第21話 私に翼があったなら-6

焼き殺す。

 その言葉に、伸ばされた火連の腕が揺れた。

 三澤への攻撃も比較的軽度で済んでいるのだから、調整はできるはずだ。しかし焼き殺す、という鋭い生方の言葉が、火連の自信に傷をつけた。わかっていて、生方は言葉の刃をふるったに違いない。

 火連の額に汗がにじむ。強く、奥歯をかんで。

「……俺は強くないし、未熟だけど。たまには期待にだって応えたいんだよ!」

 吹っ切るように叫んで、火連は炎を放った。生方めがけて火炎が飛んでいく。

「っ!」

 生方は瞬時に巨大な水の膜を作り出して、火連の魔法を受け止める。ぶつかり合った双方の魔法は、一瞬で共に弾けた。反動で、二人とも後方に飛ばされる。途端に蘭花たちの静止が解けた。

「火連くん!」

 倒れこんだ火連に駆け寄る。

「火連くん、大丈夫?」

「いてて……。大丈夫、転んでちょっと打っただけ。生方は?」

 ゆっくり身を起こす火連の背を支えながら、蘭花は生方を見やった。生方も起き上がろうとしていて、咄嗟に身を固くするけれど。

「あ……」

 蘭花は小さく声を上げた。

 顔を歪めて、生方は立ち上がった。

 その右足は真っ赤になって、一目で大きな火傷を負ったのだとわかった。生方は足を踏みしめようとするが、痛むのか膝から崩れるようによろめく。

 パンプスが脱げて、破れたストッキングからつま先がのぞく。そのつま先は火傷以上に真っ赤で、一瞬、出血と見まがう。けれどそれはマニキュアで、普段の生方のイメージとは離れた鮮烈な赤だった。

 まるで隠された獣の爪のような。

「それじゃもう、逃げらんないでしょ」

 美弦がゆっくりという。けれど生方はなおも抵抗の意思を見せて、再び腕を持ち上げた。全員身構えた、その時。

「そこまで」

 演習場内に、よく通る声が響いた。

「抵抗をやめて、大人しくしてください」 

「結月先生……」

 現れたのは結月だった。真っすぐ伸ばした腕を生方の方に向けたまま、ゆっくりと歩み寄る。

「ずいぶん強固な防護の魔法をかけていたみたいですね。何かよからぬ魔法が行使されている気配はしていましたが、探り当てるのに時間がかかりました」

「……観念するしかないみたいですね」

 座り込んで、生方は肩を落とした。

「そうしてください。僕だって、魔女とやりあうなんて御免です」

「よくいいますね。結月先生相手じゃ、私なんて灰にされたっておかしくないわ」

 諦めたように笑う生方から視線を離して、結月は蘭花たち生徒たちの方を向いた。

「大丈夫?」

「なんとか」

 無事です、と夏樹が答えると、結月は息を吐いた。

「君たちも、何考えてるんだか……。まあ、お説教は後にしよう。大人しくついてきてくださいね、生方さん」

「あら、ずいぶん珍しい呼び方」

「僕はもうあなたを先生とは呼ばない、生方沙子すなこ

 結月の冷たい視線に、生方は目を伏せた。

「構いません。私は教師であることより、誇り高き魔法使いであることを選んだ者ですから」


 鮮やかな赤いドレスは、まるで大輪の花を思わせた。

 無事に退院し、予定通りコンサートのステージに立った木乃香は、力強い歌声をホールいっぱいに響かせる。

 音の震えまで感じるほどの生の歌声に圧倒されて、蘭花は息まで止まるかと思ったほどだ。

 どこまでも強く、美しく響き渡る歌声は、自信と喜びに溢れている。

 ――本当は、あなたたちのためだけに歌える機会があればよかったのだけれど。

 チケットを手渡された時、木乃香は蘭花たちに言った。

 そんな夢みたいな話が実現すれば、それは素敵だっただろうけれど、この歌声を自分たちだけが堪能するなんて、あまりにもったいない。

 ――コンサートは、聴きに来てくれるお客様みんなのためのものだけど。でも、あなたたちへ感謝の思いも込めて、歌うね。

 その言葉の通りだったのか、それとも蘭花の勘違いなのか、わからないけれど。歌の合間、ささやくような『ありがとう』が、耳に届いた、気がした。木乃香の魔法ならそれができるだろうけれど、まあ、真相は良いだろう。木乃香の歌を聴けただけで十分だ。

 コンサート終了後、高揚感に蘭花の足は浮足立った。

 興奮に熱を帯びた頬と、鼓膜にわんわんとした残響。まだ夢の中にいるような、ふわふわとした浮遊感に、まるで空でも飛んでいるようだなと、蘭花は思った。


「あー、良かったあ!」

 ホールのロビーで、蘭花は人目もはばからず大きな声で言う。火連たちがたしなめるそぶりを見せなかったのは、蘭花と同じく感動していたからだろう。

「やっぱり生は違うな。すごかった」

「いやー、俺、これからコノカめっちゃ推しそう」

「やっぱ本物だわ、あの人」

 火連に夏樹、美弦たちも一様に満足そうな顔で、四人ホールを後にする。

 今回の公演は校内にある真木野芸術ホールで行われた、金曜の夜間公演だった。四人が授業終了後にホールに直行した時はまだ明るかった空も、今やすっかり暗くなっている。

「私、何気に夜の学校初めてかも」

 蘭花は暗くなった校舎を見やった。暗いからというだけでなく、人気のなくなった学内は近寄りがたい空気を醸し出している。

「肝試しでもできそうだなあ」

「戸締りしてあるに決まってるでしょ。夜の学校を歩き回るなんて、あんなの漫画の中だけだってば」

 夏樹の戯言に、美弦があきれたように返す。けれど夏樹は少し考えるそぶりを見せて。

「でもさ。うーん……、ちょっと人が多いな」

 そう言いながら、夏樹は正門に向かう人波から外れて、校舎の方に向かって歩き出した。

「ちょっと、どこいくの」

 美弦が慌ててそれについていく。夏樹の後を追いながら、なんとなく全員で、人気のない特別棟のあたりまでやってきた。

「あとは、俺一人じゃ手間がかかるな。草壁ちゃん、ちょっと来て」

「私?」

 突然の指名に首をひねりながら、蘭花は夏樹が小さな声で告げる提案に耳を傾ける。

「えー……怒られないかなあ」

「ばれたらな。いや、ちょっとした好奇心だから。やらないならいいや」

 夏樹は火連と美弦の方をちらりと見る。何事かといぶかしむ風の二人に、蘭花も大人しく帰ろうかと思ったが。

「私もちょっと、興味ある」

「じゃあ決まり」

 にっと笑って、夏樹は突然美弦の手を握った。

「は?ちょっと、何!」

 動揺する美弦とその手を握る夏樹に、どうしたものかと火連は焦る素振りを見せた。その火連に、蘭花は飛び込むように抱き着いて。

「いきなりごめんね!」

 言うなり、地面を蹴った。

 まだ夜風冷たい上空へと、蘭花と火連は飛び上がる。

「な……」

 火連は絶句した。

 遠ざかる地面は、暗くてよく見えない。着地点だけは見失わないように、蘭花はしっかりと目標を確認して、ゆっくりと降下していった。足先が、土よりももっと固い地面に触れる。

「屋上?」

 両の足を地につけて、火連が呟く。二人が降り立ったのは、特別棟の屋上だった。

「おー、成功成功」

 少し離れたところに、突然夏樹と美弦が表れる。

 蘭花と火連は飛空魔法で、夏樹と美弦は空間移転の魔法で、それぞれ屋上へと移動したのだ。

「俺一人でも、四人いっぺんに屋上まで運べるとは思ったけどね。暗い中じゃ何があるかわからんし、草壁ちゃんにも手伝ってもらったんだ」

「やり方はなんだっていいけど、なんだって屋上なの?」

「え、だっていっぺん屋上って入ってみたくなかった?いつも施錠されてて、生徒が自由に出入りできる屋上なんてそれこそフィクションじゃん」

 単純な答えに、美弦はゆるゆると夏樹から手を離した。呆れたような、気が抜けたようなしぐさだった。

「これ、ばれたら怒られるぞ。俺、もう説教食らうのは御免だ」

 火連がげんなりした様子で言う。

 生方の一件の後、蘭花たちは結月にこってりと叱られた。魔法を使用した危険行為は言うに及ばず、警察沙汰になるような事件に首を突っ込んだことからして、ばっちりお説教を受けたのだ。

 生方は真木野学園を懲戒された。処罰は今後決まってくるだろうが、法的な責任追及は逃れられないだろうとは結月の言だ。

 生方の行く末は気になるが、とりあえずは平穏な学園生活が戻ってきたのでそれで納得はしている。三澤は深く反省しているようだし、木乃香は華々しく舞台へと帰ってきたのだし。

「魔法使ったから、もうばれてるかもなー」

「いや、それ洒落なってないぞ」

「なんもないなら、早く降ろしてよ」

「ねえ、来て来てみんな!」

 揉める火連たちのことなどお構いなしに、蘭花は火連たちを呼んだ。飛び跳ねるようにしながら、フェンスに飛びつく。

「わ……」

 美弦が感嘆の声を上げる。

 眼下に広がる夜の街。駅周辺の、賑わう夜の光。少し離れた住宅街の、ぽつりぽつりと灯る家々の明かり。遠く高層ビルの居並ぶ照明。

「真木野って結構、街中に立ってるだろ。夜景、絶対きれいだと思ったんだよね」

 夏樹が満足そうに言う。

「それだけかよ」

「それだけだよ」

 呆れた風に言うけれど、火連はそっと目を細めて眼下の夜景を見下ろしていた。

 暗闇に浮かぶ人の営みを照らす光は美しかった。五階の高さだけど、蘭花も、多分火連も、恐怖を感じてはいない。

「でも、星は見えないんだね」

 ふと、美弦が空を見上げて言った。特に明るい星が一つ二つわかるだけで、空の闇は深いばかりだった。

「地上がこれだけ明るけりゃな」

 火連も上空を見上げる。

「……私ね、小さい頃は、空を飛んでいけば星も月もつかめると思ってたの」

 蘭花は空に手を伸ばした。

 雲も、太陽も。魔法で空を飛んでいけば、いつかは掴めると思っていた頃もあった。

「でも、あたりまえだけど。絶対に掴めない。空を飛んだって、できないものはできないし、何でもできるわけじゃない」

 空間を飛び越えられたって、姿を変えたって、大きな力をふるったって。できないことも、届かないものもある。

「だけど、できることだってあるだろ?」

 力強い火連の言葉。

 それは蘭花を励ますけれど、もしかしたら、火連自身を奮い立たせているかもしれないな、と思う。

「うん。それに、今はできないことも、できるようになるだろうしね」

 届かなくても、近づくことはできるし。見えなくても、星はいつだって空にある。

「頑張ろうね」

 夜の闇を背に、蘭花は笑う。

「……屋上ってさ、許可取れば開けてもらえるんだよな?今度はさ、昼間に入れてもらおうか」

 夏樹の言葉に、美弦が頷く。

「それも良いね。良く晴れた日に」

「空の真っ青な、日な」

 言いながら、火連が笑んだ。


 風の強い日もあるし、雨が降る日もあるけれど。そんな日でも、頑張らないと、ならない時もあるだろうけれど。

 

 空を飛ぶならば、よく晴れた青空がいい。


 END

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