第7話 お嬢様は気安くない

「おーっす」

「お帰りまこと。あれ、牡丹ぼたんちゃんも一緒だったの?」

「ああ、途中でばったり出くわしてな」

「一緒にお散歩してた」


 時計を見れば8時20分。ちょうど良い時間だ。あとは座って、HRをのんびり待つとしよう。

 俺の席は一番いちばん窓側まどがわ最後段さいこうだん……の、一つとなりだ。

 自分の席に向かうと、どうやら、お隣さんも来てたらしい。


「おっす、おはよう」

「…………」


 挨拶あいさつは、返されない。

 その代わり、流し目にやたらとえた視線が送られた。切れ長な目の奥にある瞳は、真冬のみずうみのようにんでいて、思わずぞくりと、背中に鳥肌が立つ。

 だけどこっちを見ていたのは一瞬で、すぐさま頬杖ほおづえを突いて窓の外に目が向いた。相変わらずない態度だ。

 ……だけど。


(まるで一枚の絵画だな、これは)


 ゆたかに波打つロングウェーブの髪はよく手入れされているのか、窓から入り込む光でキラキラと輝いている。

 鼻筋はスッと通って、まぶたに並ぶ睫毛まつげは、横から見ても分かるほど長い。

 こちらに見せているのは横顔だけだが、それだけでも充分伝わった。

容姿ようし端麗たんれい」っていうのは、彼女のために用意された言葉だ。そう思ってしまうほど。絵面えづらとして完成していた。

 藍沢あいざわ竜胆りんどう神勢かみせ大企業だいきぎょう、『Aエイリビングス』――通称、藍沢あいざわコンツェルンの社長しゃちょう令嬢れいじょうだ。


「…………おはよ」

「え?」

「え、じゃないわよ。挨拶あいさつしてきたの、そっちでしょ」

「あ、ああ、おはよう」

「……ふん」


 藍沢はこちらも見向きもせず、ただ言葉を投げ掛けるだけの挨拶あいさつを返してきた。だいぶ間があったが、返されただけマシとする。

 藍沢はドライで愛想あいそい。オマケにいつも不機嫌そうな顔をしていて、紫場とは違う意味でクラスからは孤立こりつしている。

 しかし遠目とおめに見てくるクラスメイトの顔には嫌悪けんおの色はない。

 世をねた顔さえさまになる美貌で、みんなおくれしてしまうんだろう。

 それに、藍沢は。


「……アンタ、今日早いんじゃない?」

「ああ、桜花に起こされてさ。一時間前ぐらいには着いたよ」

「あの幼馴染おさななじみだっていう? ダメ男ね、アンタ」

「相変わらずバッサリだな藍沢は……!」


 これこの通り、放つ言葉に一切の遠慮えんりょが無い。

 他人の顔をうかがわないのは窺われる方だからか、それとも生来のものなのか。

 とかくこうも直裁ちょくさい的だと、誰かと話してもどうなるかは目に見えている。

 誰かと話したとこを見たことはないが、俺以外にもこんな態度たいどなんだろうか。


「自分が不甲斐ふがいないってのは重々じゅうじゅう承知しょうちしてるよ。藍沢は今日も車か?」

わるい? しょうがないでしょ、家が遠いんだから。それに、車なのは下までで、あの馬鹿げた坂道は登ってるから」

「おお、そいつはすげえ……俺だったら横付けしてもらうわ。そっか、藍沢の家って街の外れの方にあるもんな」


 さすが日本有数の大企業、その社長の住まいと言うべきか。俺が住むような一般的な二階建てなら庭に五軒は建つだろう。地元では知らぬ人がいないお屋敷やしきだ。

 無数にある散歩ルートの一つに、その前を通るコースがあったから覚えている。

 確か、街の外れにあって栄桜ここからは結構遠かったはずだと、普段の散歩で頭に叩き込んだ地図を思い起こす。

 ――うん、藍沢の家があるのは学校の真反対。徒歩で通学するにはキツいだろう。

 勝手かって得心とくしんしていると、藍沢がめずらしくこっちを向いた。

 なにを驚いたのか、薄く形の良い唇をわずかに開けて俺を見ている。


「……黒高くろたか、なんでアンタ、ワタシのいえ知ってるわけ?」

「なんだそのことか。俺、散歩が趣味でさ。休みの日は街中まちじゅううろついてて、それで前を通りかかることがあってよ」

「……………………あっそ」


 ……いったいどうしたことだろう。藍沢の目があっと言う間にいつもの冷たい目に戻りましたよ。これはあれか、変質者かなんかと疑われているんじゃあなかろうか。

 それはなんとも遺憾いかんである。


「言っておくけど、お前の家の前だってそんな頻繁ひんぱんに通るわけじゃあないからな。俺の家からもだいぶ遠いしたまーに行くぐらいで、別にお前のストーカーとかじゃないぞ? いや、お前に魅力が無いって言ってるわけじゃないんだけどな、うん」

「なに必死になってフォローしてんのよアンタ。ストーカーだろうとなかろうと、どっちにしても目的もなくうろついてるとか普通に変人よ?」

「それは否定できねえが……」


 眉を寄せられて睨まれるように言われると、なんだか泣きそうになるんだけども。

 藍沢の舌鋒ぜっぽうするどい所はいかんともしがたいが、今日はわりかしマシな方。こうして会話することも、一年の時でも数えられる程度だから少し楽しくもあった。

 ……もう少し話出来るだろうか。

 もしかしたら虎の尾を踏んでしまうかもしれないが、虎穴に入らずんばなんとやら、だ。

 

「で、藍沢は休みって、なにしてるんだ?」

「はぁ? そんなこと聞いて、どうするわけ?」

「なんとなく気になってさ。いや、言いたくないなら――」

音楽おんがく聴いてるけど」


 いや答えるのかよ。一回挟んだ怪訝けげん相槌あいづちはなんだったのか。

 先の朝の挨拶といい、どうもテンポがずれている気がする。いつも自分のペースをたもつのは、持ち前のお嬢様気質が故なのか。

 表情は変えず、ツンとすました顔のまま。頬杖をついて顔だけをわずかにこちらに向けている。

 ……これは、話を続けてもいいってことだろうか?


「へえ、俺はさっきも言った通り休みの日は」

「散歩でしょ。同じ話しないでくれない? 会話のセンスないわね」

「お前がそれを言うのか!?」


 返されたボールを投げ返したら、見事に急所に投げ返された。直球ちょっきゅう直裁ちょくさい、こうも真一文字に切り伏せられると、やはり鬱陶うっとうしがられているんじゃあないかと思う。

 だがばっさりと切り捨てても、顔は変わらずこちらを向けている。どうやら首の皮はぎりぎり繋がっているらしい。

 今度は、投げ方を変えて訊いてみる。


「音楽鑑賞って、クラシックとか?」

「あんな騒々そうぞうしいのいていられないわよ。肩肘張ってて全然ぜんぜん集中しゅうちゅうできない。……ほら、衛星CS放送ほうそうとかにあるでしょ、ひたすら音楽おんがくながしてるチャンネル。あれ見てるわ」

「つまり流行曲とかなつメロとかか? 意外と俗っぽいんだな、お嬢様って」

幻滅げんめつした? でもそんなものよ。令嬢ワタシ一般人アンタなんて、…………大して変わらないわよ」

「……藍沢?」


 ぽつりと藍沢はつぶやいて、切れ長な目はより細められて伏し目がちになった。まるでなにか思いを巡らせているようで、唇が少し震えた。

 ……女の子に「悲しげな顔も似合う」なんて言いたくはないが、ものげなその表情かおも、藍沢の美貌の前ではやたらえて見えた。

 確かにさっきの世を拗ねたような顔も、この鬱々うつうつとした顔も、藍沢には似合う。

 だけど、悲しい顔が似合うからって、あまり見惚みとれていたくはない。

 なにか、笑っていられるような場所や相手はいないんだろうか。


「幻滅はしねえけど……流行はやりの歌分かるんだったら、カラオケとか行かないのか? 友達と」


 友達。その一言で、藍沢の肩がびくりと跳ねた。

 伏せられた目がにわかに見開かれ、形がよく、綺麗に輝く虹彩こうさいがこちらを向いていた。

 …………そして。


「――――は?」


 氷柱つららのような視線を、こちらの方へ飛ばしてくる。凄まじい威圧いあつかんが込められていて、質量があるみたいに体の芯まで突き刺さった。

 おかしいな。確かに今日は春にしてはちょっと寒い方だけど、こんなに冷えたかな? 殺気と比べて体感温度が三度ぐらい一気に下がった気がするんだけども。

 かじかんんだように、引きった顔が戻らない。二の句がげず、ただただ口をぱくぱくさせる。寒いはずなのに冷や汗がだらだら出て来た。

 しくじった。どうやら案の定、虎の尾を踏んでしまったらしい。

 そんな俺の様子を確認したのか、藍沢は「ふん」と忌々いまいましそうに鼻を鳴らすと、窓の方を向いてしまう。

 ――ただ。


「……友達なんて、いらないわよ」


 そんな吐き捨てるような呟きが、聞こえた気がした。

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