ハッピーエンドを求めて

白里りこ

ハッピーエンドの短編小説について


 三年生が引退して、初めての文芸部の活動日。

 ミヤコはとても緊張している。


 そんなミヤコの胸中を知ってか知らずか、残されたもう一人の部員のトモコが、ガラガラと文芸部の部室のドアを開けて入ってきた。


 ミヤコは小さく息を吸い込んで、さりげない風を装い、切り出した。


「ねえ、トモコ。ハッピーエンドの短編小説って、どんなのがあると思う?」


 スマホから目も上げられないミヤコに、トモコは気分を害した様子もない。ただ、


「いきなり何ですか? お嬢様」


 ずけずけと聞き返してきた。荷物を棚に放り上げ、ミヤコの隣の椅子に座る。


 これ見て、とミヤコはスマホの画面を突き出した。


「コンテスト。短編小説を書いて出したら、講評してもらえるんだって。で、お題が『ハッピーエンド』」

「ははあ」


 ざっと画面に目を通すトモコ。


 彼女とは、家の中でなら家族を交えて気軽に話ができる。なのにこうして制服を着てお互い対等な立場になって話すとなると、妙にギクシャクしてしまう。それはミヤコが内に秘めた、彼女への恋心のせいである。

 ギャー。

 恥ずかしい。

 改めて考えるとスッゴク恥ずかしいぞ!


 ミヤコは赤面を悟られないように、それとなく窓の方を向いて、話を続けた。


「有名なヤツを参考にしようと思ったんだけどさ。思えば、既存の作品がなかなか見当たらないんだよな〜。短編でハッピーエンドって、実はそんなになくね? ドロドロしてるやつとか、ハッピーともバッドともつかないやつとかさあ」

「はあ。圧倒的ハッピーエンドなら、断然、太宰治の『走れメロス』でしょうけれども」

「そ、それだ──ッ! 友情だ!」


 勢い余って振り返ったが、トモコはぴくりとも動じない。


「うるそうございますよ、お嬢様。あとは……王道を往くならば恋愛小説でしょうね。告白して、見事カップル成立、という流れの……」

「んあ」


 ぎくっとしたミヤコは、なるべく平坦な声で言う。


「恋愛もの、苦手だナー」

「そうですか。ではマイルドに、芥川龍之介は如何でしょう?」

「えっ……!? マイルド? 『下人の行方は、誰も知らない』って感じじゃないのか、芥川は」

「いえいえ、例えば『犬と笛』ですとか」

「何それ? 知らんわー」

「童話のようなものです。一人の笛吹きが、怪物に囚われていた姫様たちを救い出すという話ですよ。確か主人公は、最後に姫様の逆玉の輿に」

「ああ……。冒険譚か、悪くないな」


 ミヤコはスマホのメモ帳に「芥川龍之介 犬と笛 冒険譚 逆玉」と打ち込んだ。

 トモコはというと、引き続き思索を巡らせている様子だった。


「『賢者の贈り物』などは、本人たちは幸せそうですよね」

「ええと、今度は何?」

「『最後の一葉』で有名なオー・ヘンリーでございますよ。夫婦で贈り物をするのですが……何でしたっけ、とにかく二人とも不要なものを買ってしまったのです。でもお互い幸せという、まあ、バカップルの話とでも申しましょうか」

「ぜってー違うだろ、それ」


 ミヤコはツッコミを入れた。ようやくいつもの調子に戻り、軽やかに会話を交わせるようになってきた。良かった良かった。


「まあまあ。筋書きはともかく、本人たちが幸せだというパターンもあるということです。……その最たる例が、谷崎潤一郎の『春琴抄』でしょうか。こちらは長めの、いわゆる中編小説ですが」

「ほーん。名前だけは聞いたことがあるな。国語のテストで覚えさせられたような」

「そうでございましたか」


 トモコは微笑んだ。


「盲目でわがままな女主人に仕える、使用人のお話ですよ。結末は、そうですねえ……。ある日、女主人は顔にひどい火傷を負い、その姿を見られたくないと言って隠れてしまいました。しかし使用人は、自らの目を突いて主人と同じく盲目となり、主人の顔を永久に見られないようにしてしまいます。そして『これで私も、あなたと同じ世界を見ることができました。これからも私をおそばに置いてください。永遠に』というようなことを言うのです……。そして二人は幸せな主従になりましたとさ」

「ウワア……」


 確かに筋書きとしてはバッドエンドっぽいが、本人たちは幸せそうだ。すごいな、潤一郎の性癖は。何と言ったらいいのか、こう、耽美的な感じがする……。


「ドン引きなさらないでくださいよ。そういうお嬢様には、案はございますか? SFがお好きでしたよね」

「んあー」


 ミヤコはダダーッとスマホの画面をスクロールした。ネット上に、読書の記録をつけているので、さっきからそれを漁っていたのだった。


「これは……いやいや、星新一にハッピーエンドを求めるなんざ、ボケナスのやることだろ……。あ、これはどうだ? ヤングの『たんぽぽ娘』」

「すみませんが、存じ上げません」

「ざっくり言うと……時間を超えて来た女の子に主人公が恋をして……で、結局、彼女を妻にするわけだ」

「だいぶざっくりですね」

「小うるさい従者だな。まあちょっと待てや、今から整理すっから」

「はい」


 ミヤコはルーズリーフを引っ張り出して、シャープペンシルで殴り書きを始めた。


・太宰治『走れメロス』 友情ハピエン

・芥川龍之介『犬と笛』 逆玉エンド

・ヘンリー『賢者の贈り物』 バカップルエンド

・谷崎潤一郎『春琴抄』 主従エンド

・ヤング『たんぽぽ娘』 時間差ハピエン


「こんなもんか。まだまだありそうだけど……そろそろ駄弁るのもやめて、執筆にかからねーとな……」


 逃げるように呟く。自業自得だが、たった今トモコとのやりとりに隙間ができてしまったせいで、またミヤコの中にあのギクシャクした感覚が戻って来つつあった。

 そんなミヤコをにこにこして眺めていたトモコだったが、やがて、唐突に言った。


「いいことを思いつきました」

「んあ?」

「難題という怪物に囚われたお嬢様に、わたくしから賢者の贈り物を差し上げます」

「な、何だ?」


 ミヤコが面食らって目をぱちくりさせていると、トモコはミヤコに向き直り、突飛なアイデアをぶちこんできた。


「ここでの会話をそのまま小説にしてしまえばよいのです」

「はあ? これ……これを?」


 ミヤコは混乱して、両手をわちゃわちゃと動かした。


「え? 会話劇、みたいな?」

「その通りでございます。『ハッピーエンド』が小説のテーマなら、『ハッピーエンド』について論じ合う女子高生二人の会話劇、という形でも、充分お題に沿っているかと」

「でも、あの……」

「それとも、友情ハピエンだけではご不満ですか?」


 トモコはにやっと笑い、いきなり爆弾を投げ込んできた。


「では正式にお付き合いを申し込みます、お嬢様」

「へぁっ!?」


 衝撃。実際に目の前で閃光弾が弾けたみたいな衝撃であった。

 更にトモコは畳み掛ける。


「従者であるわたくしと、付き合ってはいただけませんか?」

「待って待って待って」


 ミヤコはすっかり狼狽して、今度は両手をぶんぶんと振った。私は一体何をやっているのだろうか、と思う内に、更に狼狽が加速する。

 傍目にはヘンテコリンなパントマイムをしているように見えるに違いない。だが人目を気にする余裕など、あるはずもなかった。


「本気で言ってるのか?」

「本気も本気、大本気でございますとも」

「大本気って何さ!? そっ、そもそもそんな素振りなんてどこにも……」

「そうですか? わたくしは十年も前からお嬢様をお慕い申し上げておりましたが」

「そんなに時を超えた感じなの!? え!? 全然気づかなかった! 何これ、急すぎるって!」

「では、お嬢様の小説には、伏線そぶりを存分に入れてくださいませ」

「そういう問題じゃ……」

「あら、そうでしたか。では早速、お返事を伺いましょう。この会話劇しょうせつは、ハッピーエンドですか、それともバッドエンドですか?」


 催促されてミヤコはいよいよ焦り、頭が真っ白になった。


「ずっ、ずるいぞー!」

「ずるいでしょうか」

「だっ、だってそんなの……」


 ミヤコは声を萎ませ、涙目になって言った。


「ハッピーエンドに、決まってるじゃないか」

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ハッピーエンドを求めて 白里りこ @Tomaten

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