桐壺 その14

原文

 「目も見えはべらぬに、かくかしこき仰せ言を光にてなむ」とて、見たまふ。

 「ほど経ばすこしうち紛るることもやと、待ち過ぐす月日に添へて、いと忍びがたきはわりなきわざになむ。いはけなき人をいかにと思ひやりつつ、もろともに育まぬおぼつかなさを。今は、なほ昔のかたみになずらへて、ものしたまへ」

 など、こまやかに書かせたまへり。

 「宮城野の露吹きむすぶ風の音に小萩がもとを思ひこそやれ」

 とあれど、え見たまひ果てず。


対訳


 「目も見えませんが、このような畏れ多いお言葉を光といたしまして」と言って、母君はご覧になります。

 「時がたてば少しは気持ちの紛れることもあろうかと、心待ちにして過ごす月日が経つうちに、とても我慢できなくなるのは辛いことだ。幼い人はどうしているかと心配しているが、一緒に育てていないのは気がかりなことだなあ。今は、やはり私を桐壺更衣の形見だと思って、参内なされよ」

 などと、懇切丁寧にお書きになっていらっしゃいました。

 「野分が吹いて急に寒くなった宮中の萩に露を結ばせたり散らそうとする風の音を聞くのにつけても、小さい萩が思いやられる」

 とありますが、母君はとても悲しくて最後までお読みになれません。



訳者注

 『目も見えはべらぬに』は、本当に目が見えないという意味ではなく、子供を亡くした悲しみで目の前が真っ暗だということ。「桐壺 その12」では『闇に暮れて』という表現をしていましたね。そして、『光にてなむ』。桐壺帝のありがたい言葉がそんな闇を払う光になる、ということです。

 桐壺帝の手紙にある『いはけなき人』(幼い人)とは、当然光源氏のこと。『昔のかたみ』は、文字通り昔の人……この場合は桐壺更衣……の形見という意味。ここでは、桐壺帝自身のことを言っています。

 形見という単語は一般には遺児や品物を指しますが、「ゆかり」や「形代」といった概念が重要な源氏物語においては、「故人を思い出させる存在」くらいのニュアンスで使用されます。一般的な単語に作品独自の意味を持たせることで世界観を表現し、しかも早い段階で実例を挙げて読者にそれと説明する。紫式部は本当に凄い作家です。

 手紙全体としては、そのうちに気が紛れることもあるだろうと思って過ごしていても実際にはとても辛い思いがつのるし、私も光源氏のことが心配だ、私を桐壺更衣の形見だと思って、光源氏を連れてこちらに来なさい……と誘っていることになります。

 帝から弔問の手紙を出すだけでも破格の厚遇ですが、帝自身を桐壺更衣の形見と思って欲しいだとか、少々常軌を逸しています。本当にツッコミどころ満載です。その辺を認めたくない人は、『かたみ』は光源氏なり母君なりを指すとして「光源氏を桐壺更衣の形見だと思う」などと訳したりするのですが(勿論、桐壺帝の中にはそうした考えが確かにあるでしょうが)、遺児であれば形見そのものですから、『なずらへ』るという表現に矛盾します。


 『宮城野の露吹きむすぶ風の音に小萩がもとを思ひこそやれ』は、手紙に添えられていた桐壺帝の歌。

 『宮城野』は、今の仙台市宮城野区。萩の名所として知られていました。萩にかかる歌枕(和歌において、詠みたい題材とワンセットで入れる地名。詳しく話すと長くなるので、萩という時には宮城野と付けるのがお約束なのだと思って下さい)であり、また、『宮城』という文字から、宮中を示す掛詞にもなります。『露吹きむすぶ風』は、野分が吹いて急に寒くなったことで(これは「桐壺 その12」で書かれていました)萩が結露して、また風が吹いてその露を散らそうとする様子。それで『小萩』=小さい萩のことが気になるというのですが。その一方で『露』は涙の比喩表現であり、『小萩』は子供、言うまでもなく光源氏のことを言っています。

 つまり、全体としては、風の音を聞くにつけても涙が出るほど光源氏のことが心配だ……という意味になります。


 『え見たまひ果てず』は「最後までお読みになれません」。最後まで読めない理由は省略されていますが、悲しいからだと考えるのが妥当でしょう。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

「夫の愛を失いたくなくてストーカーによる凌辱に耐え続けたのに、かえって合意の上だったのではないかと疑われて関係が破綻してしまう美人妻」「それなんてエロゲ?」「源氏物語ですが何か?」 道化師 @0413

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ