人間だ。 わたしは、幻覚にかかっていない 。 君たちを正確にコントロー ルできる 」
「 じゃ、後一人残っている敵の女も此処にいるんですか?」
「 もちろんだ」
「 どうして敵のコンピューターが味方に幻覚をあたえるのです?」
「 敵には、逆に私が与えている」
「 なるほど・・・」
「次に階段があるので下におりろ」プラトンが言った。
河西とハイジはゆっくりと階段を降りた。中庭のような場所に出た。 突然乾いたピストルの音がつづけさまに起こった。
河西とハイ ジは物陰にとびこんだ。 弾が何発も 近くの壁などに当たった。
「 自動小銃をつかっているわ」ハイジが言った。
「くそ・・・相手は、女だろう?」
「そうみたい」ハイジが物陰から相手をちらりと見て言った。 ハイジが少し身動きした。弾がパンパンパン 左辺りで跳ねた。
「 冗談じゃあないよ。 ぼくは日本人だよ。 平和に慣れているんだ 。ピストルなど警官とヤクザしか持たない国だぞ」
「 そのかわり、スケベじゃない」ハイジが言った。
「 あれは、金のある男達だけだぞ。 ぼくは・・・」河西は、 こ こ数日の事を思い出して口をつぐんだ。
パンパンパ ン、パンパン 、ピストルの音がして弾が彼達の隠れている壁にあたった。
「 とにかく 、ぼくはピスト ルで殺られて死にたくないね。 生命保険にも 入ってないし 、 そ れに・・・ほら 、翻訳の仕事、まだ終わっていないんだ」 河西は気が動転していて、 自分がどんな事を言っているか分かっていない。
ハイジがチラリと河西を見た。
「ぼく 、知らないよ。 家族があるんだ。 ぼくに、何かあったら大変な事になる よ」
「あなた、人の裸を見ておいて、 よく無責任なことが言えるわね」
「 ?」
「 見たでしょう? わたしのを」 ハイジがふくれっ面で言った。
「偶然だよ」
「責任とりなさい」
「 そんな、 ばかな」
パンパン 、弾が飛んできた。
「サム。 ほら、こちらに来て、向こうに走ってよ」
「冗談だろう ?撃たれちゃうよ」
「 大丈夫。 私の射撃の腕を信用しなさい」
「 本当に、大丈夫かね?」
「じゃ、私の裸を見た責任とる?」
「 わ、わかった。 やるよ 」
ハイジがニコリと微笑し た。 河西はハイジの脇にすり寄った。 落ち着いて 「ほら・・・」と、ハイ ジは河西の唇に軽くキスをし た。
「 あら 、 チョコレートの味がする 」
「 昼飯の代わりです。 じゃ、走るよ、ハイ ジ」
「OK」 ハイジは、 ピスト ルの弾を確認すると 、銃を握りなおした。
河西は“ なむさん!” と日本語で言い物陰から 走り出たが、つまずいてころんだ。 ピストルの音がした。瞬時、殺 られたと思った。
「 おきなさいよ」ハイ ジの声がし た。
「 ?」
「 死んでないわよ 」
目を聞けて見ると 、ハイ ジが河西を見下ろしていた。 なかなかいい女に見えた。
「 さて、次の仕事だ」とポケットの中でプラトンの声がした。
プラ ト ンの案内で、河西と ハイ ジがたどり着いたところは地下だった。 ドアを開けると中央の椅子に色の白いコンピューター技師がいて、振り向いた。
河西は前もってプラトンに指示されていたとうり、男の手がキーボードに触る前に駆け寄って当身を入れた。
室内にはスーパー・コンピューターがうなりを上げている。
「 だれだ」 機械の音声でできたような湿った声がした。 この声は人間ではない。
ハイジがピストルを構えた。 どこからかプラズマが飛んできてハイジのピストルを落とした。 一瞬のことだった。
「おまえたちは、誰だ」再び声が聞こえた。
スーパー・コンピューターがより高いうなりを上げた。
近くの机の上に置いてあったノートがめくれて吹っ飛んだ。
「 わたしだ」プラトンが機械に答えた。
「 ?」スーパー・コンピューターが躊躇したように感じられた。 河西は、プラ トンをポケットからとりだして机の上に置いた。
スーパー・コンピューターからプラトンをめがけてプラズマが発射さ れた。 瞬時、プラトンを青い光が覆った。
プラズマは青い膜に当たって跳ね返った。
プラトンの中央部から光が出て、プラトンが現れた。
「 プ・ ラ ・ ト ・ン」 スーパー・コンピューターが声を上げた。 スーパー・コンピューターが一段とうなりを上げた。
プラ トンは立って腕を組んだままの姿勢でいる 。
あたりが(ゴー)という音に包まれた。 部屋自体がかすかに振動を始めた。 まるでSF映画を見ているようである。
スーパー・コンピューターは、あかっぽい光に包まれている 。
プラ トンの逆円錐の黄色っぽい部分は、青っぽいで光の膜で包まれた。 双方からプラズマが行き交う。
決着は、なかなかつかなかった。
( サム・・・)河西の頭の中でプラトンの声がした。
( ハイ ジを裸にしろ) と、プラトンが言った。 河西は咄嗟にハイ ジの着ていたTーシャ ツをパリッと破った。
「 キャ!なにするのよ!」 ハイジの怒った声が上がった。
その声に一瞬、スーパー・コンピューターの赤いまくのひかりがゆれた。 プラ トンから青い光線が発射された。
「 グウ、パパパア!!!」 と、機械音がし た。
スーパー・コンピューターのうなるような音がとぎれた。 振動もとまった。
ああ、 よかったと河西は思って後ろのハイジをみた 。 破られたT-シャ ツで胸を隠した、怒った顔があった。
「 プ、プラト ンさん」河西は、プラトンにハイ ジを指差した。
「 ああ、つかれた。 私はしばらく休憩だ。 サム、 ごくろうさま。 では」と言って、 プラト ンはスーと消えた。
「 ちょ 、ちょっと、まって」 相手は待たなかった。
怒っているハイ ジをなだめながら外に出ると、太陽はまだ高い位置にあった。 河西は変な彫刻に手をかけながら 、いろいろ釈明せざるをえなかった。 結局二日後までに翻訳の仕事を終わること、日本食レストランに連れて行くことを約束させられた。 ああ、これで、翻訳料はなくなると思ったが、ハイ ジと食事することは嬉し かった。 彼は、彫刻の頭をぺたぺたとたたいて、手を合わせた。
ハイジは、この家を出る前に、 ビニールの袋に入った新しいT-シャツを数着頂戴してい た。
リ ビング ・ルームに重ねて置いてあったと言う。
袋を破って広げてみると、 乱立する 彫像と同じよ うな図柄がピンク色で染め抜いて あっ た。 仕方ないので、河西とハイ ジはそれらを裏返して着る ことにし た。
遠くから 車のエンジン音が聞こえ始めた。 この家の方に上ってきているようである。 二人は谷の方に走った。
ハイ ジを彼女の車まで送って後、河西は電話でハナに事件を報告した。 自分のアパ ートに帰ったのは午後の四時すぎだった。
子どもは既に学校から帰って来ていて、 コンピューターに向かい宿題をやっていた。
「 お腹すいていな いか?」 いつもの言葉を子ども にかけた。
「 すいていないよ」
「 そう、何か食べた?」
「 お母さんが、学校の帰りにハンバーガーをおごってくれた」
「 へええ、いいなあ。 お父さんも お腹がすいた」何西は、台所に行った。
手鍋に水を入れて火にかけた。 イ ンスタ ン ト ・ラ ーメ ンを食べるつも りだった。 学生のこ ろ、親の送金を受け取るとと、すぐにラーメ ンと ビタミ ン剤を買い込んだも のだ 。 あとは、勉強もせずに飲みまわった。 家が農家なので、米は送ってきた。
月々の中頃には、お金はなくなって来る 。 そうなると、 毎回の食事はキャベツと ラーメ ンと ビタミ ン剤に代わった。 キャベツは半分を塩もみにし 、後の残りはラーメ ンに入れて食べた。
アメ リカのスーパーでは時々十個一ド ル ( 約 105 円)で買える。 河西は出来上がったインスタ ント・ラーメンをすすりながら幸福感を覚えた。 無事に帰ってきたし、当分お金に不自由しなくてもよさそうである。
ラーメ ンを食べおわったら、翻訳の仕事にとりかかろうと思った。
次の目、河西は、朝から依頼されたモトローラ社の翻訳をやっていた。
キッチンの広いテーブルの上には、四五冊の辞書がおかれている 。 訳している原文には、 コンピューターに関する特殊な用語が頻繁に出てくる。
翻訳会社では翻訳ソフトで大まかに訳した後、簡単に手を入れて仕事をこなしているらしい。 時々、訳されたものが河西のもとの持ち込まれるが、まともでない訳に戸惑う事が多い。
正牛近く 、ハイジから電話があった。
「 どう ?仕事、すすんでいる?」
「 うん。 急いでやってるからね。 後二時間ほどだろうな」
「サンキュー」
「どういたしまして・・・」
「 ところで、サム」
「 なんだよ。 いそがしんだ」 普段の口調にもどっていた。
「 なによ。 私、情報をあげようと思ったのに」
「 失礼。 反省します」
「 知っている? T-シャ ツがどこで使われているか?」
「 ああ、 昨日のT-シャ ツか。 たぶん、乱痴気騒ぎのものだろうね」
「 男女交際ク ラブ」
「えっ?」
「 アルマデンにあるらしいわ」
「 場所はしってるよ」
「 サム、知っているの?」 ハイ ジが驚いたように声を上げた。
「 うん」
「 遊んだの? メ ンバー ? いやだわ」
「 ち、ちょっと待てよ 。 ぼくは、 ビンボ一人だよ 。 ああいった事には、 参加し たくてもできない。 ぼくは、清い人生 を送っている」 話の最後を強調 して言った。
「 そうよ、ね」 ハイ ジが電話の奥で笑った。
「 どうしてわかる?」
「あなた、うちのオフィ スにいるスーザンに興味もっているでしょう?」
(どうして知っているのだろう?)確かに、あの会社に行った時、スーザンに話し掛けては 彼女のオッパイをながめている。 女の感は恐い。
「 な、 なにを言っているんだ。 とんでも ない。 ぜんぜん、だよ 」
「 あら、そう ?」
「もちろん」
「 じゃ、私は?」
「 あのね、ハイ ジ。 君は、ね。 ぼくの娘ほどの歳なのよ 。 わかる?」
「 わたし 、気にしないわ」
「 ぼく、気にする」
「 じゃあ、私より、 スーザンがいいんだ」
スーザンの色っぽい身体と、ハイ ジの生身の若々しい身体が、河西の天秤の上にのった。 どちらも、 うらやましいほどの魅力を溢れさせている 。
「 ああ、忙しい時にハイジの質問には答えられません。 又の機会にして下さい」 ハイ ジはうふふと笑って 「 翻訳いそいでね。 じゃ、バイ 」 と、電話を切った。 河西はコーヒーを作り直した。
フレッシュ なコーヒーの味と香りをたのしんだあと 、再び翻訳に取り掛かった。 翻訳の仕事が大体終わり、一つ二つハナに聞くとこ ろがあったので受話器を取りあげたら、電話が鳴った。
「河西さ ん?」 ハナだった 。
「 やあ、ハナさ ん。 絶妙なタイミングですね。 今、ハナさんに電話をしょうと受話器を取り上げたところでした」
「 あら? ほんとう? 」
「ところで、今してる翻訳の中で少し教えていただきたいところがあるのですが・・・」 河西の訳の質問に、ハナは直ぐ明快な訳と説明をした。 その後に「 いい天気ね」 と、言った。
「 ほんとうですか?」 河西は窓を見たがカーテンを引いていた。 しかし、 カ テンは力強い光に透けている。
「 そうみたいですね・・・」
「 今 日は、忙し いかし ら?」
「いえ。 おかげさ まで、 これで翻訳の仕事は終わりです」
「そう 。 じゃ、ちょっと会えるかしら ?」
「 ええ。 ハナさ んとなら 、何時だって、何処だって会いますよ 」
「最近、会いすぎかしら ?」ふふとハナの含み笑いがつづいた。
「 とんでも ない。 もっとお会いしたい気持ちですよ」
「 冒険好きね」
「子ども のこ ろ、宝島をよんで感動しまし た」
「 翻訳の仕事、届ける のでしょう?」
「 ええ。 そのつも りです」
「 じゃ、 ク ロック ・カフ ェでいいかしら?」
「じゃあ、三時でも いいですか?」
「 いいわよ 」
ハナが受話器を置いた後 、河西はいそいで仕事をかたづけた 。 真っ直ぐハイ ジのオフィスに行き、受け付けにいる スーザンに翻訳した書類を手渡した。
「 ハイ ジ、 いるわよ 」 とスーザンが言ったが、電話で連絡しますと返事してクロック ・カ フェ に向かった。
河西は桃源郷の夢を見て以来、 ときどきハナの身体が頭のなかでちらついた。 六十三歳の女性の魅力は、不思議なほどの力で今の何西を支配している。 女の摩訶不思議さが男を虜にすると言う事は、女の性のいたずらだ。
男は勃起で性を知る 。 勃起がないと女性を征服できない。
金と名誉を得た男達がコント ロールできないも のは、 自分のペニスの勃起かも しれない。 最後に残った征服できないものをコンピューターの最新技術で解決するアイデアは、 シリ コン・ バレーで成功した金と暇のある輩(やから)の考えだと 、河西は思った。
ク ロック・カフェ の駐車場には、すでにハナの車が停まっていた。
運転席からハナが手を振った。
「 忙しいのに、 ごめんなさ い」と、ハナがク ロッ ク ・カフェ のテーブルに座ると言った。
「 たいして忙しくないですよ。 尤も 、 昨日は少し忙 しかったですけどね」
「 昨日は、 ご苦労様。 そうそう 、お金もってきたわよ」
「まだ、大丈夫です」
「 違うわよ。 これ、ボーナスですって」
「ボ ーナス?」
ハナは、バッ クから白い封筒を取り出して河西に渡した。
「 わっ!うれしいな。 誰からですか?」
「 アメリカ合衆国」
「どこかの国ですか? それと も 、ああ、わかっ た。 サンホセのポ リス・ デパー トメ ント かな?」
河西は封筒を持ち上げて中を透かしてみた。
「 ふむ00か・・・たぶん、 百ド ルは入っていますよ、 これ。 ぼく 、今 日、 おご ります。 寿司でもつまみに行きますか? ところで、 どこからのボ ーナスでしたっけ?」 多分、金を持ったことのない人間の考える事は、 この程度である。
「 わたし 、そんな河西さ ん好きだわ」と、ハナが言った。
「とんでも ない。 ハナさ んとプラ トンのおかげで家族が生活できます。 あっ、プラトンと 言うのはですね、 ぼくの友達なんです。 アメリカ人で、 日本語がぺらぺらで、まるで コンピューター のような奴なんですよ。 じっさい、 コンピューター なんですが、話せば長くなるので止めますよ、 この事に関しては。彼は、とても いい奴で。 と こ ろで、 このボ ーナスはどこからでしたっけ?」二度も同じ質問をしている。 小心者は、物をも らうと次のお礼を考えてしまう 。 河西の頭の中は、思わず手に入ったボ ーナスで真っ白だった。
「 アメリ カ合衆国」 と、ハナが再び言った。
「 アメ リカ?」
「そうよ。 よかったわね」 ハナが微笑んだ。 河西はゴクリとつばを飲み込んだ。
彼はもう一度封筒を光に透かしてみた。いやに、 ゼロ が多い。 再びゴクリとつばを飲み込んだ。
おそるおそる封筒を開けて小切手をとりだし た。 1の数字の後に0が七個ついている 。
「 ハ、ハナさ ん」河西はハナに小切手を見せて何か言おうとしたが声にならない。
「 十万 ドルだけ。 命がけの仕事だも の、まだ、すくないわよ」
「 ハ、ハナさ ん」河西の目には、涙が浮かんできた。
あらあら 、うふふふ。 ハナがいたずらっぽい笑いをつくった。
十万ドルの小切手をもって家に帰った河西は、本当にこまった。 家族三人で小切手を囲み、物も言わずに見ていた。
信じられないのである 。 考えて見てください。 二度も日系企業から解雇にされ、つい最 近まで失業していた人聞が、 一挙に豊かになれそうな金額の小切手を手に入れだわけです。 河西の家族は、パニックでし た。
半分はもらって、残りは寄付をしたらどうかしら? などと 、考えてしまいます。 いや、後で戻せといわれたら 、困るなあと、心配が多いのです。
結局、マヨ ネーズの空き 瓶に入れ、 冷蔵庫にしまいまし た。 これで空き 瓶の中の小切手 はプラトン社からもらったのと 、二枚になりました。
明朝の九時ごろ 、河西が妻の作ったスクランプル・ エッ グと ベーコ ンの朝食をとっていると 、電話が鳴った。
電話は、河西が仕事を申し込んでいたユニフォームのクリーニング会社からだっ た。 今日、面接に来いと言う 。 行く事にした。
妻に仕事の面接に来いという 事だったよと、電話の内容を伝えると妻は顔をほころばせた。 やはり 、昨日の小切手とかプラトン・テク メ ロジ一社のことなどは信用していないようだ。
河西が自分の部屋で、コ ンピューターに入れている仕事の履歴書を手直ししている と「 おい、おい」 と例の声がした。
河西は、あわててプラトンを机の上に取り出した。 兎に角、給料のお礼を言わなければならないと思った。
光とともにプラトンが現れた。
「 プラトンさ ん。 おはようございます」
「 やあ、先立っては大変だったね。疲れたね。 温泉にでも入りたいよ」
「 温泉ですか?」 本当は爺臭いと言いたかった。
「 きみは、そう は思わなかったかね?」
「 はい。思いまし た」
「爺臭いねえ・・・」
河西は揚足を取 られたよう で、ため息を吐いた。
「 ところで、今 日はなんでしょうか?」
「 うん。 次のしごとだけどね」
河西は、ここで防衛に出た。 もう危ない仕事はいやだった。
「 実は今日、他の会社から来ないかという誘いがありましてね。 今、履歴書を作っているのです。 コンピューター会社って、働く人聞をコ ンピューターのパーツのよ うにしか考えていないじゃあないですか。 すぐにレイ ・オフ( 一時回顧)されますからねえ」
「 しないよ。 大丈夫」
「 ほんとうですか?」
「 ほんとうです。 で、次の仕事だけどね、アルマデンの男女交際ク ラブにあるコ ンビューターを壊す」
「アルマデンの・・・」 河西は、ふとプラトンとハナの意図していることが同じであることに気づいた。
「 プラトンさん。 ちょっとお聞きしますが、ハナと言う日本女性をご存知ではないでしょうか? 彼女は翻訳者で華道の先生で、 なぞの多い不思議なおばさんなんですが、彼女から頼まれたアルバイトがプラト ンさんのものとよく似ています」
「 ふ ん。 彼女も 、大統領の依頼を受けているのかなあ?」
[ 大統領の? さあ・・・」河西は大統領の名が出てきたので驚いた。
「 われわれは秘密裏に、 コンピューター が人間社会のモラルに違反しないよう管理している。 一方人間社会も 、人聞がコンピューター を悪用しないように管理している。 目的は同じだ」
「 なるほど ・・・」
「 それで、 だ。 私はコンピューターだから 、 ある部分において人間の助けを必要とする。 私は、君を選んだ。おめでとう」
「 いや、どう も、恐縮です」河西は頭を掻いた。 先ほど思った事など既に忘れてし まっている。
「 ところで、 どうやって交際クラブに潜入しますか?」
「君は、今何をしている?」
「ああ、 これですか。 履歴書を・・・いや、 その、 プラ トン社がいやというわけではないのですが、単なる 、あそびです。 ああ、そ うだ、潜入のためですよ 。 潜入。 その男女交際クラブにクリーニングの配達員になってですね、潜入しようと思いまして」 口からでまかせだった。 ハナから調査依頼を受けた時、そう考えたことをぺらぺらしゃべった。 クビになったら困ると思ったからだ。 まさ か、プラ トンが賛成することはないだろう 。
「 グード ( Good ) 」 と、プラ ト ンが言った。
「 えっ?」 何西は、あっけにとられた。
「 それは、良い考えだよ。 おもしろい」
「 えっ? そ、そうですか。 ああ、よかった・・・」 気の弱い男の意見は得てしてこ うなる。
「 じゃ、 ク リーニングの会社に行ったら 、 一 日配達員になろう」
「 ち、 ちょっとまって下さ い。 そんなに、すぐになれませんよ。 あいてが、OK をだすかどうか?」
「 だいじょうぶだ。私が、相手をコントロールする 」
「 相手を ?」
「 そう 」
「 でも 、 も う少し 待てば、先ほど話したハナさんがですね。 ク ラブの会員権を手に入れると言ってましたよ 。 その方が危なくないし 、簡単に入れると思うんですが・・・」
「 前もってほしいデーターがある」
「 はあ?」
「 今日、いけるだろうね」 プラトンは念を押した。
「 行き ますけど、 ピストルなんかでパンパン撃たれるのはいやですよ」
「 なんとかなるだろう 。 では、頑張ってくれたまえ」とプラトンは言いスーと消えた。
そして、直ぐに部屋のドアがノックされた。 妻が入ってきた。
「 どうしたの? ブツプツ言っていたけど?」
「 あっ、いや、仕事の面接の予行練習をしていたんだ」
「 ふうん。 でも 、 日本語だったわよ ?」 疑わしそうに言った。
「頭の中は、英語だった」
「そう。 私、もう店に出かけるわよ 。 面接頑張ってね」
「分かつた。 頑張る」
やはり彼女は、河西がまともな仕事につく事を望んでいるようだ。 妻の閉める玄関のドアの音を聞き 、河西は窓に近寄ってカーテンを開けた。
高い曇り空だ。 雨は降りそうにない。
河西は外出着に着替えてトラッ クに乗った。 三十五分ほど 走ってク リーニングの会社に着いた。 清潔な白い壁の建物が目的の会社だった。 予想に反して大きかった。
受け付けで用件を述べる と、まずこれに記入して下さいと、ボードにとじた書類と ボール・ ペンを渡された。
次に大きな会議室のような所につれていかれて、 ここで待つようにと言われた。 片方の方の壁にはアメ リカの地図があり 、 系列会社の位置が地図上に丸い点で示さ れている。又、 中央の壁には創立者の写真が入った額が壁にかけてある 。 結構大手の会社らしい。
やがて 、男が二人はいってき た。 一人はユニホーム姿だ。もう一人はネクタイを締 めたでっぷり太った男だった。
二人は交代で矢継ぎ早に質問した。 そ して、 こ こ はユニオン ( 労働組合に加盟し ている 会社) だから ユニオンに入ら なければならないと 言った。 かって河西は、労働運動に興味を持った事があった。 その、知識は十二分にもっていた。 何とか話を合わし て、プラトンと予定したよ うに男女交際ク ラブにゆかなければならない。河西は、ぺらぺらしゃべりまくり、相手を納得さ せた。
次に、彼達はテストを行うと言った。 狭い部屋の方に連れて行かれて分厚い心理テストのペ ーパーを渡された。
「 グッ ト ・ラッ ク!」 と彼達は言い、終わったら知らせるようにと言ってドアを閉めた。 テストは、点数制になっている 。
「 プラ トンさん」 河西は一人になると 、小声でプラトンを呼んだ。
「 どうした?」 とポケットの中からプラトンが答えた。
「 なんか、少し 、方向が違ってきているよう ですが、 どう します?」
「そうだねえ・・・」 プラトンから不安になるような言葉が返ってき た。
「あなた言ったでしょう ? うまくやるって」
「でもねえ・・・」
「デモもヘチマもあ りませんよ。 言ったじゃあな いですか」 河西は小声でプラトンに抗議した。
「 ああ、そう だ。 ごめんごめん。 昼寝してた」
「 ひ、ひる ね? あなた、 コンピューターでしょう? 肝心な時に、人聞をやら ないで下さ いよ 」 何西は、汗をかいた。
「とにかく 、その面白そうなテストをすましてからだな」と、プラ トンは言った。 河西は三十分ほどもかけて、その分厚い心理テストを終わらせた。 大学で気まぐれで心理学のゼミを取った。ユングの精神分析学にも興味を持った一時期がある。 その時、 同じようなテストを、これも気まぐれだが臨床実験で受けた覚えがあった。
「 終わりましたよ」先ずプラトンに声をかけた。 彼が昼寝をしていたらいけないと 思ったからだ。
「 よ し」プラ トンの声がした。
「 どうします?つぎは・・・」
「 そのテストを持って、部屋から出ると 、事務員に渡せ。 誰でもいい。 次に、マネージャー が出て来るはずだ。 心配する な。 現在、 この会社のコ ンピューター は、私の支配下にあ る。 もちろん人間もだ。 マネージャーが配達を体験してみるかと聞くだろう 。 その時、君はアルマデンの男女交際クラブに行ってみたいと言いなさい」
「 わかりまし た。 よろしくお願いしますよ」
河西は部屋から出た。 一番近くにいた事務員に 「 いやあ、難しかっ た。 汗かきま した。 じつに、 たいへんだっ た」などと、毎度のように 余計な事を言ってテスト 用紙を手渡した。
少し経って、マネージャーがやってきた。
「君がサムか。 履歴書は持ってきているかね ?」と彼は聞いた。 河西はあわてて袋に入れて持ってきた履歴書をさしだした。
マネージャーは、 しばらく履歴書をみていたが「今 日、時聞があるなら 、配達を体験してみないかね?」 と、プラトンから聞いていたような事を言った。
「 はい。 アルメ ダンの男女交際ク ラブに配達してみたいです」と河西は、教わった通りのことを緊張して言った。
「 それはいい。 ちょうど特別な配達があったんだ。 やってみるか?」
「 もちろんです」 河西はホットして答えた。
一番小型の配達用の車が用意された。 河西に一着のユニホームが渡された。 彼は配達員のユニフォークに着替えた。
「 似合うじゃあないか」 プラトンが言った。
「 危ない事はいやですよ 。家族がいますからね。 よろ しくお願いし ますよ、プラ トンさん」
「 だいじょうぶ。だいじょうぶ」
「 そんなに、軽々しく言わないで下さい。不安になって来る」
「 だいじょうぶだよ。 江戸っ子だってねえ」
「 な、なんですか?」 河西は不安な気持ちで車を発進させた。
アルマデン男女交際ク ラブは、建物の外側を見る限り普通の建物だった。外側を取り巻く煉瓦造りの塀が少し異様だ。 正門の方は大きな鉄でできた自動開閉式のゲ トになっている。 会員を除いて、他の車は入れない。
河西は、ク リーニング会社のマネ ジャー が描いた地図と、配達マニュアルを確認した。 裏の方に回って小さ なド ック になったエリアに車を着けた。 ドックの片一方にはシャッター があり 、固く閉じていた。 もう一方の方にあったドアのノブをつかんで引張ってみたがもちろんロックされている 。 ドアの横に電話ボック スがあっ た。 配達マニュアルによると、この電話で配達許可を得なければならなかった。
河西は受話器を取り上げた。
自動のインフォメーションが動きはじ めた。 ク リーニングの配達は、 自分の会社の番号をインプットし、その後に#をおし 、配達人の I D ( 個人証明書) の番号をインプットするよ うにとインフォメーションは言った。
「 サム。 この番号を押せ。 先ず 4 8 6 5 が会社だ」 プラ トンの声がした。
河西は 4 8 6 5 と #を押し た。
しかし 、次の数字をプラトンが言ってこない。
「 プ、プラト ン」
「 12 3 4 5 6 5 だ」とプラ トンが言った。河西はあわててその番号を押した。
ドアがゆっくり聞いてきた。
「 プラ トンさん。 驚かさ ないで下さ いよ。 私は0 0 7 じゃあないんですから。 冷や汗が出ましたよ」
「 わるいわるい。 中のコンピューター に気づかれたらいけないのでヨーロッパのコ ンピューターに指示して、君の番号をつくりあげた」
「今ですか?」
「 そう 」
「 すごい速さですね」
「 そうでもないわさ」
「 なかなかやりますね」
「 まあまあだよ 」 プラ トンと河西はすっかり仲良くなっていた。
特別な配達なのでクリーニングの荷物はあまりたくさんはない。 河西が両手で運べるものだった。
配達口のド アから 入って行くと、又ドアがあった。 指紋のセキュリ ティ・システムのドアだった。
ああ、 こ こまでだと 河西は思った。 自分の指紋が登録されているとは考えら れない。 いかにプラ トンでも 、 この問題はクリアでき ないだろう 。
「 ポケットに右手を入れて、私にさわりなさ い」 とプラトンが言った。 河西は右手を荷物から 離して、ポケットのプラトンに触った。 手の指に温かいものを感じた。
「 よし。 親指を当てていい」 とプラ トンが言った。
河西は拇印のインプットを指示されたプレートの上で行なった。 ドアがゆっくりと開いた。
「 どうだい?」 と、得意げなプラトンの声がし た。
河西はため息を吐いた 。 まるで、マフィアの住家に入っていくようだった。 やがてピストルなどを持った悪い男が出て来るのではないかと 、おそるおそる 通路をすすんだ。 やが て「 リネン・ エリ ア」と書いたサインが見えた。
リネン室に入って行く と、若い白人女性が二人いた 。 彼女たちは淡いピンク色のTーシャツを着ている 。
「配達に来ました」 と河西が言うと、中の一人が近寄ってきた。
「 なにをもってきたの?」と、言いながら河西を見て「あら 、はじめてね?」 と、怪訝そうに河西の顔を見た。
「はい。 同僚の奥さんが産気ついたものですから 、私が臨時で・・・」
「そう・・・」
[ このインヴォイスにサインサインをお願いします」
「 OK」
「 ああ、喉が渇いたなあ。 そう だ、 コークか何かの自動販売機あります?」
「冗談でしょう ? 此処は、高級クラブよ。 会員は、すべて無料だから 自動販売機なんて置いてないわよ。 キッ チンに行きなさいよ 。 何だってフリーだから 」
「 ラッ キー」 などと河西は言い廊下に出た。 だいたいリネン・ エリアとキッチンは、近いとこ ろに設けられているものである。
河西はキッチンの入口を素通りした。 右に曲がって進と 、ロビーのようなところに 出た。 辺りは豪華な調度品で飾られている 。 異様に映ったのは、やはりここにも 男性と女性の秘部の彫刻があちこちに飾られているという事だ。
昼間のせいか、客はほとんどいない。河西がうろうろとあちこち歩いていたら 、ガード・マンらしい二人の男がちかよってきた。
彼達は、河西の行く手にふさがり「 どこにゆくつも りだ?」 と聞いた。
「 もちろん、キッチンです」もとも と小心な河西はおどおどして答えた。 彼達は 、そんな 河西を単なる配達員だと納得した。
「 キッチンは、あっちだ」一人の男が指で示した。
「 ど、どうも。 たすかりまし た。 サンキュー。 そっ ちは入り 口でし たよね」 やはり 、一 言多い。
「 ちがう。 特別室だ。早く向こうにも どれ」と、ガード・マンが睨んで言った。
「 はい。 すみませんです」 河西はペコペコとおじぎをして引き返した。 引き返し ながら低い声でプラトンを呼んだ。
「 ベリー・グッド」とプラトンは言った。
「ほんとうですか?」
「 これでいい。 君、演技うまいねえ」 感心したようにプラト ンが付け加えた。
「演技?」
河西は、プラ トンの言葉にブツクサ言いながらキッチンに入った。入口から 遠くないと ころにコ ヒー・メーカーが置いてあり、コーヒーがポットの中に見える。 シェフ達が忙しそうに働いていた。
河西はこういった場所には慣れていた。 以前働いていた会社の営業でソデクソ・マリオットとかボン・ アベテ ットなどの大手キッチン・ ビジネス会社と取り引きがあったので、 シリコン・バレー でこれら の会社の入っている名のあるコンピューター関連会社には毎日のように出入りしてい た。
I B M,イ ンテル、 H P、オラクル、 シスコ・ システム、 ケーデンスなど 、行かない会 社はない。 経験は意外なことで役に立つものである 。
ゆとりが出てき たので、コーヒーをゆっくり飲みながら 、シェフの一人に話し掛けた。
「 仕しそうだけどパーティーでも あるんですか?」
「 そうなんだよ。 特別なパーティーで二十人ほどだけどね。 突然にオーダー が入った」
「たいへんですねえ」
「ここのクラブの会長は変わっているからなあ・・・」
「 ええ、 知っていますよ。 突然裸踊りをするのでしょう ?」
シェフは仕事の手をうごかしながら 、ははと 笑い「 ちがうちがう」と言い、首を振った。
「 逆立ちを、する j
「 ちがう? 女装するのがすきなんだ」
「 ちがうね」
「 結構難しいですねえ」
「 当たらないから 教えるよ 。 夜八時以降、従業員は一人も いなくなる」
「一人も?」
「 そ」
「ガ ードもですか?」
「 そうらしいよ」
「 また、 どうしてですれ金持ちでしょう ? あぶないですよねえ」
「 ここは、 最新のセキュリティ・システムで守られている 。 知っているだろう ? 従業員がここに入るのさえ難しいんだぜ」
「 ああ、 なるほど、分かった。 みんながいなくなった後、お金の計算をしているんだ」
「 会員はO K なんだ」
「 へえ?」
「 今日は、宗教のミ サが行われるということだよ。見たことがないのでどんなミサか知らないけどね」
「 宗教 ?」
「 シィー。 秘密だぞ」とシェフは低い声で言った。 河西は首をすぼめて 、 キッチンから 出て行った。
男女交際ク ラ ブの配達を無事終えた河西は、車とユニフォームをクリーニング会社に返した後、自分のトラックでアルマデン・ レイク公園に向かった。
この行動は自分の感だった。 も しかして、芸術家たちが来ているかも 知れないと 思ったからだ。
投資会社で芸術家が、自分の妻を連れていなかったこと、それにガードの男が芸術家の妻の名をキャサリンと呼び『彼女がジニーのようになっていいのかい』と 言っていた言葉が気になっていた。 中国人女性ジニー のようになるということは、死を意味する 。
しかし 、公園に芸術家の古いアメ 車は見えなかった。 乳母車を脇において雑談し ている二三の主婦がいるだけだった。
河西は、公園の端にトラックをとめた。 運転席からは、木々がじゃまになり湖がよく見えない。 水鳥の鳴き 声が遠くに聞こえた。 彼は、車から 降りると小山の方に向かつて歩きはじめた。 前回来た時にジニ ー・ウォンの死体が見つかった現場を見そこねている 。
小道を歩くと、所々に春ら しい若草の色がちらついていた。 ハナから 調査のアルバイトを引き受けてから 数週間たった今、事件の全貌が少しづつ見えはじめてきている 。 この事件は、河西が思った以上にシリ コ ン・バレーのコンピューター技術が関連していたし 又、 人間社会のルールと人工頭脳を駆使する悪い人聞の戦いでもある。 自分には関係のないことだ、と河西は思う 。 テレビや小説の世界のように正義を振り回しても 、何の得もありゃしない。 まじめに働いていても 、いざとなったら ポイ捨てされる社会だ。
河西は、歩いている自分の靴先をみながら深刻に考えていた。そして、突然クシャミした。
「 風邪か、おい」 聞き覚えのある声が聞こえた。 振り返ったが誰も 見当たらない。 今の声 はポケットのプラトンでもない。 キョロキョロ辺りを見渡したが人影はなかった 。
「 ここだよ 、おい」
声は、小山の丈の高い草の聞から聞こえて来る 。 河西は右の拳をかたくして、攻撃と防御 の体勢を無意識に作っていたが・・・よく聞くと芸術家の声だ。 問題の家では顔を見られる前に当身で眠らせたので 、まさか相手は河西の住業だとは思っていないはずだ。しかし、他の人聞が一緒にいて襲われる可能性も十分にある 。
「 ここだよ、おい」再び声が聞こえた。
相手のいる場所ぐ らいわかっ ている 、 この馬鹿め、 と河西は用心しながら山の斜 面を斜めにゆっくり上がり態勢を万全にして 、声の聞こえてきた方にゆっくり歩んだ。
近づくにしたがって、丈の高い草の向こうの方に男が一人、寝ころがっているのが見え 始めた
芸術家はひとりだった。 仰向けに寝て空を見ていた。
「 よく、ぼくがわかりましたね」
「 ここにかならず来るとおもってね、おい」
「 ぼくが、 こ こから見えました?」
「声だ、声・・・」
「 おくさんは、 どうしました?」
「・・・・・・」
芸術家は答えなかった。 空を見たままだった。 よく見ると目に涙を溜めていた。
「おれが、わるいんだ」と、芸術家は言った。
「 ?」
「 芸術のためだといって、 ワイフを淫乱にしてしまった」
「 あ、あの時は失礼」河西は彼の妻とのことを思い出 して、少し赤くなった。
「 いいんだ。誰でも 、術におちる。ヘビの呪いにな、おい」
「 ヘビの呪い?」
「 ヘビの刺青をワイフとジニーにしたのは俺だと、前にも言ったろ ?」
「 ええ、覚えていますよ」
「 みんな犠牲者だ。 インポテツのコ ンピューター経営者のな、おい」
「 どう言う事でしょうかねえ ?」
「 ヘビの刺青をした女を火の神にささげる。 エクスタシーに達する女のエネルギ をインポの男に移すのさ 。 一種の暗示だな、おい」
「 それで? どのようにしてです ?」
「 儀式だ。 淫乱女を麻薬と性の虜にする。 しかし 、誰でも いいと言う訳にはいかない。 こ れも 、もって生まれた天性のものが影響する 。 完全なエクスタシー を、得ることのできる女性は蛇のようだ。 蛇だ、おい 、ヘビ」芸術家の話していることが支離誠裂になってきた。 彼は泣いていた。
「ワイフは、奴等に囚われた。 奴等は約束をやぶった。ジニーが死んだので、 身代わりを作る予定だったが、逃げられた」
逃げたのは多分ハイジだ。 これは河西が助けたのだが、やはり 芸術家は気絶していて気づいていない。
「 その逃げた女性に、 あなたは蛇の刺青をする予定だったのですか?」 河西は、言葉を少し強くして聞いた。
「 そうだよ 、おい。 いい女だっ た」 あの内腿の皮膚、ワギナの形。薬で性を仕込めば、一週間でできあがった」
「 では、あなたは、女性がそのように、性の奴隷になってもよいと考えているのですか?」 と河西は言いながらハイ ジを思い出した。 彼女が淫乱になる姿は想像できなかった。 荒っぽくピストルを撃つハイジの姿がよみがえってくるばかりだ。
「 おんなは、蛇だ」芸術家はポツリと言った。
「 じゃあ、蛇の刺青をした女性を、どう使 うのですかねえ?」
「 インポテツの男達を勃起させる為に使われる」
「 だだ、それだけのことに実にくだらない。 インポを直すには、いくらでも 方法があ るでしょうに。バイアグラ だっであるでしょう?」
「 勃起のしかたがちがう 。 金と地位を得た男性が最終的にほしいのは力強い勃起だぞ 、お い」
「 それで ?」
「ブライ アン・ イ ンヴェストメント社の会長、 ボブ・ ホプスはここに目をつけたんだ。 コンピューターと性を組み合わせやがった。 しかし、 なかなかうまく行かなかったわけだよ、おい。 おれは、ペニスとワギナの彫刻を頼まれた。 自分の芸術をみせるために、ワイフにした刺青を見せた。 奴はコンピューター 技師に刺青のヘビ・・・おれのヘビ・・・おれの芸術が コンピュターに利用された」
芸術家はここまでしゃべると突然立ち上がった。
「ワイフを助けなくては、おい。 助けてくれ、彼女はもう歳だ。 こんどあの儀式につかわれたら命がないか 、廃人になってしまう 。 た、たのむ」と、芸術家は河西に懇願した。
「 そ、そういわれても・・・とにかく 、落ち着いて ちょっと考えましょう」
河西は、彼の妻も好感を持っていた。
べつに彼女の玉露を飲んだからではない。 彼女は、淫乱とアルコールですさんだ姿をしていたが、まだ品と教養を残していた。 夫がまともであれば、平均以上の家庭を築ける女性であったろう。 これも 何かの縁である 。 偶然に、プラトンやハナに頼まれた住事と一致している。
河西は、 家を持たないホームレス当然の芸術家を 、 キャンベルにあるビジネス・ ホテル に連れて行き 、部屋を一週間借りて与えた。 そして、 彼に食事代として数百 ドルを手渡 した。
「いいですか。 アルコールを飲まないと 約束して下さい。 あなたが、今後アルコ ルを断 つなら、あなたのワイ をたすけていい。 どうします?」
「 たすけてやってくれ」
「 しかし 、 あなたは彼女を 、 自分の芸術作品として、手もとの置いておきたいだけではないですか?」
「 いや、 ちがう 。 心をいれかえる」芸術家の目は真剣だった 。 言葉に、 あの「おい」を付け加えなくなった。
「 わかりまし た。 何とかしましょ う。 ただし 、 あなたは、 ここから動かないで下さい。 そ して、 く どいよう ですがアルコールは禁止です」
「 わかった。 言われたよう にする」 芸術家の肩がふるえていた。
河西はビ ジネスホテルを出る と、ハナの家に向けて車を走 せた。 浪曲のカセッ トをセ ットした。 広沢虎造のさびのある声が静かに 、 いや、おごそかにながれて始めると、河西 が予期した通り、プラトンが声をかけてきた。
「 いいねえ・・・」 と言う。
「 やあ、プラトンさん」
「 この、 なんというか、心にじんとくるね」などとプラトンは、 日本人みたいなことを言った。
「 義理人情のせかいですよj
「 う ん。いいね」
「 しかしですね。 プラ トンさん」
「 なんでしょう ?」 浪花節調の返事が返ってきた。
「 ぼくは、時々思うのですが、 あなた、ほんとうにコンピューターですか?」
「そう 。 キング」
「 キングったって、 いろいろあるでしょう?」
「王様」
「たと え、王様でも 、です」
「 ク リントン大統領より 、少し上の位(くらい)かな?」
「 ほんとうでしょうね?」 河西は念を押すような言い方をした。
「 も ちろん。 うそつかないよ」
「 ほんとうに、 シリコン ・バ レーとか、他の国にもあるコンピューターのキングでしょうね?」
「そう だよ。 江戸っ子だってねえ」と、プラトンは浪花節にあわせた。
「 そこですよ、そこ。 なんか、キン グにしては、かるいんだなあ・・・ いや、 これは決して悪気で言うのではあり ませんよ。 単なる、感じですよ。 感 じ。 気を悪くしないで下さいね」
「やはり 、脳波だろうね」根花節のようだ。
「 はあ?」 河西は気の抜けたような返事をした。
「 も らった人聞の脳の程度さ」
「 何がです?」
「 能力」
「 誰の?」
「 わたし? 」
するとプラ トンは、ぼくの脳波に影響を受けていて、 その程度がぼく・・・。河西はピンと来た。
「 いや、ぼくは、 プラ トンさんは、結構すごいと思いますよ 。 失礼ですけど 、 人間のぼくに影響受けてます?」
「 いいや、 うけてない・・・」 プラ トンは強調して言ったが、少し言葉をつまらせた。
「 まあ、 いいや。 弱気をたすけて悪をこらしめるコンピューターでいきましょう」
「 わかってくれたかね。 サンキュー」
「 そこで、お願いがあり ます」
「 う ん。 いいよ」
「 知っているでしょ う ?ペニス彫刻の作家」
「 うん」
「 実はですね。 彼のワイフが囚われの身になっているらしいんです」
「 ふうん」
「 助けてあげたいんです」
「ふうん」
「 ぼくの話、聞いています?」
「聞いている 。 多分、今夜だな」
「何がですか?」
「 儀式」
「 あの、ボブ・ ホプスのオカルト的な火の神の儀式でしょうか?」
「 そう 」
「 今夜。そう言えば、男女交際クラブのキッチン ・シェフが今夜二十人ほどのパ ティーがあると 言っていました」
「 うん。 聞いた」
「この事件、速くう ごいでいますねえ」
「 多分、先立って私たちがメインのコンピューターを壊したので、早めに次のコ ンピュー タ ーをアッ プ・ デート したいのだろうな」
「 なるほど。さすが、プラ トンさん」
「じゃ、急ごう 」
「どこへですか?」
「 ハナさ んの家」
「えっ ?」
やはり 、プラ トンは知っていた。
ハナの家のメインゲートが、河西のトラ ックの前でゆっくりと開いた。 玄関にはハナが待っていた。
「 どう したの?」 ハナが言った。
「 殴り込みです。今夜」
「 えっ?」
「 殴り込みは冗談ですが 例の交際ク ラブ、今 日『火の儀式』をやるみたいです」
「 そう」
「 それでですね。 一人の女性が、 この女性は例のペニス彫刻を制作した芸術家のお くさんなんですが、彼女は、ぼく も、少し だけ知っている。これは、ほんの少しですよ・・・・その 女性が囚われていて、火の神の儀式に使われるらしいです」 河西の話もまわりくどい。
「 それで?」
「 芸術家が、奥さんを助けて欲しいと言うのですよ。 彼女の命が危ないんだそう です」
「 そう・・・急だわねえ・・・まだ会員権が取れてないし。どうやって、潜入するの?」
「 それを、相談に来たのです」
「 分かったわ。 とにかく 、 中に入りましょう」
玄関から 少し離れたと ころの、ハナがよく 利用するリビング・ルームに行った。 ハナはメ イド に紅茶を用意さ せた。
クラシ ッ ク調の落ち着いたリ ビング・ ルームは、気持ちを落ち着かせる。 高級な紅茶の味も 河西の精神安定に一役か った。
「 さあ、話しましょう」ハナが微笑し て言った。
「 はい。それで、 いや、 この依頼の前に、ぼくは友達のプラトンとクリーニングの配達員になって、 アルマデンの交際ク ラブに潜入し たんです。 それで分かったのですが、建物の セキュリィティ・システムは流石に完壁でし た。 しかし、八時以降は従業員を置かないと 聞き ましたので、会員だけになるようです。 多分ガードも少ないでしょ う。彼達はコンピューターのセキュリティ・システムに頼っている よう ですが、 これが盲点ですよ」
「そうね・・・」
「 指紋でオープンするセキュリティ ・ ドアも あり まし た。 しかし、 それは、 ぼく の友達のプラ トンがちょ っ とした工夫をし て、 開きました。 だから 、多分又潜入は可能だと思いま す」
「 そう 。 でも 、潜入した後、 どうやって女性を助けるの?」
「そこ、ですよ、そこ」
「 確かに、私にも情報がはいってい るわ。 でも ね、火の儀式は二度行われるよう よ。 九時と十一時。 どちらなのかしら?」
「 二度ですか? おかしいな その情報は正しいでしょうか?」
「確かなとこ ろからのモノ だけど」
「 しかし 、火の儀式には蛇の刺青のあ る特別な女性が必要らしいです。 一人は芸術家の奥さ んで、 もう一人がアルマデン・ レイク公園で全裸の死体で見つかった、 中国人女性の ジニー・ウォンでした。 これは、刺青を行った芸術家から聞いた話です。 も う一人いるとは考えにく い。 芸術家が言うのには、女性は天性の、 その・・・何と言うか、資質を持っていないとだめだと いうことでして、ほかに、火の儀式に使われる女性がいると は考えにくいですよ」
「そう・・・では、 二番目の儀式って何かし ら?」 河西はハナの顔を見上げた。
「二番目の儀式?それは、最後ともとれますよね」
「最後、その日の最後、儀式の最後・・・そうね」
「 も し、交際ク ラブが、 ぼく 達がメインのコンピューターを破壊した事で、何か大きな決断をしているなら 、 最後の儀式として考えられる」
「自分達の欲望を満足さ せた後、道具は抹消する 。 犯罪の匂いがするわね」 ハナが言った。
「 結論が出まし た。 ぼくは、今夜の八時過ぎ、男女交際クラブに潜入して、芸術家の奥さ んをたすけだします」
「 わかったわ。 じゃ、私はFBIとポリス・ デパートメントに指示しておきます」
「 ありがとう ございます」と、河西は言って立ち上がった。
河西はハナの家から 出て、 トラック を運転しながら今夜の対策を立てていたが 、ふとハナの “FBIとポリス・ デパートメントに指示しておきます” と言う 言葉を思い浮かべ た。 ハナと 話し ている 時は変に感じなかったが、指示するとは、組織の上のも のが組織の人間に使う言葉である 。 六十三歳の年齢で、翻訳と華道の先生をしている女性にしては 、 持っているスケールが大きい。 ハナって、一体何者なのだろう ?
河西の心にハナの肉体が充満していた。 彼は、頭を振って車をハイジのいる 調査事務所に向かっ た。
ハイジが男女交際クラブの動き について、 何か情報を持っているかも 知れないと 思ったからだ。
調査事務所にゆくと、直ぐにハイジの部屋に適 された。
ドアを開けるとハイ ジがニコリとして彼を見上げた。 手にしたピストルをみがいている 。
「まだ、玩具を手放さ ないんだね」と河西が言うと、ハイジはピストルをクルクル と、あ の西部劇のシーンのようにまわして止め、机の上に置いた。
「サム。 まっていたわよ」とハイジは言った。
「 翻訳は、今朝終わってとどけたよ」
ハイ ジはそれには答えず再び机の上のピス トルを取り上げた。
「 準備、 OKだわよ」
「 なんの、準備でしょうか? ああ、 昼食の件 ?約束はまもります。 でも 、来週ね。 来週」
「 ちがうわよ。 一人で 、ぬけがけはよしなさ い」
「 えっ? ああ、 お金? 十万ド ルの小切手 ? 分けます。 少 し、 あげます。 そう 思ってい たんだよ 。 信じてく れ」 河西の頭に妻の顔が浮かんだ。
ハイ ジはキョ トンと して「 なに? それ」と言った。
「 お金・・・」
「 翻訳料の支払いは、今月のおわりだけど?」
「 いや、 そうじゃないんだが、そ う ?」河西は、訳が分からなくなってきた。
「 ハナさ んから依頼を受け取ったわ」
「 えっ? ハナさんか ら? 何の?」
ハイ ジは声だかに笑って 「 あなたの、 ガード」と、言った。
「 ぼく のガード?」
「 そう よ。 よろしくね」
「 ま、待てよ。ぼく は知ら ないよ?」
「 ぼくは、知ら なくても 、わたしは知っている」
「 なにを?」
「 あなた今夜、アルマデンの男女交際ク ラブに潜入するで しょう ?」
「・・・・・・」
「 やるわよ 。 わたしも 」
「 そう 急に言われてもねえ・・・」
「ボスの命令よ」
「 なぜ?」
「 ハナさ んの依頼だからって。 優秀なガードの社員をあなたにつける事になったわけよ。 わかる?」
「・・・」
「わかる?」 ハイ ジはピストルを河西に向けて言った。
「 わ、分かり ます」
「 そう 。 ベリー・グッド!」 と、ハイ ジが言った。 “ベエリー・グード・・・” と河西は日本人の発音で後を追った。
七時。 アメ リカは冬時間なので辺りは薄暗い。 河西はハイ ジといっしょにアルマデンの 男女交際ク ラブに向かっている 。
今日の昼ハイジの事務所で、ハイ ジからあれこれあれこれと作戦を言い渡さ れて、いささかグロ ッキーの河西は、先ほどから欠伸ばかりをしている。 横ではハイ ジが何かの歌をハミングしていた。
「 ねえ、ハイ ジ。 くどいよ うだけど、昼間も言ったようにだね、危ない事はいやだからね。 いや、決っして臆病になっているわけではないんだよ 。 保険がないんだ。 ほら 、ぼくは失業していただろう? いまは、プラトン社の社員だけど 、 この会社、 どうやら 従業員保険 がないようなんだ。 ぼくには、妻と子がいるから ね。 それに、子ども は十三歳でこれからおかねもかかるし 、それに、大学、いや、 これは親にお金がないせいか子どもは優秀でね。 先生達から期待さ れていて、 まあ、彼は奨学金で大学に行くだろうけど、 とにかく 、危 ない事はいやだよ 。 ハイ ジ、聞いている?」
河西は、セクシーな若い声で歌をハミングしつづける横のハイジに向 かって真剣に言った。
「 えっ? 何?」
「 ああ、 もう 、やは り聞いていない。 その、手にしているピストル何とかならないかね?」
「OK]
「 あの、ね。 O K、じゃあないよ。 もう一度だけ言うけどね。 も う一度だよ 。 よ く聞いてよ。 あとで、 ジャパニーズの発音は聞きづらいなどどいっても遅いよ 。 いいね。 わかった ね」と河西は念を押し 「 ぼく は、危ない事はいやだよ 」と、加えた。
「 OK]と、再びハイ ジは答えた。
河西はなぜか、危ない目に会うのではないかというような予感がした。
トラ ック を交際クラブの裏手の方にある建物の横に止めた。 こ の辺は人影がない。路上 の街燈が少ない分、辺りは薄暗かった。
まだ、忍び込むには時聞が早すぎる 。 全従業員が帰る八時まで、車の中で待つ事にし た。
「 サム」 ハイ ジが声をかけてきた。
「 なんだよ」河西は機嫌が悪い。
「 暇だから 、キスでもする?」 とハイ ジは言い、 いきなり河西の首に手を回して口を合わせてきた。 河西の脳裏に妻の怒った顔が浮かんだ。
(よせよ)と、言おうとした時、車の外を交際クラブで見たガードの男が二人、 チラリと彼達を見て通り過ぎた。
なんだ、 お熱い連中かと話す声が聞こ えた。
ハイジが河西から 離れると 、河西はゼイゼイと荒い息をして 「 ありがと う、ハイ ジ。 あ あ、びっくりした」
ハイジはふふと笑い 「 私は、優秀なガードでしょう ?」と言い、ウインク した。
「 どうやら 、そうみたい・・・助かっ た。 でも 、敵さんが周りをガードしていると は、 予想 外だね」
「 でも 、ガードに見られたので、 ここにいつまでも車を停めておけないわよ」
「 じゃ、 ワン・ブロックほど、動かして停めよう。 そこまではチェックしないだろうから」
車を動かした後、河西とハイ ジは行動に出た。裏にある配達口に通じる道路は、既に鉄の門で閉ざされていた。
多分交際クラブ・ ハウスを取り巻く煉瓦塀にはセキュリティ・システムが動いてい るだろう 。
煉瓦塀の外に一区画ほど空地がある。 その端から下がってク リークがあり 、水の流れが見える 。 煉瓦の塀はクリーク ぎりぎりでゆっくりとなだらかなカーブを描いて閣の中に消えていた。
「 あの辺は、だめだね。 一見して、入りやすそうだけど昼間確認した時、堀の内側には センサーが二重についていた。ねらうのだったら 、やはり配達口だけど、さて、どうする? 大きくはないけど鉄の門が閉じている」 河西は、周囲を手で示し 、ハイ ジに意見を聞いた。
「簡単じゃない。 門をよじ登りましょうよ」と、ハイジが言った。
「 無理だね。 当然セキュリティー・システムが動いているさ」
「 忘れる事だってあるわ」ハイ ジは何かの計器を見せた 。 「 この数字、 これは、電気、 磁気の流れはなし、と示しているわけ。 わかる?」
「 へえ・・・便利だね。 セキュリティー・システムが動いていないのか 、 この門には 変だねえ? じゃあ、多分赤外線探知器がセ ッ トしてあるかも」
「それもなし」 ハイジが、赤外線探知の眼鏡をかけて言った。
「 ハイ ジ。 君は、 ジェームス・ ポンドみたいだね。 そんなに秘密道具を持っているなんて知らなかったよJ
「 チョ コ レートも持ってきた」
「 チョ コレート ?何に使うの?」
「 あら 、サムが食べるのよ」
「 チ ョ コレートを ?」
「 好き なのでしょ う ?」
「 嫌いではない 」
「 じゃあ、はい」ハイ ジがから も らったチョコレートの固まりを、河西はポイ とほうぼった。 カリッと噛むと、 チョコレートの中から液体が出て河西の口に広がった。
「 こ、 これ、ブラ ンディ!」 河西は目を白黒させた。 彼は酒が飲めない。
「 高級品よ。 イギリス製。 マミーが送ってくれたの。 おいしいでしょう ?」
「 う、 うん。 おいしい」
「 もう 一つ、食べる?」
「・・・・・・」
「 どう したの?サム。 これ、 きらい?」
「 いや、 いただき ます」
河西は、再びカリ リ と噛んで飲み込んだ。 すぐにプランディーは、体の中で楽し くはしゃぎはじめた。
「さて、ゆき ましょ う」ハイ ジは言い、裏門に手をかけた。 彼女は身軽であっ た。 手をかけると 、パッと門に飛び乗って、 向こう側に消えた。
「サム。 だいじょうぶ。急いで」と言 うハイ ジの声が、鉄の門の内側から聞こえてきた。 河西は、 自分よりかなり 高い門の上部をしばらく見つめてから ジャンプした。 手が門の上部にかかった。 かかったが、その後の事を忘れていた。 懸垂の要領で腕をちぢめたが、体は一向に上がらない。
次に河西は、 足を門につけて歩き上がるような動作をし た。足はスリ ップを繰り返す。 手が、力を失ってきた。
「 プ、プラ トンさん」低 くプラトンに助けを求めた。
「 どうした」 プラ トンの声がし た。
「う、 うえ・・・」河西の手が 、身体を支えきれなくなり門から離れた時、彼のからだはピョン 門を超えて、ハイジの脇に軽く着地し た。
「 なかなか、やるじゃない」 とハイ ジが言った。 河西は、 この時名案が浮かんだ。
そうだ。 プラ トンだ。 ボプ・ ホプス の家に入った時のよう に、 プラ トンに頼んで壁に穴を開けてもらえばいい。
河西はあまり にも うれしくな り 、ハイジのほほにキスを した。 ハイ ジが顔を河西に向け 直し彼の口にキスをし た。やはり 、アメリカ人はキスがうまい。
「ハイ ジ。 じつは、ぼくも、秘密道具をもってきた」
「 どんなの?」
「すごい道具だぞ」
「 どこに?」
河西は、ポケッ トから プラ トンをとりだし た。
「 それ?」
「うん。 これで、壁に穴を開ける」
「でも 、音を立てたら まずいわよ 。 それに、時間もない」 河西は、 このアイデアに幸福さえ感じた。
「 だいじ よう ぶ。 自信がある」
男女交際クラブの中庭は一部が造形を施 した庭で、後は芝生だった。 竹林もある。 建物の壁に沿って裏の方に周り 、 ク ラ ンク している壁に背をつけて止まっ た。 も う少し 進むと配達 口になる。
「 さて、 どこから はいり ますかね?」 河西の言葉にハイ ジが 「 でき れば正門から入りたいわよね」と答えた。
「 ハイ ジ。 火の儀式だよ。 セックスの儀式かもしれない」 河西は、 こ こで芸術家がハイジの裸体に対して言った言葉を思い出した。 天性の上玉、セックスの絶頂を感じられる体の女だと言っていた 。 河西はチラリと横にいる ハイ ジを見た。 ぜんぜん、 そのようには見え ない。 栗色の髪を後ろに束ね、黒っぽい服に身を包んだハイ ジが、河西を見て微笑した。 「ハイ ジ。 これはね。 言っておき ますが、遊び じゃあないよ。 危ない事をやっていま す」 大人らしい言葉使いで言った。
「 わかっているわよ 」
「 ぼくの、後ろを離れないようにね」 この辺では父親の気持ちである。
「 わかってる」ハイ ジがふくれっ面で言った。 河西i主プラトンを取り出した。 さて、
「 プラト ンさん、プラ トンさん、応答してください。 どうぞ」 ハイジの手前、無線を使っている振りをした。
「 なんだい。 ねむいねえ。 こんちくしょう」
「 ちょ っ と、プラ トンさん。 言葉使いが悪いですよ 」
「 あ、ごめん。どうしました?」
「 これから 、壁にあなをあけます。 どうぞ」
「 穴?」
「 そうです。 どうぞ」
「 また 穴かね・・・」
「 仕方ないでしょ う。 どうぞ」
「や、やるよ 、やる。 どうぞ」 と、プラ トンが返事し た。
河西はハイジを振り返り 、やっと本部が納得したよと 言いうと、プラ ト ンを右手に持って壁の方に突き出した。
プラトンの中央から光が出て、壁に前と同じ大きさの円を作った。
「 さて、行こう ハイジ」
「どうやって?」
「 あの光の中に飛び込むんだ」
「 まさか・・・」
「 だいじようぶ。 ぼくが見本をみせる。 後につづけ」 と河西は言い 、光の円の中に飛び込んだ。 スーと河西の体は円の中を通り 建物の中に入った。 物置らしいが中は暗い。 プラトンの明かりが辺りを照ら した。
ハイジが飛び込んでき た。 その後にプラトンが転がって来ると壁は元に戻り、辺り は闇夜に変わった。 ハイジが懐中電気を取 り出してつけた。河西はプラトンを拾ってポケットに戻した。
部屋をよく見ると、いろいろな衣料品がおいてある 。 ここは更衣室のようだ。 部屋の一方に鏡とか洗面台がある。 テレビでよくみる芸能人の化粧室のようだが作りは広く豪華にできていた。
外に足音が聞こえた。 河西とハイジは、長いドレスが並んでかけてあるドアのないク ロ セットの影に身を隠した。
中年の実業家タイプの男と若い金髪の髪を持つ女のカップルが入ってきた。 弱いラ イトをつけるとドアをロック した。
ながいキッスが始まった。 女の感情が高まって行った。
男の執拗な愛撫が女の体にくりかえさ れる 。 女の ドレス の胸が開き見事な乳房があらわになった。
「 だめだ。 やは り、儀式が必要だ」 男の悲痛な声が聞こえた。
二人はガウンを羽織った。 男は白、女はピンクのガウンだった。 顔の上半分を仮面のようなモノで覆った。 まるで、映画とか演劇で見る仮面舞踏会のような感じである。
男女は最後のキスをして部屋から出て行った。 ハイジが長いため息を吐いた。
河西は隠れていたクロセッ トから出る と、電気のスイッ チをいれた。 性の匂いの残っていそうな甘ったるい空気がよどんでいる 。
「 ハイ ジ。 出てきても 大丈夫だ」 河西の声にハイ ジがふらりと現れた。 目がうつろだ。 これはやばいと河西は思った。 ハイジに淫乱の体質がかくれているのを忘れていた。 彼はハイ ジを洗面台に連れて行った。
蛇口をひねって水を出すと 顔を洗うようにと言った。
ハイジは素直にこ れにしたがった。 河西の差し出したタ オルを受け取ると、何度も 顔をこすった。 ハイジが白いタ オルを顔からはずすと、白とピンクのはつらつとした顔が現れ た。
洗面台の横に額に入った写真が飾ってある。 皆一様にガウンを着て仮面をつけた姿だ。
「これなら 、写真なんかいら ないよね」
「 サム。 このガウンに着替えて潜入したらどうかしら?」もとに戻ったハイ ジが言った。
「 いい考えだ。 しかし・・・」
「 私なら大丈夫。 少し 、ショック を受けただけよ 」
「 OK。 じゃあ、こ の写真のように化けるとするか」 」
河西とハイ ジはクロセットにあったガウンを着た。 ハイジのガウンの下には、肩から 提げたホルスターに、彼女愛用のピストルがいれてある。
二人が仮面をつけると 、ちょうど先ほどの男女の年代に見えた。 彼達二人が二十人の会員に割り込むと 、会員は少し増える わけだが数えはしないだろうと思った。
部屋を出て廊下を進むと、怪しい音が聞こえ始めた。 地の底から湧いて来るような響きだ。今までに聞いた事のないようなサウンドである 。
ロ ビーに出た。 所々に白とピンクンのガウンが一対づつ見られた。 このガウンは会員の実業家たちだろう 。 ピンクは被達の好みに合わせられた性の奴隷達かもしれ ない。
河西は囚われているという芸術家の妻のキャサリンも捜さなくてはならない。 しかし 、ハイジと共に行動しないと怪しまれるだろうし、時々は抱擁じみた演技も必要かもしれない。
河西がハイジを抱きかかえるようにして、ロビーからつづく廊下を右に回ろうとしたとき「サム。 とまれ」と言う、プラ ト ンの声が聞こえた。 もちろん日本語である。 河西はハイジに、英語で伝えた 。
「 会員だけの持つ I D ( 身分証明署) に反応するセンサーが、 この先に取付けてある 」プラトンが言った。
「じゃあ、 この先に何か秘密の部屋でもあるのですかねえ?」
「ある」
「・・・」
「 例の、 コンピュターだ」
「ああ、二番目の、しかし、メインのものより性能は落ちるのでしょう?」
「性能は、おなじだが、 まだ完全な状態に仕上がってないだけだ」
「 どうします?」
「 もうすこし、チャンスを待とう。 まだ、早すぎる・・・プラトンの指示で、河西と ハイジはロビーに引き返した。
薄暗いロビーの怪しげなライトの中にいると 、 自分を忘れてしまいそうな錯覚が応じる。
相変わらず人影は少ない。 二十人のパーティーとする と、十人が会員で 残りは、性の奉仕者だろう。会員はほとんどが男性かもしれないが、一部は女性である事も想定できる。 このシリコン・ ヴァレーには、女性の実業家も多いからだ。
河西は最悪の事を考慮して、できるだけ状況の把握に努めた。
ロビーのかげで大柄な身体を持つピンクのガウンが白いガウ ンと戯れている 。 腕時計をみると 、儀式が始まる九時には、まだ数十分を残していた。 音楽が軽いリズムのあるものに変わった。
「 この、音楽、へんだわ・・・」 ハイジが河西の耳元に口を寄せささやくような声で言った。
「 どのように?」
「一音符が、 リズムを持ってぬけている」
「 なんだね?それ 」
「 私、小さいころから ピアノをやっているので分かるのだけど楽譜の音符って、ほとんどが調和をもたされているの・・・変な音楽でも ね。 この音楽は、かかれた楽譜から音符 を抜き取っている。うん、間違いない」 ハイ ジが耳を澄ますようにして音楽を聞きながらささやいた。
「へえ、君、高度な知識を持っているねえ」河西が感心したように言う と、 ポケッ トのプラトンが言った。
「 サム。 用心し ろ。 幻覚が始まるぞ。 コンピューターが動きはじめた」
「 何ですって? ねえ、プラ トンさん。 幻想曲の間違いじゃあないです? 今、ハイ ジが言ってたんですがね、 この音楽の異常な形式不足のことを、まあ、一種のファ ンタジーの 世界とでもいいましょうか」と、河西が評論家的な余計な無駄口をはき かけた時、辺りの 一部が変わってきて幻想的なイメージが視覚を占めてきた。
ボブ・ホプスの家で体験した事がよみがえってきた。幻覚は広い空間の周囲からゆっ くりと始まった。
ロビーが動きはじ めた。 すべてのものが自動的に外側に動かされ中央のエリアにかなり広い空聞ができた。
突然中央をポプ・ ホプスの家で見たようなあかっぽい直径三メートルほどの膜の円柱が出来上がった。 とれが幻覚なのか、それとも現実なのかの判断を行うには、人間をこえる能力がいるだろう。
頼りはプラトンしかない。 河西はここでもプラトンの指示通りに動こうと考えた。 赤い緋のガウンを着た女が、あかっぽい膜の中に現れた。音楽は太鼓のようなリズムに変わった。
(キャサリン・・・)河西は思わず目をこすった。 あの体型は、キャサリンに違いない。 肉ずのよい身体が薄いガウンから透けて見える 。
「 サム」プラトンが河西の名を呼んだ。
「 プラトンさ ん。 あの女性を助けなくては 」
「 分かつている。 しかし 、まだ早い」
「 でも 、彼女の身体が・・・」
「いや、 まだ、命に別状はないだろう。彼達のコンピューターが、性のエネルギ ー を摂取する時、 セキュリ ティー・システムに空白が応じる。 その時まで、待て。 それより も、ハイジに膜の中を見せるな。 暗示にかかる」
河西にも 、それに関しては懸念があった。
「 ハイ ジ。 目をつむれ。 あの膜のなかを見てはいけない」
「 どうして?」
「変な、暗示にかかるような仕組みにできている 」
「 わかった。 でも 、 この音楽も へんよ?」
「 えっ ?」
「力が抜けていくみたい」
「 ま、 まさか?」
ハイジの話し声に力がない。 天性の淫乱 ?まったく女性の身体はどうなっているんだ。 河西の小心な性格は 、状況に対応じて常に反対に動く。 猛烈な闘争心が身体にわいてくるのを覚えた。
この小娘のハイジを守りながら 、何とかキャサリンも救出しなければならない。 くそ! 子守りじゃあねえや、 と思ったが仕方がない。
膜の中のキャサリンがくねくねと体を動かしはじめた。 ガウンを来た人聞が膜の周りを取り囲んだ。
「 サム。 これからは君の脳の中で指示する。声を立てるとまずいからな。 君も 、頭の中で私に話かけろ」と、プラ トンが言った。
「 頭の中?」
「 そう だ」 と、 プラトンは言ったあと 「 サム。 感度はどうだ? どうぞ」 と、頭の中で声がした。
「 か・・・」と、河西は言って「 感度、とても、 良好」と、頭の中で言う と「 りょうかい」と、プラ トンが頭の中で言った。 この説明はむずかしい。 心の中とか胸中でとかではなく 、 ハッキリと、頭の中なのです。 しかも、言葉のやりとりは日本語。
状態を説明しますと合体ロボットに、 赤や青のユニフォームを着た少年が乗り込み、 ロボットを操るのに似ています。
とにかく河西は、ぐったりとしたハイジを抱いて会員達の背後の方に加わった。
キャサリンの体がリズムをつかんで怪しげな動きをはじめている。 ガウンが少しづつずりおちはじめた。 肩があらわれ、見事な乳房がふるえ、 こ し、尻、 太股とガウンは生物のように彼女の白い湿ったような肌をはった。
蛇の刺青が股の付け根でうごめいている。 芸術家が狂ったよう に絶賛する出来栄えが理解できる。
昔、左仁五郎 と言う名工が掘った動物、猫かネズミ かは忘れたが、 実際に動いたと いう 逸話のように、キャサリ ンの太股にまきついている蛇は、本物の蛇のように動いている。 芸術家の声がよみがえってくる。
“どう だ、おい。 これが本当の芸術だ”
イサム ・ノグチと争そった芸術家が到達した芸術の極致は、本当にこれなのだろうか。
確かに蛇は見事である。 見事であるが、すぐれた芸術のもつ感動性に乏しい。
ヘビと言う人間と相反する よう な体型を持つ爬虫類と、それに対する 恐れが、一つの印象的な抑圧として、 見るものに加わる。
芸術家は錯覚をしている。
彼は瞬時の悦楽の隙間に落ち込んだ男の性が 、無力な生命をおぎなえると判断 しているに過ぎない。
キリストや仏陀などのような教義にある愛の哲学は、瞬時の悦楽を“ 善し ” としていない。 むしろ、永遠につづく受難こそが人間の幸福のためへの道標のようである。 河西は、どうしてもキャサリンを救出し、芸術家に返してやらなければなら ないと思った。
「 サム」 頭の中でプラトンが呼んだ。
「 なんでしょう ?」 河西も、頭の中で返事をした。
「 無心になれ。 コンピュターが会員の状態を確認し始めた」
「 無心?」
「 そう だ。 今は、君だけがまともな人間だ。 ほかは、幻想の世界に落ちている 」
「こんなことで?」
「 そう だ。君は不思議な奴だなあ」
「 だって、 こんなのは日本のストリップ小屋でかなり体験してますからね」
「 とにかく 、 まともじゃあいけない。 エッチな事にでも集中してくれ。 私は、 このコンピューターの弱点をさがす」
河西はハイジのスッポンポンとかを思い起こしたがあまり 刺激されない。 夢で見たハナの桃源郷を思い起こし た。
「 それでいい」プラトンが頭の中で言った。
キャサリンから玉露がもれ始めた。 それはキラキラと光り 、 四方に流れた。 膜を取りまいているガウンの人間達が膜に首を突っ込んで玉露をすすった。 やがて、キャサリンがのけぞった時、膜の中が光った。
「いまだ!膜に飛び込め!」 プラトンが言った。 河西は着ていたガワンを跳ね除けて膜の中に飛び込んだ。
グオオオンと言う ような音がし たが河西の身体からも 青い光が飛び散った。 グ、パパパパアと 聞いた事のある音がした。 周囲が元のロビーに戻った。
河西はキャサリンを抱え上げた。 膜の外に連れ出すと、ハイジにビンタ を浴びせた。 ハイジが元の顔つきに戻った。
「 ハイ ジ。 キャサリンを頼む」と、河西が言った時ガウンを脱いだ屈強そうな男が襲いかかってきた。
男の飛んできたパンチを輪受けで受けた河西は、右栂指拳を相手にいれた。 男がドサ ッと倒れた。
ピストルの音が た。 ピスト ルを手にした、河西の後方の男 がピストルを手にし てゆっくりと倒れた。
ハイジの手にピス トルが光っている。
「ハイジ」
「 こちらはOK よ」ハイジが言った。
男が河西の背後から組み付いて来た 。 すごい力だ 。 前から何かモノを手にし た別の 男が河西を攻撃に来た。 河西の両手が前後に振り上げられ、組み付いている 相手との聞に隙聞ができ た。 そこ を河西の手が滑り 込み、男の急所を握り上げた。一方彼の左前蹴 りが前方の男の下腹にくいこんだ。 すべては一瞬だった。
ガウンがちりじりに逃げ始めた。 警官隊が突入してきた。
河西は、すべてがかたづいた後 ,キャ サリンを真ん中にしてハイジ とトラッ クで、ビジ ネス・ ホテルに向かった。
芸術家がキャサリを抱きしめた。 彼は二度と酒を飲まない事を再び誓った。
「 先ほどな、おい」と、芸術家は言った。
芸術家は自分と キャサリンの目の涙を拭きながら「日本人のマダムが来てな・・・
ほら」と河西に示したのは 、キャ サリンの就職先だった。
「 小学校。最近、目がみえなくなってきてね。 老眼かしらね?」と、河西が差し出 された何かの書類を見ながら言うと、ハイジがそれを手にとって読み始めた。
「コングラッチュレーション!」ハイ ジはキャサリンの手を取ってゆすった。 キャサリンが書類を読んだ。 再び彼女の目から涙があふれた。
「 あの・・・。 どうしたの?」 河西が心配そうにハイジを見た。
「 小学校の先生に復職できるんですって!」
「せ、先生ですか?」 河西は、学校の先生に畏敬の念を持っている 。 彼の年代と 、生まれ たところが愛媛県の山の中なので、 先生は村で一番のインテリであった。 そのなごりが大人になっても残っていた。
キャ サリンは元小学校の先生だった。
芸術家はキャサリンの就職先の田舎に一緒に帰って、本格的に絵を描くと言った。
「 ほら 、わしにもマダムが画商を紹介してく れた。 マダムは携帯電話で画商をよびだしたんだがな、おい。その画商奴、俺を知っていたよ 」
芸術家とキャサリンは幸福そうだった。
ところで(マダムって?)と、思ったのはビジネス・ ホテルをでてしばらく経ってのことだった。 夜遅かったので、河西はロス・ガトスのアパートまでハイ ジを送る と、 キャンベルの自分のアパートに引き返した。
「 お帰りなさい」 妻が笑顔で迎えた。
「 遅くなり まして」
「あのね・・・」 妻が嬉しそうに話しかけた。
「な、なに?でき れば風呂に入ってから 聞きたいよ」
「 あらあ? とってもいい話よ」 と言う 。
それなら、河西は聞きたくなった。 先ほのマダム が何か良いことを自分にも 持ってきてくれたのではないかと思った。
笑いが河西の顔に浮かんだ。
「 で、では、せっかくだから 、聞いてみま しょうか」
「では、いいます」
「 どうぞ」
「 電話があったわよ 」
「 ?」
「 ほら 、光ファイバーとか、何とかの会社」
「 ええ!」
「 うれしい?」
「 う、 うれしい? たって・・・」
「あした、面接に来なさいって。 もちろん、行きますって答えておいたわよ」 妻の顔は幸福に満ちていた。
「あ、ありがとう」
「 いくわよ ねJ
「 ぼく 、プラ トン社の社員だけど」
「 なあにい、言ってる のよ」
「 でも・・・」
[ でも 、 じゃないでしょう ? あんな分けのわから ない会社、なによ 」
「そう、ですねえ・・・」河西は言葉を失った。
「こんどは、正真正銘のシリコン・ヴァレ ーの会社よ。 面接、頑張ってね」
「 はい。 頑張り ます」 これは条件反射である 。 妻はルンルン気分だ。 熱い風呂を入れてくれた。
明くる朝、河西は妻の用意し たベーコ ン とサニー・サイ ドの卵焼きを食べて少し 元気を取り戻した。
「 どう ?おいしい?」妻が聞いた。
「 うん。 いつも のように、 おいしい」いつも と同じ物なのである 。
しかし 、今 日はオレンジの絞ったのが付いた。フリー・マーケッ トで買ったオレ ンジだと妻は注釈をつけた。
朝食の後、河西は自分の部屋に入った。
大学時代の恩師が、歳なのでこの夏には愛弟子の一人一人をたずねて最後にしたい旨、 と言う便りを受けていたので返事を書こうと思っていた。 アメ リカにも 三人ほどいて 、一 人はU C L Aの客員教授、 も う一人は国連事務局、もう一人の君は何をしておられますかと書いてあった。
河西は、失業中ですとも書き にくかった。
ところで、先生は耄碌(もうろく)なさ れているのではなかろうか? ぼくは、大学を中途にして辞めたのに、へんだなあと、考えながら 、日本でも名のある学者である老いた元大学 教授のおもいやりを、 どのように受け止めたらよいのか迷った。 宛先不明で返すにも遅すぎる 。
あれこ れ考えている と妻がドアを聞け「私、店にゆく から ね。 面接、頑張ってね」と、言った。
「うん。必ず仕事を得ます」と返事をして、妻が出かけた後に頭をかいた。
「 おいおい」 プラトンの声だ。 河西はプラトンを机の上に出した。 光が出てプラ トンが現れた。
「 おはよう」とプラトンは、言った。
「おはよう ございます」
「 どうした。 うかぬ顔だねえ?」
「 自分の、境遇を考えると 、浮かぬ顔にもなるのですよ」
「 君の境遇 ?」
「 そうですj
「しんぱいない」
「 はあ?」
「 わたしがついてる 」
「 プラトンさんが?」
「そう 」 プラ トンはコクリと頭を振った。
「何い言っているのですか。 トラブルばかりじゃないですか」
「 そろそろ、トラブルもなくなる」
「 でも 、ジニーを殺した人物が捕まってない」
「 時間の問題だろうね」
「 ハナさんとの約束ですから 、これを解決しなければならないのですが残念ながら今 日は忙しいので、明日にします」
「 どうして?」
「 光ファイ バーの会社が面接に来いと 言ってき まし た。 も ちろん、ぼくはプラ トン社の社員ですので、 これはあくまでも 仕事ですよ、いいですか、 よおく 、聞いていて下さいね。 後で、怒ってクビだなんて言わないで下さいよ」
「 うん。いわない」
「 つまり、これは、男女交際グ ラブと関係のある 投資会社が、かなり 投資している会社であることです」
「 ふむ・・・」
「又、 この、投資会社に殺されたジニーが勤めていた」
「 うんうん」
「 それで、ですよ。 この会社に面接に行って、少しでも 情報を得ようと思っているのです」
「 それは、面白い。 ぜひ、やろう 」
「 そ、 そんなに目を輝かせないで下さい。 何か又、 トラブルに巻き込まれそうですよ」河西はため息を吐きながら、履歴書を用意した。
光ファイバーの会社は、大きな建物が建ったばかりで、外の一部では、まだ建築会社の 現場作業員が働いていた。
かなりの資本が流れ込んでいそうな建物だ。 河西は、受付けに自分の名前を言ってロビーのソファーに腰を落とした。
正面壁には世界地図の浮き 彫りがあり 、そこに光ファイバーでつくっている 光の点が主要な都市の上にまたたいている 。 多分取り引きのある会社の所在地だ。
この会社の情報は、あらかじめインター・ネットで確認している。 彼達は光子によ る通信技術をベンチャーにしている。 要するに光通信であるが、面白いのは光プロセッサー技 術のユニー ク さであろう 。 大手の会社が 、 この会社の技術使用をき めている 。
入口から 一人の背広の男が入ってき てチラリと河西を見た。 日本人のようだ。 か れは入 口のセキュレタリー に近づくと差し出された用紙に記入し た。 多分名前と会社名であろう 。 人には感というものがある。 河西はこの男に何か不信感を覚えた。
たまたまジニーを殺した犯人を追いかけていて 、 ここに来ている。 手にした辞書風の隠しカメラのボタ ンを押した。 ハイジから借りているものだ。
セキュレタ リーが誰かに連絡をいれると、すぐに許可が下り た。 男は、 この会社と取り引 きのある会社から出向いて来ていると知れた。 彼は、事務所の中に入って行った。 芸術家が見たという ジニーと最後にいた日本人。 又、 エロ映画館のアンナの証言から 、 間違いなく ホワイ ト・カラー職の日本人がこ の犯罪に関係している事は間違いない。 今、河西の見た男が同人物かどうかは定かでないが、たまには小説のような偶然の出来 事もおうじる。
河西はセキュ レタ リーのデスク に近づいた 。 あどけない顔のチャイ ニーズの女性だ。
「 今の日本人だった?」 と聞いてみた。
「 ?」
「 いやね。 ぼくも 日本人だから確かめたくてね」
「 日本人の方です」
「 そう 。 山本さんでしょう ?」
セキュレタリーはチラ リ とボードを見た。
「 いえ。 ヤスオ・タガミ さんです」
「 ああ、 田上さんか。 富士通の田上さんね」
「 いえ。共栄テクノロジーの田上さんです」
「 そう そう 、彼は共栄に移ったんだ」
「 お知り合いですか」
「 そう 。 ぼく も、 むかし 共栄にいたんだよ 。 だから 、 聞いてみたんだ。 いや、 どうも ありがとう。 なつかしいなあ」
河西は、そうか、ひさしぶりだなな、びっくり した。 世間は案外狭いも のだ、などどよけいな事をいいながら元の席に戻った。
もう、仕事の面接は必要ないと思った。 河西はゆっくりと光ファイバーの会社を出た。 ハイ ジの調査会社に寄ったのは昼近くだった。
ハイジは自分の部屋にいた。
明るいドレスを着ている。栗色の髪は相変わらず後ろで束ねてある。 ちょっと大人っぽくなった。
「 サム。次の翻訳が待っているわよ」 普通のハイ ジだった。
「 分かった。 ところでハイジ。 これを急いでプリントしてくれないか?」 河西はハイジに辞書風隠しカメラを差し出した。
「 あら? 何か新しい情報をつかんだの?」
「 男が写っている。 拡大してプリントしてほしいんだけどね。 しかも 一、二時間でね」
「 分かったわ」
「 サンキュー。 ランチは時聞がないので、 この次だ」 河西が言うと、ハイジは微笑して頭を振った。
河西は次に、共栄テクノロジーの場所を調べる事にした。
日本人コミ ュニィティのテレホン・ ガイド で調べると 、簡単に会社の場所が分かった。
共栄テクノ ロジーは、サンホセの北に位置するミ ルピタ ス にある。 今日、光ファ イバー の会社で見た日本人は、 日本からの派遣社員に相違ない。
しかし 、彼がアンナの言うジニーと付き 合っていた日本人だとすると 、単身赴任者であろう 。 不必要に女性と付き 合っている。 それとも、別の目的からだろうか。
とにかく河西は、写真に撮った男がアンナの見ている日本人かど うか確かめることにした。
ハイジから 出来上がったプリントを受け取ると、アダルト専門の映画館でマネージャーをしている、赤毛のアンナのところに行った。
「 あらあ・・・来てく れたの?」 巨大な乳房をユサユサうごかして事務所のドアを閉 め、鼻声でアンナが言った。
河西の座っている ソファーに来ると 、彼の横にド サリと腰を落とした。二重のあごが脂で光っている。湿っぽい肌だ。
「 い、いや、今 日は別の用事で。実はですね、アンナ さんは、この男を見たことがないでしょうか?」 何西は先ほどの写真をアンナに見せた。 アンナは、河西の横にすり寄り、彼から写真を受け取った。
「 あら?どうしたの? これ」
「 偶然、ある会社で見たのです。 感といいましょうか、 アンナさ んの情報が頭に入っていたも のですから 、写真を撮ったのですけど」
「 この男よ。 ジニーとよく 遊んでいたのは。 スケベーな奴」 と、アンナは顔をしかめた。
「 男には、気を付けたほうがいいですよ。 アンナさん」
「 あんた、ますます気に入ったよ。 私の家に行く?」
「 いえ。 今 日は、ほら 、例のハナさんの仕事ですから 、変な事ができ ません。 又、後日お 願いします」
「 ふうん」 とアンナは吐息を漏らすように言い、河西に手をやった。
河西は歳にも 関わらず赤くなり、 この精力に満ち満ちた女性から離れた。 ただし 、彼の頬には大きなキッス ・マークが付いていた。
共栄テク ノ ロジ一社のタガ ミ・ ヤスオの住んでい るアパートを見つけたのは、 アンナの 指示で後をつけたアダルト映画館の従業員だった。
彼のアパートの地図と住所をハナから 渡さ れた河西は、夕方薄暗くなってから調査に出かけた。 情報メモにある アパートにはカーテンがかかっているが、 中に誰かいるのであろう。 薄暗い電気が点いていた。 寝ているようでも ある。 時聞は夜八時だった。
駐車場には、 情報メモに書かれていたライセンス・プレートの車もあった。 タガミ がアパートにいる事は間違いない。
ただ、河西が不思議に感じたのは、 タガミ が家族と住んでいるのであれば、他の部屋のように明かりが一杯に点いてこぼれているはずだ。しかし、彼の部屋にはうす弱い電気の明かりだけが幽かに窓のカーテンを通している。
河西は、 しばらく様子を伺う 事にし た。 九時、突然とタガミ の部屋の明かり 一杯に点い た。それから 、三十分も たったであろうか、玄関のドアが聞いて男が出てきた。多分、 タ ガミであろう 。 彼は、歩きながらにニヤニヤと笑った。 外灯にでらさ れた彼の笑いは 、無 気味な様相を帯びていた 。 タガミ の車が動いて彼のアパ トの近に止まった時、再びタガミ のアパートのドアが少し聞き女性が顔を出した。 彼女は外の様子を伺うようなそぶりを見せてから出てきた。タガミはその女を車に乗せて走り出した。 なんだ、家族がいたんだと 河西は思ったが、念のために車の後を追った。 車はショッピ ング・ モー ルの駐車場に入った。
タガミ は、 そこで女性をおろした。 女性は何者なのであ ろう 。 タガミが外に出てきた時に浮かべた、 してやったりというような勝者の笑みは何を意味したのであろうか。 河西は女性の車を追うことにし た。 車は、南に向かうフリー・ウェイ から西に向かい 、 アノレマデンで降り た。 河西の予感は的中した。 女性の車は例の殺された中国人ジニー・ウ ォンの住んでいたアパートに入って行った。
河西は、女性の車のナンバー・プレート と部屋の位置を確認 して調査を終えた。 明朝、河西はも ちろんとの調査報告をハナに電話で行なった。
「と、言う事なんですよ 、ハナさん。 その女性は一体何者でしょうね?」
「 ふうん ・・・ハナは、 しばらく考えているようだった」
「 あの、 タ ガミ の笑いは女をモノ にしたと きの笑いですね。 だって 、薄暗い電気のまま 一 時間以上も 男女が同じ部屋にいるということはですよ、セックスをし たとも考える事ができるでしょう ?」
「 そうねえ・・・でも 、 目的は、何かしら ?」
「 もちろん、快楽のためですよ」
「 まさか、ね。タガミ は五十六歳で定年退職を伸ばすため にアメリカに単身赴任したらしいわよ 。 でも 、相手が人妻であれば、その人妻が彼のライバル会社又は何か利益をも たらす為の手段として女性を誘惑した可能性もあるわね」
「 利益 ?」
「 特別なデーター。 それがタガミ の会社にとって重要なものであれば、彼は定年退職どころか、 日本に帰って良い役職が与えられるでしょう?」
「 なるほど・・・」
「 河西さん。 お疲れのところ申し訳ないんだけど、その女性のことをもう少し 調べてくれる ? とくに、彼女が人妻であったなら 、彼女の夫がどこに勤めているかを調べて欲しい の、できるかしら?」
「 お安い御用ですよ。簡単です」
実際、河西はこの調査が難しいとは思えなかった。
なぜなら 、昨夜彼は、女性の車のプレート・ナンバーをメ モしていたし 、住まいはジニー と同じアパートで、部屋の位置は分かっている。
しかし 、調査には三日を要した。 女性が人妻である事はすぐに分かったが 、肝心の彼女の夫がどこに勤めているかがわからなかった。
一 日目に、女性が日本人であること。 彼女の夫は白人のアメリ カ人だと結論つけようとしたが二日目の夜、 女性の夫は別人である事が判明した。 彼女の後を尾行していたら 、女性は高級住宅街の一角にある個人住宅に入り、そこに日本人の男が帰ってきたのである 。 男はビジネス・ トリップからの帰りだと 一目で分かった。
河西の頭は混乱した。 女性と複数の男性との関係は何なのだろうと考えてみたが皆目見当がつかない。
若しかして、女性も 何かの秘密を追っていたのではあるまいか。 浮気などと考えて しまった点から 誤った憶測が応じてしまったのではないか。 このように推測する と、 この事件の背後に潜むコンピューター 産業間の秘密情報収集活動の実態が浮かび上がって来そうである。
河西は翌朝、女性の家に引き返して彼女の夫が出て来るのを待った。 休みを取 るにしても、先ず会社にでてからだろうと思った。
七時半丁度に背広姿の男が家から出てき た。
河西はこの男を彼の会社まで尾行した。
男は富士見アメ リカに勤務していた。 富士見は光ファイバー会社をバック・アップしている。
光ファイバー社、富士見アメ リカ、共栄テクノ ロジ ー、 人妻、 ジニー ・ウォ ン、殺人、 男女交際ク ラブ、ブライアン・イ ン ヴェストメ ン ト社,これ らの関連性がどのよ うに今回の事件に結びつくだろう?
河西は、車をハナの家の方に向けた。
ハナは河西の報告を、紅茶を飲みながら聞いた。
朝の光が大きなガラス戸を通している。 小鳥の鳴声が聞こえて来る。落ち着いた家具調度品は、 この家の主の品位を高めていた。
ハナの決断は早かった。
彼女は、カリフォルニア州の犯罪調査員の主任だという 知人に電話を入れた 。 次にFBIと連絡を取ったみたいである 。
河西はメイドの持ってきたケーキを食べながら、 コーヒーを飲んでいた。
「 おいしそうだね」プラトンの声がした。河西は慌ててポケットのプラトンを取り出した。
「 プラトンさん、 プラトンさん、 こちら河西。 ただいま忙しいので、連絡は後にいたします。 どうぞ」
「後では、遅いです。 どう ぞ」プラ トンの返事が戻ってき た。
「ぼくは、大変重要な人と会っていますので、すこ し、まずいよう な気がします。 どう ぞ」
「 それは、ハナさんではないでしょうか? どうぞ」
「 ど、 どうして知っているのですか?」 光が出て、プラトンが出てきた。プラ トンは「 おはよう 」と言った。
「 お、おはようございます。 プラトンさん」と、河西は思わず挨拶をして、ハナを振り返っ た。
「 おはよう」ハナがプラトンを見て言った。
「 やあ」とプラトンはハナに手を上げて答えた 。
「 プラトンさ ん。 ハナさんを、知っているのですか?」
「うん」
「 『うん』と言 う事は、知っているわけですね」
「 なあんだ?また、 どう してです?」
「 私の産みの親の人」
「 ハナさ んが?」
「 そうだよ。 I B Mでね」 ハナがソファに戻ってきた。
「 ハナさん。 例のものが動き出しましたよ」
「 どこに向かっている の?」 ハナの問いかけにプラトンは、少しの間、 目をつむって沈黙した後 「 サンフランシスコ ・エアポート」と、言った。
「 サンホセ・ エアポートではなかった 。OK、分かったわ。では、早速エアポートに待機している FBIに知らせて、逮捕させましょう」
「 どうしたんです?」 河西は、食べていたケーキの最後の一 口をほお張ったところだったが、 事の成り行き の重要さに口を挟んだ。
「 例の、 タガミ という 日本人がアメ リカから 脱出しようとしているのよ」
「タガミが?」
「 重要なものをもってね」と、プラト ンが言った。
「 ?」 河西の浮かぬ顔に、ハナは例のいたずらっぽい笑いをつくって彼を見た。
「河西さん」と、ハナは話しかけて、プラトンにめくばせした。 プラトンが 「 OK。 では又」と言って、姿を消した。
「 ねえ、河西さん知っているでしょう ? ジニーの刺青」
「 ええ、蛇の刺青です」
「 あの目に、特殊なICが埋め込まれていたのは、知っている?」
「いえ?」
「ジニーに、埋め込まれていたも のが盗まれていた、と言えば分かるかしら?」
「 じゃ、 田上がジニーを殺して盗んだ。 それを彼が日本に持ち帰ろうとした 訳ですか?」
「 その通り 」
「そのICは、そんなに重要なものなのでしょうか?」
「悪い方向につかえば、人聞社会を簡単に崩壊できる力を持つも のなのよ」
「 光ファイバーとは関係なかったのですか?」
「 田上のアパートから出てき た女性は、田上の会社が手に入れた光子プロセッサ ー の特殊技術を盗もうとしていたようね。 これは、彼女の夫が自分の野望のために 、 妻をそそのかしてやらしていたわけね。 しかし 、彼女は次第に田上の罠に陥って行った。 ジニ ーをおびき出す役割をしたり 、最後にはニセの情報と交換に身体まで開いてしまったわけよ」
「悲劇ですねえ・・・」
「 女性は、男につくすのだけど悲劇がたえないわねえ 。 たとえばジニーだけど 、彼女も 自分の身体を狂人のボプ・ ホプスのコ ンピューターの実験に使われてし まった。 これは、 自分の夫の事業に多額のお金を使い込みしたジニーがボプに見つかつて、交換条件で身体を預けた結果に起こった。 ボブの設立した研究所で出来た IC を身体に埋め込み、身体からの性エネルギーをコンピューターに活用していたわけなのよ」
「 平凡な結婚生活が一番の幸福なのでしょうかねえ?」
「 そうかも知れないわね」
「 ぼくは、幸福なんだ」
ハナは、うふふと笑って河西を見た。
時計が正午を知 らせた。
河西が自分の安アパー トに戻って郵便箱を聞けると、 いろいろな請求書に混ざって一通の手紙が来ていた。 送り主も確かめず持ち帰った。
古くなり 所々がでこぼこになっているソファに横になると 、アパ ートの部屋を見渡してみた。 多量の本が部屋を取り巻いている 。
五本の黄色いチューリップがダーク・レッド色をした上品なカット・グラ スの花瓶に生けてある。
「なるほど・・・。 平凡な、幸福か・・・」 河西はポツリと言葉をもらし、近くにおいてあった手紙をとりあげた。
IBM社から だった。
(何だろう?コンピューター のセー ルスかな?)と、思いながら封を切って中の手紙を取り出し た。
「貴殿を 、当社付属研究機関プラトン・ テクノ ロジ一社の特別研究員に採用いたし ます。 四月三日に下記の住所にございますIBMオフィ ス までおこしください」 と言う 内容のものであった。
河西は思わずソアァ の上に座り直して、 も う一度読み返した。 間違いなかった。
初めて就職できたような嬉しさがこみ上げてき た。 この手紙を妻と息子に見せる と喜ぶ だろうなと思うと一挙に、今までの 自分の人生が正しい道を歩んできたのだという確信さえ持つ事が出来た。
「 プラトンさん。 あり がと う」河西は思わず大きな声で言っていた。
「 どういたしまして」 と、プラトンの声が聞こえた。 部屋の中で、黄色いチュー リ ップが輝いていた。
了.
プラトンさん、ありがとう 三崎伸太郎 @ss55
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