4 混乱

 隕石の襲来が始まってから三十年。

 人類史から見ればあまりにも短いが、身に迫る脅威を削がれ続けた人々が危機意識を無くすのに、それは十二分な期間だった。

 どうせ、星漁師が上手くやる。旧東京の壊滅は、もう二十二年も昔の話。今の星漁の技術は、当時のそれを大きく超えている。問題なんて無いさ。……そんな思考が、誰しも心の中にあった事だろう。隕石が府内の何処かに落ちるなどとは誰も予想しておらず、地下への府民の避難率は、全体の五割を切っていたらしい。地下シェルターへの避難が義務付けられる政府職員を含めてこの数字であり、如何に安全管理と危機意識が低かったかは明らかだ。

 また、いつもの様に、最悪でも星漁師達の取り零した小さな破片が何処かに落ちるだけだ。運が悪ければ一人か二人死ぬだけだ。壊れた建物の所有者が政府に賠償を請求するだけだ。

 そんな、『どうせいつもの』という意識の蔓延が、大阪府民の人口を半数に減らす惨事を引き起こしたと言っても、過言ではないだろう。

 そんな大阪での記者会見は、真央にとって神経を摩耗させるイベントに他ならない。あれやこれやと責任追及をしようと画策する記者は恣意的な質問を繰り返し、星崩し、若しくは星漁師の存在そのものを疑問視する声を出してくる。下らない質問と疑問だと一蹴し、答えるまでもないと沈黙する真央ら与党と、これ幸いとばかりに声を上げてねちっこい嫌がらせや審問を繰り返す野党。こうした意識の格差が、国民感情の反感を買ってしまうのかも知れない。それは理解していながらも、やはり彼ら恣意的なプロパガンダの為の記者会見を開く事は望ましくないのである。

 真央は嘆息し、ビタミン剤を飲んで一度椅子の上で体の力を抜く。地下シェルターで使われていなかった革張りの椅子は、心なしかカビ臭い。地上の省庁が半壊して機能しなくなった以上、当分の間はこの地下で政務をこなさざるを得ないのだが、消臭スプレーでも使うべきだろうか。大阪議事堂は全壊したと聞くが、机の上で理屈ばかりを口にして動こうとしない議員の半数でも減っただろうか。そうなれば、逆に仕事はスムーズに進むかも知れない、と思いながら、それ以上犠牲になったであろう市民に胸を痛めた。

 ……どうせ今回も何事も無く警戒は解除されるだろうとシェルターで休んでいた真央ら官僚や議員達は地上を揺らした突然の衝撃に、まさか、と混乱した。地上の市内カメラは全て機能を失い、しばらく地下からは何の情報も得られない状態が続く。現状を把握出来たのは五分後、漁に出ていた星漁師達から、スケール3の破壊と漁に失敗した、という報告を受けてからの事だ。

 この国の首都に隕石が衝突し、甚大な被害が発生するのは、二度目だ。その日を境に復興再建や失業者手当、生活保障などの限界を一気に突破し、経済が破綻しかけたのは記憶に新しい。その後数年間もの政局と治安の不安定に頭を悩まされ、そうした諸々の全てが不満として外部へ爆発し、市民が攻撃対象を求めたのが、四年前の大暴動だった。

 また、同じ轍を踏むのだろうか。真央は頭を抱えて、ホログラムに投影されていた宇宙からの衛星画像を閉じた。地上は大きな建物を除いた街の半数が破壊され、一目見て人が暮らせる環境が存在しない事が分かる程だ。爆心地(クレーター、と呼ぶより、そう呼ぶ方が近い)の中心からおよそ半径一キロが消失、一キロ以遠から五キロ圏内は巨費を投じて隕石対策の施行をしていた建造物の幾つかは残り、更に先は爆風で被害は大小様々、という風だ。

「役人は、税率を何パーセントまで上げると思います?」

 諦観を込めた口調で秘書に訊くと、「ハンガリーよりはマシでしょう」と身も蓋も無い事を口にした。「問題は、被害の無い地域住民にとって、増税による福祉的還元が一切無い事でしょうが」

「そして被災者が活力を取り戻して復興に成功したとしても、税率を下げたりなんてしないでしょう。今までそうしてやってきた国ですもの」

 前回の東京被災の不満は、十三年の潜伏期間を経て大爆発を起こした。今回は、どうだろう。過去の暴動の例、失態の数々、上がり続ける国民への生活負担。恐らく、溜まったガスが爆発するのはそう遠い日ではない。

 眠れない夜が、また続きそうだ。

 と、机の上に置いた携帯端末が着信を告げる。地上のインフラが壊滅しても、衛星経由で直接電波が届く通信システムには感謝しよう、とピントのずれた事を考えながら、着信の相手を確認する。理香からだった。真央は急いで電話に出る。

「もしもし?」

 言うと、開口一番安堵らしい溜め息が聞こえる。

『良かった、無事だったんだ……』

「ええ。東京は?」

『進路の外れだったし、小さいのが一個、ビルに当たっただけだってニュースは見た』

「そう……良かった」

 何故だろう、理香が実家を出てまだ一年も経っていないが、もう十年以上も話していない様な気がした。

 肩の力を抜いて、今だけは、と理香と些細な話をした。仕事はどうだ、ご飯は食べているか、新生活はどうだなど、およそ親らしい通り一遍の事を訊いた気がするが、真央は少し上の空で質問をし、答えを聞いていた。自分は、こんな当たり前の事を一年間も訊いていなかったのだな、と身につまされる。

 何だか母親らしい事をしているなと思う反面、自分は今まで、どれだけ母親らしい事をしてやれただろうか、とぼんやり考えた。

 そうしているとしばらくして、声のトーンを少し落として理香が口を開いた。

『……ねえ、今度時間取れる日、ある? 出来れば一日』

「ここしばらくは忙しくなるだろうけど……うん。取れる」

『本当に? いつも仕事でキャンセルばっかりだから不安だよ』

「何かあったの?」

 不安になり、そう訊いた。だが、そんな真央の口調と食い気味な姿勢が可笑しかったのか、フフッという笑い声が電話口から聞こえた。

『めっちゃ深刻な話って訳じゃないんだけど、さ。……紹介したい人が居るんだ』

 その言葉で、真央は理解した。肩の力が抜けると同時に、また新たな小さい不安の種が芽生える。相手は、どんな人だろう。変な人と付き合うように育てた覚えは無いけれど、理香の事を全て理解していると断言出来る程に、自分は母親として胸を張れる役割を果たせたとは思えなかった。

『凄くいい人でね。目標もしっかり立ててるし、人生設計も、多分しっかり見据えてるんだと思う。でも、仕事が少し不安なんだ。いや、しっかりしてるし人に言える仕事ではあるんだけど、危険だし、体が資本な所もある仕事だから……待ってるこっちが苦し過ぎて、何度か本気で、別れた方がいいのかなって悩んだ事もあるんだけど、それが出来ないくらい好きな人だから……だから、知って欲しいなって。相談したいって事でもあるんだけど』

 利発な理香らしくない、言葉尻の濁った話し方。しかしそれが逆に、どれだけ彼女が真剣に思い悩んでいるかを雄弁に物語っている。

 だから、そんな誠実な彼女に対して真央が出来る事は、ただ一つだった。

「今の騒動が一段落付いたら、是非会いたいわ」

『本当?』

先程真央の身の安全を確信した時よりも余程救われた様な、安堵の声。その声を聞いて、真央も安心する。

 私よりも大切な相手を見付けられたんだね。安堵し、一つ尋ねる。

「ええ。どんな人?」

『もしかしたら、お母さんもよく知ってるかも』

 誰だろう。授業参観は小学校の一度しか出られなかったから、娘の同級生の顔など覚えていないのだが。

「無理にでも仕事は休むわ。絶対会う」

『ありがとう』

「こちらこそ、ありがとうね」

『え?』

 理香には、真央の感謝の言葉が奇妙に聞こえた事だろう。しかし彼女はその理由を答えずに、フフッとほくそ笑み、じゃあね、とだけ言って通話を切った。


       *


 隕石が大阪に衝突して、一週間が経過した。その間、流星群の予報は発表されなかった。前回の星漁で得られた資源の総量は、大捕り物をしたと噂される漁であったにしては獲れ高が少ない。横流しされる隕石を受け取るのは祈の役目であったが、その日渡されたのは一グラムにも満たない小さな小さな欠片だった。

 思わずこれだけか、と訊くと、フードを深く被った星漁師の男は舌打ちして答えた。

「星が途中で次々に爆発したんだ。星の量自体は少なくなかったが、それを全て獲るのは不可能だ」

「爆発? 何が起きた?」

「知るか! 俺ら下っ端は何も聞かされない! 収穫が芳しくないってんで、検査が今まで以上に厳しくなった。しばらくは、その塵みたいな欠片さえも持ってこれなくなる。前回くすねたのがあるだろう、何とかしろ」

「難しいよ。獲れ高発表以降、闇市で燃料を買う奴が急増したんだ。予想を上回るペースで無くなってる。こんな収穫じゃ……」

「やかましい、さっさと寄越せ」

 ひったくる様に報酬を取り、男は夜道を去っていく。あの星の量で得られる端金では、映画一本分の娯楽さえも楽しめないだろう。それでも、あの男は星を渡しに来た。それが、彼にとっての正義の貫き方なのだろう。祈は思いながら、掌に容易に隠れる小ささのビニールパックに入った、消しクズの様な欠片を見つめる。仄かに黄色い液体が付着したそれは、汚い染みの様だった。



 星売り子が培養液燃料を密造している隠し倉庫の地下入り口に、人だかりが出来ていた。すわガサ入れか、と警戒したが、集まっているのは顔馴染みの売り子ばかりである。祈は近付いて、何があったのかと尋ねると、一人が忌々しげに答えた。

「組の奴が一人、チャンさんを締め上げてる」

 ハッとして、そしてすぐに怒りが込み上げる。理由は恐らく、培養液燃料の件についてだ。チャンは、組が命令した今の供給規則にさえ難色を示している。きっとこの星不足の件を受けて、もっと嫌味な条件を出したに違い無いと考えた。

 やがて、二人のいかつい顔をした男が地下室から出てきた。どけどけ、と乱暴に祈達を払いながら、悪態をついて去っていく。祈を含む数人の星売り子が、地下室へと急ぐ。

 チャンは殴られていた様で、顔のあちこちに痣をこしらえている。手当をしようとする祈達に大丈夫だ、と言って断ろうとするが、皆それを許さなかった。強引に部屋へと引きずっていき、怪我の手当をする。その間、質問をした。

「連中、なんて?」

「燃料の希釈を指示してきやがった。今でも少し薄めているが、それを大きな影響の出ない基準値ギリギリまで薄めろとよ。燃料代も上げろと言ってきた」

「まさか」

 燃料が高いのは、星の欠片の希少性故のものだという事は、誰でも理解している。だからこそ、闇市では政府が基本価格として定めるものよりも安価で売る必要があった。そうでもしなければ、本当に必要とする客に届かなくなる。だが、燃料の値が張る理由もよく分かる。それ程に手間暇が掛かるのだ。

 だから密造した培養液燃料は、使用しても何とか問題無い濃度まで希釈している。祈達で実験し、何パーセントまでであればエンジンに影響が出ないかを確認したその数字は、既にネットで拡散され、広く知識として共有されている。

 だから今以上に燃料を希釈するなど、粗悪品を売りつけるのも同義だった。もう、希釈濃度は限界なのだ。だがチャンは残念そうに首を振る。

「今ある在庫を全て捌けさせたいらしい。売れるだけ売って稼いだら、今回の売り上げの奉納を、いつもの五割から八割にするとも言っていた」

「俺達が生活出来ない!」

 星売り子の一人が悲鳴を上げた。それから、彼らは口々に喧々轟々と意見を口にし始める。チャンは沈痛な面持ちで、混乱する皆の顔を静かに見つめていた。

「そもそも、何故そこまで金を欲しがるんです、連中は」

 少し言い合いの声が静かになった頃合いで、祈はチャンに訊いた。すると返ってきたのは、予想外の答えだった。

「……あいつらは、もう一度大暴動を起こそうとしている。局所的ではなく、全国の主要都市で同時多発的にな。その為の資金を急いで集めている様だ」

 それを耳にした祈達は、一様に言葉を無くした。皆の脳裏に、四年前の惨劇の光景が蘇る。まさか、何故そんな事を。問うと、チャンは答える。「四年前の大騒ぎで、革命意識に火が点いた馬鹿野郎が大勢居る。そんな連中の中でも、生活に困窮していて、自意識やプライドの高い奴は一定数居るからな。こいつらは自分が今の地位に居る事を『失敗』や『挫折』と捉えている場合、その責任を自分ではなく、自分を抑圧する相手に押し付けようとする。……政府だ。これに加えて貧困生活を送っている移民や難民を囲い込めば、かなりの数が蜂起するだろう。特に後者の連中に密輸した武器を渡して騒がせる事が出来れば、大きな被害を出せる。そして残念ながら、今のこの国にはそれを成し得させてしまえるだけの土壌がある」

「何故そんな」

 祈が零すと、それにもチャンは答えた。

「一時的にでも国の機能を麻痺出来れば、そこから組は基盤を打ち崩す。文字通りの無政府状態にして、自分達が星燃料の支配権を握ろうとしてるのさ。……培養液燃料の競争価格を調整しなくて済むし、培養液燃料に関わる貿易業の全ての利益を吸い上げる事が出来る。この前の星漁の失敗と大阪半壊で、機は熟したと判断したんだろう。併せて、この工場を武器庫にするらしい。連中が今まで仕入れた武器の、東京での分配分は全てここに集め、暴動前日に移民達を経由して、地下街の連中に配るという事だ」

 絵空事にしか聞こえない、冗談の様なそんな話を、しかしチャンは大真面目な顔で言った。

「じゃあ、自分達の管轄外にあった密輸ルートをひたすら潰していたのは……」

「潰していたというより、取り込んでいた様だ。もう粗方のルートは取り込み終えて、これから本格的に武器の仕入れに入るだろう。……そして、この闇市から人手に渡っていく。俺達では、もう止められない」

 皆、誰も言葉を口に出来ず、ただ呆然と立ち尽くしていた。


       *


 千鶴はまた夢を見た。今回も同じ、祖父が自分を庇って死ぬ夢、自分が両腕を失う夢だ。汗を掻いて嫌な目覚めで朝を迎える日は、これで何日目だろうか。

 連日、同じ夢を見続けている。流石に何かがおかしいとは感じるものの、しかし現実に千鶴達が直面している問題はより深刻で、そちらに意識を集中せざるを得ず、自分の見る夢を言い訳にして仕事を怠る訳にはいかなかった。

 大阪がその都市機能を停止させてから、既に二週間が経過している。四月に突入している陽気ではあったが、寮の空気は重く、沈んだままだ。加えて、世間の不安も加速している。

 星日照りが続いていた。流星の軌道の関係やタイミング、スイングバイ方式で飛んでいるらしい流星群が利用している星の配列の問題が運悪く重なる事で、前回の漁から一週間の間が空く事を、そう呼んでいる。

 日本の培養液エネルギーの供給必要ペースは、最低でも週に一回である事が計測されている。そのペースを下回ると全国的にエネルギーが供給不足とされ、現存の培養液の濃度を希釈したり、という一次的な措置が取られるのだが、星漁のシステムが構築・実行されてから国外からの輸入燃料に頼る事は滅多に無い。

 だが、二週間もの星日照りは滅多に無い事で、政府は原石を他国から一部輸入しようかと検討している最中らしい。加えて被災地の復興を急速に進める必要があり、被災者の体調維持の為にも温度管理や環境整備は必要だが、その全てに培養液燃料が必要だ。

 つまり現状、日本では平均以上の供給が求められるのに対し、取れ高が減っている。星漁師の訓練時間も、燃料費削減の為に一時的に半減されていた。千鶴の体感としては、また地上勤務に回されている様な気さえしているくらいなので、面白い話ではない。

 皆、精神的疲労が蓄積し始めている。訓練中の怪我人も増えている。本番ではどんな小さな事故やミスも死に繋がり得る為上官からはそれを厳しく叱咤されるのだが、しかし全体的なミスや怪我は減らなかった。

 加えて千鶴の場合、船上訓練も地上訓練も終わった後、他の漁師数人と共に進藤に星崩しの射撃を習わされていた。彼としては、星崩し射手の候補者を鍛える時間が確保出来るので現状はそう悪くない、と考えているようだが、今は星崩しの射手候補として選ばれた喜びよりも、燃料不足の危機を脱する為の流星群予報が待ち遠しいのだ。



 非番の日も、また雨が降っていた。

 喧嘩みたいな風に距離を置いてしばらく経ち、千鶴の心地も悪くなっていた事もあって、仲直りの為に祈を呼んだ。待ち合わせは、前回と同じ喫茶店だ。端末で連絡してもいい話だったかも知れないが、直接顔を合わせたいと思ったのだ。それは祈も同じ気持ちだった様で、店で出会ってすぐ、気心の知れた友達として再び打ち解ける。

「大変だね」

 祈が言う。うん、と力無く肯定して、千鶴はぼんやりとパンケーキを切り分け、ゆっくりと頬張る。蜂蜜の味が染み渡り、やや心を柔らかくしてくれる。

「そっちは?」

「とてもマズい」

 丁度ウェイターが通り掛かった時にそう口にしたから、祈はバツが悪そうに笑って誤魔化していた。祈は、自分達の周囲から人が去るのを待って、声を潜めて話し始めた。

「言いにくいけど……次に何か大きな切っ掛けがあったら、大暴動が起きる」

「だろうね」

「そうじゃない。本当に起きる」

 言葉の綾や冗談だと思って簡単に聞き流した千鶴であったが、真っ直ぐに彼女の目を見る祈の顔は、真剣そのものだ。腰を据え、話を聞く事にした。

 星売り子を仕切っているヤクザとその目的、手段。そしてこの街の地下で鬱憤を溜めている下層階級の住人達の憤りについて。

 致命的なのは、星売り子達自身には、暴力団組織に逆らう手段が無いという事だろう。千鶴は声を荒げた。

「だから、星売り子なんて辞めろって……!」

「もう遅いよ。それに、やっぱり学歴も職歴もまともに無いから、やっぱり星売り子しか生きる道は無かった。ドロップアウトした人に優しくしてくれる程、社会は甘くないんだ」

 言って、祈は言葉を切ってココアを飲んだ。

 千鶴には、その言葉の後に、『恵まれた千鶴とは違うんだ』という言葉が続いた様な気がした。

 雨の水滴とガラス窓で屈折する、毒々しささえ感じさせる立体電光掲示板のサイン。節電計画が実施されている街中で、奇妙に映えた。点滅するそれらは、夕暮れに近いこの時間帯に不気味に存在感を放っている。

 この先、どうなるんだろう。そんな不安と恐怖に千鶴が体を震えさせていると、祈はしかし、柔らかい声を掛けてきた。

「大丈夫」

「何が。もう、こんな状況じゃ……」

「手はあるんだよ。だから、チャンさんや私達でなんとかしてみせる。千鶴は、自分の仕事をして。星を止めてくれれば、それでいい」

 どういう事だろう、とうつ向けていた顔を上げて祈の顔を見る。その時だった。

 人の言い争う声が聞こえてきた。それまでの暗い陰鬱な静寂が街に広がっていた中で湧いた異音だったので、すぐに気付く。千鶴も祈もハッとし、曇った窓ガラスを手で拭って、二階から地上を見下ろす。そう広くもない路地で、喧嘩が始まっているらしい。一対一というよりは、一人と多数という様子である。一人を取り囲んで、男達が殴りかかっていた。一人の男が最初は押していたが、それでも人数には勝てないのか、徐々に打たれ始めている。ガラス越しに聞こえる一人の男の声に、聞き覚えがあった。慌てて、千鶴は店を飛び出す。慌てて祈がそれに続いた。

 傘も差さずに道に出ると、もう孤独な男は地面に倒れ、集団に蹴られ続けるままに身を任せ、ただ体を丸めていた。

 進藤だった。

「何してるんですか!」

 怒鳴り、千鶴は強引に男達の間に割り込んだ。背の高い、両腕義手の女の乱入により、男達は蹴り続けていた足を止めた。が、一人が雨の音に負けない大声で怒鳴る。

「何してるも何もねえ! 突然絡んできやがったんだよ、そいつが!」

「え?」

「人の気持ちも知らねえでとか訳の分からん事言ってきて、いきなり殴りかかってきたんだ。俺達が何をした!」

 振り返り、立ち上がろうと両手をついている進藤を見下ろした。咳き込み、体はフラフラと揺れている。彼が反論しないところを見るに、本当なのだろう。

 無鉄砲で不作法で、見ず知らずの相手に当たり散らす。普段の彼であれば、きっとそんな事はしない筈だ。今、この状態で彼がそんな事をした理由。彼が負っている責任と重圧。 それがどれだけ大きく、そして進藤の心を押し潰しているのか。

 千鶴に、その気持ちを真に計り知る事は出来ない。

 けれど、ふと談笑している相手を見掛けて堪らず怒りをぶつけてしまう程、彼の心が弱っている事は理解出来た。

 場合によっては自分も殴ってやろう、と意気込んでいた千鶴だったが、その事実に気付いた瞬間、毒気は抜かれてしまった。深く頭を下げ、連れが迷惑を掛けた事をその場で謝る。そんな千鶴に白けたのであろう男達は、ぶつくさと文句を言いながら、雨の中小走りに屋内の何処かへと退避していく。

 野次馬もようやく散り始めたところで、立ち竦んでいた祈も急いで駆け寄った。大丈夫かと問う祈に首肯すると、千鶴はまだ足のふらついている進藤を引き起こす。

 放せよ、と低い声で呟く彼に対して、千鶴は呆れ、声を落として言い返した。

「星崩しの射手が暴行沙汰なんて、洒落になりませんよ。ただでさえ今、星漁師の風当たりが悪いんですから」

「え、この人が?」

 祈が驚いた顔をして、千鶴と進藤を交互に見た。星漁師の憧れの存在と言われる人間が泥水の喧嘩男だと知って、戸惑いを隠せない様子だ。そんな二人に、血の混じった唾を道に吐き、進藤は言い返した。

「免職されたら、お前が射手でいいわ。やりたがってた星崩しの射手だ、嬉しいだろう」

 呂律の回っていない声だった。酒も大分入っているらしい。彼の許可を、しかし千鶴は断固として拒否した。

「投げやりと自暴自棄で譲られた名誉なんて嫌です。まずは、進藤さんが全うして下さい」

「誰も、守れなかった男がか?」

 一瞬、千鶴は言葉に詰まる。やはり彼は、思い悩んでいる。そして自らの責任を重く感じているのだ。きっと自分が止めなければ彼は、自分から男達に向かって自らが星崩しの射手である事を明かしただろう。そうなれば、一層進藤を責める声と暴力は過激なものになっていたに違い無い。きっと、彼はそれを望んだのだ。

 それでも、千鶴が答える言葉は決まっていた。

「だから、次は必ず守るんです」

 言い放ちながら肩を貸し、雨の降る道を歩く。反対側を、祈が支えた。体が濡れて体力も落ちてしまうが、今は構っていられない。義手のお蔭で千鶴が進藤を運ぶ事について特段苦戦する訳ではないが、やはり長時間この『介護』を続けたいとは思わない。

 進藤の家は何処だろうか、連れて行っても大丈夫だろうか、と思考を頭の中で巡らせていると、ぽつり、と彼は言った。

「お前は俺の事を、止めないんだな」

「え?」

「……何でもない。送って欲しい場所があるんだが、そこへ連れて行ってくれるか」

 言われるがままにタクシーを拾い、ぼんやりとした進藤の指示に従って、彼をとあるマンションまで連れてきた。部屋番号だけはかろうじて聞き出せたが、肝心の鍵を出さずに進藤は眠ってしまった。駄目元で部屋番号を呼び出すと、しかしインターホンから居住者の声がした。「はい」

 どう切り出したものか迷っていると、カメラ越しに千鶴と祈、そして進藤の顔が見えたのだろう。あっ、という声がして、エントランスのドアが開いた。

 目的の階に到着すると、部屋の前で女性が一人、そわそわした風に待機している。彼女は千鶴達の姿を見ると、慌てて駆け寄ってきた。千鶴は簡単に事情を説明し、自己紹介をする。

 出迎えた女性は、大塚理香と名乗った。



「シャワー、ありがとうございました」

「いいえ。こちらこそ、翼がご迷惑を」

 翼、というのが進藤の名前である事と認識をリンク付けるのに、どうにも時間が掛かってしまう。

 進藤の恋人を名乗る理香という女の顔色は、少し青褪めている風であった。疲労が蓄積している様にも見える。実際、平日で十八時にもなっていないのに在宅だったという事は、体調が優れないという事なのだろう。その原因が少なからず進藤にあるのだろうという事は、話を聞かずとも多くを察する事が出来る。

 千鶴と祈が交代でシャワーを借りて浴びている間に、進藤は理香に着ている服を脱がされ、毛布や掛布団でくるんでベッドで寝かされている。千鶴達が運んだ苦労も知らずに、寝息まで立て始めた。流石に殴ってやろうかとも思ったが、理香の手前、止める。代わりに、理香に質問をした。

「お付き合いして、長いんですか」

「はい。もう四年くらい」

「何だか、先輩のプライベートが想像出来なかったから、意外です」

「ですよね。たまに私も、この人が何を考えてるか分からなくて」

 疲れた顔で、しかし笑いながら答える。だが、やはりすぐにその顔は曇った。「最初は、彼が星漁師だなんて知らなかったんですけど」

 やはり、職業について口にした。彼女が最も進藤に対して気にしているであろう点を。そうして、袖から覗く千鶴の義手にチラリと目をやって訊き返した。「六条さんも……星漁師を?」

「はい。現場作業の女は私以外に居ないので、珍しがられます」

「あなたも……」

 祈に向かって話し掛けるが、正直に星売り子である事を告げるのも憚られたのだろう。フリーターです、と無難な答えを返し、積極的な会話は避けようとしていた。

 答えた二人に対して、理香は何かを躊躇う様に口を紡ぐ。

「星漁師の方々が居なければ、生活が成り立たない事は知っています。人の生活どころか、国が立ち行かなくなる事も。……でも、死ぬかも知れないじゃないですか。毎年、何人も星漁師の人達が死んでるのをニュースで見て、知っています」

 俯き、自分の腕を強く握り、痛みで震えを堪えながら理香は続けた。「……私、星予報が出る度に苦しくなるんです。誰の訃報も聞きたくない、恋人の殉職の報せなんて聞きたくないって。でも翼は、夢だからって……教えて欲しいんです。夢って、死んでも叶えたいものなんですか。違いますよね。でも、毎年凄い数の人が星漁師に応募して、採用されて、喜んで……死にに行く事って、そんなに偉いんですか」

 千鶴は理香の話を聞きながら、自分の家族の事を思い出していた。

 家族は皆、千鶴が星漁師の夢を口にする度に難色を示したり、反対したりを繰り返してきた。祖父の死後に星漁師になる事を宣言すると、母は泣き出し、父は怒鳴り、千鶴を殴った。そんな両親が嫌いだった。

 理由は明白だ。自分の目標を、他人に否定されたからだ。

 自分の生き様が受け入れられれば、人はそれを心の安住の場所にしたがる。それは、星漁師という仕事を選んだ千鶴にとっても、家を無くした祈にとっても言える事で。

 人生を受け入れてもらえないというのは、悲しい事だと思った。

 体を震わせる理香から一度視線を離し、進藤の寝顔を見る。きっと彼も、こうして彼の身を案じて涙を流す人が肉親や友人であれば、彼らと縁を切ってでも夢に向かって邁進しようとしただろう。だからきっと、自分が選んで好きになった恋人という相手に自分の目標を否定され、思い悩んでいる。街での乱闘の原因も、これに一端があるように思えた。

「六条さんも、星漁師になったのは夢だからっていうんですか」

 何か、違う答えが聞きたい。一生に一度の夢と言われてしまえば、それを諦めてもらう事はとても難しい。それを理香は悟っている様子だった。きっと、お金の為だとか名誉の為だとか言えば、理香はそれを論破する為の弁論を組み立て、進藤を説得しようとするのだろう。

 もしかしたら二人の幸せの為には、それでいいのかも知れない。

 けれど千鶴は、それでも自分の心に嘘をつく事が出来なかった。

「……夢、という言葉は少し違う気がします。目標とも目的とも、他の何かの為の手段でもなくて。何と言うか……義務とか使命、みたいな」

 自分でも少し曖昧な説明だと思った。理香は泣き腫らした顔で千鶴を見て、首を傾げる。千鶴は続けた。「誰かに何をしろと言われるでもなく、自分で選んで自分で行動して、何より自分の為にやっている……そんな事、大塚さんには無いですか」

 直接千鶴の問いに答える事はせず、理香は質問を返す。

「趣味、みたいな事ですか」

「多分、それに近いものです。ただ、それよりももっと……時間潰しにするものじゃなくて、仕事や睡眠時間を削ってでもやりたい事。それを売ったりして利益になる訳でもないのに、他の何よりも優先させたいと思うもの。私を含め星漁師になる人は、そんな思考の人が多い気がします。生きがいって言葉が、一番近いのかも知れません」

 感覚的な話で申し訳ありませんが、と付け加えて、千鶴は自分の両腕を見る。

 自分自身に限った話で言えば、まだ分かり易いかも知れない。元々の正義感に加え、祖父の身を挺して自分を庇った自己犠牲的精神を受け継ぎ、それでも守り切れなかったが故に手にする事が出来た義手の力。

 自分に出来る一番の事は何か。自分が自分の力を使って出来る最大公約数は何か。それを考えて、必然的に千鶴は星漁師の道を見付け出し、そしてそれしかない、と直感した。

 一番チープな言い方をすれば、『天啓を授かった』と言葉にする事が、理香の答えに対しては最も適切だろうと思える。無論、その啓示を受けていない人間がその言葉を聞いたところで、納得などする筈もない。だが祈は、そんなスピリチュアルな千鶴の形容を信じ、受け入れてくれた。

 ただ、理香が理解出来るのは、進藤を空船から引き下ろす手段は無いという事だけ。

 漠然と、少し時間は掛かったものの、そういう風な事を苦心して伝えた。納得は到底出来ない、という表情の理香ではあったが、やはり涙を流して無言のままだった。千鶴は、静かに言葉を続けた。

「最近、私は進藤さんに目を掛けてもらっています。次期の星崩しの射手として。だから何となく分かるんですが、何処か私と似た理由で星漁師になろうと決めたんじゃないかと思うんです。もしそうだとしたら、やはり引き止めるのは……」

「東京に隕石が落ちたのは知ってますよね?」

 と、理香は唐突に話題を変えた。しばし迷い、はい、と千鶴は答えた。二十二年前の昼。星漁の技術と理論が確立されて実践される、更に三年前の話だ。

「翼はその時、母親を亡くしているんです」

 その言葉を聞いた瞬間、胸が締め付けられる感覚を覚えた。「当時九歳だったそうです。小学校の県外ハイキングに出ていて、東京には居なかったと言っていました。出張だったお父さんも都内におらず、ただ、お母さんだけが家に居たと。……あまり、彼の家族について詳しく訊いた事はありません。それだけです。でも旧東京時代、翼は自分から行動を起こさない、寧ろ引っ込み思案な子供だったと本人から聞きました。今の姿からは、全く想像出来ないんですが」

 被害者の殆どが骨の一欠片さえ見付からなかった、嘗ての爆心地。クレーター。あそこに嘗て、進藤は住んでいたのだという事実。

 近しい人の死が自分の生き様を変える事は容易い。それ程に、命とは影響力を持つものだ。それは、千鶴が身を以て体験し、実感して得た真実に通じている。きっと、進藤も同じ体験をした。もしかしたら、彼はまだ母親の死について自分を責めているかも知れない。どうにかして、母親を死なせずに済む方法があった筈なのだと。少なくとも今の進藤ならば、そう考える事だろう。

 で、あれば。

 今回の大阪への隕石直撃は。

 進藤にとって、二度目の過失となる。

 だが、過失ではない。決して、彼が責任を感じ、自らを責める必要は無いのだ。しかし、同じ隕石という事象に、それぞれ深く関わってしまっている。特に大阪の場合は、二十二年前よりも誰かを救うチャンスを大きく持ちながら、結果として同じ被害を出してしまった。

 彼がやけを起こしている理由の一端に触れ、寧ろ自らの体に危害を加えずにいられるその強い精神力に感嘆する。

 理香は自虐的に笑って、諦観した風に言う。

「もう、止められない類の決意なんですね。二十二年前から、そうだったんだ」

 千鶴は、何も言えなかった。

 進藤の身を心から案じ、心を苦しめる理香の思いは分かる。しかし同時に、星漁師の、そして星崩しの射手としての責務を負い、それを全うしたいと強く願う進藤の思いも、強く理解出来てしまうのだ。

 だが伏せていた顔を上げた理香の顔は、何処か吹っ切れた様に微笑みを湛えていた。

「私、今度母に会いに行くんです。翼を連れて」

「へえ」

「まだ母は、翼の仕事を知らない筈なので、きっと反対すると思います。……でも、六条さんの話を聞いて、きっぱり決めました。もう決意が変わらないなら……彼が死ぬ事になっても後悔しない様に、一日一日を全力で愛し続ける決意が出来ました。ありがとうございます」

 頭を下げられ、千鶴は慌てる。自分は、彼女を元気付けようなどと意図した事は一つも無かったのに、と。それでも、理香は笑った。「私がそう決めたので、もう大丈夫です」

 それは、千鶴が語った天啓の話にも似た決意表明だった。それを悟り、彼女はそれ以上何も言わなかった。

 ただ、母親の話をする目の前の女性が生き生きしているように見えて、羨ましかった。千鶴はもう、家族から縁を切られたにも等しい存在だったから。

 だからつい、言葉が口を突いて出た。

「お母様を尊敬してるんですね」

「ええ」

 目を細めて、理香は答えた。

 崩れた化粧の跡さえも、美しい。

「とても自慢の、尊敬出来る母親なんです」


       *


 研究所から、反重力粒子を含む隕石内の原液が人間の脳に与える影響についての途中調査結果が届いた。真央はディスプレイに浮かぶ文字列に目を通す。正直な話をすれば、旧世代の液晶画面を見るのでさえも辛い程に目に疲労を蓄積させていたが、隕石関連の話とあれば放って寝る訳にもいかなかった。

 ラオ・チェンの遺体回収時から数時間に渡って観測を続けていた脳波観測データは、長い時間を掛けてようやくその全容を一部、明らかにした。粒子液状体は、脳の大脳皮質を中心とした海馬・橋・後頭葉・外側膝状体に作用を及ぼしているらしい。特に、海馬への干渉反応が顕著だったとの事で、同様のパルスをテストモデルの模擬脳に伝達して確認したところ、レム睡眠と同様の生物的反応を示したらしい。

 つまり、生物学的には死んだ状態で、彼の脳だけは生物としての枠組みから一時的に解放され、夢を見ていたらしいというのだ。

 反重力粒子には、催眠と夢を誘発する成分が含まれているのだろうか。真央が早計に考えると、その疑問に答える様に、報告書には続きが書かれている。

 研究者としては、反重力粒子の作用よりも、そのメカニズムに注目しているらしかった。報告書は、隕石の持つ粒子は生物の神経系に作用する効果を持っていると仮定して、ここ一カ月の間実験を続けていたという。

 実験には、採取済みの反重力粒子を含有する原液を使用。マウスを始めとした、脊椎動物を含む複数種の動物実験を行うと、全ての種に対して神経系の刺激を確認したとの事だ。

 そしてそれらは、末端神経や感覚神経ではなく、全て脳細胞への直接的な接触を目的としている様に体の中を這い回り、体のどの部位から原液を注入しても、脳への最短ルートを進んで脳へ侵入したらしい。そしてこれは興味深い事に、液体として根から植物へと吸入された場合にも、近い反応を観測した。

 植物系神経とは、動物的なそれとは異なり、複雑な機構は存在しない。オジギソウやハエトリグサに見られる葉枕という機関は、それに触れると葉の開閉などの物理的運動反応を示すが、分子レベルではこの反応作用は他の植物が接触に反応する作用と同じ原理だ。しかし先述の通り、脊髄反射的反応により能動的な行動を起こす事は無い。あくまで、自然科学に則って反射的に作用するだけの単純な仕組みだ。

 しかしこの仕組みが、原液により反応を示した。物理的な刺激は一切与えていない環境で、植物は必ず、この植物的神経反応を見せるのである。

 つまり反重力粒子は、動物・植物を問わず神経系に作用する効果がある。そしてそれは動物の場合、記憶野に反応し、夢を見せるのだ。

 何故このような現象が発生するのか。偶然、という言葉で片付ける事は簡単だが、研究者としてそうした奇跡を論証の証明として利用する事は許せなかった様子で、ここから更に、報告書の中で理論を展開させている。真央は冷めたコーヒーを口にして、身を乗り出して報告書を読んだ。

 曰く、人類が反重力粒子をその隕石内部に存在する事を証明出来た事件は記憶しているか、との文でそれは始まっていた。

 今よりもずっと地球に隕石が落下する頻度が少なかった頃。まだ地球資源となるエネルギーが枯渇し切っていなかった頃、大地に衝突しては爆発四散し消滅してしまう隕石により研究が進まずに功を焦っていく過程で、何千人もの犠牲者を出していった。その中で、運悪く小さな隕石の破片が流れ弾の様に当たり、絶命した犠牲者が片手で数える程に存在したのだ。

 人の体に衝突した隕石は砕け散る事無く、人の体の中で形を保ったままに存在していた。

 この奇跡的にも残された隕石の残骸を研究する事で初めて、隕石の特質や反重力粒子の存在、そして後者を利用した新動力やエネルギー開発が急速に発達し、人類は次のステージへ進む事となったのだ。

 報告書ではこの事実を改めて提示した後、今回の実験で判明した反重力粒子の特性について再度言及し、次の仮説を提示している。


『流星群の爆発性が負に働く対象が、反重力粒子を持つ同じ隕石、そして人体であるという既知の事実を踏まえ、前者が地上への衝突行為を最終的な目標としている様子が見受けられる事と同様に、後者もまた何らかの意味を持つが故に爆発反応を示さず、隕石が残骸の形を保ったまま人体に残存し続けるものと仮定される。この場合の隕石という生命体の目的として推論出来る事は、「隕石群は、地球上の生命体の知識・知能を吸収し、学習している可能性が存在する」というものである。隕石の目的が初めからこれであるとした場合、星漁師の技術と制度が確立して以来十四年という長い歳月を経て、初めてのレアケースとして観測された隕石の不信挙動の理由も、大地への衝突により爆発し粒子を人体へ拡散・寄生する事が不可能であった為と筋道を立てる事が可能。隕石衝突に際し、極稀に隕石に衝突して死亡した被災者から集積される人類の情報が最低限蓄積し、人類に対する対抗策を講じ、実行に移すタイミングが、今回のラオ・チェン氏死亡の引き金となった隕石の不信挙動に繋がる可能性が存在する。これを可能にするのが、先に仮説として立てられたESP能力・テレパスによる遠隔意思疎通であり、星間宇宙飛行に必要不可欠となる反重力作用を持つ粒子の性質そのものが、地球と地球に向かい来る隕石群との間を行き交い、情報の伝達を可能とするものと推論するには道理である。しかし一方で生まれる一つの矛盾について研究の必要性がある。それは、人体へのコンタクトを目的とする場合、何故地球の地表に接地し強い衝撃を受けた場合、粒子は爆発性を持ち、跡形も無くなるのか。隕石の形を残したまま、花の蜜が虫をそうする様に人や動物を惹きつけ、粒子を侵入させるのが、種を運ぶ上で効率的ではないのだろうか。これについてはまだ……』


 推論、仮説、推測。

 呆れる程のIFの積み重ねにより導き出される憶測に付き合うのに、門外漢の素人の頭では過酷だった。報告書を一度閉じて、窓の無い殺風景なシェルターの中、真央は椅子に背を預けて深い溜息をつく。

 まだ推論の段階であるこれらは、確証を得る為に更なる検証や実験、サンプル数が必要になる。だが、それを抜きにして説得力のある仮説に思えた。

(一体あの『隕石』は、どれ程の……)

 三月に初めて観測された、流星群の挙動異常が観測されなければ、この研究結果には辿り着けなかった。これが正解にせよ間違いにせよ、三十年の歴史の中で初めて可能性として浮上したこの衝撃には、これまでの研究結果が全て無駄になる潜在性さえも潜んでいる。最悪の場合、これまで培ってきた星漁の定石やセオリーさえも全て覆りかねない。事実、スケール3の流星群が訪れた過去二回に関しては、どちらも大きな失敗を生んでいる。

 次のスケール3案件での失敗は許されない。

 しかし、圧倒的な質量とエネルギーを持つあの隕石が、人類にただ破壊されるだけの襲来に対する抵抗の意思を示し始めているとすれば。

 そしてその対策と効果が、ゆっくりと人類の脅威として襲い掛かってきているとすれば。


 真央の不安はその一時間後、ヨーロッパの数か国の国土に、星漁師達が獲り損ねたスケール3が落下したとの報を受け、現実のものとなった。


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