ネムリヒメ

七沢ゆきの@11月新刊発売

第1話 ネムリヒメ

「では、今宮閣下、失礼いたします」


 軍服姿の男が、向かいの大きなデスクに座る男に一礼する。


「お疲れ様。そうだ、各地の不穏分子の存在率は」

「現状、問題はありません。総統閣下の統治は順調です。のちほど詳細のPDFをお送りいたします」

「そうして」

「けれど、お言葉ですが……そのような愚かな人間は、もうほとんどおりません」


 部屋を出ていきかけた男がゆるく笑った。

 それでも座った男は冷え冷えとした表情を崩さないままだった。



 ※※※



 部下が部屋を出ていくのを確認して、僕は執務室の奥の部屋に入る。

 そこはいい匂いの花と大きな窓からの陽光に溢れた、とても居心地のいい場所だった。

 耳につく医療用モニターのカウント音や、できるだけ隠されているコード類に目を瞑れば。


「ねえ、今日も僕は仕事を頑張ったよ、褒めてくれる?」


 僕は大好きなきみの頬を撫でる。

 すべすべ。意外と柔らかい。きみが目覚めていたときは知らなかったこと。


「きみがいなければ僕はこうはなれなかったよ。いま、僕はこの国でいちばん偉いんだ。ねえ、褒めてよ……全部きみのためにやったんだ……無能な奴が戦争に負け続けるから……回復の見込みはない兵士は安楽死させるなんて言うから……」


 春の日差しのせいで、笑うようにまっすぐなきみの髪が光る。

 安心して。目が覚めたとき驚かないように、きみが好きだった紅茶色が褪せないように髪もちゃんと手入れをさせてるから。あの日の17歳のきみのままでいられるように、肌も手足もエイジングさせてるから。


「だから僕は総統だった父さんを殺した。うるさい母さんは病院に入れた。もうきみを死なせようとする馬鹿はどこにもいないんだ……戦争にも勝ったし……安心して眠り続けていいからね」


 僕が病院についたときはもうきみはたくさんの管に繋がれて眠り始めていた。


 脳幹部に非常に近い部位の損傷……自発呼吸ができるだけ奇蹟……目が覚めることはない……。


 淡々とした医師の言葉が僕の頭を流れていった。


 きみはこんなに綺麗なのに。

 いつものきみのままなのに。


『人体クローニングができるのにそれぐらい治せないのか!遺伝子治療は!』


 僕はそう食ってかかった気がする。


『できません。個体の脳の部分再生は現在でも確立されていません。ただ、おっしゃる通り完全クローンをお作りするのは簡単ですよ。さっそく手配しましょう。大丈夫、またすぐに会えます』


 そう言った医者を僕は殴った気がする。


 彼女は世界にたった一人だ。

 彼女はここにしかいない。いちゃいけない。


 いちゃいけないんだ。


 世界がいくつあっても、世界に彼女が何人いても、ぼくの彼女はここにいるこの人なんだ。


「そうだ、もうすぐ僕の誕生日なんだよ。プレゼントなんていらないからさ、またあの歌を歌ってくれないかな……ほら、戦争のとき、一緒に歌った突撃軍歌……きみが陽気にきれいに歌ったあれ。

 僕はもうきみの声も忘れてしまいそうなんだ!好きなのに!大好きなのに!

 ねえ、僕のことをいつもみたいに叱ってよ……いつも同じことばっかりバカねって」

 

 王子のキスでも目を覚まさない眠り姫。

 その間に王子は年老い、王になり、それでも姫君は自分の時間を止めて眠り続ける。


「ごめんね。きみを待つうちに僕はすっかりおじいちゃんになっちゃった」


 王子をただ時間の中に残したまま。


「きっときみはもう僕を見ても気づかないね」


 握りしめたきみの手の上に僕の涙が落ちた。

 窓に映る僕たちの姿は、孫とそれを見舞う祖父のようだった。

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