桐壺 その11

原文

 はかなく日ごろ過ぎて、後のわざなどにもこまかにとぶらはせたまふ。ほど経るままに、せむ方なう悲しう思さるるに、御方がたの御宿直なども絶えてしたまはず、ただ涙にひちて明かし暮らさせたまへば、見たてまつる人さへ露けき秋なり。「亡きあとまで、人の胸あくまじかりける人の御おぼえかな」とぞ、弘徽殿などにはなほ許しなうのたまひける。一の宮を見たてまつらせたまふにも、若宮の御恋しさのみ思ほし出でつつ、親しき女房、御乳母などを遣はしつつ、ありさまを聞こし召す。


対訳

 空しく日々は過ぎて、後の法要などにも帝はきめ細かく弔問の使者を派遣なさいます。時が過ぎて行くに従って、帝はどうしようもなく悲しくお思いになられて、お后達に夜の相手をさせることも全くなさいません。ただ涙に濡れて毎日をお過ごしになられているので、そんなお姿を見る周りの人々まで湿っぽい気分になる秋です。

 弘徽殿女御などは、そうは言ってもやはり見過ごすことなく、「死んだ後まで、人心を動揺させるご寵愛ではありませんか」と仰いました。

 帝は、第一皇子をご覧になられる時にも光源氏の恋しさばかりをお思い出しになられ、親しく仕える女房やご自身の乳母などをたびたび遣わされて、光源氏の様子をお尋ねになられます。


訳者注

 『後のわざ』は、直訳では「後の儀式」、この場合は葬儀から後ということで、初七日から四十九日までの法要を指します。

 悲嘆するばかりで仕事もしない桐壺帝を見て、人々は『露けき』=湿っぽい気持ちになりますが、これはもらい泣きとかではありません。いや、ここだけ見ればそのようにも読めるのですが、「読者にAと思わせておいて、実はBだった」逆転展開は源氏物語の特徴の一つです。例えば、「玉鬘が、大勢いた求婚者のうち好感を持っていなかった髭黒の大将と不本意な結婚をすることになった」→「バッドエンドかと思ったら、他の求婚者の本質を見誤っていただけで実は唯一の正解だった」みたいな。

 前回を思い出して下さい。『これにつけても憎みたまふ人びと多かり』と明記されていました。桐壺更衣に同情する『もの思ひ知りたまふ』人や『主上の女房など』も、桐壺帝の態度は『さま悪しき御もてなし』だったと断じました。

 当然、誰も桐壺帝に同情なんてするわけありません。帝がそんなだから国の将来が不安で嘆いているのです。これは間もなく、『人の朝廷の例まで引き出で、ささめき嘆きけり』(他国の朝廷の例……玄宗皇帝が楊貴妃に溺れて政治を顧みなくなったこと……まで引き合いに出して、囁き嘆いていました)と明記されることになります。物語が始まった頃は、『楊貴妃の例も引き出でつべくなりゆくに』(楊貴妃の例までも引き合いに出されそうになってゆくので)と、未来にそうなるかも知れないというレベルでしたが実現してしまうのですね。詳しくはその時に。

 そうやって皆から見放された桐壺帝ですが、弘徽殿女御だけは『許しなう』(見過ごさずに)批判します。桐壺更衣への執着を、『亡きあとまで、人の胸あくまじかりける人の御おぼえかな』(死んだ後まで、人心を動揺させるご寵愛ではありませんか)と一刀両断します。

 「帝の態度を見過ごさずに」ではなく「桐壺更衣のことを許さずに」などとするのは誤りです。帝の桐壺更衣への寵愛が異常だと言っているのですから、当然、帝を批判する文脈です。

 そんな誤訳が生じるのには、理由はいくつかあるのですが。一つは、現代語の「許す」のイメージに引きずられること。古語の「ゆるす」は、現代語では「緩める」に対応する言葉です。そこから「解放する」、そして「受け入れる」とか「承認する」「罪を許す」などといった意味が派生していきました。ここでは、桐壺帝の態度をスルーしないくらいの意味に訳すのが妥当です。仮に、現代語の「許す」に近い意味で解釈するにしても、帝でなく桐壺更衣をどうこうというのは無理があります。

 二つ、弘徽殿女御が桐壺更衣を憎んでいたという先入観。夫の愛人に憎悪を向ける妻とか珍しくもないですが、『この御方の御諌めをのみぞ、なほわづらはしう心苦しう思ひきこえさせたまひける』と明記されていた通り、弘徽殿女御は直接桐壺帝を『御諫め』するキャラです。桐壺更衣を相手にする理由も意味も必要もありません。実際、今まで見て来た通り、そんな描写は一度もないのです。桐壺更衣がいじめられていたからといって弘徽殿女御とは何の関係もない話です。なのに弘徽殿女御のせいであるかのように言われたのは、昔は身分の高い女性が悪役でヒロインがいじめられる話が多かったので……だから今の悪役令嬢ものがあるわけですが……、そのイメージからの連想に過ぎません。

 そして三つ、フィクションの中でも帝を馬鹿だとは言えず、「帝が馬鹿だなんてとんでもない。だから桐壺帝も馬鹿である筈がない。だから批判されることはあり得ない。だから批判されているのは桐壺帝以外の人間である」&「帝が馬鹿だなんてとんでもない。だから桐壺帝も馬鹿である筈がない。だから桐壺帝に逆らう弘徽殿女御は悪者である」ということにせざるを得ない時代が長く続いたこと。その時代に教育を受けた人々がそういう価値観で現代語訳や研究書を著し、それを見た人々が以下エンドレス。


 いずれにせよ桐壺帝は、第一皇子(後の朱雀帝)を見ても『若宮』=光源氏が恋しく思われて、女房や自分の乳母に様子を見に行かせるばかりです。

 ……手遅れですね。人として。色々な意味で。何故こんな父親から朱雀帝や光源氏が生まれたのが不思議です。


 なお、何故乳母なのか、そもそも女房と乳母のどちらか一方ではいけないのか……という疑問があるかと思います。それは「桐壺 その13」で。

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