第259話 エピローグ



「きれいね」


 白い息を吐いてそう呟くと、制服姿の少女は両手を胸の前で皿にして、降ってくる白い結晶を受け止める。

 少女の手に舞い降りた結晶は、そっと冷たい温度を渡して小さな水滴へと変わった。


「うん。いつのまにか初雪の季節になっていたね」


 隣を歩く、ブレザーの制服を着た黒髪の少年が応える。

 彼は少女のあどけない様子を穏やかな表情で眺めている。


「サクヤくんは雪は好き?」


 サクヤと呼ばれた少年は頷く。


「寒いけど綺麗だから好きだよ。アーリィは?」


「あたしも。夏よりは冬が好き」


 首に巻かれたクリーム色のマフラーを巻き直しながら、アーリィと呼ばれた少女が答えた。


 ここは『剣の国』リラシス王国王都。


 二人は通っている第三学園の授業の一環で、街の中心部に向かっているところであった。

 数人で行われるクエストであり、顔合わせの時間には十分余裕を持って出立している。


「久しぶりに皆さんに会うわ」


「うん。……今気づいたけど、あれからもう2ヶ月も経つんだなぁ」


「そうね。ちょうど2ヶ月だわ」


 アリアドネはサクヤの右腕を取って組むと、雪が舞い降りてくる空を見上げる。


「あの時はこんな幸せな時間が待っているとは思わなかった」


 アリアドネはサクヤの肩に愛おしそうに頬を当てる。

 かつてと違い、そんな彼女の頭には二つの小さな角が並んでいる。


 2ヶ月前、セントイーリカ市国に出向いていた彼女は、煉獄の巫女アシュタルテと呼ばれる大悪魔と再び重なり、その姿を変えた。


 しかし全てを奪われた前回とは違った。

 弟も、愛する人も居た今のアリアドネは強かった。


 その心までは支配されず、自我を保つことができたのである。


 それゆえ今の彼女は初代の『戦の聖女』でありながら、大悪魔煉獄の巫女アシュタルテの力をも意のままに操る存在となっていた。


「こんなに世界が平和になったのは、サクヤくんが居たからよ」


 ふふ、とアリアドネはひとり嬉しそうに笑う。


 今アリアドネが言った、『世界が平和になった』ということに対して異論を唱える者は誰一人いないであろう。

 二ヶ月前から、多くの魔物が別の生き物になったかのように攻撃性を失くしていた。


 もちろん自分たちの棲み処を侵害されることがあれば襲いかかってくるが、そうでなければ、大半の魔物は人に出遭っても背を向けるようになった。


 これにより各地で起きていた魔物の被害は10分の1以下に減少したと言われる。


 夜な夜な不死者アンデッドが家の壁に張り付き、日々眠れぬ夜を過ごしていた亡国ミザリィの村々も、拍子抜けするほどに穏やかな夜が訪れるようになった。


 そう、セントイーリカ市国で相対した魔王との口約束が守られているのだった。


「でも、いつまで続くのか不安もあるよ。約束した相手が魔王なだけに」


 サクヤが頭を掻いている。


「きっとサクヤくんがいる間は大丈夫よ。そんな気がするの」


「でも僕には桃があるからね。何度でも若返るんだけど」


 魔王はさすがにそこまで計算していなかっただろうさ、とサクヤが笑う。


「じゃああたしももらって、ずっと隣りで守ってあげる」


 煉獄の巫女アシュタルテが守っていれば、魔王も手出しはできないはずよ、と、アリアドネもくすくすと笑う。


「寂しくなくてありがたいよ」


「……いいの? ずっとよ?」


「嬉しいだけだよ。でもおじいちゃんとおばあちゃんになるね」


「うふふ」


 二人で笑い合う。


 そんな話をしながら、二人は角を何度も曲がり、街の中心部を歩いて行く。

 その道の途中で光の神ラーズを祀る教会があった。


 いつもは厳格な顔をした神官が教会前に立っているのを二人は知っていたが、今日は誰もおらず、中まで閑散としていたのが見て取れた。


 特に驚くことではなかった。

 今となっては、レイシーヴァ王国ではなく、セントイーリカ市国が亡国となろうとしているからである。


 公にはされていないものの、2ヶ月前に最高権限をもつ教皇が死している。

 さらに国政に関与していた三枢機卿のうち、二人が教皇と運命をともにした。


 だがこの三名の死自体は、退廃の直接的な原因ではなかった。

 密かに行われた送葬の儀で、この三名の棺に雷が落ち、大地ごと消し炭になったことこそが国を揺るがした。


 ――セントイーリカ市国での行いがラーズ神の怒りに触れた――。


 そう理解した多くの光の神官たちが国との関係を切り、新たに『ラーズ正教』を名乗って教会を建て直し、各地で独立していった。


 セントイーリカ市国では残っていた末席の枢機卿が代理教皇となり、事態の収拾にあたっているが、残念ながらこの男には才がなく、国の消滅は時間の問題と言われている。


「あ、もう来てるわ」


 アリアドネが遠くに見える待ち合わせの噴水を指さした。


「あ、ほんとだ。おーい」


 サクヤが手を振ると、噴水前で手を振り返してくる者が数名。

 そのうちの一人が、白い太ももの上でワンピースの裾を揺らしながらやってきて、挨拶の言葉より先に空いているサクヤの左腕をとって組んだ。


「………」


 アリアドネが、はっとする。

 彼女の元にも素敵な甘い香りがやってきたから、それがサクヤを包んでいるのは間違いなかった。


「私のサクヤ様。やっと会えました!」


 白ワンピの少女が嬉しそうに声を発すると、先ほどの自分と同じように、その肩に頬を寄せて寄り添う。


 そう、彼女はリラシスの第二王女、フィネス。

 頭には編み帽子を被っているものの、黒いストッキングを穿いている自分と違い、雪がちらつくこの寒空で、気合いの素脚。


 お忍びで出かけるのも手慣れたものらしく、周りは彼女が王女だと気づいた様子もなかった。


「……あ、あたしのサクヤくんです」


 アリアドネが、慌てて言う。

 反応するように、その角がわずかに大きくなった。


「もう一度言いますね。私のサクヤ様」


 フィネスはアリアドネとは視線を合わせず、ただ回した腕に力を込めた。


「フィネス様……来てそうそう喧嘩を売るのはやめてくださいとあれほど」


 その様子を見ていられず、付き添っている赤髪のカルディエが顔をしかめた。

 以前にも初対面の相手に喧嘩を売ったことがあるような言い方である。


「フィネス、久しぶりだね」


 戸惑いながらも、サクヤが左側に巻きついている女性に応じる。


「はい。雪も私達二人を歓迎してくれていますね!」


 明るく話し始めるフィネス。


 その一方で、アリアドネは小さく口を尖らせると、会話しないで、とばかりにサクヤを自分の方にくい、と引き寄せる。


「サクヤ様。私、いっぱい待ちました。なにかご褒美くださいますか?」


 だがフィネスも心得たもので、反対の腕を引っ張り返しながら、サクヤに向き合ってにっこりと笑う。


「ご褒美?」


「はい。例えば……」


 フィネスが真顔になると、黒髪を耳にかけながら、さらに顔を近づける。


「――だ、だめっ!」


 そのままキスしそうな勢いで接近するフィネスを、アリアドネが体を割り込ませ、間一髪で防いだ。


「フィネス様! 肉食が過ぎますわッ!」


 カルディエもフィネスの背後から羽交い締めにして止めていた。


「カルディエ。なぜ私が2対1の1の方なのですか」


「仮にも王女なのですから、もう少し場をわきまえてくださいまし!」


 そう言われながら、フィネスがサクヤから引き剥がされる。

 取り除かれたフィネスは2ヶ月も待っていたのです~、と抗議している。


「姫、今がチャンスですぞ」


 彼らの様子を離れた位置から見守っていた男が、小さく囁く。


「よし、いくぞ」


「はっ」


 両肩を露出した、黒のマーメイドドレスを着たアッシュグレーの髪のエルフの女と、重鎧を着た髭の男が建物の陰から姿を現すと、小走りにサクヤの元へと駆け寄った。


「サクヤ」


「サクヤ殿、ご無沙汰しております」


 レイシーヴァ王国国王フローレンス=バーバリア・ラス・ロードスと、軍部司令官兼近衛騎士隊長、ヘルデンである。


「……えっ」


 思わぬ漁夫の登場に、アリアドネとフィネスが一瞬唖然とする。

 当然、彼らはクエストに同行するメンバーには含まれていなかった。


 ――またサクヤくんを連れて行くつもりだわ。

 ――またサクヤ様を拐いに来たのですね。


 ほぼ同時にそう理解したアリアドネとフィネスは、フローレンスに鋭い視線を向ける。


「ふむ。わらわの顔になにかついているのか?」


 しかし、フローレンスは余裕の笑みで、そんな二人を見返してみせる。


「………」


 見た目は同じ年くらいの少女といえど、フローレンスは王である。

 二人は顔を見合わせると、礼だけをして、いったん引き下がるしかなかった。


「王様、こんなところまで」


 サクヤが片膝をついて畏まろうとするのを、フローレンスが手で遮る。


「そなたにこの目の礼を言っておらぬ」


 フローレンスはサクヤの顔を見つめたまま、王らしく、そして高貴なエルフらしく淑やかに微笑んでみせた。


「世界が形として見えるというのは、なんと素晴らしいことか。本当に心から感謝しているぞ」


 そう、今のフローレンスは見えていた。


 2ヶ月前、セントイーリカ市国での世界決闘大会を終えたサクヤが、出生直後からの病をあっさりと治してみせたのである。

 短剣から解き放たれたサクヤが、記憶とともにその癒やしの力も取り戻したからにほかならなかった。


「僕でなくても、他の誰かが癒やしていましたよ」


「ふふ。光や大地の聖女たちですら治せなかったのに、か?」


 フローレンスがくすくす笑いながら、サクヤの右頬に手を添える。


「………」


 二人の少女の視線が一気に険しさを増す。


 今のレイシーヴァ王国は、亡国となる事態を免れている。

 世界決闘大会での優勝が認められ、多額の賞金を手にできたためである。


 大会自体は参加者が途中で消え去るなど、閉会式も行われなかったほどの不穏な終わり方をした影響で、当初は『勝者該当なし』と発表された。


 が、セントイーリカ市国が負けたための隠蔽行為と各国から散々非難を浴び、数日後にはその指摘を認める形で、レイシーヴァ王国の優勝に変わったという経緯がある。


「国のことも含めて、そなたにはいくら礼をしても足りぬ」


 フローレンスは目で見えるものを確かめるように、サクヤの頬を撫で続ける。


「そうですな。なんならこれから我が国に参りませぬか。クエストとやらは我らで責任を持って片付けておきますゆえ」


 ヘルデンが後ろを向いて頷くと、堂々とした二頭の白馬に引かれた、黒光りした一級馬車が待ちあわせ場所の広場に登場する。


 周りにいた通行人たちもその足を止め、ヘルデンたちに目を向けていた。


「さ、立ち話もなんですからお乗りくださいませ。馬車の中でうちの姫とゆるりとしたお時間を」


 ヘルデンが跪いて畏まりながら、にやりとする。


 今、レイシーヴァ王国では新王フローレンスの統治により再興が行われている。


 様々な試みが次々と功を奏し、財政は健全化。

 フローレンスの評価は鰻登りであったが、それはひとえに資産が現金の形で潤沢に手元にあって、いろいろと試行錯誤できるからであった。


 世界決闘大会の賞金はセントイーリカ市国からの借金に充てられたため、現在、流動資産の大半を占めているのは『マンティコアの尾の液』を薄めて作られた鎮痛剤や、『輝く水』の売却益である。


 侍女ルイーダが作ったこの鎮痛剤は5mL金貨25枚で飛ぶように売れ、振ると輝く水はその倍の単価で売りに出されたが、古代文明の研究者たちが競って買いに来た。


 その売れ行きたるや、破綻していた財政が黒字化するのも当然なほどであった。


 また王国を長く蔽い続けていた深い森の開拓が進み、食糧や物資の運搬に難渋しなくなったことも、現金が手元に残る一因となっていた。


 フローレンスは自国の民に、何度も演説している。


 国の再興が順調なのは、決して自分の力ではない。

 大会で優勝したあの男が、各方面で暗躍してくれていたからなのだ、と。


 合わせてフローレンスは国を救ったその英雄の帰還を、未婚のまま100年でも待つとも公言している。


「ゆこう。さぁサクヤ。わらわを横抱きにせよ」


 そう言ってフローレンスがサクヤの首に両腕を回した瞬間。


「やめてください!」


「横抱きにせよじゃありません!」


 フローレンスが押しのけられて、つんのめる。


「なにをする」


 キッと振り返った先には、二人が立っていた。

 妙に息の合っている様は、さすが『戦の聖女』たちである。


「サクヤくんはもうどこにも行きません」


「そうですよ。サクヤ様はこれからもリラシスにいるのです」


 二人は体を張ってサクヤを背に守る。

 共通の敵を見つけた二人は、いつのまにか仲良しになっていた。


「いやはや、これほどに美女ばかりが競い合う男がいようとは」


 フローレンスを支えに来たヘルデンはしかし、笑いが止まらぬようでそれ以上言葉にならない。


「フローラ、そもそもあなたは肉食過ぎます」


「そなたに言われたくはない」


「あら、私よりフローラの方が昔から……」


「フィネス様、だからあれほど」


 もともと幼なじみなのもあり、王と王女のいがみ合いは歴史を遡る形で始まる。


 それを目にしながら、あ、とアリアドネは気づく。

 自分が今、フリーになっていることに。


 困惑した表情を浮かべているサクヤの横顔を見ながら、今しかない、とアリアドネは決意する。


「――サクヤくん」


「ん?」


 アリアドネがチェックのスカートを揺らしながら、振り向いたサクヤの胸に飛び込む。

 銀色の髪がサクヤの頬をさらりと撫でる。


 アリアドネはそのままサクヤの首に腕を回し、目を閉じて素早く唇を重ねた。


 サクヤが目を丸くする。


「んっ……」


 アリアドネはもう人目も気にせず、その大切な人に重なり続ける。


「あれはいいのですかな、おふたりとも」


 ヘルデンが交戦中のフィネスとフローレンスの肩を叩き、指をさす。


「あ~!?」


 二人が驚愕する。


「なにを!?」


「ちょっと! アリアドネさん!?」


 驚きの現場を目撃して、二人が駆け寄ってくる。


 その僅かな間だけでもいいと思った。

 アリアドネはぎゅっとサクヤに抱きつくと、一心にサクヤに唇を重ね続ける。


 ――あたしの大切なサクヤくん。

 ――これからも、いつもあなたの隣りにいるわ。




 終わり





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 このたびは最後までお読みくださり、ありがとうございました。

 執筆意欲がわきますので、感想、レビューなどぜひともお待ちしております。

 また、もしよろしければポルカの他作品もよろしくお願いいたします。



 ■ 気遣い魔王は今日も聖女の手のひらの上で踊る(新作)


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 ■銃ゲーム配信者(17)、コラボに初参加するも会話がすれ違い、真顔で下ネタを連発する


 ~恋愛短編。タイトル通り、ラブコメです。一話だけでも読んでいただけると、雰囲気は伝わるかと思います(笑)

 こちらもあまり人気はありません。

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 コミカライズで非常におもしろく描いていただいたおかげで、一層人気が出ました。

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 https://kakuyomu.jp/my/works/1177354055434334628

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縁の下のチカラモチャー ~僕だけが知っているスキルツリーの先~ ポルカ@明かせぬ正体 @POLKA

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