第5話:空くんの近況ノート

 ―― 2019年5月16日 19:28

 ―― 近況ノート「愛しさと、切なさと、創作についての一考察」


 小説を書くようになってから、ぼくは、何だか少し変だ。

 泣いてしまうのだ。

 泣きたくなる。

 恥ずかしいけど、今ここでハッキリと文字にして置く。

 すごく大事なことのような気がするのだ。


 今日、西村先生と、藤沢先生に、教室で一人で泣いているところを見られた。

 状況的には完全におかしくて、ぼくが一人で泣くのを、まるで隠れて待ってた、みたいなタイミングだったし、状況だったし、雰囲気なんだけど、今はそのことには触れない。


 今までそんなこと無かった。

 6年生の時にこのサイトで小説を書き始めて、そして読み始めて、すごく好きな作家さんができて、その作家さんは、ぼくくらいの男の子がいろんなものと戦ってお兄さんになって行く、そういう物語がすごく楽しく描けて、ドキドキさせられて、とても素敵なんだけど、だけど、ぼくは子供だから、未成熟で愛情が足りないから、だって正直言って、ホントは、自分がまだ可愛がってもらいたい感じだし(恥ずっ、……)だから、こんなのとても書けないや、こんな素敵な物語なんてぼくには無理だ、って諦めてた。 登場人物への「愛」、ひいては人間というものに対する「愛」は、やっぱり「人」が登場する物語を書く上で、必要不可欠な「資質」だと感じたからだ。


 でも、あるとき変化が起きた。

 自作の登場人物、キャラクターのうちの一人のことが、ある時とても愛しくなって、大切になって、物語を終わらせたくないっ! 別れたくないっ! ずっと書いてたいっ! ずっと一緒にいたいっ! って思って、そして、このぼくにも、その必要不可欠な「資質」が宿っていることに気が付いた。もちろん、その大好きな作家さんみたいにすごいやつは今は書けない。だけど、手に入れることが最も困難であると思われていた、ある種の魔法のような能力が、こんな自分にもある、って分かったのだ。


 あるっていうのは知ってた、と思う。

 引き出し方が分った、というか、が分った、ということなんだと思う。

 ホントに「魔法」みたい。

 だけどそれは、「魔力」や「魔物」と一緒で、制御不能なモンスターでもあるみたいだ。


 ある意味この時から、感情は、ぼくのものじゃなくなった。

 感情は、ぼくの知らない間に、ぼくの知らない心のどこかで、生まれ、高まり、気がついた時にはすでに涙になって溢れている。

 名前も、顔も知らない、ホントにいるのかどうかも分からない誰かのことが、不意に愛しくてたまらなくなって、好きで好きでたまらなくなって、


 ――「どうしよう」、「大好き」


 って呟きながら、めそめそ泣いちゃったこともある。

 う~、恥ずい、……

 でも、それって、何だろう? いったい誰なんだろう?

 それにぼくって、やっぱり変なのかなぁ? おかしいかなぁ?

 でも、恥ずかしいけど、やっぱり文字にして、記録としてここに残す。

 さっきも書いたけど、もの凄く大事なことのような気がするのだ。


 こないだの連休の時、家族でショッピングモールに行ったんだけど、ソファとか、棚とかが置いてある売り場を歩いていたら、ダイニングテーブルが置いてあった。もちろん家具が置いてあるお店だからテーブルがあるのは当たり前なんだけど、天板に絵タイルが6枚嵌め込まれている、ちょっと小振りで、そしておしゃれなデザインのやつだった。

 母さんと一緒に歩いてて、母さんは、そろそろ買い換えたいとソファを見ていたんだけど、ぼくは興味無くて、何となくブラブラしてて、そして、そのテーブルの天板に嵌め込まれた6枚の絵タイルを見て、そして、急に、泣いてしまった。

 白い、10センチ角くらいのタイルに、青い色で、枝に止まる小鳥の絵だったり、緑の豊かな庭園の景色だったり、のどかな農場の風景だったりが描かれているんだけど、他に絵にする題材はいくらでも、それこそ無限にある訳だけど、わざわざ、その、のどかで優しい印象の風景を選んで描いた、いや、描いているその作家の、その息づかいや心情が伝わってくるような気がして、そしたら、どうしてだろう、哀しみと愛しさ、その両方に、ひどく打たれてしまって、急に涙があふれて来てしまったのだ。

 どうしたの? 見ていた母さんが心配そうに声をかける。

 何でも無い、目にゴミが入っちゃっただけ。とぼくは答える。

 普通に、結構泣いちゃってたんだけど、……


 この日、そのショッピングモールでピアノの生演奏のパフォーマンスがあって、それがもの凄くて、またまた泣いてしまった。自分でも呆れるけど、どうにもならない。

 3階の、ギターが大量にディスプレイされている楽器店の前の、広い通路に、「オープン・ピアノ」が置いてあった。誰でも弾いていい、という、みんなに解放されたピアノだ。「Play Me!」と書かれたポップが出ていて、それは、ぼくには、とても素敵な試みに思えた。

 羨ましい、そう思った。

 ピアノを弾ける人が羨ましい。

 小学5年生くらいの男の子がトコトコ向うから歩いて来た。その子は迷いの無い動作でピアノの前のイスに座ると、前準備一切ナシで、いきなり、ぼくも聴いたことがあるクラシックの曲を弾いた。予想に反して凄く上手で、ビックリした。彼は数分間、淀みなく、滞りなく演奏をし、それが終わると、演奏が始まった時と同じように、唐突にイスを立った。彼が走って行った先には、お父さんがいて、手をつないで去って行く。

 ぼくは思う。まだ子供だ、あの子は、ぼくよりずっと子供だ。そして、音楽というジャンルのレベルの高さと、その底知れなさを思う。

 少しして、胸の内に湧き上がるものがあることにぼくは気付く。

 それは失意でも絶望でもなく、何だろう、不思議なんだけど、うれしい気持ちだった。ぼくはきっとその時、少しだけ、笑顔になっていたと思う。だって、やっぱりうれしいよ。ぼくだって ……、という気持ち。


 その少年が、買い物客の雑踏に紛れて見えなくなった頃、その反対側から二人のおじさんが歩いて来た。灰色の作業着上下に、同じ色の帽子をかぶり、黄色の、少し目立つ、蛍光素材っぽいベストを着ている。掃除の人だろうか、工事の人だろうか、そんな感じ。二人して何か言い合いながら、ゆっくり歩いて来る。一人のおじさんは手にバケツを持ち、肩には丸めたホースを掛けている。もう一人のおじさんは右肩に道具入れっぽいカバンを掛け、左手には何故だか懐中電灯を持っている。あれ? 掃除の人かな? 工事の人かな? どっちかな? と考えているうちに、二人はピアノの前まで来た。

 前を歩いていたヒゲを生やしたおじさんが、オープン・ピアノにぶつかりそうになった。二人で話し込みながら前を見ずに歩いていたせいだ。

「あぶねえ!」

 ぶつかりそうになって、ヒゲのおじさんが言う。

「おい、気をつけろよ」

 後ろを歩いていたサングラスをかけている、太ったおじさんが言う。

「うるせえな!」

 ヒゲのおじさんが言う。乱暴な言葉遣いだけど、なんだか仲良しみたいだ。

「なんだこんなとこに、……ピアノじゃねえか」

 そう言いながらヒゲのおじさんが左手でぞんざいに鍵盤を叩く。

 だめだよ、みんなの大事なピアノだよ、――

 そう思った。

 ピアノを知らない人が、そんな乱暴に叩いちゃダメだ、―― って。

 しかし、それは間違いだったとすぐに気付いた。

 だって、ピアノを知らない人じゃなかったから。

 それも二人とも。

 ヒゲのおじさんが左手でぞんざいに叩いていたその音は、後から調べたんだけど、ジャズピアノのブギ・ウギ奏法のベースラインだった。エイト・ビートで1小節半、左手でベースラインだけを叩き、そのままピアノの前のイスに腰掛けながら右手で短くリフを弾き、3小節目に入る時点でその右手はコード奏法に移行していた。

 リズミカルで、速い。

 そして、何より楽しい!

 ピアノによる、本格的なロックン・ロールの演奏だった。

 ブッキラボーで、そのくせノリノリで、テキトーに弾いてる風で、だけどカチッと正確な、ハイレベルで、かなり手馴れた、そう、ピアノの専門家によるパフォーマンスだ。

 そのオープン・ピアノのすぐ横で、吹抜けの手すりの前に立っていた白髪の老夫婦は、その作業着姿のおじさんの演奏を前に、目が点になったまま動けない。おばあさんの目がわずかに輝き、口元が小さくニコッとVの字形になる。

 サングラスの太ったおじさんは、最初少し戸惑った様子で、回りをキョロキョロ見ながら、肩をすくめて見せたりしてたが、少しすると、わざとらしく猫背になって忍び足でピアノに近づき、鍵盤の右側の高い音が出る部分を打鍵し始めた。シロウト――、最初はそんな感じの、指一本で強く叩く打鍵の仕方だったんだけど、すぐに本格的でメロディアスな、リフの演奏に移行した。右手1本で、だ。

 これで、ベースライン、コード奏法、リフレインの、すべてのパートが揃ったことになる。

 1台のピアノが奏でているとは思えない、重厚なサウンド。

 曲芸じみた速度と、機械のように正確な、運指と打鍵。


 ―― リズミカルで、そして何より、「やかましい」!

 ―― チョイ悪オヤジ、約2名による、超、超、超ハタ迷惑な「悪フザケ」!

 ―― これを「ロック」って言わずして、なんていう?!


 まわりに人が集まりだした。

 通りかかる人の、約半分が足を止める。

 それはそうだろう。

 凄まじく派手で、カラフルで、激しくて、ちょっとワルくて恐そうな、最高のストリート・パフォーマンスなんだから、……!

 人間の頭蓋の内側、脳幹下部の偏桃体の、その神経細胞の中から「よろこび」という感情をダイレクトに引き出す「ブギ・ウギ」という音楽の、その本質的な凄さを感じずにはいられない。本能を直接刺激され、飛び跳ね、頭を振り、足を踏み鳴らし、そして手を叩かずにはいられない、そんな気分。気が狂いそう、っていうか、もう泣いちゃいそう、……!

 ヒゲのおじさんと、サングラスのおじさんが、作業帽を被った顔を見合わせ、何かを言いながら笑い声を上げる。何を言ったのかは聞き取れなかったけど、すごく楽しそうだ。もちろん演奏は止まらない。アドリブで、目が回るくらいのスピードで、ドラマティックに展開して行く。

 低音のベースラインの周波数に頭が痺れ、高音の繰り返されるメロディアスな打鍵音に気が遠くなる。でも身体はリズムを取ることを止めない、止められない。音楽って、すごい!

 イスに腰掛けていたヒゲのおじさんが立ち上がる。もちろん演奏は継続中だ。何をする気なんだろう? 考える間もなく、おじさん二人は声を合わせる。

「ワン、ツー、スリー、……!」

 4拍目で、ヒゲのおじさんとサングラスのおじさんが左右入れ替わった、――

 き、曲芸、―― !

 一瞬、逆に少しだけリズムが速くなったが、演奏は途切れない。

 取り囲んだ聴衆から拍手と歓声が沸き起こる。

 驚きと興奮のどよめき。

 ベースラインとコード奏法の色合いが変わる。リズムの速度も微妙に変化する。奏者の個性と、ロックン・ロールという音楽に対する解釈の相違がもたらす変化だ。もちろん、こっちも、メチャクチャ格好いい。

 まわりの人達を見る。みんな楽しそう。家族で来てるお父さん、お母さん、小さい子、小学生くらいの子、友達と来てるお兄さん、お姉さん、そしてさっきのおじいさんとおばあさん、みんなそれぞれの、自分の笑顔で、楽しさを表現してる。背の高いスラッとした母娘おやこがリズムに合わせて同じ動きのダンスをしていて、凄くカッコイイ。腕を組んで仁王立ちのおじさんが、にも関わらずニッコニコの笑顔でこっちまで楽しい気持ちになる。若い大学生くらいの女性がスマートフォンで動画を撮っている。いや、大きなリュックを背負ったバックパッカーっぽいお兄さんも、マイクロミニのスカートを履いた高校生の女の子も、スマートフォンで二人を撮影している。悪ノリしてハシャぎまくる、作業着姿のおじさん二人を、だ。

 カモンベイベー!と大声でがなり立てながらサングラスのおじさんが片脚で飛び跳ね、もう片方の脚で床を踏み鳴らしてリズムを取りながら鍵盤を叩き続ける。ヒゲのおじさんがサングラスのおじさんに何か言う。すると再度、

「ワン、ツー、スリー、……!」

 またまた4拍目で、サングラスのおじさんとヒゲのおじさんが左右入れ替わって元の配置に戻る。が、今度はさっきみたいにうまく行かず、再度ベースとコード担当になったヒゲのおじさんが「キー」(曲の音程)を捜しながら両手でベースとコードを打鍵するが、不協和音が何回か鳴り響いてしまう。しかしサングラスのおじさんが一定のリズムを保ちながら高音域の単音を打鍵し続けてキーを指し示すとすぐに持ち直し、キーを掴んだヒゲのおじさんがスピーディーでリズミカルな演奏を再開する。そして驚いたことに、演奏が復調して再開してみると、あの鳴ってしまった不協和音も、あの慌てた感じのリズムの弱冠のモタツキも、オーディエンスを飽きさせないためのアクセントとして計算され尽くしていることに気付く。過ぎ去って見ると、整合性がちゃんと取れているのだ。

 さっきより大きな拍手と歓声が渦のように巻き起こる。


 ―― 確信犯かよっ、……って思っちゃう、カッコよすぎ!


 やがて、イスに座って演奏していたヒゲのおじさんが立ち上がり、最初から立ったままのサングラスのおじさんと顔を見合わせた。

「オッケー!」

 サングラスのおじさんが言う。ああ、もうすぐ演奏が終わるんだな、と思う。

 ひときわ音が大きくなる。

 ヒゲのおじさんも、サングラスのおじさんも、両手で、計4個の手で、ちょっと見えないくらいの激しさで打鍵する。そしてロックン・ロールが終わる時の、例の、定番のフレーズが、4つの音域で重厚に鳴り響き、そして、思いっ切り派手に、演奏が終わった。

 今までで一番大きな歓声と拍手が沸き起こる。

 最後の打鍵を済ませ、鍵盤から指を離したヒゲのおじさんと、サングラスのおじさんが、取り囲んだ大勢の人々に手を上げる。

 口笛が鳴り響く。


 気が付くとピアノの近くに立っていたぼくは、手を振るおじさん二人に、惜しみない拍手を浴びせた。もう、最高だった! 最高に楽しかった!


 笑顔で拍手するぼくに気付くと、なぜか笑っていたおじさん達の目が「点」になった。

 ―― あれ? なんで?

 次の瞬間、おじさん達はぼくを指差して、爆発的に笑い出した。爆笑だ。

 そして、ぼくは自分が泣いてしまっていることに気が付いた。笑顔のまま、だけどたくさんの、本当にたくさんの涙が頬を伝って、あごから流れ落ちる。

 おじさん二人は指差してた手を降ろして、そして二人がかりで、ぼくの肩を抱くようにして頭を撫でる。

「なんだボウズ、どうしたんだ?」

「いい子だな、連れて帰ってうちの子にする!」

 そう言って、また笑う。まるで子供みたいな扱いだ、ぼくもう中学生なんだけど、って思うんだけど、こんなに泣いちゃってるんじゃしょうがないか、……

 ふと気付くと、隣に立っている小学3年生くらいの男の子が、口をポカーンと開けてぼくを見上げている。恥ずかしい、もうになっちゃうよ、自分が、……


 ―― すごく良かったです! 楽しかったです! 感動しました!


 ありきたりだけど、でもそんな感想が言いたいんだけど、言ってるつもりなんだけど、

「うー、うー、うー」

 って泣いちゃってて言葉にならない。

 手で拭っても拭っても、涙は後から後から止めどなく溢れて、頬と手とを濡らし続ける。

 拭った手からも、涙が滴り落ちる。


 ―― 刺激を受けました、ぼくは小説を書いています、いつかあなた達の奏でる「ロックン・ロール」のような、そんな小説が書きたいです、今日、思いがけず、とびきり素晴らしい音楽を目の当たりに出来て、とてもうれしいです、いつか、ぼくもきっと、……


 って言ってるつもりなんだけど、だぶん、

「うぇ~~~ん」

 って泣いちゃってたと思う。もう、恥ずかしすぎ、……

 そして、おじさん達は、そんなぼくの頭を、

 柔らかくてたよりない、

 子供みたいな髪の毛を、

 励ますように、

 ワシワシと、

 強く撫でてくれた。



 ―― 空色の創作ノート「空くんが泣いちゃう理由って?」 了





































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空色の創作ノート「空くんが泣いちゃう理由って?」 刈田狼藉 @kattarouzeki

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