第4話 おっさん、エージェントになります

 日曜日。豚之介は言われた通りスーツを着て駅前に行く。

「自動車で来い」とは言われてなかったので、そのままで待つ。なお運転免許を取得した記憶はない。

 すると軽自動車がやって来る。沙樹だ。相変わらずクールビューティーといった外見であるが。自動車はかわいい軽自動車である。あの外見からは想像がつかない。

 外車に乗っていそうなイメージだ。

 やはり中身はかわいい系なのかもしれない。


「油島先生、お待たせしました。乗ってください」


「はあ」


 目的がわからないため、気のない返事をして自動車に乗り込む。

 苦しくはない。豚之介はギリギリ人並みの肥満なのだ。


「どこに行くんですか?」


 いくら狂った世界と言えども、お城っぽいところではないだろう。


「文科省の施設です。会って欲しい人がいます」


 口調こそ丁寧だったが、質問を拒否するような態度に豚之介は二の句が継げない。


「油島先生。私は人間があまり得意じゃないんです。会話をしても楽しくないと思いますよ。スマホでもいじっててください」


 そう言われても困る。車内を重い空気が覆った。


「あの……半藤先生。メイク普段と変えてるんですね。今日の方がナチュラル系で似合っているかと……」


 キッと沙樹の目が鋭くなる。

【おっと地雷を踏んだかな】と豚之介は思った。マメな男が通じるには、人並みのルックスと若さが必要だ。そのどちらも豚之介にはない。持たざる人間へは、人間はどこまでも残虐になれる。特に理由なくセクハラ認定されるかもしれない。周りも面白がって豚之介を吊すだろう。そう、ブサメンにとって社会とは即ち敵なのである。

 実際、沙樹はじろっと睨むと無反応になった。少し哀しい。

 豚之介が理不尽のあまりガチガチと爪を噛んでいると、車のスピードが緩む。

 都内某所、庁舎と思われる古いビルが見える。


「そこの駐車場に停めますので」


 ビルの横の駐車場に停車する。

 沙樹は豚之介についてくるように指示する。

 中は庁舎のわりにやたらと警備が厳重で、目つきの鋭い係員が入館証を管理していた。


「名前を書いて、免許証を提出してください」


 沙樹に言われた通りに入館手続きを終える。

 そのまま中に入りエレベーターを待つ。

 その間、豚之介は「ちょうどいいかな」と思い質問をぶつける。


「今の警備員、防刃ジャケットを着用してました。腰には伸縮式の特殊警棒。無線はヘッドセットで常に着用。ずいぶん警備が厳重ですが、もしかしてここは警察の施設なんでしょうか?」


「違います。ここは文科省の施設です。それ以上のことはすぐにわかると思います」


 最上階に案内される。そのまま「応接室」と書かれた部屋に通される。

 豚之介はごく自然に下座に行こうとするが、沙樹に阻止される。


「そこに座ってください。お茶を持って来ますから、いい子にしててください」


 豚之介は「はい。ままー」と言いたいのをグッと堪える。親父ギャグはときに殺人事件に発展するのだ。

 豚之介が部屋を観察する。

 一見すると普通の部屋だが、極端に装飾品が少ない。

 テーブルも壁がけ時計も壁に固定され、部屋の壁には出っ張りがなく、エアコンは埋め込み型で金属製の蓋が被せてある。

 ドアは電子錠。自動開閉で油圧式。手で開閉するのは困難だ。


「なるほど。外に出さない仕組みか」


 いざとなったら空調からガスを散布することも可能だろう。

 殺してでも外に逃がさない仕組みだ。

 いざとなったらどうやって逃亡しようかと考えていると、沙樹がお茶を持ってくる。普通のペットボトルだ。


「なるほど。毒は入れてませんってことですね」


「気づきましたか」


「入り口には武装した警備員、入り口は油圧式、通風口には頭が入れない大きさの金網、おまけに調度品はどれも床に固定。おまけに壁は……」


 豚之介は壁を軽く叩く。暗く冷たい剥き出しのコンクリートに見えた壁に、ぼすっと拳がめり込む。


「こんなに柔らかい。自殺すらさせないで制圧する構造ですね」


 そこまで言うと油圧式のドアがぷしゅーっと排気音を立てて開く。やって来たのは50代の大男。筋肉質で、髪をオールバックにして、ジャケットの中には黒いベストを着ている。

 体からはかすかに煙草のにおい。

 とても役人とは思えない。例えるなら酒場の用心棒のような見た目である。


「ご名答。でも油島先生を呼んだのは捕まえるためじゃないですよ。私は川中哲夫。ここの責任者です」


 川中は豚之介の前に座る。


「はあ……それで一体なんのご用件でしょうか?」


「では、まず前提のお話を。現在、子どもたちは危機にさらされてます」


「それはどこの社会でも同じでしょう?」


 弱くて小さくて愚かなら、どこの社会でも悪人に食い物にされる。

 子どもを食い物にするなと悪人に品位を求めるのは時間の無駄だ。ただ殲滅すればいい。


「そういう普通の意味じゃありません。洗脳アプリに時間停止能力者、集団痴漢列車。異能者による犯罪が急増しているのです」


 豚之介も催眠術を操る体育教師である。


「なるほど。国もそういうのを知っているんですね。もしかして……先日の件で逮捕されちゃいます……私?」


 さすがに男子生徒で山手線を作ったのはまずかったか。と豚之介は思った。次は地獄車にしておこう。


「あなたは暴行を止めただけでしょ? 我々は警察じゃないし、そこまで杓子定規じゃないですよ。でもお願いがあるんです」


 腹の中でどう思っているかは別として、あくまで川中はにこやかに接してくる。


「お願いとは?」


「助けていただけませんか? 異能で私たちを。もちろん報酬はお払い致します」


「いいですよ」


 豚之介は特に表情を変えることもなく返事した。その姿は安請け合いをしたように思えるものだった。


「ずいぶんと簡単に言うのですね」


「予想してましたので。家に警察がやって来て拘束されなかったってことは、少なくとも話を聞く用意はあるんでしょうし。ここに呼んで手の内を晒したってことは、私を味方にするつもりでしょ? 断ったら抹殺する前提で」


「ふふふふふ。話が早い。仰るとおりです。我々は異能者から子どもを守りたいと思ってますので。逆らったら抹殺する許可もあります」


「場所はうちの学校ですね。【阿屏我王学園】なんてアホな名前に誰も疑問を持ってないくらいですから」


 ふりがなは拒否する。誰も疑問に思わない方が異常なのだ。

 常識が置き換わる、いわゆるミーム感染を誰かが起こしているのだ。


「どうやら油島先生は催眠術師だけあって、洗脳に耐性がおありのようだ……。普通は疑問に思わないのです。洗脳を解く能力者のいる我々以外はね。強力な能力者が仲間になってくれて助かりますよ。いや、半藤さんの目に狂いはなかったようですね。はっはっはっはっは!」


 川中は豪快に笑った。演技だろう。それも三文芝居だ。だから豚之介は話を遮る。


「条件があります」


「条件……ですか? 世界の王にしてくれとか、ハーレムを寄こせってのは私の権限じゃ無理ですよ」


 いらない。


「そういうのは、その気になったら自分でやればいいだけなので。そうじゃなくて、まず私を使い捨てにしないこと。これを破ったら報復します。そうですね、男性職員に渋谷で連結でもしてもらいましょうか」


 豚之介は自虐をこめて言った。だが考えて見れば催眠で女性を手に入れても虚しいだけだ。豚之介は金で買うことのできる肉欲を求める気はない。ただ人生の中で一度くらいは恋愛をしてみたいものだとは思っている。愛したことも愛されたこともない人生のなんたる惨めさよ。


「そいつは地獄ですね。すぐにわかると思いますが、私たちには能力者を使い捨てにするつもりも余裕もありません。他には?」


 それほど能力者は多くないようだ。


「どうしても刑法に触れる行いになるので、できれば免責特権をください」


 能力者を捕まえたときに、いちいち暴行や傷害で逮捕されたら割に合わない。当然の要求である。

 それに男子生徒で山手線を作った件も揉み消して欲しい。


「異能者の事件には超法規的措置が執られています。能力者や煽られた犯罪者を殺したとしても、罪には問われません。実際、別に動いている自衛隊の一部隊が、隊員の大半と引き替えに催眠術を使う能力者を射殺してますが、報道すらされてないでしょ?」


 ずいぶん物騒であるが、洗脳アプリやら時を止める能力者相手なら当然の処置だろう。

 その後すぐに話し合いは終わり、沙樹に送ってもらう。

 沙樹はあまり口数が多くなかったが、来るときよりは態度が軟化していた。

 豚之介は「女教師でスパイでクールビューティって絶対背後、、が弱いよね」と思ったが口に出したら殺されるので黙っていた。

 親父ギャグ、それも下ネタは一人で楽しむものなのだ。

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