5 群盲と英雄

 祈が事務所のドアを叩く。計画の打ち合わせのつもりで、チャンと話をする予定だった。だが、返事は無い。朝日の昇っているこの時間帯、チャンが寝過ごすとは珍しい。この非常事態と昨今の多忙具合では、朝方から出掛ける予定も無い筈だが。

 そう思って耳をすませていると、室内からチャンの呻き声が聞こえた。ハッとして、祈はドアを開ける。

「チャンさん!」

 いつも座っているデスクからそう離れていないソファの上で、チャンは眠っていた。その顔は苦悶に歪み、汗を大量にかいている。慌てて彼の体を抱き起こした。彼はスッと目を開き、ここが現実世界である事を徐々に理解すると、大きな溜め息をついて再び、ソファの上で仰向けになった。

 しばらく祈は何も言わず、チャンが何かを話してくれるのを待つ。その間、用意した水を一息に飲み干して、しばし迷った後で口を開いた。

「ここ最近、夢を見るんだ。過去の夢で、明るいものじゃなくてな……」

 ああ、と得心し、祈はそれ以上何も言わなかった。腰を上げて、空になったグラスを流しに持っていく。

 ……チャンの兄は、星崩しの射手だった。

 十何代目かの星崩しの射手は、優秀な成績を納め、当時の歴代で凄腕と評されていたらしい。だが四年前、チャンが取り仕切るこの街で起きた大暴動で、火炎瓶の炎に巻かれて死んだ。

 人波に押されて兄とはぐれてしまったチャンは、半身が炭化してしまった兄の遺体を見つけたという。そう以前に酒の席で話を聞いてから、彼の過去に詳しく踏み込んだ事は無い。しかし祈は、チャンがまだ深い罪の意識を感じ、彼なりのやり方で平和を築き上げようと躍起になっているのを知っている。ともすれば、自分の命を犠牲にしてまでも。

 夢を見る程に思い詰めているのであれば、休んで欲しい。そう思ったが、これからの彼の行動計画を考えれば、精神的に追い詰められるのもやむを得ないのかも知れない。

 だが。

「チャンさん。やっぱり、他の案は……」

「無い。毒の元を断たなければ、この地下街に住む人間は皆、最終的には連中に利用されるだけだ。俺達が組を全力で拒否したところで、連中は報復と共に結局暴動を煽動し、民衆の不満を一気に爆発させる気だ。そうはさせん。絶対に」

 言い切って、しかし少しだけ辛そうに顔を歪める。「……星売り子の皆を危険に晒す事にもなる。本当に、済まない」

 祈は、何も答えなかった。

 計画を実行すれば、チャンは確実に殺される。

 そして祈達星売り子も、何人が生き延びられるか分からない。

 それでも。

 星の為に、そして金の為に暴力で人を支配しようとする人間に、負ける訳にはいかないのだ。

「それで、いつ始めるんです? もう、時間は無いですよ」

「次の星予報が発表された翌日だ。発表のタイミングで、組の奴らは武器を工場に運び込む筈だからな」


       *

 

 鼻緒を切ったのは、やはり低所得者層だった。

 世界一の星の収穫量を誇る日本での不漁と二度目の首都への隕石衝突が世界に与えた打撃は予想を超え、そして欧州諸国への隕石衝突もまた、民衆の危機意識や経済事情への強烈な追い打ちとなった。

 不満の火種は、既に日本の各地で小規模な爆発を繰り返している。エアロバイクを駆る空中機動隊を始めとする各警察機関は、ゲリラ的に発生するデモへの対応に追われるばかりだ。そして群衆やメディアは、社会的に比較的優位に立つそうした公務員へと、無意味な怒りと不満をあてつけ、怒りを鎮めようとしていた。

 実際には、ただお互いに傷つけ合うだけで。

 事実、街を歩いていて突然遭遇したデモと暴徒、そしてそれを押さえ込もうとする機動隊の闘争に出くわした千鶴は、思わずバイクのブレーキペダルを踏み込む。あまりにも、日本というこの国の日常から懸け離れた光景に思えた。或いは昔資料映像で見た、六百年近く前の安保闘争時代の風景がまさにこれだったのだろう。

 誰かを傷つける事で、自分の居場所を作ろうとして。

 一瞬だけ、何故こんな人達まで守らなければならないのだという疑念が、頭をよぎる。だが、星漁師として生きる以上、それに長期的な疑問を持つ事は許されない。何処かで適当に折り合いをつけ、妥協しなければならないのだ。

 おじいちゃんなら、どうしたかな。

 そんな事を考えながらハンドルを切り、予定とは違う道を進む事にした。不本意ではあるが、長時間外で休日を過ごすのはもう止めて、早めに寮に帰ろう。考えて、裏路地市場へと向かう事にした。地下街の近いそこは、怪しげな雰囲気の所為で人が寄りつきにくいが、品揃えは豊富で値段も安いのだ。

 一番近い駐輪場にバイクを停め、ほぼ店の軒先に出ている露天商に近い店のあちこちを寄り道する。普通の生活を営なもうと精一杯な市民が多いのか、表通りに比べて和気藹々としている印象を受けた。それでも、何処かピリピリとした空気をしている人は居るが、無理からぬ事だ。陳列されている品物が全体的に少なくなっているのは、暴動や窃盗が起きる事を危惧しているのだろうか。

 と、そんな中で意外な顔を見付けた。

「船長?」

「お、おお」

 ローランドだった。千鶴同様、彼女の姿に面喰った様で、野菜の売店前で千鶴に顔を向け、目を丸くしている。浅黒い肌に大柄な体躯が似合っていた仕事着のイメージとはかけ離れた、そこら辺の道を散歩しているおじさんそのものにしか見えない普段着の彼が、かごとしらたきを手にしている姿が、どうにも可愛らしく思えて仕方が無く、つい笑ってしまった。

 なんだよ、としかめっ面をするローランドに威厳は無く、千鶴は謝るも、誠意の無い謝り方になってしまう。どうでもいい、という風に嘆息し、ローランドは人参を買い、袋に入れた。

 せっかくだからと、千鶴は少し彼と話をする事にした。夕飯の献立の事、休日の過ごし方についての事、趣味についての事など、今まで知らなかったローランドの事を、何故か知りたくなった。

 仕事の話は、したくなかった。

 ローランドの顔色を見れば、彼が根詰めているのは、すぐに分かる事だ。それが、船団をまとめるリーダーとしての覚悟と努力の表れに相違無いのだ。彼も、仕事の上司としては珍しく、仕事の話はまるで口にしようとしなかった。

 どうやって来たんですかと訊くと、電車だと答えた。じゃあ、と千鶴は提案する。

「私エアロで来たので、後ろ、乗っていきませんか?」

「二人乗りは……」

「まあ、固い事はいいじゃないですか」

 自分でも何故、上司に対してこんなにも強引な態度を取ってしまうのか、不思議だった。しかし直感的に、彼と関わり、何かを話さなければならない。そんな予感がしたのだ。こんな感覚になるのは、千鶴の生涯で初めての事だった。



「エアロバイクには乗っていたのか?」

「ええ。大学時代」

 祈の違法改造バイクを乗り回していたとは、流石に言えなかった。

 往路よりも遅い速度で、街中を走る。背の高い女が運転するバイクの後部座席で、その女にしがみつく大柄な体躯の男という構図は、傍目から見れば奇異な光景に映るかも知れないが、千鶴にとっては特に気にする話でもなかった。ローランドがどう考えるかは分からないが、彼も頑なに拒否するという事もせず、黙って後部座席に座ったのだ。

「大学はどうだった?」

「楽しかったですよ。腕の事故で一年休学しましたけど」

 友達の多くとは疎遠になってしまったが、その分、星漁師の資格取得の勉強に時間と集中力を費やす事が出来たので、千鶴とっては僥倖だった。事実、将来の目標や夢を決められないモラトリアムに囚われる学生が多い中、自分で進路を決定出来たのは正に天啓にも等しいと思った程である。

 だが千鶴の答えに、ローランドは「そうか」と沈んだ声で応じた。少し気まずくなり、さして気にも留めないふりをして、質問をする。

「船長って学生時代、どんな人だったんですか? なんか、想像出来ないです」

 どうという事の無い笑い話にするつもりだった。しかし、彼は粛々と答える。

「俺は、大学には行ってない」

 寝耳に水だった。今の星漁師の国家資格は、大学卒業が最低条件だ。ローランドは、疑問に答える様に続ける。「俺や今の船長の殆どは、星漁師の組織とシステムが立ち上げられて初めてその任務を任せられた連中でな。まだ明確な採用基準なんて無かった。それよりも、とにかく星漁師なる存在を掻き集めて形にさせなきゃならなかったから、現役の、本来の意味での漁師から特に優秀な連中だけを全国から呼び集めたんだ。第一期から第三期くらいまでの連中は、大学に行ってない連中もちらほら居る」

「済みません、知りませんでした」

 謝ると、しかし今度はローランドが笑う。

「謝る必要なんてあるか。必ずしも、大学に行ったかどうかとか、どの大学に行ったかとかでそいつの人生が全て決まる訳じゃない。社会に出ない内はそれだけが社会の全てだと盲信しがちだが……その程度で人生が決定される程、この世の中も人間も、やわじゃない。基本的に、皆チャンスだけは平等にある筈なんだ」

 何かを思い出す様にそう語るローランドの言葉が気になって、千鶴は交差点でバイクを停止させる。宙に浮いてふわふわと揺れるバイクが落ち着かない。そして我慢出来ず、彼女は前を向いたまま背後のローランドに訊いた。

「でも私の事は、船から下ろそうとしていますよね」

 ローランドは答えない。曇天の空の下、バイクのエンジン音だけが響いている。そんな重苦しい音の中でも、ようやく口を開いたローランドの言葉は通る様に聞こえた。

「俺は大学出だとかなんだかに執着というか、コンプレックスは無いんだが、それでも娘には行って欲しくてな。無理に勉強をさせる事はしなかったが、やっぱり勉強は頑張って欲しかった」

 話の意図が掴めず、千鶴は首を傾げる。だが口を挟む事はせずに、ただローランドの話に耳を傾けた。「娘が中学生の時、星漁師になりたいと言い出した。それまで、俺が自分の仕事の事をよく話して自慢みたいな事していた所為なんだがな。悩んだよ。脅すつもりで、凄く勉強していい大学に行かなきゃ駄目なんだぞって言ったら、高校でどんどん成績を伸ばしてな。焦ったもんさ」

「娘さんは、結局何処へ?」

「死んだ」

 一度、そこで会話が止まった。信号が青に変わったので、やはり千鶴は黙ったまま、ゆっくりとバイクをスタートさせた。背を向けている為、ローランドの表情が分からない。扁平な声音のまま、彼は続ける。「八年前だな。買い物帰りに、星売り子が違法改造したエアロバイクが走行中に故障して、落下した時、当たりそうになった子供を庇って巻き添えを食らった。……もし俺が、薄っぺらい正義感たっぷりに自分の仕事を自慢していなければ、あいつに自己犠牲の精神なんて芽生えなかったんじゃないかと、今も後悔してる」

「……子供が死ねば良かったんですか」

 自分でも意地悪な、きつい言い方だと思った。だが、疑問は口をついて出る。ローランドはしかし、気分を害した様子は無く、ただ少しだけ間を置いた後に答えた。

「子供の死を願う訳では決してないが、そうなるな。しかし、そうした後悔や無念の元凶は、やっぱり俺なんだよ」

 そんな事は無い、と言おうとするが、ローランドはさして間を開けずに続けた。「最近不思議な事に、娘の夢をよく見るんだ」

 その言葉を聞き、千鶴はギクリとした。彼もまた、自分と同じ様に過去の夢を見て、そしてその光景に心を痛め、苦しんでいるのか、と。

 旧東京を抜け、建物が殆ど無くなる。千鶴はアクセルを踏み、スピードを上げた。車体の振動が、向かい風が、自分の体の中で渦巻く靄を振り払ってくれる事を願う様に。ローランドは続ける。

「年頃的に、どうしてもお前が娘に見えて仕方無くてな。……俺の勝手な自己満足だ。そしてそれが正しい事だと思い込もうとして、自分を正当化しようとして、お前を船に乗せたくなかった。星崩しの射手にも、させたくない。だから、なるべく船から遠ざけようとしたが……遠ざければ遠ざける程、お前の星漁師への思いが強くなっていくのを、傍目から見て感じていたよ」

「何故初日、連れて行ってくれたんですか」

「人手不足だったし、娘と背格好の似た女が星漁師だと言って当日目の前に現れたら、面喰らって頭なんて回らなくなるだろう」

 くくく、と笑って、そしてローランドの話はそれきりだった。

 ただ一言、「済まなかった」という言葉だけが、千鶴の背後から聞こえる。だから彼女は、答えた。

「何をされても、私の意思は絶対に変わりませんから、気にしなくても大丈夫ですよ」

「なりたいとか、ならなきゃとか、強い思いがあるからどんな障害でも越えられるってか?」

 少し茶化した、疲れた様な笑い声を交えてローランドは訊いた。それに対して千鶴は、いいえ、と返した。

「私は、なるんです。願望からでも義務感からでもなく、ただそう思っています。それに極論を言ってしまえば、星漁師や星崩しの射手になる事自体は、私の本当の目的じゃありません」

「うん?」

「誰かを、助けられる人になりたいんです。自分がそれを叶えられる最良の手段が、星漁師になる事でした。気付いたら、自然と選んでいたんです。……人が言う夢とか願いって、そうやって実現するものじゃないんですかね。誰かに言われたとか影響されたとかは、ただの引き金でしかなくて。……だからきっと娘さんも、船長の言葉には背中を押されただけだと思いますよ。誰かを守ろう、って動いたのは、絶対に自分で決めた事な筈ですから」

 当たり障りの無い言葉かな、とは思った。しかし、千鶴は思った事を正直に、濁さずに言う。

 星漁師の船長を務めている男が、その姿に似つかわしくないペシミスティックな言葉を口にしているのが、何となく嫌だった、という漠然とした理由も手伝っていた。

 長い間があった。

 ありがとう、という消え入るような声が聞こえたのは、発着場の光が遠くに見え始めた、夕暮れの事だった。


 そしてそれは、スケール3が四つ連なる一大流星群が日本へ近付いている事が告げられる、一時間前の事でもあった。


       *


 星予報から一日半が経過した、朝方。

 そしてそれは、警察が星燃料の違法培養工場に突入し、格納されていたありったけの武器を見付け、現場検証を始めて二時間が経過した時間でもある。

「他の工場は?」

「設備の基礎部分を全て壊しましたし、場所も全部警察に教えてあります。隠し貯蔵室の場所も、ロックの解除番号も全て教えてあるので、罠で被害が出る事は無い筈です」

 大型トランクに何十台と詰め込んだ、星売り子が燃料を売る為に持ち歩く携帯式燃料缶を、並んでいる星売り子達へ次々に渡しながら、祈はチャンに返事をする。チャンは、溢れる汗を拭うのも忘れ、ゴムポンプで燃料缶に培養液燃料を移していた。

 やり忘れた事は無いだろうか、と祈は何度も頭の中で自分の行った事を反芻する。武器の保管されている全ての工場にはメモと共に目立つ所へ、メモリーガジェットを置いてきた。もし万が一警察隊が、祈達下っ端では外せない工場の罠に掛かってしまったとしても、必ずどれか一つは必ず警察の手に渡るようにした。メモリーには、星売り子と暴力団の繋がりを示す帳簿や取引記録、仕入れルート、判明している範囲での全国の組事務所の場所と犯罪記録をあるだけ保存している。

 星売り子の名簿だけは入れていない。それは、最後の仕事だ。そしてそれは、古いインフラを使っているチャンの事務所の、彼のパソコンからしか送信出来ない。送信内容は、工場に残したメモ書きを警察が目にし、応じるかどうかで決まる。

 星売り子の指名とサイン、個人番号が記載された一覧表。

 組を裏切った星売り子が逃げ切り、今後の安全が保障される事は無い。チャンの居るこの事務所に押し入り、彼を殺し、そうしてから逃げ出した売り子を追い、順番に殺していく筈だ。情報を提供した代わりに、警察にはリストに載っている星売り子を保護してもらう。それが、メモに書いた要求……否、嘆願の内容だった。

 組の構成員が来る前に、各工場から集められるだけ集めた燃料を缶に分け、星売り子達に持たせて出来るだけ逃げるしか、今は方法が無い。しかし保護の了承さえしてもらえれば、星売り子達の逃亡生活は終わる。

 逃げられないかも知れない。保護などされず、逮捕されるかも知れない。刑務所の中に入れられれば、殺されるかも知れない。

 それでも、生きる希望が何処かにあるならば。

 すがるしかなかった。

 だから星売り子は皆了承し、自分のリストを送信するようにとチャンに伝えたのである。こんな危機に瀕した状況下に置かざるを得ない現状にある祈達に向かって、チャンは何度も「済まない」と口にしていた。だが誰も、彼を責めなかった。

 彼が起こした行動は全て、地下街の市民を守る為、彼らの生活を少しでも豊かに出来るようにという動機から生まれている。そして、今回の警察へのリークをした事で一番先に命の危険に晒されるのは、他ならぬ彼自身なのだ。それでも彼は決して逃げず、組の構成員に燃料を奪われる前に星売り子達に分配して持たせる指揮を、率先して取っている。

「チャン。俺達は自分で決めてここに居るんです。謝らんで下さい」

 男の一人が、堪え切れずに言った。皆、それに同意した。

 ありがとう。そう答えるチャンの顔は、しかしまだ暗い。

 だから、特別な何かを彼に向かって言わなければならないような気がして。

 祈は、静かに言った。

「お兄さんも、誇りに思ってる筈です」

 静かに、しかし確かな確信を持った言い方。チャンは手を止めず、その背中から彼がどんな感情を抱いているか、計り知る事は出来なかった。

 どうか、救われて欲しい。どうか、祝福されて欲しい。

 警察や法律がどう彼を定義しようとも、彼は下層市民達の英雄なのだから。


 パン


 何かが大きく弾ける音がした。同時に、悲鳴が響く。ハッとして 、皆が顔を上げて窓を見る。その向こう、階下で尚も悲鳴は続いたが、続く発砲音二回が終わると、沈黙が訪れた。

 銃声だ。来たんだ。……皆が悟る。

「運べるのはこれでもう全部だ。今残ってる奴は、地下のマンホールから逃げろ」

 チャンが顔面蒼白になりながら指示を出す。だが皆、すぐには動けなかった。誰もが、チャンの顔を後ろ髪引かれる様に見ている。「早く行け!」

 怒号。星売り子達は、たすき掛けにした燃料缶を抱えて必死に階下へと逃げていく。祈も行かなければならない。だが……

 チャンは、ここに残るつもりだ。

「チャンさん」

「お前もさっさと行け。メールは俺が送る。あとは、送られてきたメールアドレスをコピペして、ボタンを押すだけだから」

「逃げましょう。ここで死んでいい人じゃない!」

「いいや、死ななきゃならん。お前らと違って、あいつらと一緒に人を殺した事もある。お前らの様には生きられないし、逃げても連中は、俺だけは決して逃さない。だから……」

 続く言葉は無かった。一階の扉を思い切り蹴る音がする。確か連中に、千鶴の両腕の様に両脚を高出力の義足にしている奴が居た。あいつが蹴っているのだとすれば、アジトの扉も長くはもたない。

「行け。生きろ。こんな世界でも」

「チャンさん、でも」

「生きろ!」

 有無を言わさない怒声。祈も、もう何も言わなかった。ぎり、と歯を噛み締め、踵を返して部屋を飛び出す。階段を駆け下り、地下階へと一直線に向かう。涙を流しながら。

 この街の誰かの命綱となり得る燃料を抱えて、祈はマンホールまで走る。一人だけ待機している男が、早く早く、と祈を急かし、マンホールの中へ押し込んだ。

 祈が下水の通路に降り立ったのとほぼ同時に、マンホール内部に入った男が頭上の蓋を閉める音がした。

「何人に渡せた?」

 男が訊く。祈は涙を拭って答えた。

「ざっと、六十人くらい。皆は固まって逃げた?」

「いや、もうこの段階で、四方に逃げた。適当な出口を見付けて散り散りになる。どうにかして、警察署まで逃げ込む必要があるが」

「でも、デモが起きる。武器が手に入らなかったから連中、もう煽動を始めて、あるだけの数で蜂起させる筈だよ」

 チャンの言葉によれば、旧東京での武力暴動を真っ先に立ち上げて被害を拡大し、他府県からの要請や混乱を引き起こしている間に、順次大阪を始めとして一斉蜂起を始めるとの事だった。大阪の星売り子達とも連絡を取り合っていたので、主要な隠し工場や武器庫の場所は把握していたので、それも警察にリーク済みなのだが……

「上手く行ってるかな」

「信じるしかねえさ」

「チャンさんも、逃げられれば……」

「そんな柄じゃねえだろう、あの人は」

 言われて、そうだね、と答えるしかなかった。

 全て自分が責任を負い、矢面に立って誰かを庇う様な人だ。誰かを守る為に、率先して罪を犯した。矛盾の塊だったのかも知れないが、それでも、貧困に喘ぐ地下街の貧民や身寄りの無い祈達星売り子にとって、親にも近い存在だった。

 そして今、全て自分に責任があると主張する事で、残された星売り子を守ろうとしている。自分が悪いのだと繰り返し伝える事で、祈達が罪の意識を感じない様に。遠慮無く自分に過去の罪をなすりつけられる様に。そうして過去を全て振り切って、逃げ続け、今度こそ穢れの無い世界へと突っ走っていける様に。

 ……その考えは結局、全員に見透かされていたけれど。

 そんな不器用な彼だったからこそ、最後の最後まで、皆は付いていった。

 ドン

 重い、大きな爆発音が下水道を揺らす。祈は足を止め、歯を食いしばった。

 組のヒットマンが、チャンの居る部屋に突入したのだろう。彼らが突入した瞬間にチャンが射殺されたか、ある程度の猶予があったのかは分からない。だが、彼が部屋に仕掛けた手製の爆弾を全て、運び切れなかった培養液燃料と共に爆発したのは確実で。

 少しだけ迷って、祈は薄暗い下水道を、懐中電灯の明かりを頼りに走る。

『生きろ』

 彼の最後の一言は、いつまでも祈の耳にこびりついて離れなかった。


       *


 旧東京の各地で暴動が起き、怪我人と死者の数が報告される。星漁師には全漁師に対して外出禁止令が出され、寮内で待機を命じられた。ニュース映像で流れる暴徒や機動隊の様子が繰り返し映され、多くの漁師が言葉少なにそれを見守っている。進藤もその一人だった。

 千鶴は、皆が集まるこの食堂ホールに顔を見せていない。映像を見たくないと一言、顔色を悪くして自室に戻ってしまった。誰も、それを止めなかった。

 そんなテレビの映像が切られたのは突然の事だった。皆が口々に何だよ、と文句を言うが、そんな進藤達を、食堂に入ってきていた、テレビのリモコンを手にしたローランドが一括した。

「今度の星漁のミーティングをする。居ない奴も連れて第一会議ホールへ二分以内に来い」



 もうこれ以上の犠牲を出せないと判断したのだろう。ローランドは船団の皆を集めて、ホールにて、これまでに判明している隕石に関する新情報を一通り伝えた。誰もが、信じられないという風な様子であった。当然の事だろう。だが、全ては事実なのだという事は、前回の星漁で嫌と言う程思い知らされた事だろう。

 まだ顔色の悪い千鶴も、口を紡いで黙りこくったまま、何を考えているか分からない表情でじっとローランドを見つめている。彼は続けた。

「研究所は既に、ESP研究所と連携し、倉庫内で観測された素粒子信号のログから、隕石の会話パターンを研究している。そのシグナルの発信方法によれば、素粒子を含有した隕石の本体……液体は、無線通信よりやや速い反応速度で情報をAからBへと送信出来る様だ。記数法は十六進法に近いパターンで、言語解読を急いでいるが、次の星漁に間に合う事は無いだろう。問題は、複雑で多量の情報をほぼラグ無しで他の個体同士で全ての情報を伝える事が出来る、その能力だ。ここまでで質問は?」

「隕石は流星群としてしか飛んできませんが、連中は遠く無い距離でも意思疎通を常に取らなければならないんですか」

 一人の漁師が質問した。ローランドは答える。

「この場合、流星のリアルタイムの思考は別にして、意思疎通そのものは脅威じゃない。星漁の間は。この高速通信……テレパシーの恐ろしいところは、地球で情報を収集した連中が、地球に飛来してきている隕石群へ情報を共有し、次の衝突に際しその情報を生かす事にある。地球を目指して落下しているだけのただの隕石なら、落としてしまえばそれで終わりだ。だがこいつらは、星内部にある液体を蒸発させ、完全に死滅させないと、それまでに収集した地球や人類に関する情報を、全て後続の仲間達に共有させてしまう。そして、データ送信のタイミングは任意である事から、理論上転送そのものを妨害・阻止する事は不可能だ。……ここ数回のスケール3が急速に、我々星漁師に対する対抗策を練り始め、抵抗しているのは、こうした背景がある為と考えられる。もう、従来のエンボイ単騎によるスケール3の星漁を成功させるのは、ほぼ不可能と言えるだろう。……だから、対策する。連中が大気圏に突入するまで、あと二十八時間しかない。それから二十四分後にはここ、旧東京へ星が落ちる。何としても、防がなければならない」

 一通り概要が発表されると、一同から深い溜め息が聞こえる。無理もない。

 だがこの国の住民が生き残るには、今、自分達がどれだけ対策を立て、実行出来るか。それに全てが掛かっている。

 進藤と千鶴も、グループの会議に参加しようとした。だが、進藤はローランドにそれを止められ、別室に来るように言われる。

 部屋を離れてローランドと二人になると、彼は言った。

「星崩しの射手として、何か聞く事がありますか」

「おう。……実は、皆に話し合ってもらうのは通常の漁作業についてであって、スケール3への攻略手段は、既に委員会や研究所と協力して、最も現実的かつ現段階で実現可能な方法を考えている。と言うより、それしか方法が無い」

「良かった。手間が省ける」

 少し安堵して軽口を叩くが、ローランドの口調は暗かった。

「だがこの方法には……射手が二人、必要になる。そして、上手く連携のタイミングを取る必要がある。お前に、候補の中から一人、射手を選んで欲しい」

 言われ、進藤は唾を飲み込んだ。

 まだ、ラオが死んでから、そして自分が射手に就任してから二ヶ月も経っていない。それはつまり、候補生達も二ヶ月の訓練しか受けていないという事だ。当然、彼らの中には命の危険に飛び込んでいくかどうかという迷いを、まだ断ち切れない者も居るだろう。

 そんな彼らに今日、死ぬ覚悟をしてくれと言わねばならない。しかもエンボイの操縦に慣れていない彼らは、進藤よりもずっと、隕石の被弾による死亡率が高い筈だ。

 実現の可不可よりも、進藤はその現実に不安を感じ、そして恐怖した。

「どうしても、二人じゃなきゃ駄目ですか」

「どうしてもだ」

 ローランドの声には、揺るぎが無い。

 逃げられない話であるのならば、進藤の答えは決まっていた。最も射手になる事に懸命で、最もエンボイの操縦が上手く、最も生存と成功の可能性を秘めている候補者。

 そして自分が、死ぬ覚悟をしてくれと宣言しなければならない者。

「……それであれば、六条を連れて行かせて下さい」

 揺るぎ無く、答える。

 断られるだろうとは予期していた。進藤は、ローランドの過去を知っている。今度千鶴が命を落とせば、きっと彼は星漁師を引退する。それ程のショックを受ける。それでも、やはり進藤は六条以外に有り得ないと考えた。

 だが、ローランドの反応は予期せぬものだった。そうか、と答えて、「お前に任せる」と静かに答えたのだ。猛反発を予想していた進藤は面食らい、逆に聞き返してしまう。

「いいんですか?」

 対してローランドは、どういう意味だよ、と苦笑した後に答える。

「昨日な、あいつに言われたんだよ。娘の事を話したら、運命とその選択の話をされた」

 急に概念的な話を持ち出すローランドに戸惑ったが、進藤は黙って聞く。

「娘が死んだのは、俺の所為じゃないってさ。励まされたのさ。生きてたらあれぐらいの歳になってるだろう女に。……この俺がさ。……何だか、嬉しくってさあ……」

 言いながら顔を下げ、ローランドは肩を震わせた。「別に、娘本人に言われた訳じゃねえし、本当に娘がそう思ってるかどうかなんて誰にも分かる訳ねえのにさ。……嬉しくってさあ……自分もそうだって、星漁師になって生きる事は自分の選択だって断言しやがるからさあ。蔑ろになんて、出来る訳ねえだろ……」

 ローランドが、娘が死んでからずっと苦しんでいた事を、進藤はよく知っていた。

 だからこそ、妻とも離れ、孤独に自分の殻に閉じこもり、一人で生きようとしていた男は、今ようやく過去の重圧と束縛から解放されたのだと悟る。

「船長。あいつを連れてきますので、作戦を教えて下さい。準備が必要なら、全力で間に合わせます。二人で」



 緊張の面持ちの千鶴と、打ち合わせと一通りの訓練を終えた。星が降るまで、残された時間は十二時間。進藤は自室に戻り、十分な睡眠を取る事にする。

 快適な睡眠。十分な体力回復。

 全ては、星漁の為。誰かの為に。

 だから、進藤は理香に電話をした。まだ昼まで、本来なら彼女も仕事の時間だろうが、ここに星が落ちてくるという事もあって、旧東京にある大体の企業は臨時休業に入った事だろう。繋がる筈だ。

 かくして、理香は電話に数コールで出た。

『翼?』

「うん。俺」

 お互いに、声は沈んでいた。

 しかしそれに敢えて触れず、二人はいつも通りの何気無い話をする。

 進藤はその間、どうやってプロポーズの言葉を切り出そうか、霞掛かった頭の中でぼんやりと考え続けていた。


       *


 マンホールの蓋をそっと押し上げて外を覗くと、慌ただしく右往左往する幾十組もの足が見えた。地下街の何処か、恐らく事務所から百メートル以上は離れた場所だと思ったが、ジグザグに地下道を逃げた所為で、正しい距離と方角がまだ掴めなかった。外に飛び出せば、ほぼ位置を把握出来るのだが。

 しかし、すぐ傍に組の構成員が居ないとも限らない。考えれば考える程、祈の足は強張り、動かなくなってしまう。

 最後の星売り子と別れてから、数分が経過した頃だった。地下街に警察署や派出所の類は無く、一度地上に出なければならない。果たして、出入口を組が見張っていないと言い切れるだろうか。

 悩んでいても仕方が無かった。震える自分の足を叩き、祈は蓋を押し上げ、体を外に出す。そうしてよく周囲を観察すれば、それほど声高にデモだ革命だ、と叫んでいる者は居ない事に気付く。理由を考え、すぐに思い至った。

 チャンだ。彼が警察に武装蜂起の計画についてリークし、警察を地下街のそこかしこに配置させているが故に、彼らは騒げない。つまり、今までよりも一時的にではあるが、治安が保たれているという事だ。

 これならば、もしかして。

 ……だが、そんな希望はすぐに打ち砕かれた。

 事務所前から聞こえた、乾いた破裂音が一つ、また一つ。銃声だ。街を歩く何人かは咄嗟に姿勢を低くしたり、物陰に隠れたりをして身を守る。だが、多くの通行人は、地下街にこだましたその破裂音の正体に気付けず、不思議そうに周囲を見回すだけだった。

 祈は顔から血の気が引き、たすき掛けにして抱えた燃料缶を抱き締め、慌てて逃げ道を探す。

 スラムの中であれば、逃げ切れるかも知れない。だが、この街を取り仕切る暴力団にこのスラム出身の者が居ないとは断言出来ない。動きを読まれれば、負けるのは祈の方だった。人ごみに紛れ、目立つ燃料缶をなんとか体に密着させ、地上階段を目指して道を進もうとした。

 怪しげな動きをして何かを探す男達が見えたら、すぐに道を曲がり、急いで小道を抜けた。大回りをし、常に誰かの視線がある場所へと逃げ続ける。ときおり聞こえる銃声と、誰かの断末魔らしい短い悲鳴が、常に祈に恐怖を突き付けた。

 それから一時間も彷徨っただろうか。それでも、地上出口の近くまで来ると、何処かに組の構成員らしい男達の姿が見え隠れしていて、通路を使う事が出来なかった。完全に包囲をしている様子だった。

 しかも、街をうろつく組員の姿は増えている。何人かは、祈が渡した筈の燃料缶を幾つも持っている姿を確認した。これ程までに彷徨い続けているにも関わらず、警官隊の姿は中々見付からない。見付かってもあまりにも少人数で、祈を守れそうな頼もしさが無かった。

 自分に迫る、死という恐怖。祈の背筋を氷が滑り落ちる様な、寒々しい恐怖。

 そんな数々の恐怖に霞んだ頭が、ようやく一つの筋道を見付ける。

 そうだ、倉庫に行けばいい。現場検証をする警察が、一帯を封鎖している筈だ。そこに保護してもらう以外、道は無い。考え、祈は現在地から最も近い隠し工場の場所を思い出す。走れば数分の距離だ。だがしかし、と思い直す。

 そこは事務所からそう遠くない。それよりも、少し時間は要するが、事務所から最も離れた場所の工場ならば、一番危険は少ない筈だ。構成員達は恐らく最初、事務所に集まってチャンに報復しようとしたのだから。

 祈は向きを変え、再び小走りで道を進む。僅かに見えた希望に、目に涙を滲ませながら縋ろうと。

 だが、祈は失念していた。

 街の中心に程近いチャンの事務所から最も離れた工場という事は、人も少なくなっているという事。相次ぐ銃声に、現場検証に立ち会っている警官は数が少ないという事。そして組の人間は、決して標的を逃がそうとしない事を。

 角を曲がって飛び出した倉庫前には、警官が二人倒れていた。その他、鑑識を含めた調査班らしい服装の男達が、血を流して倒れている。

 そんな中で、黒い背広のいかつい男達だけが立ち、工場の中や警察車両の中を急いで荒らし、何かを探していた様子だった。男達は飛び出した祈の足音に反応して一斉に振り返り、祈を注視する。

 しまった。そんな後悔を抱いてすぐに踵を返し、来た道を引き返す。同時に、男達の怒鳴り声が聞こえた。大通りに続く小道を全部塞げ、という声もする。どうやって逃げればいいだろう。どうすれば殺されずに済むだろう。

 何にせよ今は、逃げなければならない。

 銃声が聞こえる。近くを弾丸が跳ねた。急いで道を折れ、逃げる。大通りへの道が見えたと思えば別の男達が姿を見せるので、やはり路地に逃げ込むしかなかった。

 誘導されていると気付いた頃には、遅かった。

 スラムの裏、小路の更に裏小路の入り組んだ道に追い込まれ、人の喧騒も遠くに消えた所で、祈は行き止まりに追い込まれた。

 もう、終わりだ。絶望し、その場で膝をついた。肩で息をしてうなだれる祈に、幾人もの人影が近付く。無抵抗の祈を見て銃を仕舞う男達が、視界の隅に映る。ガクガクと震える体を自分の腕で抑え込もうとするが、叶わない。

「寄越せ」

 男が一人近付き、祈の抱えていた燃料缶の肩掛け紐に手を伸ばし、掴み取ろうとする。死の恐怖に怯えながら、祈はそれに必死にしがみついた。「寄越せってんだろうが!」

 怒鳴られ、何度も殴られ、蹴られた。それでも、燃料缶を離す事だけは出来なくて。

 頭を掴まれ、壁に何度も叩き付けられて、意識が飛びそうになったところで、別の男が「やめろ」と声を掛けた。

「涙ぐましいなあ。何故か知らねえけど、出会った星売り子共、皆が皆、そうやって抵抗するんだよ。訳分からんけどなぁ。本当、感心するわ」

 言いながら、火の付いた煙草を祈の手の甲に押し付けた。激痛が走るが、それでも祈は手を離さず、俯いたまま抵抗する。男は続けた。「そうやって抵抗するの、丁度お前で十人目だからよ。ご褒美に、その燃料缶だけは見逃してやるわ」

「兄貴」

「黙ってろ。……代わりにな。片手、出せ」

 何をする気だろう。何をされるのだろう。未知の恐怖は、急激に祈の体を蝕んでいく。失禁しそうになるのをかろうじて堪え、震える右手をゆっくりと差し出した。燃料缶を、貧民達を救う希望のそれを守る為なら、指くらいは差し出す覚悟だったが……

 男は懐から出した、握り拳よりも一回り小さなそれを、そっと祈に握らせる。祈が、握った事の無い形と感触だった。恐る恐る、手を開く。

 手榴弾だった。

 血の気が一層引いて顔が真っ青になる祈を見てケタケタと笑いながら、男は宣告する。

「ピンを抜いて、ちゃんと手の中で爆発させられたら、燃料もお前も見逃してやる。落としたり、俺達に投げ返そうとしたら、その瞬間にお前を撃ち殺すし、燃料も持っていく。単純な話だろう? 火薬は多めにしてあるから、気を付けろよ……」

 口を塞がれてもいないのに、強く噛み締めた歯を開く事が出来ず、悲鳴に近い呻き声を漏らす事しか出来ない。下卑た笑い顔をした男は強く祈に爆弾を握らせたまま、安全ピンを抜き、レバーも外す。「絶対に離すなよ」

 言いながら、男達は祈から距離を取り、拳銃を構えた。涙と涎で汚れた祈の顔と混乱した頭は、それでも腕を最大まで伸ばし、体と顔、そして抱えた燃料缶から遠ざける。それでも、あまりに爆弾の距離は近い様にしか感じられなくて。

 チャンの顔、千鶴の顔、そして星売り子の友人達の顔が何度も何度も瞼の裏に現れ、遠い日の過去の記憶までもが一瞬の内に再生されたその刹那。

 手榴弾の爆発は、祈の右手を跡形も無く吹き飛ばし、肩口まで腕の肉と骨を裂き、右耳の鼓膜を破った。

 破片が脇腹に刺さり、顔を傷付ける。祈は、爆発に負けない程の絶叫を口から放った。

 絶叫。号泣。それでも痛みは消えず、瞬く間に血は流れていった。絶叫する祈の耳にも、男達の声は僅かに届く。

「あはは、飛んだ飛んだ。ああ、面白かった」

「あれ、本当に見逃すんスか? 俺、奪ってきますけど」

「見物料にくれてやるわ。武器も資金もジリ貧の今の状況じゃ、燃料を幾つか回収したところで組の立て直しなんてもう無理だわな。黙っててやるからお前らも、どっかに飛ぶ準備した方がいいぞ。……武器を仕入れたルート、まだ残ってるだろ。奪った燃料パクって、トンズラするのが得策だわ」

 全ては、遠のくばかりの声。誰も、祈を救わない言葉達。

 やがて声も枯れ、流れ出る自分の血液を見て気丈に保っていた意識も薄れかける。祈は冷たい地面に横になり、薄暗い、彼方に見える大通りの細い明かりを網膜に焼き付ける事にした。どんどんと体は冷たくなり、恐怖からではない震えが始まった。

 最期に、ベイプを一服したいと思った。親友の送ってくれた、安物のベイプ。しかし、祈にとって何よりも大切な宝物。けれど、その宝物に伸ばせる手はもう無くて。

 千鶴ともう一度、馬鹿話をして笑いたかったな。

 願う。祈る。自分の名前が表す様に。

 ……その祈りが通じたのかは、分からない。

 それでも、目の前のマンホールの蓋が開き、星売り子が二人、慌てて飛び出して祈の手当を始めた時。

 生きたい。

 ゴミ溜めの街で、先の見えない一日を生き続けてきた祈は、確かに強く、そう願った。


       *

 流星群衝突、一時間と少し前。

 重力操作により、空船の船団は一気に空の遥か高みへと撃ち出される。もうこれで、何度目の出撃になるだろう。千鶴は考えたが、恐らく実際に何回出撃したとしても、星崩しの射手だけが装着を許されるこのフルフェイスヘルメットを身に付けたのは、星漁師になってからの時間としては自分が最短記録だろうという自負はあった。

 だが、星の大気圏侵入地点へと急行する船の上で、千鶴はまだ疑問に思っていた。

 興奮し、混乱する頭を整理する為に深呼吸を繰り返す。自分の体の中心を一本の芯が貫き、自分を支えている感覚を夢想しながら。

 やがて、自分の鼓動が落ち着き。呼吸も整う。しかしそれでも、先日から感じ続けている自分の体への違和感は払拭出来ないままだ。何度も、もしかしたら自分の義手に不具合が生じているのではないか、という疑念がよぎったが、技師に確認してもらっても何の異常も見られないと言う答えは相変わらずだ。

 腑に落ちないまま千鶴は意識を仕事へと向け直す。頭を強く振って、同じ様に隣で佇み、真っ直ぐに前を睨み続ける進藤に訊いた。

「どうして、次期候補に私を?」

 すると「意外だな」とマスク越しに口の端を釣り上げて笑いながら、進藤は答える。

「自分なら選ばれて当然だと思うタイプかと思っていた」

「自信はありましたけど、実際に選ばれるかどうかは別問題だって事が分からない程、若くないので」

 言うと、可愛くねえな、とやはり笑って、改めて答えた。

「理由自体は当然の事さ。候補者の中で、現段階じゃ一番向いていた。それ以上の理由など無い。寧ろお前が訊きたいのは、何故新人であり女である自分は差別されず、実力がちゃんと評価されたのか、じゃないか」

 そうなのかも知れない。自分で質問をしていて、その意図が理解出来ていなかったが、言われればそんな疑問を抱いて先の質問をした様にも考えられた。進藤は続ける。

「この船の上じゃ、誰もが平等だ。国家資格とは言ってるが、日本国籍さえ持っていて試験で十分な成績を収めれば、誰でも星漁師としての参加権を得る。肌の色や流れる血、種族や性別など、そんなつまらない他人からの決めつけで自分の評価が決まる事なんて無い。お前はただ、純粋に星漁師の中から、星崩しの射手として一番の適性があった。本当に、それ以外の理由は無いんだ」

 純粋に、自分自身という等身大が評価される。それが、この船での生き方。星漁師としての人生。

 千鶴のポリシーに、とても合致した生き様だった。

 満足のいく答え。自分自身に誇りを持てる答え。

 それらを得ても、神経を介してリンクしている精神と肉体の連動に齟齬が生じている様な、そんな違和感は続いたまま。

 空船は、流星群をその視界に捉えた。

 大きい。遠目に見ても分かるスケール3が四つ。内一つは、間違い無く鯨以上の大きさを持っている。こんな巨大なものを相手にしなければならないのか、という恐怖と高揚が同時に襲い掛かってきた。千鶴は森の射出器のグリップを握りながら、視界の夜空を覆い尽くさんばかりの星々を見上げ、体を震わせる。

 空気を引き裂かんばかりの轟音と熱波にも負けず、無線から船長の号令が流れてくる。

『始めろ!』

 雄叫び。怒号。悪態。

 もう絶対に引く事は出来ぬのだという強い意思と強迫観念から、星漁師達は咆哮を上げた。時速百数十キロで飛行する船の上で、しかし確かに大気を震わせ、千鶴の体を揺らす様な。

 血が滾るのを感じた。

 網が飛ぶ。

 銛が飛ぶ。

「二人一組を維持しろ!」

 船長の大声が轟いた。言われるまでもなく、殆どの船員がペアを組み、行動している。一人が星漁師としての仕事をし、もう一人が培養液を塗布した機動隊の使用するジェラルミンの盾を構え、自分達目掛けて飛んでくる小さな隕石群から身を守っている。原始的な対策であるが、これが現状で最も護身に有効な手段だった。

 盾に衝突する度、甲板に衝突する度、流星は爆発を起こし、火花を散らせる。燃料への誘爆や、火花が捕獲した隕石に飛び火しないよう十分に注意しながら、星漁師達は星を捕獲し続ける。

 千鶴が引き金を引く。飛び出した銛は隕石の一つに命中し、先端から裂けた爪がそれを包み込んだ。運動を止めると隕石は落下し、船の縁にぶら下がる。ウィンチを使って、千鶴と進藤は必死にそれを引き上げた。

 二つ目を獲ろうと火薬を装填すると、無線に悲鳴が飛び込んでくる。ハッとして顔を上げると、流星群の中に第四部隊の星工船が、取り囲まれていた。進行方向以外の四方八方から、スケール1と2の大きさの星々が宙を踊り、次々と船体や甲板上に激突を繰り返し、爆発している。

「どうして突っ込んだんです!」

 叫ぶと、隣で第四部隊の様子を見ていたらしい男が叫んだ。

「違う! 近くの星が一斉に四番に向かって飛び始めたんだ!」

『宮迫、離脱しろ!』

 無線からローランドの声が聞こえる。だが四番部隊からの悲鳴と絶叫だけが、マイクから聞こえる。防護服を突き破ったか唯一肌を晒している顔面にぶつかったか、火だるまになって船の上を走り回ってパニックを起こしている漁師の姿が遠目にも見えた。

 と、船の側面の、集中して幾つも星がぶつかっていた或る箇所に亀裂が入る。もう二、三度星がぶつかり爆発すると、見事な穴が空いた。四、五人の人が大気中に放り出され、遥か後方へと猛烈な勢いで落ちていく。

 あっ、と隣で進藤が叫んだ頃にはもう遅く、梱包作業をしていた途中であろう隕石が爆発したようだ。燃料を貯蔵していたタンクも破壊されたのだろう。炎は、一瞬で船を燃やし尽くし、大爆発を起こした。

 動力を失った船は、上空一万五千メートルの風に煽られて、驚く程に呆気無く後方へ、下へ、流されていった。

 畜生。

 誰ともなく叫んだその悪態は、確かに星漁師達の心情を端的に表していた。

 千鶴を含む皆の頭に、かねてよりの懸念が再び顔を出す。政府より公認を貰い、各船に一丁ずつ積んだバルカン砲。遠距離から撃てば、どんな星も砕き、破壊する事が可能だ。だがそれは収穫高が著しく減少する事を意味する。地上の混乱や流星の訪れる頻度を考慮すれば、どうしても躊躇ってしまう。

 何より、バルカン砲を使う事でスケール3を砕き、破壊する事は、人類の精神的な敗北を意味する。今回は凌げるかもしれない。でも、次は。その次は。

 例外を一度でも許せば、徐々に徐々に、その敷居は低くなり、望まぬ混乱を呼ぶ事になる。それが、移民法案の改訂と履行だ。結局は、星売り子の手無くしては成り立たない、脆弱なこの国の基盤と成り果てた。

 大阪半壊の打撃を受けた直後の星漁の放棄は、間違い無く今後のこの国の在り方に問題を与えてしまう。最悪の手段だけは、避けなければならない。

 皆、銛を撃つ。網を放つ。いつも通りの手順。飛び交う隕石の雨の中、千鶴達は次々に小さなそれらを捕獲していった。徐々に増えていく死傷者を出しながら。

 そうして、エンボイでの移動が可能になるまでにようやく星の数を減らした時、進藤が声を掛けた。

「六条、行くぞ」

 はい、と大声で応じ、左舷のエンボイへと走って向かう。漁師が既に床板の下から取り出した星崩しを急いで背負い、千鶴はエンボイに跨りエンジンを掛けた。右舷の進藤も、ほぼ同じタイミングで動いてる。

「幸運を」

 B級映画のワンシーンの様に、星崩しを渡した漁師の男は言った。だから千鶴も、親指を立ててそれに応える。

 船の縁を蹴り、エンボイで空を駆ける。初出動の時に覚えた高揚が、再び千鶴の心に湧き立った。

 駆動鎧の無い星崩しの射手の姿は、どれだけ頼り無く見えるだろう。上昇を続けながら千鶴は思う。庇護も無く、進む事を目的とした、歴代の星崩し射手の中でも飛び抜けて危険の大きな仕事。

 今自分は、正式にその責務を負い、任されている。

 興奮のあまり痺れそうになる体を、呼吸をして落ち着ける。自分の中を通る一本の芯を意識した、彼女なりの呼吸法。今までは、自分が寄り掛かれる大きな芯を軸にしたイメージを膨らませていたが、今は違う。

 自分の体を貫く芯は、自分自身が立ち上がる為のものだ。

 自分ではなく、誰かを支える為に自分を鼓舞する、一本の芯。

 それは、確かに千鶴の心に宿っている。

『左上方に行け、俺は真下から行く!』

「了解!」

 進藤の号令の下に、千鶴は一層エンボイの出力を上げる。移動距離は進藤のそれよりもずっと遠いが、機動性の高さ故、機体は目を見張る速度で星の雨の中を突き進んでいった。

 小さな星々が当たるよりも遠く、本来の射程距離よりもやや離れた距離。それでも、何とか銃弾の軌道を過度に不安定にしない、ギリギリの距離まで飛び、位置に着く。初日の時とは違い、しっかりと星崩しを構え、狙いを定める。一つ目のスケール3は、十トントラック程の大きさをしていた。

 この距離でも、この隕石達は自分の心を読むのだろうか。どのタイミングで自分が引き金を引き、どの軌道で弾が飛んでくるのかを予知し、自分自身の軌道を変えるのか。だがそれでも、理論さえ正しければ星を崩せる筈だ。

『やれ!』

 進藤の無線の声を聞き、千鶴は呼吸を止める。引き金を絞り、轟音が炸裂した。

 引き金を引く瞬間、やはり隕石が大きく動くのが見えた。明らかに千鶴の弾道を見切り、避けている。そして弾は、隕石の重心となる位置から大きく逸れ、上部を僅かに抉るだけにとどまる。

 だが、隕石が大きく動いたその瞬間と同時に、下方にて千鶴同様に銃を構えていた進藤も引き金を引いていた。隕石が、千鶴の撃った弾を避けた瞬間に動く位置へその銃弾を撃ち込めるように。

 そして、彼の射出した弾は、今度こそ隕石の重心を貫いた。

 歓声が船から上がるのが聞こえた。千鶴は、心の中で悟る。

 いける。これなら、今度こそいける。

 ……これが、事前に打ち合わせた作戦。そして打開策だった。

 二人一組の星崩し。

 一人が隕石の重心を狙って射撃すれば、隕石はそれを避ける。その避けた先に移動した隕石を、一瞬だけ撃つタイミングを遅らせたもう一人が、動いた方角へ照準を調整して狙い撃つのだ。一人目がどのタイミングで撃つかは問題ではない。射撃から着弾までの0・0一秒の間隔は絶対に変わらない。撃つ瞬間以前に隕石が移動をしても、第二射手はその動きに合わせて照準を変える事が出来るからだ。だから、隕石が避けた先に向かって瞬時に二人目が射撃する事により、隕石が再度移動する猶予を与えず、確実に仕留める事が可能になる。

 不安に駆られながら撃ち落としていた前回とは違う。今度こそ、確実に全て落としてやる。そんな決意を新たにし、千鶴はエンボイを傾け、次の標的に向かった。



 二つ目を砕く。

 三つ目も、何度か小さな隕石にエンボイを吹き飛ばされそうになるが、何とか砕く。

 問題は、最後の一つだ。余りにも大きいのである。その直径は最長で、目測約十二メートル。資料などで今までに見てきた流星を含め、千鶴が見た中では最大クラスの大きさだった。他の船も進藤も、その大きさ故にどこからどう行くかを攻めあぐねている様子である。恐らく、一撃で星の全てを砕く事は出来ないだろう。最低でも二回、射撃を行う必要がありそうだ。

「合計三回ですかね?」

 星を半分に割る場合、それをそれぞれ更に半分にする必要がある。だが進藤は無線で答えた。

『回数はなるべく減らしたい。三分の一を切り離して適切な大きさにしたら、残りの三分の二を破壊する方がまだ手間が少ない』

「じゃあそれで。でも、上手く行きますかね」

『やるしかねえ』

「了解」

 手短に打ち合わせを終え、千鶴は再びエンボイを上昇させる。

 と、急に周囲を飛ぶ小隕石の動きが激しくなる。ただ飛来したり船上の漁師達に飛んでいく個体は減り、スケール3へのコースを妨害し、千鶴達へとぶつかろうとする隕石が増えた。

 この時、ようやく千鶴は気付いた。ラオが死んだ日の星も、大阪に隕石が落ちた日の星も、スケール3が最後の一つになってから、急にそれを取り巻くスケール1と2の動きが激しくなった。そして、星崩しの射手の行動を妨害する動きをするようになったのだ。

 今まで、それを格段気に留めた事は無かった。だが、三度目も同じ展開となった今回でその事実に思い至り、またその疑問に答えを出す。

 この流星群生命体の本質と呼べる、反重力粒子を含む意思を持った液体。これがラオの脳に侵入し、海馬に侵入していた痕跡があるという事実。そして、空中に飛散するその体液を微量ながらも体内に吸い込んでいる人間達。大気中を漂う粒子に触れる機会が最も多い、星漁師達。そして星崩し射手の動きを読む隕石。

 隕石は、リアルタイムで自分達の脳から記憶を抜き出し、情報を仲間内で共有しているのではないか?

 星漁が始まり、最初のスケール3が壊され、そしてそれが最後の一つになるまでに、星漁師の行う新たな漁の方法を理解する。だからこそ、いつも最後の一つで驚異的な粘りを見せ、抵抗する。故に星崩しの一撃を寸前で避ける事が出来るのも、予知能力故ではない。

 射手の考えを読み取る事で、完全にそのタイミングを把握しているのだ。

 何らかの理由で、今までの十四年間はそのESP能力を発揮出来なかった。何かの切っ掛けがあり、初めてラオが死んだ日、地球人に対してカウンターを向ける事を可能としたのだ。

 だとすれば、今後の星漁は?

 もしも今夜のこの流星群を撃破し、大漁旗を掲げて帰る事が出来たとしても、その次は、この方法を打破する手段を構築した流星群が来るだけではないのだろうか?

 ……いや、この二人一組で行う星崩し射撃が、容易に突破される訳がない。今回も、苦し紛れに星を飛ばしてきているだけだ。千鶴はそう強く思い込み、一度星崩しを背中に担ぐ。両腕でエンボイのハンドルを握り、飛来する小隕石の群れを必死で避けた。

 悩んでも、何も状況は変わらない。轟音を立てて真っ直ぐに落下地点へと突き進んでいくスケール3に、今はただ近付くよう動くしかなかった。だが、道はすぐに阻まれる。

「進めない!」

 叫ぶと、各船が一斉に網を撃ち始め、小さな星を片っ端から掻き集め始めた。漁が始まってからずっと稼働している星網であったが、千鶴と進藤を狙うそれらを全て獲り尽くす事が出来ない。数え切れない流星群は、軌道を、流れを、速度を変え、ひたすらに狙いを定めてくる。

『衝突まであと二分!』

 ローランドの声が聞こえた。同時に、隕石達の空気を切り裂く轟音が、一層大きく、けたたましくなった様に聞こえる。まるで、高らかに笑っているかの如く。

 私達の、苦境に立たされたこの状況を理解して、嘲笑っているとでも言うのか。勝ち誇って見せているというのか。化け物め。

 千鶴は怒り、苦し紛れに銃弾を一発撃つ。スケール3は、元々重心から大きく逸れた弾道をただ一度、くい、と左に小さく曲がるだけで容易にそれを避ける。轟音が、一層大きな音に変わる。弾を無駄にするなという進藤の叱責に返事も出来ず、千鶴は歯を強く喰いしばった。

 次弾を装填し、改めて最適な位置を探す。だが、次々に襲い来る星を躱しながらベストポジションを見付ける事は難しい。気付けば、スケール3からは離れ、初期位置からかなり流された位置にまで追い込まれている。分断を図ったのだろうか。もう三十メートル近く離されてしまった残り時間を考えると、もうこれ以上は悠長にしていられない。千鶴は更に焦ってしまう。

「進藤さん、そっちは大丈夫ですか?」

『ヤバい。距離を取らざるを得ない。そっちと同じだ』

「少なくとも一回は崩さないと、万が一落ちた場合大阪以上の被害になります。とにかく、一撃を」

『チッ。仕方が無い。用意してくれ』

 言われて、あちらへこちらへとエンボイを駆りながら星崩しを構え、何とか照準を定める。途中、スケール1や2に当たった場合、更に弾道が逸れる可能性がある。そんな事を憂慮しなければならない程の距離だった。だが、もう悩んでいる暇が無い。

 千鶴は、合図で引き金を引く。寸前で、弾道にやはり一つの隕石が横割りしてきた。弾は小さなそれを打ち砕き、僅かに弾道を逸らしたまま予想通り、軌道をずらしたスケール3の一部を抉るに過ぎない。

 そしてそれは、進藤の弾道に対しても同じ事だった。

 三分割の為の一射目。敢えて重心を外して撃った筈のそれは、しかし隕石の中心を貫通する。隕石内部で破裂した弾頭は大きな亀裂を隕石に生み出し、それをほぼ均等に分断した。これで、射撃をあと二回、行わなければならなくなった。元の半分の大きさにした程度では、銛で捕獲するにはまだ大き過ぎる。

 千鶴が悪態をつくと同時に、割れた隕石は更に大きな音を立てて唸る。まるで、勝利宣言をするかの様に。

 そして。

『畜生!』

 進藤の、悲鳴に近い悪態が聞こえた。ハッとして、遥か下方やや後ろへ目線を移す。進藤の駆るエンボイが、不自然にふらつく挙動をしていた。進藤は、暴れ馬と化したエンボイをどうにか宥めている風に見える。やや高度を落としてよく観察すれば、彼の乗るエンボイのセンターボードが被弾しているではないか。衝突時の衝撃で手放してしまったのか、彼の腕にも背中にも、星崩しの姿は無い。

「進藤さん!」

 叫ぶが、彼とその近くを飛んでいた第一部隊の漁師達には聞こえていないらしい。ただ落ちそうになる進藤に、多少の隕石が船体にぶつかるのは構わず、急速に接近していく。漁師達は我が身を省みずに縁から手を伸ばし、進藤の体を掴もうとしていた。

 隕石が進藤の乗るエンボイに激突するのと、彼が星漁師の手に掴まり、係留フックを外されるのはほぼ同じタイミングだった。

 進藤のエンボイが炎上を始め、操縦士を失った事でバランスも失い、暴れる様に動き出す。しかしそれも長くは続かず、エンボイは真っ直ぐに雲の中へと落下していき、やがて見えなくなった。

 無線からは、誰の声も聞こえない。皆、唯一の打開策であった『二人一組』での星崩し作戦が失敗した事に、打ちのめされている。

 千鶴もまた、高度一万メートルから見下ろす雲海の下へ、足を引きずられ落ちていく様な、そんな感覚に襲われそうになる。もう、二丁の星崩しによる射撃は出来ない。現状で、これ以外の打開策など……

 いや、とかろうじて気を持ち直し、エンボイのハンドルを握り直した。

 諦めるものか。まだ、私には銃がある。

 星を崩してからの回収猶予時間の限界まで、あと五分。千鶴は上空から、一気にエンボイを降下させた。噴霧している培養エネルギーの重力操作の影響で、急激なマイナスGにも耐えられた。

 突然の急降下を始めた千鶴を見た何人かが騒ぎ、イヤホンの中が突然騒がしくなる。その雑音を全て無視して、千鶴はただ、スケール3ただ一つを目指していた。

(この動きは読めたか?)

 挑発する様に、心の中でそう言葉にする。すると、次々に小さな隕石が軌道を変え、千鶴に向かって飛んできた。だが千鶴は、自分で考えるよりも先に、腕をやたらと動かし、ハンドルの向きを頻繁に変える。思考に追いつかないその反射的な行動は、脳に侵入している液状生命体にさえも予知出来ない動きであり、結果としてその出鱈目さが、彼女の命を紙一重で救っていた。

 一度、小さな隕石が千鶴のヘルメットを直撃した。その時ばかりは本当にコントロールと気を失い掛け、意識が飛びそうになった。だがすぐに気を強く持ち、集中し、体勢を立て直す。ヘルメットは飛び、千鶴の束ねたポニーテールが強風に靡く。

 顔を上げれば、すぐ傍を隕石が轟音を上げて飛んでいる。

「じゃあね」

 言い放ち、千鶴は星崩しを構え、引き金を引く。避ける事さえ出来ない距離で発射された弾丸は星を砕き、隕石はその巨躯が崩れ落ちる音を、大空に響かせた。

 歓声が、轟音と暴風の遠くで聞こえる。しかし、千鶴がその喜びに身を委ねる暇は無かった。まだ、最後の一つが残っている。そう遠い距離ではない。

 近付かなければ。焦り、ボルトハンドルを起こして排莢し、次弾を装填しようとする。

 しかし……

 ガキン

 鈍い音がして、ボルトの動きが止まった。え? と呆気に取られ、手元を見る。

 弾が、もう無かった。貴重な特殊弾頭を持つ銃弾は、もう弾倉に入っていなかったのだ。

 顔面を蒼白にし、急いでハンドルを握り直して流星を避けながら、千鶴は大声でマイクに向かって叫ぶ。

「弾が、切れた! 予備の弾は!」

 希少な銃弾。加工出来ない隕石の欠片から辛うじて取れる、乾坤一擲の弾。

 慌ただしく第一部隊の船の漁師達が、船上で動き回る。三十秒後、暗い声で進藤が連絡をしてきた。

『……無い。もう、一発も無い』

「一発も?」

『無い……』

 あの時。苦し紛れに放った先程の、あの時の弾さえあれば。当たりっこない弾を撃たなければ。

 千鶴の苦悶を読み取ったのか、勝利を確信したのか、あらゆる流星がイレギュラーな動きを止めた。ただ、重力に引かれるがまま、進入角を一定に保ったまま、ただ飛び続ける。空気を切り裂く轟音以外に何も聞こえないのに、千鶴は上から見下され、ゲラゲラと笑われている様な錯覚を覚えた。

 終わったのか。いや、何かある筈だ。

 諦めるものか。決して。祖父は、私を救うを事を諦めなかったではないか。自分の身を犠牲にする事になっても。

 決して彼の死は、蛮勇からではない。

 気質と矜持が、千鶴の死を許さなかった。

 そんな人間になりたいと、彼女は強く願ってきたのだ。

 私が、生きる意味は。

 決まりきったその答えを改めて心の中で噛み締めて、千鶴は勝ち誇った様に進む流星を睨みつける。もう、銃を頼る事は出来ない。ならばもう、この身一つで突撃する以外の方法は無いように思えた。だが、闇雲に飛び込んだところで、エンボイが爆発して共倒れであった。今後の星漁師や星崩しの射手の進む道を考えれば、この状況でも自分は生き延びなければならない。

 この状況から、星を崩し、尚且つ生還する方法。

 自分の義手で全力で殴るのはどうか。いや、仮に壊れたとして、爆発反応が起きる。それに、千鶴の義手で人間以上の力を出力出来るのは握力と膂力だけであり、それが例えば正拳突きの様なエネルギーに直接加算される事は無い。解決策としては非現実的だと思った。

 大前提として、培養エネルギーが塗布されているもの、そして石を破壊出来る程の十分なエネルギーが生まれるものである事が前提となる、新たな星崩し。

「……!」

 一つだけ、見付かった。

 だが恐らく、それを星崩しとして使う事は当然想定されていない。使えば最後、バラバラに砕けるに違い無い。

 それでも生き残る為の、方法。

 千鶴は、その手段と答えを見付けた。

「船長! 船を、今私が居るスケール3のすぐ傍まで寄せて下さい!」

『戻るのか?』

「違います! 詳しくは話せないので、お願いします!」

 多くを語る事は出来ない。閃いた時点で、隕石には千鶴の考えを読まれている可能性がある。だがそれが具体的にイメージ出来る読心術でないならば、まだ勝機はあった。

 千鶴はエンボイを急降下させ、スケール3の直下百メートル程まで距離を取る。小さな隕石群も、そこまでわざわざ離れた千鶴を追ってくる事はしない。

 何をする気だ、と動転する声を無視して、千鶴は深く呼吸をした。自分を貫き、押し上げる、確かな一本の芯が彼女を支える。

 いつも通り。変わらない。

 これからも、ずっと。

 その為にも、絶対に守り抜くのだ。

 息を止めて決意を固め、千鶴はエンボイをウィリーさせ、そのままスロットルを全開にした。一気に速度を加速させ、恐ろしいまでの速さでほぼ垂直にエンボイを上昇させた。機体が悲鳴を上げる。噴霧器から射出される反重力粒子は、一瞬の内に流れ去る。それでもエンボイの急激な上昇を可能にしているのは、防護鎧を身にまとっていない身軽な千鶴だからこそ出来る技だった。

 隕石の悲鳴が聞こえる気がした。幾つかのスケール1や2が、千鶴に向かって飛んでくる。だが、猛スピードで上昇を続ける彼女を正確に追撃出来る星は無く、そして千鶴が上昇を始めたその距離は、星にとって回避行動を取るのに十分なそれではなかった。

 瞬間的に音速を超えて上昇していたエンボイの、そのセンターボード。小隕石の衝突から守る為に反重力粒子の培養液がペイントされている、機体を安定させる長い長いセンターボード。

 ボードは、スケール3の腹に確かに激突し、その勢いのままエネルギーを衝突させ、隕石を砕いた。

 爆発はしない。ボードの塗布燃料が、爆発反応を引き起こさないのだ。そしてブレードの様な形状にも似たセンターボードは、時速数百キロの速度で隕石と衝突したその衝撃に耐えられず、バラバラに砕ける。しかしエンボイの噴霧機能はまだ壊れていない。ハンドルから手を離さず、出力を最大にしたまま、千鶴はエンジンの調整を始めて、衝突で大きく崩れた機体のバランスを落ち着いて取ろうとした。だが、雲海が見える高度に浮かぶエアバイクなど、荒波に揉まれる砂粒にも等しい。どうにか自分の頭が上になるように体勢を維持するので、精一杯だった。

 だが、それでいい。ローランドと進藤の乗る船は、すぐ傍で待機している。

 私達の、勝ちだ。

 二人一組で出撃する星崩しの射手。この戦法を確立させた今回、この戦略を前提とした新型のエンボイや星崩しが開発されるだろう。より安全に、より確実に星を落とし、人類の糧とする為に。

 まだ人類は、負けはしないのだ。

 眼下で待ち受ける、笑顔の漁師達に向かって、千鶴はゆっくりと出力を下げ、降りていく。進藤の笑顔が見えた。

『やったな』

 彼の声が届く。

「はい」

 やったよ、おじいちゃん。

 心の中で付け加えて、誇らしく千鶴は答えて。


 視界が、真っ暗に染まった。


       *


 船で歓声を上げるのが早かった。皆気を抜いてしまった。

 色々、原因はあるだろう。とにかく、ローランドを含め、あまりの劇的な勝利に誰もが気を緩めてしまった事は確実だった。

 あと甲板まで二十メートル、というところまで下りてきた千鶴の頭に、流星は直撃した。

 進藤は自分でも驚くような悲鳴を上げて、エンボイから両手を離し、だらりと力が抜けた女性が真っ直ぐ落下してくるその位置まで、走った。

 一瞬だった。間に合わなかった。係留チェーンに繋がれたままのエンボイと共に千鶴は甲板に落下し、叩き付けられる。大きく船が揺れ、甲板も大きく壊れたが、誰も気にしなかった。

 皆が千鶴に駆け寄る。真っ先に駆け付けた進藤が千鶴の頭を持ち上げ支えようとしたが、伸ばした手は途中で止まる。

 微笑みを湛えて虚ろな目をした彼女の頭は砕け、とめどなく血が溢れている。既に側頭部から脳の一部がはみ出し、崩れていた。飛んで行ったヘルメットが守れなかった千鶴の頭部は、彼女がもう助からない事を如実に語っている。

 皆が千鶴を囲み、言葉を失い、ただ命の光が消えていく様子を見守るしかなかった。

 聞こえているかどうか分からない。だが、言わなければならない様な気がして、進藤は顔を近付けて言葉にする。

「お前は、間違い無く星崩しの射手だ。誇っていいぞ」

 誰しもが思う事であった。その称号を得るに足る働きを、彼女は立派に務めたのである。

 ……と、進藤の視界で静かに動く光が見えた。ハッとして視線を向ける。

 それは、千鶴の患部から溢れた脳の上を流れる、一滴の金色の液体だった。砕けた隕石はやはり人体への衝突で爆発する事は無く、彼女の体ではじけ、その中身を撒き散らしたのだ。

「六条」

 呼び掛けるが声は無く、金色の液体が代わりに呼応する様に、すい、と脳の中へ、頭の中へと入りこんだ。

 一瞬、千鶴の瞼が痙攣した様に見えた。

 再び皆で声を掛けるが、しかしやはり返事は無く。

 彼女は今度こそ、何の反応も示す事は無かった。

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