摘出
GON
第1話
睡眠薬のおかげで、ぐっすりと眠った沙織は、まだ眠気の残る頭をゆっくりと巡らせた。
昨日、外来で訪れた病院で、検査中に吐血し、緊急入院してしまったのだ。
あまりの急な展開に、沙織は呆然としていた。
沙織はここ数ケ月、友人と恋人との関係に悩んでいた。
胃が痛いのもそのためだと思っていたのだが、まさか吐血するほどに胃潰瘍が進行していたとは思いもしなかった。
(手術が終わったら、ちゃんと説明しよう。
みさきならきっとわかってくれるはずだから…)
そもそも喧嘩の原因はささいなことだった。
ただそれに男女の関係するトラブルが入り込んでしまったのだ。
みさきの恋人は沙織とみさきを二股かけていたのである。
でもみさきはそうは思っていない。沙織が強引に奪ったと思い込んでいるのだ。
「時間ですよ」
看護師が2人、沙織の病室に入って来た。
ひとりはごく普通の看護師だったが、もう一人は分厚い眼鏡をかけて大きなマスクをしている。
(どこかで見た顔…誰?)
朝、別の看護師に言われた時間よりも早い気がしたが、沙織は指示に従い着衣を脱いだ。
全裸になると、看護師が持ってきた術衣に袖を通した。
分厚い眼鏡の看護師は一言も言葉を発しないで、ベッドまわりで何かを外している。
沙織はベッドごと、病室から運びだされた。
天井のトラバーチン模様を眺めながら、沙織は搬送されていく。
不安で心臓が激しく脈打っている。
そのままエレベーターに乗せられ、四階の手術室に運ばれた。
沙織はさっきの看護師を見た時から、何かわからない不安に襲われていた。
手術室の中で、手術用ストレッチャーから狭い手術台に乗り換えさせられる。
いよいよかと沙織の心臓は激しく脈打っている。
「手術台に移動して」
動ける患者は、ストレッチャーから体の幅程度しかない手術台に自力で移動する。
点滴を腕に射したまま、沙織は全裸の体を腰から移した。
覆布をしいてあっても、やはり臀部が冷たい。
沙織はいよいよ手術だという諦め感と、今すぐこの場から逃げ出したいという気持ちが入り交じっていた。
しかし看護師たちは容赦なかった。
たちまちのうちに沙織は手術台に寝かされ、腕は横にひろげられ、磔のような姿勢で横たわっていた。
「ヒヤッとしますよ」
心電図の端子が沙織の胸、左右の鎖骨の下に、手際よく貼り付けられる。
洗濯バサミのようなものが沙織の指を挟んだ。
血中の酸素濃度を測るパルスオキシメーターが沙織の指先に取り付けられたのだ。
「腕に巻きます」
血圧計が腕に巻かれ、麻酔の深さを測るビスモニター等が手早く沙織の身体に装着された。
沙織の口にマスクが軽くあてがわれた。
「マスクから酸素が出ていますから深呼吸して下さい、苦しくないですか?…これから麻酔、はじめますから…」
「チオペンタール200mg、スキサメトニウム50mg静注」
点滴に接続された注射器がぐくっと押された。
沙織の静脈に麻酔が注入された。
「新田さん…だんだん眠くなりますよ…」
酸素マスクの下で、
「お願いします…」と言い掛けて、沙織は我が耳を疑った。
(何?、今…新田さんって言わなかった?)
沙織の視野に、動いた人影が映った…あの看護師がいた。
その看護師はゆっくりと眼鏡を外した。
マスクがあるから、はっきりと顔はわからない。
しかしあの目には、見覚えがあった。
(みさき?)
(ま、待って! 麻酔かけるの…私、新田じゃない…殺される…助け…て…)
注入された静脈麻酔剤の効果で、瞬時に沙織の意識は途絶えた。
沙織の叫びは誰の耳にも届かなかった。
ぐったりとした沙織の体に医師と看護師たちが集まった。
先ほど、厚い眼鏡を外した看護師が笑みを浮かべながら、沙織の頬を指先でつついた。
「寝た?」
「ハイ」
「それじゃベクロニウム入ります」
沙織に意識がない事を確認されると、筋弛緩剤が投与された。
間もなく沙織の自発呼吸が停止した。
「換気出来る?マスクちゃんと持って」
「ハイ、挿菅します」
沙織の口をこじ開け、喉に太い菅が入れられる。
「先生、見えますか?」
「もう少し…見えた!」
「よしっ!…スタイレット抜いて」
「はいっ!」
「カフにエアー10cc注入」
「オッケー、ちゃんと入ってる」
沙織の口から出た菅は人工呼吸器につながり、ガス麻酔のスイッチが入れられた。
術者が指先で沙織の睫毛を弾いた。
「しょうもう反射消失」
沙織の瞳は瞳孔確認された後、シールで閉じられた。
更に沙織の股間を覆っているシーツがめくり上げられる。
沙織が他人に一番見られたくない黒々とした茂みが手術台の強い照明に浮かび上がった。
術者が沙織の割れ目に沿って指先を這わせていく。
しかし麻酔が効いている沙織はぴくりとも動かない。
手術中の尿を速やかに体外に放出させるための導尿のための管を沙織の体内に差し込むのである。
沙織の尿道に透明な導管がゆっくりと差し込まれた。
尿が流れる導管は沙織の太ももにテーピングされ、ベッドの下に流されるのだ。
沙織の手足は手術台にベルトでしっかりと固定された。
これより新田香織の子宮筋腫の摘出手術を行います」
はるか遠くから、声が聞こえてきた。
ぼんやりとしていて、何を言っているのかよくわからない。
「はりいと」
(はり…いと…?)
「けっさつ」
(何…?)
「いと。もういっぽん」
(また?)
「けっさつ」
(わからない…)
「はさみ」
(え…何か切るの?)
「しけつはいいな」
(しけつ?…しつけ?)
「あ、そこ。しゅっけつ」
(え、出血?)
「こっへる」
「いと」
「けっさつ」
ぶちっという鈍い音とともに沙織の腰のあたりが揺れた。
沙織の上で、誰かが会話しながら作業をしている。
時々、体が揺れるような気がする。
(そうだ…今は手術中なんだ…でも、どうして意識があるの?)
目蓋はあかない。何かテープのようなものが貼られている感じだ。睫毛は細かく震えるものの、どうしても開かない。
(あっ…指が少し動く…もう少しだ…)
沙織は強力な鎮痛剤のおかげで、痛みは全く感じていなかった。筋弛緩剤で体の筋肉は全て収縮力を奪われていたため、どの部位も全く動かなかった。
もちろん呼吸筋も動かないから、自力で呼吸は出来ない。気管内挿管されたチューブを通して、麻酔器によって人工的に規則正しい呼吸を施されていた。
目蓋はしっかりテープで留められており、開きようがなかった。目蓋を動かす筋肉すら収縮力を奪われていた。
無影灯の光線をメスの刃が冷たく跳ね返した。
沙織の臍の下から、恥骨に向かって一気に引き下ろされたメスの刃によって、皮膚が二つに割れた。
沙織の白い肌に血が滲んだ。
「電気メス」
いく条もの白煙を上げ、かすかにジジジ、ジュウという肉の焼ける音と香ばしい匂いを漂わせながら、沙織の皮下組織が切り開かれた。
「あっ」
血が噴き上がった
「コッヘル」
「もう一本」
「結紮」
差し出した手に糸が渡された。
「いいか…はずすぞ」
コッヘルが取りのぞかれた。結紮糸に力がかかる。
「どうだ?」
「まだ出ています」
「もう一度、コッヘル」
コッヘルで挟まれたことによって、出血が止まった。
「針糸」
「はい結紮」
「糸、もう一本」
「結紮」
「はさみ」
「いいだろう」
切断された沙織の小動脈は結紮止血され、再び電気メスが進む。
また出血があった。
「あ、そこ。出血」
「コッヘル」
「糸」
「結紮」
指先でぶちっと強い音がして糸が切れた。
「馬鹿者。どんな力を入れれば、この糸が切れるんだ」
「すみません。糸、もう一本」
「今度は切るなよ」
「はい」
「はさみ」
沙織の皮膚組織、筋組織の下から、腹膜が現れた。
薄い半透明の膜の下から小腸・大腸の一部が見える。
恥骨側に見える膀胱を腹膜の上から術者が指先で押す。
弾力のある膀胱の背後に僅かに子宮が見えた。
「子宮がみえた、いよいよ摘出だな」
(え、子宮…私、子宮はなんともないよ!)
「攝子」
「メス」
(やめて!私、子宮の病気じゃないんだよ!)
沙織の必死の叫びも声にならない。
沙織の腹膜にメスで小さな穴が開けられた。たちまち腹腔内に空気が入り、腸が下に落ち込んでいく
。
「はさみ」
術者がはさみを手に取り、空いた穴に差し入れると、ジョキジョキと頭側へ切り進めた。10cmほど腹膜が切り開かれた。
今度ははさみの方向を180度転換して、尾側に10cm腹が開いた。
ジョキジョキと沙織の腹膜を切り開く音が、沙織の体内から直接伝わってくる。
(やめて~!助けて~!)沙織の目から涙が溢れた。
「よし。ミックリッツ」
「ミックリッツ」
大型のミックリッツ鉗子が、筋膜と腹膜を同時に、左右何か所かで挟み込んだ。
「開創器」
術者の手は渡された開創器をいま開いた腹壁にあてがい、力を込めて左右に開いた。ぐいぐいと力を入れる度、沙織の体が左右に揺れた。
(やめて…、やめて…)
沙織の叫び声が声にならない。
大きく開かれた沙織の腹腔が医師たちの目に入った。
「腹腔内の検索だ」
術者の冷たい腕が、沙織の生暖かな腹腔内に差し込まれた。
痛みは感じないが、何かが沙織の中に入ってきた違和感を覚えた。
クチャクチャいう音が体内から直接聞こえる。
(やめて…助けて~)
術者が沙織の腹腔から、子宮を摘んで引っ張った。
沙織の腰が一瞬、軽くなった。
(いゃぁ~ やめてぇ~!)
渾身の力を込めた沙織の叫びは誰の耳にも届かなかった。
術者が子宮の最上部を2つの牽引で掴んで引っ張り上げて支えた。
こうすると子宮が沙織の体から持ち上がった状態になる。
骨盤腔に繋がっている子宮の両側には、卵管と卵巣を包む子宮広間膜(靱帯)と呼ばれ
る板状の繊維組織と、子宮を支える子宮円靱帯が見えた。
術者は沙織の子宮をつまみ上げ、メスで丁寧に膀胱から切り離した。
沙織の体内から子宮に伸びた血管をひとつひとつメスで切り離し、両側の靱帯をはさみで切り開いた。切り開いた中からは卵管が現れた。
「卵巣も摘出するんですか?」
「いや、今回は摘出しない。だから切り離した卵管はしっかり縛る必要がある」
沙織の卵管はきつく縛られ、両側の子宮円靱帯も手早く切断された。
ひとつ靱帯や血管が沙織の子宮から切断されるたびに、体が揺れる。
(やめて~もうやめて~)必死にもがき叫ぶ沙織。
でも誰にも聞こえない。
最後に子宮と綱がってた動脈と静脈も靱帯の根元でしっかり縛られ、子宮から切り離された。
牽引器で引っ張られて、子宮が沙織の体外に姿を現わした。もう繋がっているのは腟だけだった。
子宮を牽引すると沙織の腰が僅かに浮いた。
術者がメスをあてると、引き伸ばされた腟にすうっと切れ目が入り、あっさりと切断された。
その瞬間、浮き上がっていた沙織の腰の重さが戻った。
(…終わった…)
沙織の目から涙が溢れた。
腟はしっかりと縫合され、これまで骨盤腔の中で子宮を支えていた二種類の靱帯が縫い付けられた。
今度はこの靱帯が腟を支えるのだ。
その時、摘出されたばかりの沙織の生暖かい血まみれの子宮をひとりの医師がまじまじと見つめていた。
「いい色の子宮だな…どこに腫瘍があるんだ、健康そのものじゃないか」
(何で今頃気が付くの…)沙織の涙が止まらない。
手術台の傍らの小さなまな板のような台の上に沙織の血まみれの子宮が載せられた。
メスで沙織の子宮が切り開かれる。
「そんな馬鹿な、手術は完璧なはずだ…」
医師は呆然としながら、沙織の子宮を切り刻み続ける。
いくら細かく切り刻んでも、腫瘍は見当たらなかった。
手術室は騒然となった。
摘出 GON @SKYMAX4
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