私が背中を押してあげる

 4月3日。天気は晴れで少しほっとする。今日は入学式だ。式典は建物の中でやるとはいえ、そこにいくまでに雨に降られるのはあまりよろしくない。


 私は窓を開けて朝の空気を室内に取り込み、朝食を作ることにする。


 普段はお互いにほとんど干渉しない生活をしているのだけど、今日は特別に用意してあげよう。


 冷蔵庫の中身を見て、サンドイッチを作ることに決めた。


 食パンを4枚出して半分にカット。洗ったレタスとハムを上に乗せてマヨネーズをかける。で上からまたパンで蓋をして出来上がり。それを2枚の皿に分けて乗せ、テーブルへ。


 当然相方は来ていないので、起こし行くことに。軽くドアをノックして部屋に入る。


 目的の人物は、私が使う物より数倍も質が良い高級ベッドに包まれて寝ていた。羨ましいことこのうえない。


 華凛と一緒に住むようになって1ヶ月。いろいろと衝撃的なことが分かった。


 お嬢様だからなのかもしれないが、華凛はとにかくずぼらだった。着ているものは脱ぎ散らかすし、お菓子やジュースのゴミもそのままにしている場合が多い。そして部屋を掃除したりすることも滅多にない。


 もとは世話係の人がどうにかしていたのかもしれないが、今は誰もいないのだ。現在の部屋は大変なことになっていた。主に、ゲーム機がある大型テレビのまわりが。この前片付けたというのに、もうこれか。


「ちょっと華凛、起きなさい」


 布団を引っぺがし、肩を掴んで揺さぶってやる。


「あー……やめて有希、気持ち悪い……」


 自由に生活するようになってから、生活時間もガタガタだ。おそらく昨日もゲームをして夜更かしをしていた。もしくは生活が逆転して寝ようとしてもなかなか寝付けなかったのだろう。


「そんなこと言っても、今日は入学式だし」


「……あぁー、行かないといけないやつね。親もやって来るし、まったく、面倒だわ」


「ご飯作ってるからね」


「……あい」


 私と華凛は、今は進学する大学の近くにあるマンションにふたりで暮らしている。自由に誰にも煩わされずに暮らしたい。そう願った私たちは、遠く親元を離れて生活をすることにした。誰もいない土地に、思いっきり逃げてみようと思ったのだ。そしたら、今まで私を縛っていたものとは何だったのかと言いたくなるくらい、だいぶスッキリした。華凛も同じようだった。


 今住んでいるマンションは個別の洋室が2部屋、十分な広さのリビングが1部屋、お風呂も足を伸ばして余るほどの広さ。もちろん華凛が住むために用意したものだ。私みたいな一般の人間、しかも学生がこんな部屋に住むなんて絶対に無理。


 その代わりにしては安すぎる気もするが、私は室内をたまに掃除するように言われた。


 まぁそれも気が向いた時くらいでいいのだが。でも案外、やってみるとそんな生活が性に合っているみたいだった。というより、華凛のだらしなさに目がいって、つい世話を焼いてしまうことが多い。


 自分ってこんなに過保護な性格だっただろうか。


 いや……そんな筈はない。私はもっと他人と関わるのを嫌っていた人間の筈だ。


 でもどうしてだろう。華凛に対しては、彼女にだけは接していられる自分がいる。それが不思議だった。


 華凛が来るまでの間にコーヒーも用意しておく。華凛が用意してくれたマシンに豆を入れてスイッチオン。しばらく待つと、ふんわりと香りが漂ってくる。


 コップに注がれたコーヒーを持ってテーブルへ。


 華凛は角砂糖2つとミルク多めだったな。あの子は意外と子供っぽい。


「あら、ほんとにちゃんと用意してくれてるのね」


 いつものモードに戻ったらしい華凛がやって来てテーブルへ着く。眠そうだった彼女はどこへやら、今はピシッとスーツを着こなしている。


 華凛も私も晴れ着は用意していない。一応入学式だから外用のスーツを着ていくが、そこまで。着るのに手間も時間もお金もかかる衣装なんて煩わしいだけだ。


「やれやれ、入学式なんて面倒ね」


 外の日差しが眩しいのか、鬱陶しそうに目を細める華凛。彼女の生活を見ていて分かった。この子は雨が好きなだけでなく、あの薄暗い明かりが合っていたらしいことに。


「ま、仕方ないわね。親も来るって言ってるし、学生証もこのタイミングで配るみたいだから。後で学生課に行って手続きするの、面倒でしょ?」


「面倒過ぎて文句を言いたくなるわ。そのために早起きしなきゃならないなんて」


「早起きというか、華凛が夜型なんだよね。ゲームするのも夜だし。そんなにハマったんだ?」


 これが一番意外だったかもしれない。華凛はこっちに引っ越してから初めて家庭用のゲーム機を触ったらしいのだが、それが思ったより気に入ったようでずっとプレイしている。


「そういう生活になる気は前々からしてたから。本を読んでる時も続きが気になって最後まで読み切っちゃうことが多かったし。ゲームも同じよ。物語が気になったら時間がある限りやってしまうから」


「やってるのRPGばっかりだもんね」


 そればかりというわけじゃないけど、比較的ストーリー重視のゲームを好んでいるみたい。


「知らなかった? 私は物語が好きなのよ」


「前にこの世界が嫌いって言ってたのに?」


「ええ、この世界の人は嫌い。けど人が創ったものは素敵だと思う――何、その顔」


 いや、思わぬ言葉に少々面食らってしまっただけです。


「そんなこと言うとは思わなかった。人は嫌いだけど、創ったものは好きって、よく分かんないな」


「あら、有希には分かると思ったんだけど。だって創作された世界の中には、人の理想が詰まってるのよ。創りたいと思った世界を創ってる。そこには私が見てきたゲスな顔はない。本の中に登場する人も、ゲームの中のキャラも一緒。それぞれの世界の中で真っすぐに生きようとしてる。とても素敵だと思うわ」


「だから物語が好きなんだ」


「そういうこと。さて、そろそろ行きましょうか」


 食事を終えて食器を片付ける。


 私もだいぶ変わったと思ったが、それと同じくらい華凛も変わっていた。以前は身の回りにある物から時間まで、すべて他人に握られていたが、今やそれが華凛のものになった。好きな物を買い、好きなように時間を使う。それだけで随分彼女は身軽になったみたいだった。


 玄関へ向かう華凛、その後ろに私はついて行く。


「はぁ……ほんと億劫だわ」


 一般人には手が出せない上質なハイヒールをめんどくさそうに履きながら華凛は呟いた。1年前とはかなり変わったと思うが、それでもまだまだ昔のままの部分はある。


「まぁまぁ、今日が終わればまたしばらくのんびりできるんだし、今日くらい我慢しましょ」


「……そうね」


 華凛は玄関のドアに手をかけて開いた。私はその背中にそっと手を当てて、押してあげた。


「さ、行こう」

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私の背中を押して 秋野たけのこ @autumn-Takenoko

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