第8話 主人公は苦労人

「ねえ、まこと

「ん? どうしたよ」


 藍沢あいざわ相手にあえなく撃沈げきちんした俺に、お隣さんが話しかけてくる。

 隣といっても振られた藍沢ではない。もう片方側の方に座る桜花おうかにである。

 家が隣なのはともかくとして、席まで隣同士なのは本当に妙な因縁を感じる。

 寺生まれの武崇たけたかに話したら「それは前世ぜんせでよほどの関係であったに違いない」とか「良縁りょうえん宿因しゅくいんだろうな。大切にすると良い」とか思わず手を合わせて拝みたくなる答えをいただいた。


「誠って、藍沢さんと仲良いよね」

「お前、なに言ってんだ……?」


 桜花は今のやり取りを見ていなかったのだろうか。

 確かに会話はしていたが、あっちは全くこっちを見てなかったし、上手く話せたとも思えないのだが。


「だって藍沢さん、誠とはしっかり話すじゃない。わたしだと、話振ってもあまり盛りあがらなくて……。あ、でも藍沢さんが無視してるとかじゃないよ? ただ、あんまり話がふくらまなくて……」

「ああ……」


 適当てきとうにいなされてるならほとんどシカトと変わらないだろうに。ちゃんと相手のフォローをいれるのは桜花らしい。

 しかし人当たりが良くて社交性がある桜花でさえその程度ていどだとは思わなかった。

 どうやら藍沢が張ってる壁は分厚いらしい。

 ……あれ、だとすると。


(藍沢はなんで、俺とは話しするんだ……?)


 噛み合わなかったり選択肢を間違えたりして、ああして機嫌きげん悪くしてそっぽ向かれるのは今回だけではない。むしろ今回は上手く行った方だった。

 だけど何度も話しかけているが、無視されることはなかったと思う。少なくとも二、三回は会話が続く。


「いいなあ……藍沢さんと仲良して」

「いや、仲良かないとは思うが。羨ましいのか?」

「うん、だって藍沢さん綺麗きれいだし」


 それに、と桜花は一度区切り、俺越しに藍沢を見て。


「誠と──」

「まっことー!」

まこっちゃぁぁぁぁん!」

「……ぐ、これは」


 桜花が、俺の名前を口に出したと思ったら。

 全くの同時に、他の誰かも俺を呼んだ。しかも二人。

 経験則けいけんそくが「面倒臭いことになるぞ」と脳みそに伝達して、伝令を受け取った頭は即座に胃と心臓に警戒網を張る。


「聞いてよ誠ー! さっき400m一回走ったら新学期一の記録出てさー!」


 朝練終わりで熱いからか。ブレザーを腰に巻いて、更には袖までまくって。

 まるで季節感がない格好をしたれんが、赤々あかあかとした満面の笑みで駆け寄ってきて、


「助けてくりー! おっぱいに潰されるー!!」


 健全な男子なら無意識に心惹かれる言葉を叫びながら、蓮と違って顔を真っ青にした菊理きくりが俺の背後に隠れる。

 お陰で桜花は出し掛けた言葉を引っ込めてしまい、何を言いたかったのかはわからずじまいだ。


「こら橙山とうやまさん、制服はちゃんと着なさい! あと廊下走ってきたでしょ!」

「げえ、委員長いいんちょう……!」

「菊理、捕まえた」

「そのままよ紫場しばさん。はあ、やっぱり可愛いわねえ黄原きはらさん。ほっぺもちもちぃ~」

「ぐやぁぁぁぁぁあ!」


 俺の前に座る青海あおみが蓮を注意するのに振り返って、菊理を追ってきたらしい紫場と緑丘みどおかまでやって来た。

 お陰で窓際まどぎわうしろは大騒ぎである。クラスの女子およそ半分が集まれば、そりゃあ賑やかだ。

 だというのにまるでいつものことだとでも言いたげにクラス連中は意に介さず、回りの席の連中と談笑だんしょうしていた。

 まあ、栄桜さかえざくらはクラス替えがないから、みんなこの光景こうけいにも慣れてしまったかもしれんが。

 いや慣れるな。ツッコミをあきらめないでほしい。頼む。

 誰か一人でもこっちを憐れんでやいないかと見回したら。廊下側一番前に座ってるタカヤが目に入った。――――腹を抱えて口をおさえ、笑うのを必死で我慢している。

 その二つ後ろで菩薩のような目で俺を眺めていた武崇に「アトデ アイツ シメル」と目で合図した。

 どうやら援軍えんぐん声援せいえんは望めないらしい。

 とりあえず、蓮の相手は青海に任せるとして。


「どうしたよ、菊理」

「どうもこうもねーっす! あの二人怖いっすむぎゅむぅ!?」

「あらあらぁ、怖いだなんて悲しいな~。私、ただ黄原さんと遊びたいのに~」

「菊理が可愛いのがいけない。抱き心地が良い」


 紫場は後ろから菊理に抱きつき、緑丘は前から菊理を抱く。

 バレーボールより小さそうな菊理のあたまは、前後まえうしろから胸に挟まれ見事に埋まった。

 …………胸より小さい頭があることに驚くべきなのか。

 それとも頭より大きい胸があることに驚くべきなのか。

 もがく菊理は形を変える連峰れんぽうからようやく顔をだし、くわっと犬歯を剥いて。


「悲しいのはあたしの方だよっ! クラス内ツートップのおっぱいで挟みやがって! いじめか、これは肉体的にも精神的にもいじめてるのか!?」

「クラス内ツートップ……」

「誠? 今なにか言った?」

「いえなんも言ってねえっすはい」


 桜花の声に、思わず背中がぞくりと震えた。いつもと変わらないはずの声音こわねだったのに、妙な迫力が乗せられている。ちらりとそちらを見てみれば、「顔だけ」が笑っていた。

 でもしょうがないだろう。俺だって健全な男子高校生なのだ。無意識に反応してしまうのだ。

 反応しないのは武崇ぐらいである。

 ほら他の男子達だって今の言葉でこっちに一瞬でも意識向けたぞ。気付いてんだからな俺。


「胸はおっきくても、良いことはあまりないのよ~? 肩は凝るし、足元は見えないし、それに制服だってきっちりしてるとキツいから、ついボタンを外したくなるのよね~」


 そう言いながら緑丘は、さっきまできっちり締めていたシャツのボタンを上からふたつ外した。お陰でシミひとつないキメ細やかなデコルテと、深い谷間が丸見えである。緑丘のその目はしっかり、俺の方を向いていた。間違いないこれは俺をからかっている。

 ふん、そんな誘いには乗ってやらん。そこまであからさまだと逆に見る気が失せ――


「ゆりの言うこと、よく分かる。中学の時の、セーラー服のが楽だった」

「ぶっ……!?」


 同調した紫場が、シャツの襟をグイと引いて、その谷間を形作る稜線りょうせんさえも見せつけてきた。

 緑丘のは俺に対する意識的な挑発だったが、紫場のはきっと天然物。

 腹黒くて頭が回る緑丘のことである。紫場のこの行動を誘導した可能性まである。

 だってほら、「あらあら」とか良いながらにやけてるし。


「ちょっと緑丘さんに紫場さん!? あなたたちなにをして……」


 どうすりゃいいのかと思ったら、青海が助け船を出してくれた。こりゃ助かった。さすがにこれは手に余る。……いや、深い意味は無いぞ。うん。

 だが。


「青海さんだって分かるでしょう? あなたもクラスで三番目に大きいじゃない。たしかきゅう……」

「さすがにそこまでは行ってませんよ!!」


 巨乳の仲間に入れられたミイラ取りがミイラになった

 ……ちょっと待て。三番目ということはだ、今ここにはクラス内トップスリーが集まっているというのか……!?


「つまりはちじゅ……」

「ま こ と ?」

「胸か!? 誠っちゃんきみも所詮胸が好きなのか~!?」


 浴びせられる桜花の声は、北風みたいに背筋せすじが凍り、菊理が吐き出す気炎は真夏の太陽のようにやたら熱がこめられている。

 北風と太陽が協力したら旅人たびびとはどうなっていたのだろう。想像したくはないのだが。 


「でも紫場ちゃんと緑丘が言うのも分かるわー。私も身長高くなったけどその分胸大きくなっちゃってさー。走るのにちょっと邪魔になってきたんだよね。オマケに汗もかいて気持ち悪くてさー」

「おい蓮ちゃん、君はいま全わたしを敵に回したぞ?」

「あははは、アタシに喧嘩を売るなんて百年早いよ。一昨日おとといきな」

「百年早いのに二日戻ってどうすんのさ!」


 蓮に噛み付く菊理だが、悲しいかな紫場と緑丘にがっしりつかまれ挑みかかれない。せめてもの意地か、声変わりしてなさそうな高く可愛らしい声でわめき立て、蓮目掛けて中指を立てている。いったいどこでそんなジェスチャーを覚えたのか。

 俺は悲しいぞ。


「ちょっと黄原さん、人に向けて中指立てたりなんかしちゃ」

「うるせえやい委員長のむっつりおっぱい! どうせ制服で窮屈きゅうくつにさせてんのもわざとなんだろ! そうなんだろ!」

「違いますからね!?」


 思わず見咎みとがめた青海だが、菊理は構わずその青海にさえ噛み付く。

 これはもはや巨乳に対する乱射らんしゃ事件じけんと言って良いだろう。緑丘――と、緑丘に乗せられた紫場――にもてあそばれた菊理の恨みは深い。

 だがさすがに助け船を出さなきゃ青海が可哀想かわいそうだな、これは。


「そうだぞ菊理。むっつりスケベって言葉で勘違いされてるけどそもそもむっつりっていうのは愛想あいそがなくて無口むくちな奴を言うんだ」

「むっつりで悪かったわね」

「いやお前のことじゃあないからな!?」


 なぜか横から藍沢まで参戦さんせんしてきた。

 こっちを見る藍沢の目は、いつにもまして刺々とげとげしい。棘というかもはや槍だ。流れ弾を撃ったつもりはないんだけどなあ!


「さっきからうるさいんだけど、黒高くろたか

「注意するのは俺に対してなのかよ!?」

「黙れ変態」

「誰が変態だ、誰が!」

「でも誠巨乳好きじゃん? 子どもの頃見っけたエロ本でも巨乳のお姉さんのページガン見してたじゃん」

「本棚に隠してるのもそんなのばかりだしね、誠」

「蓮、なんで今、それをバラす。てか桜花それは言わない約束だろうが……!」

「きみもか、誠っちゃんんん……!」


「仕方ない人だなあ」とでも言いたげに溜め息を吐く桜花だが、お前は今火に油を注いだぞ。

 ほら、菊理の目が座ってる。ヒーロー好きがしていい目をしちゃいねえ。

 しっかりしろ菊理、お前が好きなヒーロー達を思い出せ。


「つまり……クラス内で一番胸が大きい私が、誠くんの一番のタイプってことかしらあ? それは光栄ね~」

「いやそれは絶対にねえから。絶対に」

「もう、二回も絶対にだなんて言わなくてもいいのに~」

「じゃあ、誠のタイプって巨乳となに?」

「なんで巨乳はすでに確定かくて――――」


 瞬間しゅんかん

 紫場が聞いたのと全く同時に。

 今まで個別に会話していた他のグループからも会話が途絶とだえ、教室が静まりかえる。

 ……こいつら、もしかして興味は全くございませんなんてつらしておきながらずっとこっちに意識を向けていたのか。

 なんという奴らだろうか。高みの見物けんぶつを決めるとはこの薄情者はくじょうもの共め。


「……あー、知ってるか? いろんなグループがてんでんばらばらに話してたのにこうやって同時に静かになんのって、フランスだかでは「天使のお通り」って言うらしいぜ」

「誠っちゃん今そういうの良いから」


 まさか菊理にマジのトーンでツッコまれるとはさすがに想像そうぞうしてなかったんだが。さっきからずっと目にハイライトがない。

 いやというかだよ、いち男子高生だんしこうせいの好みのタイプぐらいでなんでこんな空気くうきが重くなるんだ。

 これはあれか。絶対に避けられない奴か。

 時計を見るとちょうど八時三十分を指している。……でもあれ、二分進んでるんだよなあ。

 つまり朝のHRまであと二分にふん。このまま喋らずタイムオーバーを目指すのは不可能に近い。

 ……ここは観念かんねんして言うのがいいか。

 だってただの趣味しゅみ嗜好しこうの話である。別に血の雨が降るってわけでも誰かにのろわれるってわけでもない。はずだ。


「好みのタイプなあ…………」


 ごくり、と誰かの喉が鳴った。やけに空気が張り詰めているのは何故なぜなのか。別に核弾頭かくだんとうのボタンを押そうってわけでもあるまいし。

 若干呆れつつ、気付いた。……ああ、今鳴ったの、俺の喉だ。やっぱり、札をくずしてでもお茶を買うべきだったか。なんだか妙に喉がカラカラする。

「うん……」とうなずく振りをして呼吸こきゅうととのえる。

 女性の魅力みりょくを一番感じるところを探れば、それはすぐに出てきた。


「──よく笑って、笑顔えがおが可愛い子、だな」

「それ、ワタシへの当て付け?」

「違うからな藍沢!?」

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情熱*ミドルスプリント 烏丸朝真 @asakara

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