6 魂

 千鶴が死んで、一年が経った。

 祈は、待ち合わせの喫茶店に十分程早く到着したのだが、しかし進藤は既に窓際の席に座り、のんびりと紅茶を飲んでいる。ぺこぺこと頭を下げて挨拶をするが、硬くなるなよ、と進藤は苦笑してサンドイッチを追加で注文した。

「新しい仕事はどう?」

 軽い雑談の後、進藤は訊いてきた。祈は笑って答える。

「楽しいです。紹介して頂いてありがとうございます」

「でも、まだ地下街に住んでるの?」

「はい。もうしばらくは、街の様子を観察しておきたいので。あ、パンケーキを」

 注文する祈をぼんやりと眺めながら、進藤は遠い目をして祈を見る。正確には、その右腕を。

「もう、完全に使いこなせているようだな」

 視線に気付いて、祈は微笑みながら、スッと右腕を伸ばす。嘗て、千鶴が祈にそうして正義を問うた時の様に。

「彼女の魂が、宿ってますので」

 その腕に掘られたレリーフは、確かに千鶴が前の主人であった事を物語っている。



 真っ先に起こる筈だった旧東京での蜂起さえも起こらず空振りに終わり、星漁師を支配していたこの国最後の指定暴力団は、使い果たした資金の回収も出来ず急速に弱体化し、今ではその残党が国の場末で細々と暮らしているだけになった、と風の噂で聞いた。蜂起を寸前で阻止したチャンと星売り子達の功績は、しかしその存在の違法性故に、公的機関やメディアを介して発表される事は無かった。

 だが、星売り子に関しては陰ながらにして政府からの温情が図られ、一定期間の監査を経て問題無しと判断された者に限り、社会復帰の機会が与えられた。祈はその際、大塚理香を経由して進藤に仕事を斡旋してもらったのである。機械工の仕事は、バイクを違法改造して売っていた祈にとって悪くない仕事だった。

 千切れた腕は、そんな進藤から送られた。

 祈は初め、断った。親友の大切な腕なのだから、星売り子として生きていた自分がそれを受け取る資格など無いと。だが進藤は、悲しげにこう口にしたのである。

「六条の家族は皆、遺体を引き取らなかった。この腕も」

 それを聞き、祈は泣いた。自分と違い、彼女は決して家族と縁を切った訳ではない。ただ、家族の反対を押し切ってでも、星漁師として誰かを守る仕事をしたかっただけだ。それは、尊く立派な事だと信じて疑わない事だったが、千鶴の家族にとっては、馬鹿な事をした親不孝者という印象しか無いのだろう。

 自分がこの腕を無下にすれば、千鶴は共同墓地に送られる事となる。移民や難民、身元不明となって死んでいった名も無い地下街の人達の様に。正式な星崩しの射手ではないが為に、その栄誉を称えられる事も無く。不要となったこの義手と共に、千鶴の死はやがて有象無象の一つと形容され、記憶から消えていくのだ。


 ……命の価値とは、何だろう。


 祈は、あらゆる人間とその生き様、そして命を見てきた。

 極貧の生活に怯え日々を何とか生きる者。恵まれた環境から過酷な道を選び、他人に尽くす道を生きる者。弱者から金を巻き上げて自分本位に生きる者。自分の正義を貫いて、法を曲げてでも生きようとする者。

 それら一人一人の命には、値段と価値が決められている。その基準は、国益に換算されるものであったり、個人の利益や文化的価値を数値化した数字であったりする。

 けれど、その命の値段が、必ず正当に評価されるとは限らない。この国の経済と加速する人口減少を決定的に脅かしたかも知れない流星群を打破し、新たな星漁の可能性を示した千鶴の死は、客観的には『一人の星漁師の死』として処理されている。一方で祈の様に、それまで国益を害する存在でしかなかったが、やっと一般社会に順応出来る程度の価値を得られる様になった者も居る。

 人生を不条理や不平等の連続だと嘆く者は少なくない。だが、そうした不条理や不平等は皮肉にも、平等に人へ降り掛かる。そんな現実に勘付いたり、或いは知ったりしてしまった人達が、国を揺るがす暴動を引き起こそうとする存在になり得てしまうのだろう。せっかくの命を無駄にしても、守るべき自分のプライドと尊厳の為に。

 他人の命も自分の命も、プライドも。

 守るべきものが何であるか、それは人によって違う。けれど、誰しも生き抜く為に抗う。その先に、生き抜く道を見付ける。

 命の価値や意味を見出す事など、無駄な事かも知れない。そんなものを一々考えずとも、人は生きようともがくのだから。

 せめて、自分で自分の命は誇れる様に、胸を張って生きていける様に、日々自分を磨いていくしかないのかも知れない。

 伸ばした義手の指の間から見える、進藤の落ち着いた表情を見る。祈はフフッと笑い、尋ねた。

「出産予定日、いつですか?」

「再来月だな」

「お祝い考えないと」

「気持ちだけでいいよ」

「いえいえ、そういう訳には」



 穏やかな日曜日の午後。いつも通りの平穏な時間。

 とても、尊い一瞬の積み重ね。

 窓を見上げると、遥か上空に薄く、幾筋もの雲が糸を引いていた。午前中に予報のあった、中国大陸に向かって落下している流星群だろう。

 今日も、世界の何処かでサイレンが鳴る。

 災厄と福音を告げるサイレンが。

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