2 星に惑う

 今年も早、十一度目の流星群の回収が終わった。今回も恙なく終わった、と安堵していた大塚真央が、帰還した星漁師達から秘書を通じて聞かされたのは、星崩しの射手の訃報だった。

 真央は頭を抱え、片付けていたデスクの上にまた荷物を広げ始める。

「今の星の射手は、ラオさんでしたか? 何年勤めました?」

「もうそろそろ、満二年になる予定でした」

 秘書は淡々と報告した。真央は皮の椅子に深く腰掛け、背もたれに力を預ける。

(予定でした、か)

 と、過去形の言葉に脱力してしまった。これでまた、メディアに責任を問われる事となるだろう。現場や漁師の境遇なども知らないで、さも自分こそが正義だと言わんばかりに一方的に詰め寄る様な質問をする連中に、頭を悩ませたくはないのだけれど。

 星崩しの射手を失う事は、星漁師にとって大きな痛手だ。年々、星崩しが必要になる大きさの隕石が飛来する頻度は高くなっている。今年は既に三回、星崩しが必要になっていた。今回のこれで四回目だ。今後も、星崩しが必要となる場面は増えていく事だろう。

 この星崩しの射手の存在こそが、旧来のエネルギー経済が崩壊したこの地球で、星漁を日本が原料収穫量で世界一を誇る産業として成り立たせている理由なのだから。

 ……アメリカを中心とする諸外国での星漁で使われる道具は、網と銛だけだ。わざわざ危険を冒して単身隕石に近付き、網や銛で収穫可能なサイズになるまで砕いていく、などという危険と手間の掛かる事はしない。特に北米や欧州列強各国は、巨大隕石の存在が確認された場合、網と銛で収穫可能な小・中隕石を獲った後に何の躊躇いも無く通常の銃火器で狙撃・破壊してしまう。予算、人員リスク、コストと隕石がもたらすエネルギーの総量と経済的利潤を天秤に掛け、そこまでして隕石を獲るだけの意味は無いと判断しての事で、これはグローバルスタンダードな意識にもなっている。日本の星漁が特殊過ぎるのだ。

 この世界的現象と現状を理由に、野党やメディアは星崩しの採用と運用についていつも疑念の対象にし、やり玉に挙げる。

 だが、最早世界中で最重要第一次産業として位置づけられているこの星漁。世界と同じやり方をしていては決してエネルギー産出国として一位になれないし、経済も人口も治安も不安定極まりなくなってしまったこの国の現在は、この産業で世界的に優位に立たなければならない。その為に、他国が行わない方法で収穫量に差を付けなければならないのだ。

 真央はタブレット端末を手に持ち、重い腰を上げて秘書に言う。

「これから、副大臣と打ち合わせをして臨時記者会見を開きます。悪いですが、二、三時間程頂きますよ」

「ええ、私は構いませんが……」

 秘書の男はスーツの内ポケットに電子端末を仕舞い、心配そうな表情をした。「娘さんの誕生日は明日では?」

「……もう社会人だもの。理解してくれるわ」

 ブランドのバッグや服、化粧品やアクセサリーを秘書に頼んで買わせ、プレゼントとして一方的に送りつける事は簡単だ。しかし娘がそれを望んでいない事は、真央にも良く分かっていた。

 約束を守れずに娘を一人にさせてしまう事が多く、平日は滅多に家にも帰れなかった真央は、娘と接する機会は少ないままにお互い歳を重ねてしまった。故に四十九歳の今になっても、娘を養子に迎えてからもう二十年になるにも関わらず、彼女との上手いコミュニケーションの取り方が今一つ分かりかねている。

 約束を破ってしまうのはいつも真央の方だが、それでも、未だに謝る時にどんな言葉と態度で謝ればいいのかが分からない。

 真央は時計を確認する。午後十一時四十二分。会見は、零時半からでいいだろう。

 委員会にも顔を出し、状況の詳細について訊かなければならない。今日、果たして睡眠時間は取れるのだろうか。

 真央は移動しながら、秘書に確認した。

「被害は、星崩しの射手一人だけですか?」

「備品としては、射手の身に付けていた防護鎧と星崩し、エンボイ一基の大破です。それと、もう一基のエンボイが軽度の損傷と、星漁師一人が軽傷です」

「軽度損傷と軽傷って、何をしたの?」

 星漁師の被害とは、重傷か死亡である事が殆どだ。漁で発生しうる怪我など隕石由来の原因である事ばかりで、それはつまり、当たり所が悪ければ死ぬ、というレベルの危険を伴う作業であるという事だ。そんな職場で軽傷とは?

 秘書は電子端末をもう一度取り出して確認し、答えた。

「今日配属された、女性の新人漁師です。何でも、ラオ・チェンが死亡したのを見るや、スペアの星崩しとエンボイを勝手に乗り回して目標を破壊したと」

 新人、と反芻し、真央はすぐに思い出す。筆記と実技を総合して評価する、競争率九千倍とされる星漁師の資格試験。今年の試験で、歴代初となる女性星漁師として免許を獲得した若者が居た。両腕が機械技師によりチューンアップされた特殊な義手だった事が、彼女の印象を更に強くしていた。筆記はともかく、体力テストは男子を大きく上回る数字を出したと聞いている。真央は微笑んで言った。

「面白いじゃないですか。次期の星崩し射手は、彼女になるんですかね?」

「どうでしょう。常に補佐となる次期候補は居る筈ですから、その人になるのでは? 新人の行動自体は命令違反ですし、下手をすればもう一基のエンボイと星崩しを失う所でした」

「いずれにせよ、期待しましょう」

 期待しましょう。

 射手が代替わりする毎に、真央はそう言ってきた。そうして皆、過酷な星漁師の中でも一層、最も過酷だと言われる星崩しの射手は、引退、または死んでいった。どんな健康体でも、その過酷な労働故に五年も任務を全う出来る人間さえ稀なのだ。そして多くは、不慮の事故で命を落とす。

 それでも、射手になりたいという漁師は後を絶たない。

 野党の言う通り、或る面では、この星崩しのシステムは倫理的・人道的な問題を抱えているのだろう。それと私の良心、そして国益を秤に掛けて何を選択するか。それは、これからもずっと憂慮していかなければならない問題だ。

 と、エレベーターに乗ってふと気付く。

「ラオさんの遺体と備品の回収は?」

「パラシュートの自動散開で、遺体は比較的傷の少ない状態で回収出来ます。しかしエンボイと星崩しは滅茶苦茶になるでしょう」

 全く、頭が痛くなる話ばかりだった。

「修復不可能になったら、星売り子に売ってしまおうかしら」

「長官、そういう発言は」

「冗談に決まってるでしょう」

 反政府組織に身売りする官僚が居て、たまるものか。


       *


 雨脚は強くなり、目の前のガラス壁は光を複雑に屈折させ、外の景観を観にくくしていた。厚い雨雲の所為で薄暗い街が、節電政策の影響で光源の減った淡い光に照らされて鈍く浮き上がる。少し前までは、まだ活気も明かりもあった街なのに。

 三十年前に星が降るようになってから、超高層構造の建造物建築はストップした。天野祈の休むカフェも、造成された数多の低い建造物が密集する、ごみごみとした建物の一つに入っている。そうした建造物の多くは、資源不足により建築基準の最低ラインギリギリで建造されたものも多く、不格好な建物が多い。外観の見栄えよりも機能性を重視したそのデザインは、嘗て人類が持っていた余裕を感じさせない。皮肉にも、そうした多層的で複雑・煩雑になった影のある街並みがフォトジェニックな雰囲気を醸す事になり、愛好家の間ではちょっとした観光スポットになっていた。

 人が満足に生活出来る環境から離れる程、それを利用する者や、一目その光景を拝もうと部外者が増える。この世は上手く出来ているものだと感心する一方で、星漁師という職に就く人間ではどうにもならないこの社会のロジックを垣間見ている様で、気に障った。

 祈……イノリ、という名前を付けられたのは、星空を信仰する胡散臭い宗教にハマってしまった両親が名付けた。隕石が一つ、二つと地球に落下し、人の住む街は初めて一つ滅ぼしてから少し経過した頃に誕生したその宗教は、瞬く間に世界各地で信仰され、終末思想に影響されやすい人間達をいとも容易く吸収・拡大していった。

 天野祈が小学校の頃、宿題で自分の名前の由来を両親に訊いた時、二時間たっぷり使って説かれたそのご高説の内容は、思い出したくもない事ばかりだ。

 そんなだから、高校を途中で辞めて街に出て、星売り子として働くようになったのも、星の神様の遣いになるのだと言われて真面目に大切に育てようとした両親と自分の過去に対する、強い反抗心からだ。

 高校時代の友人の何人かは、まだ電子端末に連絡先を残している。お互いが暇になった時は連絡を取って遊びにいったりするのだが、彼らも今では、順調なら社会人になって働いている頃だ。もう、中々集まる機会も無い。しかも、祈が星売り子の仕事をしていると知れば、あまりいい顔もしないし、会いたいとも思わないだろう。自分から星売り子である事を公言する事は勿論無いが、何人かは悟っているらしく、誘っても上手い具合にあしらわれてしまう事が殆どだ。

 当然だ。星売り子は培養液燃料と、その元となる隕石を違法に扱っている違法ブローカーなのだから。

 ……反重力粒子とそれが秘めるエネルギーが明らかになってしばらくして開発された、特殊な培養液。これに星漁師達が砕いた隕石の欠片を入れると、培養液の性質が変化する。隕石内部に確認された微量の液体には凝縮された反重力粒子が内包されており、これが浸透圧の影響で培養液内に溶け込むと、連鎖的な化学反応を起こす事で莫大なエネルギーを持つ新世代の燃料が誕生する。培養液と隕石の欠片さえあれば特別な取り扱い資格も必要無い程単純なので(その二つを手に入れる手段がとても難しい訳だが)、星売り子が世界の至る所に存在し、そして存続出来るのだ。

 この国の燃料とその値段は、星漁業組織委員会が一括で管理している。競合組織や企業など存在しない。自分達の都合で、値段は好きなように引き上げる事が出来、そして税金を始める国政組織の常として大概、その値段が下方修正される事はまず無い。嘗てのガソリンとは、事情が異なるのだ。

 培養液燃料の恩恵は、確かに社会に変革をもたらした。車やバイクは空を飛び、たった十ミリリットルでそれらは二百キロを走行出来る。星漁の為に漁船をベースとした空船に至っては、最高時速二百キロで上空二万メートルを飛行出来る。

 だが政府は、車やバイクの上昇高度には制限を設け、値段を年々釣り上げていく。星漁が始まる以前に都市が壊滅して職を失った低所得者や膨大な数に膨れ上がった移民・難民には、日々を生きていく燃料の十分な確保など、不可能に近かった。

 だか星売り子が、違法と呼ばれながらも闇市で燃料を横流しし、国が定めた価格よりも遥かに安価で売り飛ばす。貧しい彼らの為に。共同支援所で共有される燃料に加えてそれらが利用出来れば、彼らの暮らしはもっと楽になるのだ。

 誰かの役に立ちたい。誰かの助けになりたい。

 祈の中にあるその強い思いは、友人の千鶴と似通ったものだった。

「お待たせ」

 喫茶店の窓際でココアを飲みながらタブレットの本を読んでいると、まさにその当人が声を掛けてきた。後ろに束ねた髪が印象的で、利発そうな顔立ちは、高校時代とあまり変わっていない。祈は微笑んで本を閉じる。

「おひさ」

「本当、久しぶりだね。一年経った?」

「それくらいかな。千鶴が試験に受かった時、会えなかったし」

 言うと、渋い顔をしながら微笑んで千鶴は答える。

「星漁師って、万年人手不足だから。合格発表から書類揃えて授与式、訓練から配属、即戦力投入までノンストップなんだ。全然、休む暇なんて」

「今は、休暇?」

「と言うより、普通に休日。予報が出てからは常時待機で、施設から出られないけどね。漁が終わって大抵数日は、昼前に訓練が終わったら完全に自由なんだ。一日の睡眠時間さえ必ず確保していれば、特に何も言われない。……でも、昨日までは本当に特別な休みだった」

 そう言う千鶴の顔が曇った。少し顔色が悪いと思ったのは、ガラス窓に当たる雨が屈折させる光の所為だけではなかった様だ。その様子を見て、祈は察する。

「この前の、星崩し射手の人の……」

「うん。お焼香だけして終わったけど、訓練も一日、中止になってた。遊びに出掛ける気分にもならなかったし。私、ニュース見てないんだけど、どこまで報道してた?」

「新しい人が射手に就任して初心表明してたところまで。名前も、出てたと思う」

 確か、進藤と言ったか。詳しくは覚えていない。だが、今まで何度も報道された事で、半分流して聞いてしまっていた。

 そうしてニュースにて何度も取り上げられる程に、星漁師、そして星崩しの射手は危険に曝される職業なのである。

 それに比べれば自分の様に、常に警察に捕まる恐れがある程度のリスクの仕事など、安いものだと思えた。

「初日で、その……酷い事故で大変だったね」

「うん。でも、そういう世界だって知って入ったから」

「他人の事言えた義理じゃないけれど、家族はなんて?」

「さあ? 知らない」

 家出に近い形で実家を出た祈と違い、千鶴にはまだ実家との繋がりがある筈だ。だが彼女の話を聞く限りでは、どうにも連絡など取っていない様子だった。そう、と祈はそれ以上の追求を辞め、ベイプのスイッチを入れて煙を肺の深くに吸い込む。クリーミメロンの甘い香りが、口から鼻へとゆっくり抜けていった。

「まだそれ、使ってるんだ」

「うん」

 笑って答えた。祈が家を出て、奇跡的に大学生になった千鶴と再会した時の記念に、お互いが五千円以内でのプレゼントを交換したのだ。筒状のシンプルな形をしたベイプパイプは、使い続けてもう六年目になる。

「買い換えてもいいのに」

「魂は、心と物に宿るんだよ」

 気障ったらしく笑って言ってみたけれど、それが超常主義の両親の姿を彷彿とさせてしまい、すぐに笑顔を引っ込め、もう一度煙を吸い込んだ。「腕、壊れたんだって? 魂を無くしちゃ駄目だからね」

「魂の生まれた物が私になるんじゃない。私が好きになった物に魂が宿るの」

 言葉遊びの様なセリフを口にして笑った彼女は、いつも通りの彼女だった。

 ……一週間前の星崩し射手の交代劇以来、千鶴は空船に乗っていないと言う。謹慎を兼ねた、三週間の地上勤務が義務付けられたらしい。加えて、船長の男には筋トレを他の漁師以上にこなす様、命令されたらしい。しかも、彼女の義手を活かさないスクワットや背筋などばかり。いじめられているのかと問うが、千鶴は首を傾げて迷った仕草をしている。

「罰だと思った事もいびられてると考えた事も無いなぁ。全部こなせてるし」

 体力馬鹿め、と思ったが、口にはしない。代わりに、そっちはどうなの、と問われて、祈は微笑みながら声を潜めて答える。きっと今の自分の顔は千鶴がよく言う様な、『いたずらっ子がおもちゃを見つけた時の様な』表情をしている事だろう。

「この前、五百グラムの隕石が入ってきた。ウチのシマでだよ! これで、三ヶ月は今まで通りの価格で売っても、みんな暮らしに困らなくなる。星日照りが続いても、地下街に住んでる人が奪い合う必要も無くなるんだ! 勿論、今は備蓄に回すけど……」

「良かったね」

 言葉とは裏腹に、あまり嬉しそうな顔と声ではない。無理も無い、と祈は思う。国に仕える人間が、国と国民の為の自分の仕事に楯突いている人間の話を聞いても、あまり面白くはないだろう。けれど、祈は彼女にこそ理解して欲しかった。

「千鶴、一つだけ理解して欲しいんだ。今も五十年前も百年前も、もっと昔もそうだ。最新のテクノロジーや設備や研究は、確かに社会を良くする為に生まれる。でも、実際にそれが実用可能な技術と土壌が整っても、真っ先に利用出来るのはそれが本当に必要な人間じゃない。最先端に金を払える、普通よりも上の所得階級の連中ばかりだ。資源の枯渇と星漁師の培養液燃料の普及以来、それが特に顕著になっているのは、統計学上でも明らかでしょう? 本当に困ってる人を助けたいなら、ルールを曲げても信念に従う事も、時に重要なんだって。だから隕石を横流しする人が世の中に……」

「分かってる。それでも、法が機能しないまま黙認されていたら、いつか膨脹し切って破裂するよ。四年前みたいな事が起きる」

「星売り子が機能しなかったら、溢れるだけの移民と難民は今よりもっと酷い勢いでデモを起こしてる筈だよ。彼らの不満を解決しているから、何とか四年前のアレで済んだだけで……」

 言うと、途中で千鶴はいきなり両手をテーブルから上げ、両掌を祈の前に突き出して見せた。隠そうとしない彼女の、美しい装飾が彫られた強化プラスチックの義手が視界を覆い隠す。ハッとして、祈は口を閉じた。

 指の隙間の向こうに見える、真っ直ぐな目をした千鶴の目が、祈を射抜く。彼女は口を開く。

「その『アレ』は私の両腕と、百七十三人の命を奪った。私のおじいちゃんも。……最近、あの時の夢をよく見るの」

 まだハッキリと思い出せてしまうくらいに、被害者の記憶からあの光景は消えないの。千鶴は言って、ゆっくりと両腕を下ろし、手元のコーヒーを一口飲んだ。

 祈は、何も言わなかった。曲がった事が嫌いで、高校一年生の頃、二人して同級生をいじめていた男子生徒と傍観していた教師を糾弾し、責任を取らせた事を思い出す。敵が増えていっても、決して諦めなかったあの日々を。

 あの日から、自分達は根本的には何も変わっていない。だが、自分達が進める最も適していると考えたお互いの道が、六年前に一度別れてから、大きく変わってしまった。教養と義手を手に入れた千鶴は星漁師への道を。安寧な生活を送れず、帰る家の無くなった祈は、星売り子としての道を。

 それでも、お互いの正義は決して曲がらず、曲げる事無く。

 だからこそ、少しだけ、祈の方が歪になった。

(いや、不器用なだけだ……)

 自分に言い聞かせて、少なくなったココアを一息に飲み干す。

 それからは熱の冷めた当たり障りの無い会話を幾らかゆっくりと繰り返し、結局一時間程話して別れる事になった。

「楽しかったよ」

「本当に?」

「うん。またね」

 言って、千鶴は自分の分のコーヒー代をテーブルに置き、来た時同様に傘を差して、雨の中を歩いて帰っていった。祈はベイプの煙を吐き、揺れる煙と薄暗い雨の街をガラス越しにじっと見つめていた。


       *


 会見の後、現場を理解していない・しようとしない大臣や年上議員の話を聞く。説教という名の、年長者の意見に従え、という押し付けがましい的外れな主張ばかりで、何の実入りにもならない。今更な話ではあったが、改めて真央は呆れ果てた。

 流星エネルギー対策庁が新たに整備されて十四年になるが、新エネルギーの発見による利権や既得権益を求めて我先にと飛びつこうとした当時の老人達は、もう自分達がその責任を負おうと考える事は一切無い。今やリスクに見合った利益を生まない流星エネルギー対策庁長官というポストは、彼らにとって目障りな存在を追いやる格好の鉄格子になっている。それは何も政党内に限った話では無く、官公庁の役人の間でも同じ話であり、今の真央のポストに就こうとする人間は殆ど居ない。

 真央の様に、役人であると同時に星漁師ら労働者の立場に立つ星漁業組織委員会の組合長を兼任しているとあっては、役人にとっては目の上のたんこぶそのものに等しい。閑職か不人気色に追いやるのが、上にとって最も都合のいい厄介払いだろう。

 しかし幸いにも、非常に遅々としてはいるが、現場に耳を傾けてその意見を反映させてきている実績から、漁師達からは或る程度の信頼を獲得出来ている。

 だから漁師達と密に連絡を取り、彼らの改善要求や意見を迅速に反映させる事は、他の公的機関の企業取引よりも上手くやれていると自負している。

「ラオ・チェンの遺体と漁具の回収はどうなってます?」

 次官に訊くと、彼は躊躇いがちに答えた。

「回収を完了してから、マニュアル通り、検視に回しています。流星研究所の職員が同行していますが……」

「どうかしましたか?」

「検視に回した翌日には報告が上がってきましたが、報告名が『一次報告』となっておりまして。二次報告は、まだ上がっていません」

「二次?」

 今まで、二回に分けて検視の報告が行われる事など無かった。流星群の死亡事故に関わらず、死体を相手に一週間も時間を空ける事など、常識として有り得ない。余程の何かがあったのか。だとしても、一週間という数字は異常だと思った。

 迅速に返事をするよう促して下さい、と連絡し、次の議題に移る。星売り子の勢力拡大についての議題だ。

 ……義賊を主張する反政府組織に、具体的な名前は無い。ただ彼らは個人を『星売り子』と自称し、地下街を中心とした闇市で勢力を拡大させている。

 星漁師か、もしくは地上で勤務する職員、または他の第三者の手によって持ち出された隕石が星売り子に売られ、彼らは、十グラムで数千キロリットルの培養液の元を燃料培養液へと変えるその隕石を利用し、政府が規定する法律やルールを破り、援助という形で国民に売りつけている。仮に彼らが本当に援助と信じて行動していたとしても、彼らの影の胴元が暴力団や国外マフィアである事に変わりは無い。政府としても役人としても、両者の存在は決して許せない。

 けれど現実には、星漁や流通に関わる人間が何処かのタイミングで星を抜き取り、こっそりと星売り子に売り渡している。その理念や信条が何に依存してのものかは真央には分からないが、秩序を守る為にも、国には何とかして欲しい。これに対して真央が出来る事は殆ど無く、ただ自分の職務を全うするだけである。

 だが最もたちが悪いのは、こうした現状の力関係だ。

 エネルギー政策が現在の様に厳格に定められて以来、隕石エネルギー産業を中核とした議員の天下り先企業や一部の富裕層は、利権絡みや癒着を含め、大きな利潤を得ている。加えて四年前から始まった隕石の収穫量減少は今も尚続いており、大多数の国民と一部利権者の間に生まれる所得格差は広がっていく一方だ。若年層の人口減少が続く中で彼らの未来の法整備が整う事も無く、不満は小規模な爆発を起こし続けている。星売り子は、こうした勢力を取り込んだ反社会的・無政府主義的な行動を画策している。

 大きな契機となったのは、四年前の大暴動だった。

 隕石の落下頻度が上昇したこの頃は、度重なる出動に星漁師達の疲労が限界を迎え、立て続けに死者を出した時期だ。星漁師の事故による死者も多く人手不足で、何度か中規模の星が国土の山中や湖に落下した事もある。

 星売り子達は、この大暴動を影で扇動し、規模の拡大、そして首都であるここ、大阪の無政府化を画策したのである。彼らは、星漁が始まって十一年となるこの年に初めて収穫量が前年比マイナスに転じた事を受け、十分な国の援助を受けられない移民や受け入れた難民を含む市民の多くを取り入れた。更に、後ろ盾となっているヤクザが移民らが作り上げた独自ルートから国内に多く密輸されている武器を彼らに分配する事で、陰ながらにして、この国に小規模ながらクーデターを起こしてみせたのである。

 三日間に渡るこの暴動鎮圧を経て、百人単位の死傷者を出した。首謀組織が星売り子やその元締めである暴力団組織である事は政府が公示しているのだが、市民の中には未だに、クーデターの失敗を悔やみ、現政府の壊滅を望む声がたびたび聞かれる。しかし、民衆の多くは、ただ自分達の不満や未来への恐怖を、一時的に真央達政府の役人に向けているに過ぎない。そこから誰が先頭に立ち、国と国民を率いて進むべきかなど、何も考えていないだろう。有り得ない事だが、まだあと一歩のところでクーデターは成功したとさえ考えているかも知れない。

 星売り子や暴力団の摘発や逮捕は年々成果を上げているが、それでも、その全貌が明らかになる事が無い。現状の楽観視は出来ないだろう。

「勿論、星売り子への対処は警察と秘密裏に連携して対処しますが、それとは別件で問題が」

 別の次官の言葉に耳を傾ける。彼は続けた。「星漁師の報告した、隕石の不可解な軌道変更についても調べなければ……」

「彼らの見間違いだろう。高熱を発する隕石に当てられて、幻覚を見たんだ」

 壮年の官僚がそう口を出した。

「一人二人じゃなく、複数の船の乗組員が殆ど全員同じ証言をしていました。ただの幻覚として片付けるには、あまりにも」

「どうしますか?」

 最終的な判断は、結局のところ真央に委ねられる。彼女は一通り報告書に目を通した後で判断を下した。

「観測所と各研究施設に、報告をして下さい。研究者判断で解明の必要ありと判断した場合、調査を続けるようにと。その場合、私に報告するように言って下さい」

「チェン氏の司法解剖の最終報告は? これ以上時間が掛かるのは……」

「そうですね、明日中には、と伝えて下さい。では、今日はこれで休みましょう。お疲れ様でした」



 タクシーのエンジン音を背後に聞きながら、誰も居ない家の玄関を開ける。音声AIが唯一真央を迎えてくれるが、それも虚無感を感じさせる響きにしか聞こえなかった。無言でリビングに向かい、荷物を放り出してソファに体を投げ出す。お水は如何ですか、とAIが尋ねるので、一杯、とだけ答える。しばらくすると、天井の電磁レールに沿ってマニピュレータが水の入ったグラスを運び、机の上に置いた。そっとしておいて、とだけ言うと、それきりAIは一切真央に干渉する事はしなかった。

 家主の顔色やバイタルヘルスを確認し、当人に最適の環境を提供するようシステムが稼働する。そんな現代の技術も、しかし結婚を経験していない真央の孤独を埋めてくれる事は無かった。ただ彼女の頭に浮かぶのは、養子である理香の顔だけだ。

 仕事仕事に明け暮れて、常に仕事しか見ていなかった。

 誰かの役に立てる人間になりたい。そんな小さい頃からの夢を現実にし、そしてずっと叶え続けていく為の手段。それが公務員への道であると信じて疑わない。それは、今でも同じだ。

 しかし、二十二年前。東京に隕石が落ちて、一時的な壊滅的被害を被ったあの年。

 誰かを守りたい、救いたいという思いの対象は、日本という国から自分の身の回り、手の届く範囲で等身大の自分が出来る事とは何か、という思いへと収束した。全国民を守る為の法整備や行政、公務執行こそが自分に出来る唯一最大の手段だと信じていた彼女は、眼前に広がる瓦礫と化した世界有数都市の惨状を目にし、自分という一人の人間が出来る事の少なさ、そして無力さに打ち砕かれる。時間を要する大きな力は、今ここで役に立たない。役に立つのは、自らが身一つで動き、支え、助け、救う事だけだと。

 自分で動き、迅速な行動を起こせるようになりたい。星漁師の組合の長を兼任する様になったのも、それが理由だ。

 ただ、泣き叫び、苦しむ人達を、ディスプレイの向こうで涙を流しながら見守る事しか出来なかった。そんな自分が、この天災で生まれた孤児を自分の養子に迎えたのは、ただの自己満足だろうか。最近になって、そんな疑問が頭をよぎる事が多くなった。

 確かに自分は、正義感に駆られてあの時、理香を養子に迎えた。経済状況を鑑み、申請は簡単に下りた。けれど、理香は幸せだっただろうか。見ず知らずの女にいきなり拾われ、碌に家にも戻らず仕事ばかりで、独居して寂しがっていた母に世話をさせていた。私と母はそれで良かったかも知れないが、理香はどうだったろう。

 お金を稼いで不自由無い生活をさせる。それが真央が理香に対して出来る最も効率的な世話の手段であったが、母親としての責務とは、それだけではない筈だ。

 ここ最近の、年々減り続ける隕石収穫量の実績データが生む世間の緊張感を、真央は肌で感じ取っている。この緊張は、あの暴動が始まる前の空気にも何処か似ている様に思えた。母親として、エネルギー庁長官として、娘にこの緊張の時代を再び味わわせてしまう事態は避ける様に努力しなければならなかったのに。

 自分は一体、娘に何をしてやれたのだろう。これから何をしてやれるのだろう。

 ひとり身で仕事一筋で生きてきた真央は、娘とそんな言葉を交わす関係性を築けてこなかった事に一人、歯がゆい思いをした。

 夜が更け、やがて窓の外が白み始める。

 それでも、疲労困憊していた筈の真央は眠りに就く事が出来なかった。


       *


 進藤翼の心境は複雑なものだった。

 大学での勉強に励み、知力と体を鍛え、文武両道を体現する人間になって星漁師の国家資格試験に挑んだ。受験生は勿論、進藤と同じ努力をしてきた人間ばかりだし、過酷な競争を勝ち抜いた後の職場で待っていたのは、そんな努力をして勝ち残ってきた人間ばかりだった。そうして、星崩しの射手になる為には更にそんな同僚達に勝ち抜いて行かなければならない。

 生半可な道のりではなかった。星漁師を続けて九年が経とうとしているが、ようやく、星崩しの射手の次期候補にまで上り詰めたというのに。

 こんな形で、射手になりたくはなかった。

 ラオには任期である五年をしっかり務めてもらい、円満に自分が後を引き継ぎたかったのに。

 統計的に、任期終了による引き継ぎよりも、漁の最中に命を落としての襲名の方が圧倒的に多い。それが、星崩しの射手という任務の過酷さだ。それは覚悟していたが、やはり生きてもらう事以上に安堵出来る話は無い。けれど、ラオは死んでしまった。彼の勇姿を自分の目で見届けられなかったというのは何より悔しかった。

 就任式が終わり、改めて漁師達、そして地上職員達の集まる場で挨拶をした。星漁師の華とも言える役職に就いても、誰も手放しで褒め、喜ぶ事はしない。彼らの頭にある思いは、二つ。

 こいつは果たして上手くやっていけるのか。

 こいつもまた、いずれ死ぬのだろうか。

 そんな顔をする群衆に向かって就任挨拶をする進藤の視界に一人、漁師のバッチを付けた女が居るのが見えた。見ない顔で、新人が入ってくるとは聞いていたので、それだろうと思った。しかしそれが女性であるという事以上に、挨拶中にずっと気になる事があった。

 六条というその女は、皆が陰鬱な目で品定めする様に進藤を見るのに対し、真っ直ぐ、期待を込めた眼差しでじっと彼の事を見続けていたのである。

 彼女もまた、目の前でラオが死んだのを見た筈だ。星崩しの射手という役職がどんな危険に晒されるものであるか、彼女も十二分に理解したと思う。しかし六条のその双眸には確かに、進藤という新しい星崩しの射手に対する憧憬と尊敬の念を込めた感情を湛えていた。

 部屋に戻り、ローランドから渡された書類に目を通した。試験での成績は優秀で、特に体力と腕力に関しては他の受験生と比べてずば抜けている。現役の星漁師と比べても平均以上の膂力を持っている事だろう。最も筋力が必要とされる離陸時の踏ん張りは、この腕があればほぼ問題無く行える。

 そして、星崩しの射手が着る駆動鎧が無くとも、星崩しを取り回し、射撃する事が可能になる。安全性を犠牲にして、十キロ以上ある鎧に足を引っ張られる事も無く、歴代の射手の誰よりもエンボイを素早く、正確に操縦する事が可能になる筈だ。どれだけ迅速に動き、スケール1や2の衝突を回避し、至近距離での射撃と離脱が出来るか。これは、射手が行う上で最も重要視される。資質として、千鶴にはこの能力に特に優れているのだ。

(船長が可愛がりそうなもんだけどな)

 嘆息し、進藤は書類を机に放り出した。

 重大な命令違反をしたとは言え、ローランドは成果を重んじる。今回の独断専行行動を咎める事はあっても、地上勤務に三週間という処遇は、千鶴の出した成果に対して少々重い気がした。嘗て命令違反をして別行動を取った船員の何人かは漁の最中で命を落とし、生き残った者は「良かったな」と言われた後で罰を受ける。それは給与的な処分であったり役職的な処分であったりするが、星漁師としての仕事を継続する場合、例え謹慎中であっても地上での体力作りや筋トレは必ず他の漁師達と一緒に行われる。復帰した際に勘が戻らなかったり体力が少しでも落ちていたりした場合、それが漁での致命的な失敗に繋がる事を防ぐ為だ。

 だが、千鶴は本当に、機械の整備や備品の補充など、地上勤務だけだ。地上での基礎訓練さえも許されない。

 六条千鶴の何を、そんなに嫌うのだろう。

 書類を机に置き、食堂へ夕食を食べに行く。流星予報に合わせて三日前から睡眠時間を含めた生活リズムを調整する星漁師だから、何も予定の無い平穏な待機日の夕飯はゆっくりと取る。翌日のシフトが休みの者は特に、同じくシフトの同僚と夜遅くまで雑談する事もある食堂の広いスペースで、それなりの人数が和気藹々と集まっていた。

 定食を注文して適当な席を見付け一人、黙々と食事をしていると、同僚の一人が声を掛けてきた。根はいい男だが、誰かを守りたいとか国の為に働きたいという理想や理念は無く、他の仕事よりも遥かに給与がいいからと星漁師になった男で、「それだけが理由さ」と言い切るその性格の通り、ヘラヘラと何事も受け流してしまおうとする男だ。勿論、仕事を選ぶ理由は様々だし、それを殊更に讃えたり蔑んだりという事は意味が無いので、しない。ただ、そういう性格の男だというだけの事だ。

「よう、星崩しの射手就任おめでとう」

「ありがとう」

 微笑んでそう返すが、ラオの事を思うとやはり素直には喜べない。そんな進藤の心情を察したのか、「残念だったよなぁ」と彼は言った。そうしてしばらく星崩しの射手についての話をした後、彼が後任について話した。

「もう決めたのか」

「まだ分からないよ。覚えたり習得するのに必死で、他の人を見る暇なんて無かったから。でも、何人か候補は考えてる。しばらくは、全員に射手の動きをさせてみて、一番いいと思った奴を後任にするつもりだ」

 星崩しの射手は、常に命を危険に晒す。いつ漁の最中に死ぬか分からない。だから射手は、就任と同時に自分の後任を選び、次期候補として育てるのである。正直な話をすれば、あまり気の進まない話ではあった。次期射手に選ばれるという事は、誰かに命を危険に晒せと命令されている様なものだ。

 最終的には当然本人の意思に委ねられるが、星崩しの射手とは、どれだけそれが名誉ある任務であったとしても、誰もにとって尊崇の対象となる訳では無いのだ。

「どう? 俺を後継に立ててみない?」

 ふざけた笑顔を浮かべながら自分を指差す彼の言葉が冗談である事は理解出来たので、フン、と鼻で笑って答える。「絶対駄目」

「何でだよー。立候補する射手なんて、中々居ないぜ?」

 と、立候補という言葉で思い出す。

「そう言えば今日の昼、立候補者が来たぞ」

「え、本当かよ」

「例の、新人の女の子」

 そうなのだ。訓練から帰ってきた進藤に声を掛け、星崩しの射手には常に後継者が存在するという事を耳にしたそうで、自分が立候補すると直接彼に話をしてきたのである。ラオのあの光景を見た後で尚そんな事が言えるのかと何度も念を押したが、真っ直ぐに進藤の目を見返してくる千鶴の表情は変わらなかった。

 同僚は渋い顔をした。

「命令違反した新人か。使えるのか?」

「皆、誰しも始めは素人だ。使えるかどうかより、使えるようにする為に育てる。それに、最終的には本人の意思が強くなければ意味が無い。折角育てても、逃げてしまっては元も子も無い」

「実践経験、ゼロみたいなもんだろう」

「エンボイと星崩しを初めて扱ったのに、それなりの取り回しと立ち回りをしてスケール3を破壊したんだ。ただのラッキーで出来る事じゃない」

 エンボイは、余程エアロバイクを乗り回していれば何とか乗れるだろう。だが、二十キロ以上ある対物ライフルを抱えながら運転し、射撃するとなれば話は変わる。気合いや根性、精神論でどうにかなるレベルではない。恐らくは、重い駆動鎧を着ていない事、それによりエンボイの機動性能が格段に上がり隕石の回避能力が上がっている事、そして高出力の義手で重量のある銃を取り回し出来るという事が、千鶴の射手としての能力を底上げしているのだろう。

「大変だな」

 同僚は言う。それが、進藤の仕事に対する言葉なのか、それとも星崩しの射手として常に死と隣り合わせにならなければいけない新人に対する言葉なのか。彼の言葉だけでは真意は汲み取れなかったが、ああ、と適当な返事をしておいた。

 俺も、いつか死ぬのかな。

 漠然と、そんな事を考えた。



 寮の自分の部屋に戻る。シャワーを浴び、時間を見計らって、ベッドの上で寝転んだ進藤は端末を起動させ、テレビ電話を起動させた。二十秒程のコールの後、ディスプレイに顔が表示される。まだメイクを落としていない、彼女の顔だ。その顔を見た途端、進藤は体から緊張した力が抜け、自然と笑みが溢れる。

「おかえり。仕事は?」

『ドタバタしてて大変。でも、次のデートで一杯甘える事にする』

 へへへ、と笑う彼女の笑顔が眩しかった。

 いつも通りの雑談をして、しかしどうしようか、と躊躇いながら会話を続けていたが、彼女……理香の顔は、終始浮かなかった。

「大丈夫? 疲れた顔してるけど」

 気遣ってそう言ったつもりだった。しかし理香の顔は一層曇る。

『分からない?』

 言われて、察する。言葉に詰まり、進藤は寝転んだまま手で頭を押さえる。どう答えたものだろうか。悩んでいると、理香は続ける。

『……星漁師の仕事、続けなきゃ駄目かな』

 画面の向こうで頬杖をつき、憂鬱そのものの表情で理香は言う。『年収がいいのは知ってるよ。その為に資格試験、凄く努力したのも知ってる。……でも、離職率よりも死亡事故率が高い職業って何? おかしいじゃない。何でそんな仕事が、法律で許されてるの』

「……そうしなきゃ、もうこの国は他国に勝てる産業が無い。人口も激減した今、体に鞭打って成り立たせなきゃならない仕事があるんだ。星漁師だけが、この国が世界市場のシェアで張り合える産業なんだよ」

 答えると、彼女は進藤を睨む様に見る。

『自分の命や彼女の願いよりも、国に仕えて死ぬ事の方が大事なの』

 その問いの大部分は、根本から意味をはき違えている。大事なのは死ぬ事ではなく国を支える事であり、自分の命と彼女の事は、きっと彼女が考えている以上に、彼は真剣に考えていた。だからこその星漁師であり、星崩しであり、それがこの国と彼女を守る為の手段だと、進藤は結論付けている。

 どちらが一方よりも価値があるとか、大事だとか。そんな次元の問題は生まれない。

 しかし、彼女がそんな理屈っぽい話をしている訳ではない事は、進藤も承知している。だから、使い古された様な陳腐な言葉で濁す様な答えしか出来なかった。

「理香。どっちも大事なんだ。主観的にも客観的にも。だから、漁師は続けたい」

 加えて、星漁師の有資格者であるとは言え、この資格を持つ人間が星漁師以外の仕事で同等の年収を得られる職業に就けるかと言われれば、否だ。あまりにも専門的な知識を必要とする資格であり、精々が大学や研究院の職で重宝される程度であり、この国でそうした技術職による高給取りの仕事を見付けるのは不可能に近かった。

 金が無ければ、自由の無い暮らしだけ。搾取されるだけの暮らしが待つだけだ。

 将来的に、理香との生活を支えられるだけの資金と収入を確保しなければならない。その為に、星漁師を続けたい。それが進藤の強い願いだった。

 だがその願いを強くすれば強くする程、彼女は少し進藤と距離を置くように思える。

 それ以上何も言わなくなった理香は、「また話そうよ。おやすみ」と半ば一方的に通信を切った。暗転した画面が、切断音を虚しく通知し続ける。

 進藤はしばらくそれを見つめてから、自分も端末の電源を切る。

 付き合い始めてから、射手になったらプロポーズするつもりだったが、その話を切り出すタイミングを完全に失ってしまった。かつては、諸手を挙げて喜んでくれるものだとばかり思い込んでいた。そこまで進藤は、星崩しの射手に特別な思いを抱いていたのだけれど。

 星漁師以外の人間にとって、所詮は自殺へ向かって突き進んでいる気の触れた集団にしか見えないのだろう。

 いつか人は死ぬのだから、真っ直ぐに突き進める道を進んでいきたい。

 そう考えるのは、男という連中がロマンチストだからか。

 それとも、やはり自分本意な人間ばかりがそう考えるのだろうか。

 答えを出せないまま、ウトウトと進藤は眠りに就いた。



 就任から一週間が経過して、流星群は一度だけ飛来した。が、星崩しが必要となる程の隕石は無く、大きな事故や怪我人も無く、無事仕事を終える。死人が出てから数回までの出動時は、いつも皆、言葉少なだ。それが一層の緊張感を高めているが故に、星漁が終わってのんびりと帰港する道中は、皆緩み切っている。そうして緩急をつけなければ、この仕事はストレスで務まらなくなってしまう。

 この漁に、まだ千鶴は参加していない。進藤は、両腕義手の女の漁師としての働きぶりがどれ程のものか、早く拝んでみたいと思いながら甲板に腰掛け、生け簀の下で星を袋詰めにしている音を聞きながら煙草をふかしていた。

 と、彼の隣に船長のローランドが座り、話し掛けてきた。

「どうだ、今日は」

 何とも無難な皮切りだった。進藤は、問題無いですよと答える。「ラオさんが居なくなって皆不安みたいでしたが、取り敢えず今回は、星崩しを要する大きさの隕石も来なかったし」

「今日は、な」

「船長」

 煮え切らない言葉しか口にしないローランドに苛立ち、進藤は彼に顔を向けて言った。

「仮にも俺が星崩しの射手に任命されたからには、万一に備えて後継者を立てなきゃ駄目です。なるべく早く六条の実力を知っておきたいんですが、研修というには、少し長すぎやしないですか」

 訊くと、ううん、と渋りながらローランドは言った。

「新人で命令違反は、絶対にやっちゃいけない事だ。反省の意味も込めて、甘やかすわけにはいかん。お前が気にしていても、まだあいつの乗船は許可出来ん」

 言い切ってそう答えているものの、短くない付き合いである。ローランドの言葉の裏に、自分に言いたくない本音がある。……進藤は何となく、そう考えた。

 らしくないローランドの言葉と決断。それも、千鶴を船に乗船させまいとしているようにも見える。否、そもそも星漁師から下ろそうとしている様にさえ感じられる。

 その意図は何処にあるのだろうか。眼下に広がる広大な国土と街を遥か上空より眺めながら、進藤は腰を上げ、他の漁師達と共に着陸準備を進めた。


       *


 大塚真央隕石エネルギー庁長官が発着場を訪れたのは、空船が訓練を終えて巨大ドックに着艦して間もなくの事だった。傍らに一人、秘書らしい男を従えて、わざわざ現場まで赴いた彼女は、ポストの割にキャリアも年齢も若い。しかし心労が多いのだろうか、話に聞いていた年齢よりも少し老けて見えた。

 地上の現場で働く女性は少ない訳ではないが、やはり背が高いと目立つのだろう、真央は千鶴に声を掛けた。

「船長達は何処にいらっしゃいますか?」

「今、戻ってきました」

 ややぶっきらぼうにそう答えると、千鶴は頭上の船から降りてくる船長ら星漁師達の方へと歩いて行った。

 長官が何の用ですかね、と隣で作業をしている男に尋ねると、知らないのか、と返された。

「公僕には珍しく、俺達に近い立場で話を聞いてくれる人だ。ここに居る時は長官という立場より、組織委員会の委員長としての肩書を本人も意識している気がするな」

 珍しい人も居るな、と真央の後姿を遠くから見つめる。資格試験合格後の授与式で顔を合わせた時と同じスーツだ、とどうでもいい事を考えた。

 大体の備品整理と担当場所の清掃が終わろうという頃、真央を後ろに従えたローランドと進藤が、千鶴の前までやってきた。六条、と声を掛けられて顔を上げる。

「大塚さんを交えて幹部クラスでの打ち合わせが入った。進藤とお前も出席しろ」

「私も、ですか?」

 目を丸くして訊くが、不機嫌そうな顔でローランドはさっさと屋内へと向かってしまう。困惑していると、進藤が近付き、「俺が長官に口利きした」と言ってくる。更に千鶴は驚いて、理由を問う。

「何でですか? 私は、命令違反した新人でしかないですよ」

 すると進藤は少し考える様に腕組みをして、とぼけた風に答える。

「当てつけ、かな」

 ピンと来ない考えだった。だが、そこまでして彼が自分に目を掛けるという事は……

 まさかと考えていると、そのまさかを、彼は口にした。

「まだ候補の一人という形ではあるが、星崩しの射手候補にお前を考えてる。他の候補も連れて行ってもいいんだが……まあ、俺が今口利き出来るのは一人だけだ。そういう意味でも、お前を今回連れて行く事にした。取り敢えず、話だけでも聞いていろ」



 会議室はそう広くない。船一艘の船長と副船長、そして進藤と千鶴が加わり、漁師だけで十六名。それに真央や彼女の従えるスーツ姿の男達が五人おり、窓の無い部屋はかなり窮屈な印象を受けた。

 真央の合図で部屋の灯りが暗くなり、会議室中央の立体ホログラムに電源が入れられる。流星群の録画映像を中心として、グラフ、表、数字、日付などが併記された。

 日付は、千鶴が初めて船に乗ったあの日のものだ。自然と、彼女は身構えてしまった。

「本日はお集まり頂きありがとうございます」

 大塚真央は言った。「今回研究所から十七日前に、北海道上空から香川県への落下コースを辿ると推測された、スケール3を含む流星群の記録から解析結果が出ましたので、ご報告します。今回は臨時会議という事で現場の船長・副船長のみ、そして現在星崩し射手として活躍しておられる方とその後継者候補の方にご同席頂き、情報の共有をして頂きますが、この会議の内容は極秘という事でお願いします。……現在中央のホログラムにて、許可を得た星漁師の作業着に装着しているCCD立体カメラ複数台からのデータを解析・反映し、立体化したイメージを投影しています。漁開始から五分の、ここですね」

 ホログラム投影外から、エンボイに乗った鎧姿のラオが入る。ここで、映像は極端なスローモーションになった。カメラが引き、全体が見やすくなる。船長を始め、全員の注目が隕石ではなくラオに注がれるのが分かった。

 しかし、真央の後を続ける研究員らしく初老の男は、あくまで隕石について言及した。

「報告を受けた、隕石群の不自然な軌道の変化。スケール3の軌道変更が起きた理由としては、隕石同士の爆発による作用・反作用の影響、星崩しの弾が目標の重心をそれて破壊に非効率的な箇所を射撃した事によるものと考え、解析していました。しかし前者でこのスケール3の軌道を変える、カメラに映らない、目視不可の隕石がぶつかったとは到底考えられず、また後者についても有り得ません。記録映像をご覧の通り、明らかに、チェン氏が引き金を引く瞬間よりも前に、このスケール3はおじぎをする様に、大きく約三度、下へと方向を変えている。つまり、外部作用による影響を受けてこの軌道変化が起きたとは考えにくい」

 船長ら一同が少しざわめいた。「次に、隕石が持つ反重力粒子を含む元素や電子構造が科学的に大気と作用した可能性も考えました。しかし現時点で人類が解明しているこの粒子の構造解析からどんなパターンを逆算しても、この夜、この環境、この条件でこの軌道変化が発生する確率は、限りなくゼロに近い。しかも問題は、タイミングです」

 スロー映像は、隕石が角度を変えてから銃弾が発射され、狙いをそれたそれが隕石上部を僅かに砕くまでのそれが、繰り返し流されている。「皆さんも感じられた通り、確かに映像でも、隕石が射撃よりも早いタイミングで角度を大きくずらしている事が確認出来ます。結果として貴重な銃弾一発は無駄になり、射撃反動でバランスを崩していたチェン氏は隕石の巻き添えを食らい亡くなられ、危うくまた都市が一つ、消えるところだった。……度重なる隕石の飛来、そしてそれらの多くが、地球表面の七割を覆う海ではなく陸地に、狙い澄ましたかの様に落下する現実。これらが、何を意味するか」

 研究員が何を言おうとしていうのか、千鶴を含めた漁師達の誰も、分からないままだ。

「もう一つ、このスケール3以外に報告があります」

 それまでの研究員とは別の、白い顔をした血色の悪い男が口を開き、手元のタブレットを操作する。ホログラムの映像が消え、オシログラフの様な複数の波線が、数字と共に動く映像が流れた。「遅れまして、検視官の櫻井です。現在ご覧いただいているのは、司法解剖を予定していたラオ・チェン氏の生体パルスです」

 会議室に、一気にどよめきが広がった。千鶴も進藤も、例外ではなかった。彼女の頭は混乱していた。死んだあの好青年の生体パルス。死んだ筈なのに? 解剖を予定していたなんて? 三週間もずっと?

「検視結果報告や死亡報告書を先日まで提出出来なかった原因は、このデータが原因です。チェン氏の遺体は頭部を含む体の複数個所を損傷し、臓器と脳にも深刻なダメージを受けていました。しかし、実際にバイタルチェックを行ったところ、映像の通り。そして更に有り得ない事に、この段階で、『血液循環機能を持つ臓器の殆どが機能を停止して時間が経過しているにも関わらず脳が生きている』という状態が生じていた事になります。概して、単純な心肺停止から五分以上経過した場合の死亡率はほぼ百パーセントですが、この脳波を観測したのは、即死と思われる事故発生時から既に二時間と十二分が経過していました。結局チェン氏は、事故から三時間四十八分後に脳波も完全に停止し、死亡しています。我々は、この不可解な現象の原因を探りました」

 タブレットを操作すると、再び画像が切り替わる。何枚かの写真画像が並列して展開された。「医学的な根拠を模索する事が困難であると早々に判断した我々は、隕石エネルギー研究局の方々に協力を依頼し、解析を進めました。そして先日、微量ながら脳の中に、隕石が持つ反重力粒子を内包する微量の液体を確認しました。液体は我々が使う培養液に性質が類似しており、これが隕石内部に浮かぶ気泡の様に格納されている粒子物質と同じものだと結論付けました。つまり、隕石がチェン氏の体にぶつかった時、彼の体内にこの極僅かな液体が入り込んだ……若しくは侵入したものと考えられます。そしてこの反重力粒子が、氏の脳の生命活動を限界まで維持させていた……その様な仮説を立てました」

「そもそも『反重力粒子』とは人類がこの隕石の爆散していないサンプルを発見し、研究して以降に名付けたものであり、その先入観に捉われていた結果、人体の脳神経に影響を及ぼす作用を持つという考えに今まで至らなかった事が原因でした」

 と、先程の研究員が言葉を続けた。「逆説的に今回、或る一つの仮説を立て、三日前の星漁の際に許可を頂き、一つの装置を各船に取り付けさせて頂いたかと思いますが、昨日その結果が出ました。そして仮説は逆説的な論拠を得るに至りました。サンプルケースの絶対数不足によりまだ学術的な保証を以てこれを立証する事は出来ませんが、我々は次の仮説を事実であると仮定し、今後の星漁にお役立て頂きたいと考えます」

 学者らしくない、結論を先に言わない思わせぶりな口調だった。千鶴はその様子に、彼らもまだ明言や断言を何処か躊躇っている様な印象を受ける。真央が言葉を引き継ぐ。

「これより先は、あくまで仮説に則った話である事をご承知おき下さい。これが正式な定説として確証を得る為には最低でも数年は掛かりますので。……ですが研究機関と私個人の独断により、これが半ば事実であると想定した上で、今後の漁にお役立て頂きたいと思います。……アメリカで年に一度行われる、バーニング・マンのイベントを観測して本格的なESPの研究が進められた切っ掛けは、研究者が会場に乱数発生装置を持ち込んだ事により実証された、『ESPの能力が人の精神や物質世界に影響を与える際に素粒子が影響している』という学術論文によるものです。現代ではこれが学術的に保証されています。研究機関は、空船に計十四台の乱数発生装置を始めとする計測器を取り付け、ESP能力の顕現の有無の観測を試みました。結果、人の脳波から観測される集団的熱狂による素粒子の発生とは別に、強い反応が飛来していた全隕石から計測されています。これが、何を意味するか。今まで、隕石が大気圏に突入以降発生する衝撃波で互いの流星に刺激を与え爆発しないように過度に減速するメカニズムは、反重力粒子の科学的作用によるものだと考えられてきました。植物が種子を運ぶ為のメカニズムが大自然と言うシステムに組み込まれた自然的プログラムであるのと同様に。……しかし、これが生物的メカニズムではなく、隕石のESP能力の影響による結果であるとしたら? 星崩しの射撃が行われたその動きを、隕石がESPにより予知した結果が、あの軌道変化だとしたら? 反重力粒子……いわば隕石の体液とでも言うべき成分が侵入したチェン氏の脳の長時間活動を可能にしていた理由が、ESP的神経系への関与によるものだとしたら? 一つの仮説としての理屈と辻褄は結合すると、我々は判断しています。そしてこの仮説は、或る一つの事実を浮き彫りにしました」

 一息にそこまで言って、真央は言葉を溜めた。まだ彼女自身も現実として受け止め切れていない事を、ゆっくりと反芻して噛み締め、受け入れる覚悟を決める様に。

 硬直する千鶴達に向かって、真央は断言した。


「三十年前より地球に飛来を続けるこの隕石は、ただの有機物ではありません。この隕石は、意思を持った生命体であると、我々は結論付けました」

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