第5話 鬱展開だけは絶対に許さない

 沙樹は緊張していた。

 男性が近くにいる。それが沙樹に焦燥感を与え続けていた。

 沙樹は完璧だった。バレー部のキャプテンで、女子校の王子様で生徒会長で、海外に行ってからは勉学が忙しすぎて気が付いたら27歳。完璧すぎて27年間男が寄ってこなかったのだ。つまり非モテでコミュ症のお一人様だった。

 つまり沙樹は処女だった。豚之介なら「女教師でスパイで処女。それなんのエロゲ?」と聞くところだろう。

 だから同じ空間に男と二人きりというのはたいへんなストレスだった。

 特にこの豚というかパグのような顔をした男と一緒にいるのは、とてもつらかった。

 なぜなら妙になれなれしいのだ。まるで子犬のように。豚というよりはパグなのだ。

 だが今、沙樹は豚之介と同じ部屋にいる。

 上司の川中と一緒にいるのすらストレスだというのに、よく知らない男と二人きりだ。なにを話していいかすらわからない。しかも相手は非科学的な催眠術を使う異能者だ。機嫌を損ねたら面倒なことになる。

 そこは空き教室。沙樹は豚之介と強姦未遂事件の被害者である鹿島を待っていた。

 豚之介は「ははは」と笑いながら沙樹に話しかける。


「半藤先生。歯ぎしりしないでください。はい深呼吸して。リラックスリラックス。あと数分で鹿島さんが来ますので」


 沙樹は豚之介を見る。睨んでいるように見えるが、それはただ緊張しているだけだ。

 するとドアが開き鹿島が入ってくる。


「あの……油島先生?」


「はいはい。待ってたよ。ジュースとお茶どっちがいい?」


 豚之介はペットボトルを並べる。この油島という人物、人柄は悪くない。だがどこか豚を連想させる人相だけが悪かった。

  沙樹は鋭い視線を送る。やはり裏表はなさそうだ。


「半藤先生も取ってください」


「ではお茶を」


「あ、私もお茶で」


 お茶が二本消えたので、残りは炭酸飲料。豚之介は「太っちゃうなあ。でへへへへ」と笑いながら炭酸飲料を取る。もはや手遅れなのに。沙樹はそれを見て「やはり油島は危険人物ではないのだろうか」と思った。

 甘いものへの執着以外は変わった点はない。異能者なのに精神も安定している。不思議な男だ。

 お茶を飲んで落ち着いたところで話を始める。


「鹿島さん。今日来てもらったのは、この間の件の事情聴取でして。本当に申し訳ないんですけど話を聞かせて」


「あ、はい。空き教室に行ったら男子に囲まれて……」


 豚之介は眉をひそめた。


「やはり……言えないことがあるんですね」


「え?」


 鹿島が声を上げた瞬間、豚之介はぱちんと指を鳴らした。

 すると鹿島は目を開けたまま停止する。


「秘密をしゃべりたくなる」


 豚之介がぱちんと指を鳴らす。


「え、ええっと……あの……天野くんに脅されていて……」


「父親が暴力団の?」


 たしか天野は地獄の山手線画像が手違い、、、でSNSにアップロードされてしまい、現在は学校を休んでいるはずだ。

 やはり、委員長ものの王道、脅迫が行われていたようだ。


「はい……。あの、うちは借金があって……それで。いやらしいことを要求されて……」


 まさに王道である。他人事だったらよかったのにと思わずにはいられない。


「親御さんはどう言ってますか?」


 暴力団が相手ならむしろ戦いやすい。今のご時世、暴力団の人身売買が明るみに出れば、叩きつぶされるのは暴力団の方だ。弁護士に電話すれば一瞬で終わる話だ。


「あ、あの……それは……それだけは」


 鹿島は下を向いてしゃべるのをやめた。


「うーん、心理的なプロテクトがかかっているようですね。半藤先生、今からプロテクトを解除します。暴れるかもしれないので注意してください」


 こくりと半藤がうなずいた。


「すべて話せ」


 豚之介はぱちんと指を弾く。


「あ、あ、あ、あ、あ……お父さんは私を売りました。あの数年前にお母さんが出て行ってから、お薬でおかしくなって」


 豚之介は眉をひそめた。想像以上に重いのが出てきた。

 豚之介が見守っていると、鹿島の目から大粒の涙がこぼれてくる。


「それで、お父さんが言うんです。売られる前に女にしてやるよって。お父さんは中学生になってから、だんだん怖い目で見るようになって。高校卒業したら家を出ようと思ってて、天野くんにアルバイトして借金を返す相談をしたら、みんなの相手をしろって……私、もうどうしたら!」


 豚之介は手で顔を覆った。まさかのヘビーブローであった。

 知り合いの、それも生徒がそういう境遇に置かれるのはさすがに心が壊れそうだった。豚之介は思わず出た涙を拭うと、沙樹に視線で助けを求める。


「そんな捨てられたパグみたいな顔しないでください。とりあえず報告しますので」


 くーん。本当に捨てられたパグみたいな顔になって、豚之介はジュースを口に運ぶ。だがそれだけではなかった。


「天野くんのことも私のせいだって言われて……夕方になったらそう言うビデオの撮影をしなきゃいけないんだって。なんで! なんで私がこんな目に! もうやだ……死にたい」


 カタンとペットボトルが下に落ちる。ジュースが床に広がった。

 捨てられパグは泣きそうな顔になる。

 想像以上にヘビーな状況だった。耐性のない豚之介には衝撃的な内容だった。トリはよくてもラレは許せない。関係者は豚之介の精神の安定のためにも地獄送りにせねばならない。

 豚之介は鬱展開だけは許せない。エロ漫画でも二度と見ないのだ。鬱展開ダメ絶対。


「半藤先生。確か……異能者は殺してもいいんですよね?」


 怒りのあまり滑舌が悪い。完全に声が震えていた。


「ええ。鹿島さんの件が発覚しないのはおかしいと思います。ミーム汚染の疑いがある……んじゃないでしょうか?」


 沙樹も声が震えていた。


「わかりました。猶予もありませんし」


 豚之介は、ぱちんと指を鳴らす。

 すると鹿島は元に戻る。


「あ、やだ。私……なんてことを……」


 ガクガクと鹿島が震える。

 知られてしまった。絶対に秘密にしなければならないのに。

 だが沙樹も豚之介も優しかった。

 豚之介は鹿島に優しい声で話しかける。


「鹿島さんは迎えを寄こしますので、ここで待機してね。今日はそこで匿ってもらってください。大丈夫。明日には解決してます」


「で、でも……」


「大丈夫。半藤先生を信じて。ねえ、半藤先生?」


「鹿島さん。大丈夫。油島先生は名前と人相は悪いけど、鹿島さんの味方だから。私もね」


 沙樹は鹿島が落ち着くまで手を握っていた。

 鹿島が落ち着き、事件を報告すると豚之介は沙樹に言った。


「半藤先生は私と来てください。監視が必要なんでしょ?」


「わかりました」


 豚之介と沙樹は鹿島を文科省に引き渡すと「調査に行く」と言って学校を後にする。

 目指すは天野組。今すぐ全員地獄に落としてやろう。豚之介はそう心に誓った。

 油島豚之介40歳。好きなもの「いちゃらぶ」。嫌いなもの「NTR」。クソ野郎絶対殺すマン。

 天野組は一番怒らせてはいけない男に火をつけてしまった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

催眠体育教師 油島豚之介 藤原ゴンザレス @hujigon

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ