桐壺 その12

原文

 野分立ちて、にはかに肌寒き夕暮のほど、常よりも思し出づること多くて、靫負命婦といふを遣はす。夕月夜のをかしきほどに出だし立てさせたまひて、やがて眺めおはします。かうやうの折は、御遊びなどせさせたまひしに、心ことなる物の音を掻き鳴らし、はかなく聞こえ出づる言の葉も、人よりはことなりしけはひ容貌の、面影につと添ひて思さるるにも、闇の現にはなほ劣りけり。

 命婦、かしこに参で着きて、門引き入るるより、けはひあはれなり。やもめ住みなれど、人一人の御かしづきに、とかくつくろひ立てて、めやすきほどにて過ぐしたまひつる、闇に暮れて臥し沈みたまへるほどに、草も高くなり、野分にいとど荒れたる心地して、月影ばかりぞ八重葎にも障はらず差し入りたる。南面に下ろして、母君も、とみにえものものたまはず。

 「今までとまりはべるがいと憂きを、かかる御使の蓬生の露分け入りたまふにつけても、いと恥づかしうなむ」

 とて、げにえ堪ふまじく泣いたまふ。


対訳

 嵐のような強風が吹いて、急に肌寒くなった夕暮どき、帝は普段よりも桐壺更衣を思い出すことが多くて、靫負命婦という者を遣わされます。夕月夜の美しい時刻に出発させて、そのまま物思いにふけっていらっしゃいます。このような折には管弦の遊びなどを催されました時に桐壺更衣がとりわけ優れて楽器を演奏したことも、ついちょっと申し上げる言葉も、人より格別優れた雰囲気や容貌の桐壺更衣でした。彼女の幻がひたと自身に寄り添っているようにお思いになられますが、しかし、夢よりもはかないのでした。

 命婦は、故大納言の屋敷に参上して、車を門から引き入れるや否や、言いようもなく悲しい雰囲気がします。未亡人暮らしですが、桐壺更衣一人を大切にお世話するために、あれやこれやと手入れをきちんとして、見苦しくないようにして過ごしていたのですが、亡き子を思う悲しみに暮れて寝込んでいらっしゃったうちに、雑草も高く伸びて、嵐のためにいっそう荒れたような感じがして、月の光だけが八重葎にも遮られずに差し込んでいたのでした。

 そんな命婦を寝殿の南面で車から下ろした母君も、すぐにはものも言えません。

 「今まで生きておりますのがとても辛いのに、このようなお勅使が草深い宿の露を分けてお訪ね下さるにつけても、とても気が引けることです」

 と言って、本当に堪えられないくらいに泣かれます。


訳者注

 『野分立ち』たのと、『にはかに肌寒』くなったのが同じ日の出来事かは不明です。いずれにせよ、台風が過ぎて急に寒くなった秋のある日の夕方。帝は桐壺更衣を思い出して、靫負命婦という者を派遣して様子を見に行かせます。『かうやうの折は、御遊びなどせさせたまひしに』(このような秋の夕暮れに管弦の遊びを催した)ことから連想したわけですが、だからといって何も夕方に出発させなくても翌日を待っても良いでしょうに。

 『心ことなる物の音を掻き鳴らし』と、『はかなく聞こえ出づる言の葉も』と、『人よりはことなりしけはひ容貌の、面影』は、いずれも帝の『眺め』(「物思い」)の内容です。楽器を演奏していたところ、声、容姿。あたかも彼女が傍にいるように思えるわけですが、しかし結局は、『闇の現にはなほ劣りけり』と帝は考えます。『闇の現』とは、「むば玉の闇のうつつは定かなる夢にいくらもまさらざりけり」(真っ暗闇の中での逢瀬は、はっきりと見た夢にいくらも勝っていなかった)という古歌が元ネタ。『闇の現にはなほ劣りけり』だと、「はっきりと見た夢にいくらも勝っていない」と言われる闇の現に比べてやはり劣ったというのですから、夢よりもはかない幻に過ぎないという意味になります。


 ともあれ。ここから『月影ばかりぞ八重葎にも障はらず差し入りたる』まで、桐壺更衣の家に着いた靫負命婦の感想タイム。

 単に『着きて』ではなく『参で着きて』と敬意表現が使われているので、「到着した」ではなく「伺った」とか「参上した」とか訳すことになります。『参で』は「訪れる」の謙譲語「参づ」の連用形。「詣で」とも書き、これは現代語にも「初詣で」という形で残っていますね。

 『かしづき』は「大切に世話をすること」という意味の名詞。親子であっても更衣の方が立場は上ですし、家の未来を桐壺更衣に託しているので、全力で支えていたわけです。

 『闇に暮れて』は、子供を亡くしたのが悲しくて目の前が真っ暗だということ。「人の親の心は闇にあらねども子を思ふ道に惑ひぬるかな」(子を持つ親の心は暗闇ではないが、わが子のことを思うとどうしてよいかわからなくなる)が元ネタだとも言います。

 そして、『月影ばかりぞ八重葎にも障はらず差し入りたる』は、八重葎(幾重にも生い茂ったつる草や雑草)に覆われた荒れはてた庭に、月明かりだけが遮られずに射している物悲しい情景。百人一首にもある「八重葎茂れる宿の寂しきに人こそ見えね秋は来にけり」や、「訪ふ人もなき宿なれどくる春は八重葎にもさはらざりけり」、「今更に訪ふべき人も思ほえず八重葎してかどさせりてへ」などが元ネタと言われています。


 そして、『母君』(桐壺更衣の母。故按察使大納言の北の方)に視点が移ります。『南面に下ろして』は、寝殿(当時の貴族の住宅の正殿で、主人の居間や客間として使用されていました)の南面で車から降ろして招き入れる意味。帝からの使者なので、門の所で下車せず直接乗り付けるわけです。寝殿の南面に(≒客間に)~、とする解釈も成り立ちますが、客を客間に通すのは当たり前ですから、わざわざ書かないのではと思われます。

 いずれにせよ、桐壺更衣の母が客間で靫負命婦を迎えたことは確かで、またそれさえ分かっていれば問題ありません。

 『今までとまりはべるがいと憂きを』は、娘に先立たれて生きているのがとても辛いということ。『蓬生の露』は「いかでかは尋ね来つらむ蓬生の人も通はぬわが宿の道」が元ネタ。要するに、庭に草が生い茂り露の下りた廃屋を意味します。『恥づかし』は、現代語の「恥ずかしい」とは少し異なり、「気づまりだ」「気が引ける」「気恥ずかしい」程度のニュアンスです。『なむ』の下には「はべる」か何かが省略されています。なので、『恥づかしうなむ』で「気が引けることです」となります。

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