桐壺 その13

原文

 「『参りては、いとど心苦しう、心肝も尽くるやうになむ』と、典侍の奏したまひしを、もの思うたまへ知らぬ心地にも、げにこそいと忍びがたうはべりけれ」

 とて、ややためらひて、仰せ言伝へきこゆ。

 「『しばしは夢かとのみたどられしを、やうやう思ひ静まるにしも、覚むべき方なく堪へがたきは、いかにすべきわざにかとも、問ひあはすべき人だになきを、忍びては参りたまひなむや。若宮のいとおぼつかなく、露けき中に過ぐしたまふも、心苦しう思さるるを、とく参りたまへ』など、はかばかしうものたまはせやらず、むせかへらせたまひつつ、かつは人も心弱く見たてまつるらむと、思しつつまぬにしもあらぬ御気色の心苦しさに、承り果てぬやうにてなむ、まかではべりぬる」

 とて、御文奉る。


対訳

 「『お訪ねしたところ、いっそうお気の毒で、魂も消え失せるようでした』と典侍が陛下に申し上げていた気持ちを、物の情趣を解さない私などでも、本当にとても耐えられなく感じています」

 と言って、それから少し気持ちを落ち着かせた後、靫負命婦は帝のお言葉を伝えます。

「『しばらくの間は、夢ではないかとばかり思いたがっていましたが、だんだんと心が静まるにつれて、どうしようもなく耐えがたい気持ちです。どうすれば良いのかとも、相談できる相手さえいないので、人目につかないようにして参内なさいませんか。若宮がとても気がかりで、湿っぽい所でお過ごしになっているのも可哀想に思いますから、早く参内なさい』

 などとのことですが、はきはきとは最後までおっしゃられず、涙に咽ばされながら、また一方では人が気弱に思うだろうと隠そうとしていないわけではない御様子がお気の毒で、大体のところを承っただけで参りました」

 と言って、帝のお手紙を渡しました。


訳者注

 『奏す』は帝に申し上げる意味ですから、『参りては、いとど心苦しう、心肝も尽くるやうになむ』と典侍が桐壺帝に言っていました……と、靫負命婦が言ったわけですが。ここで急に出てきた『典侍』というのは何者かについて。

 「桐壺 その11」で、『親しき女房、御乳母などを遣はしつつ、ありさまを聞こし召す』(親しく仕える女房やご自身の乳母などをたびたび遣わされて、光源氏の様子をお尋ねになられます)とありましたね。この『御乳母』が、ここでいう典侍と同一人物と見られます。

 典侍は、天皇に近侍して秘書役を務める女官の階級の一つで、定員は四人。内侍司(ないしのつかさ)という役所の次官(すけ)なので、「ないしのすけ」と読みます。この時代の役所は、上から「(●●の)かみ・すけ・じょう・さかん」の四階級、そして下っ端が多数という構造ですが、内侍司も同じで、尚侍(ないしのかみ)・典侍・掌侍(ないしのじょう)と、掃除などの雑用を行う女孺(めのわらわ)から編成されていました(「ないしのさかん」は存在しません。掌侍の官位が従五位で、これが天皇に拝謁できるギリギリだからです。天皇の側近く仕える職務の都合上、拝謁できない者は必要ないのです)。

 早い話が、キャリア組(尚侍・典侍・掌侍)は秘書を務め、ノンキャリアはメイドさんというわけです。「桐壺 その2」で、帝が桐壺更衣をいつも側近くに置いていたせいで身分が低く見えたという話がありましたね。あれは、メイド同様の距離感だったということです。

 ともあれ。天皇の秘書が務まるほど才色兼備の女性達ですから、寵愛を受けることも珍しくありません。特に、トップである尚侍は、事実上のお后となっていきます。源氏物語ヒロインでは、朱雀帝の尚侍となった朧月夜がそうです。

 そのため、実際には典侍が秘書の仕事を統括していたのですが、これには天皇の乳母を務めた女性が多く登用されました。肉親同様に信頼できるので秘書として適任だからです(勿論、典侍全員が天皇の乳母というわけではありません。純粋に秘書として、または夜の相手として仕える女性も当然います。源氏物語ヒロイン最年長の源典侍がこのタイプ)。

 そのことを頭に入れてから、もう一度『親しき女房、御乳母などを遣はしつつ、ありさまを聞こし召す』という文章を読むと、何故乳母なのか、そもそも女房と乳母のどちらか一方ではいけないのか……という疑問は解けますね。

 下っ端女官を行かせるだけならプライベートの範囲内。そしてそれとは別に、正式な秘書である典侍(『御乳母』)を派遣してオフィシャルに光源氏と故按察使大納言家の人々を見舞っていたわけです。際限ない公私混同ぶりです。


 『ためらひて』というのは、この場合は、「心を鎮めて」という意味。現代語の「ためらう」は、古典だと「ためらふ」よりも「やすらふ」「たゆたふ」を使うのが一般的です。とはいえ勿論、「ためらふ」を「ためらう」の意味で使うこともないわけではありません。また、「身体を休める」という意味もあります。

 面倒くさいですが、要は、「行動する前に時間を置く」ということを前後の文章に合うように言い方を変えてるだけと思って大丈夫です。


 『夢かとのみたどられし』の「たどる」とは、「悩む」とか「迷う」とか「途方に暮れる」といった意味です。そこから、「迷いながら進む」とか「答えを探し求める」などの意味が生まれ、やがて現代語の「たどる」になっていくわけですが。ともあれ、桐壺更衣が死んだのは夢ではないかという気がしていた……と言っているわけです。しかしいつまでも現実を受け入れずにいられるわけもなく、やや平静を取り戻してくると『覚むべき方なく堪へがたき』と思うことになります。『覚む』は「迷いや物思いから覚める」、『方』はそのまま「方法」という意味ですから、「抜け出す方法がないほど耐えられない」。

 悲しいのは解りますが、しかしそれが『いかにすべきわざにかとも、問ひあはすべき人だになき』(どうすればいいのかとさえも相談できる相手すらいない)つまり「悲しんでいるのは自分だけ、誰も自分の気持ちを理解しない」……という被害感情になるのが桐壺帝。実際には、桐壺更衣は『様、容貌などのめでたかりしこと、心ばせのなだらかにめやすく、憎みがたかりしことなど、今ぞ思し出づる』と哀悼されており、桐壺帝の態度こそが批判されているのに、です。

 己を省みず周りに不満を持つだけの人間が、敬われるわけもなし。そして桐壺帝は、まさにそうした自己愛が強すぎる人間として設定されているわけです。

 ともあれ、周りの人間と桐壺更衣の話をできない帝は、『若宮』こと光源氏や故桐壺更衣の母(北の方)に、故按察使大納言の屋敷を出て宮中へ上るようにと言います。『とく参りたまへ』は「早く来なさい」ですが、その対象は光源氏と北の方。まず『忍びては参りたまひなむや』と北の方へ呼びかけ、続けて大納言邸では光源氏が可哀そうだから……と言っています。『露けき中に過ぐしたまふ』は、光源氏が湿っぽいところで暮らしている、という意味。大納言家の人々が嘆き悲しむ様子と、その屋敷が物理的に荒れ果てていることとを、『露けき』の一言で表現しています。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る