第四十話 ミミック、空を見上げる
波の音がする。
揺り籠に乗っているかのように、ゆっくりと身体が揺れる。
風が髪を撫でていく。
スーッと鼻をつく潮の匂いで、俺は目を覚ました。
辺りは一面の海で、空は夕焼けに染まっていた。
それにしても、随分と陸が遠い。
足元には草が生い茂り、俺はその上に横たわっていたらしかった。
「やあ、ドラン」
足元から声がして、俺は眠い目をこすりながら立ち上がった。
「目覚めたかい」
「……ミスター?」
「よかった。君が空から落ちるのを見たときは、さすがの私も肝が冷えたよ」
言われて、俺は勇者との戦いのことを思い出した。
そうか、俺は落ちたんだ。
「マチルダとロベリアは?」
「二人は無事だよ。君が落ちた直後、バリアが解けた。二人とも、君を探すために一目散に海へ降りたんだ。それで、君を見つけた。今は念のため、海に逃げてきているのさ」
「逃げる……ああ、そういえば、勇者は?」
「分からない。みんな君を助けることに必死だったからね。ツバキとウルスラも、助け出された君の介抱に付きっ切りだった。まだ生きているかもしれないし、死んだのかもしれない。まあ、今はそれよりも、君が生きていたことの方が大事さ」
ミスターの声は優しかった。
俺の身体はいつのまにか、傷一つなくなっていた。
回復魔法をかけていてくれたのだろう。
身体の疲れは感じるが、気分は良かった。
「そうか……勇者は」
「いいじゃないか、ひとまずは。それに、そろそろ……」
ミスターが変なところで言葉を切った。
なんとなく気配を感じて、俺は後ろを振り返った。
「あっ……」
そこには、マチルダ、ロベリア、ツバキ、ウルスラ、ハルコが並んで、俺を見て固まっていた。
「みんな、ありが」
「ドランざぁぁあん!!」
弾丸のようなハルコのタックルを受け、俺は後ろに倒れた。
ハルコは泣きじゃくりながら、俺の胸に顔を擦り付けてくる。
泣き声がものすごくうるさい。
「おい、やめろハルコ」
「じんばいじだんでずよぉぉぉお!」
なんて言ってるか分からないが、とりあえず立ち上がりながら頭を撫でてやる。
「やっと起きたか、この阿呆めが」
腰に手を当てたツバキが、蔑むような目で俺を見る。
うーん、なんだか久しぶりに会ったような気がする。
「悪かったな、心配かけて」
「ふん、心配なぞするものか」
「はいはい、そうだよな。ごめんな」
「ドランくん!」
「うおっ!」
突然ウルスラに飛びつかれて、俺はまた後ろに倒れた。
ハルコは寸前で俺の腕から逃げ出し、俺たちは二人で草の上に転がった。
「う、ウルスラさん……?」
ウルスラは俺の胸に顔を埋め、肩を震わせていた。
「本当に……本当に心配したんだよ……」
「お、お、おお……ごめんよ」
「ハルコ以外はみんな、素直じゃないからね……。本当は嬉しくて仕方ない癖に、強がっているんだよ……。だから、私の言葉がみんなの総意だ……。無事で良かった、本当に……」
「ウルスラ……」
ハルコにしたのと同じように、ウルスラの頭を撫でる。
上を見ると、マチルダとロベリアが澄まし顔で俺を見下ろしていた。
「無事で良かったよ、二人とも」
「無事なものですか。ドラン様を探して飛び回ったせいで、くたくたです」
「潮風のせいでローブが痛んでしまいましたわ」
「ああ、ごめんよ、本当に」
ウルスラを落ち着かせて、俺はまた立ち上がった。
「で? これからどうするのじゃ? 勇者を探すか?」
「いや、いいよ。どこに行ったのか、生きてるのかどうかも分からないからな」
「それでは、何をしますの?」
「まずは家だろ。屋敷は無くなったし、このままじゃ毎日野宿だぞ」
「ふふっ、そうだね。魔王城を動かさないと」
「そのことでしたら、僕に考えがありますよ!」
「妾はまず飯じゃな。腹が減ってかなわんわ」
「ドラン様、私も空腹で死にそうです」
「そりゃ俺も一緒だよ」
「まずはミスターに頼んで、陸に戻るのが良さそうだね。話はそれからだ」
ミスターは俺たちの声を聞いていたのか、ゆっくりと転進して陸を目指した。
同じ向きの風を受けて、俺たちの髪がそよぐ。
水平線の向こうに夕日が沈む。
すぐに夜が来るだろう。
みんなはもうバラバラに散って、思い思いの場所でのんびりしていた。
俺もミスターの頭の上に腰を下ろし、空を見上げる。
「ドランよ」
隣に来たツバキが、立ったまま言った。
「なんだよ、ツバキ」
「覚えておるか、最初に妾に言ったことを」
「最初?」
首を傾げた俺を、ツバキは唖然とした表情で見下ろしていた。
「協力の見返りはこれから探す。そう言ったじゃろうが」
「……あー。そうだったな、たしかに」
「ふん、やはり阿呆じゃな、ぬしは」
ツバキがすとんと腰を下ろす。
向かいの空には、既に星が出ていた。
「じゃが、あれはもうよい。もとより期待はしておらんからな」
「え、そうなのか。まあ俺も正直、忘れてたけどさ」
「ああ。言われた妾も、さっきまでは忘れておった」
「なんだ、そうなのかよ」
じゃあ人のこと言えないじゃないかよ、おい。
「そんなことは忘れるほどに、忙しい日々じゃった。火山にいた頃は、今とは真逆の生活じゃったからな」
「……ああ、俺もだよ。ミミックの頃とは比べ物にならないくらい、目まぐるしかった」
ミスターが低く響く声で、静かに歌い始めた。
俺たちはその歌を聞きながら、まっすぐ前を向いていた。
「俺についてきて、よかったか?」
「……まあ、否定はせんよ」
「そうか。そう言ってくれて嬉しいよ」
「馬鹿め。まだまだ足りんわ」
ツバキは少し黙ってから、バタッと上半身を後ろに倒した。
俺も同じように寝そべり、一緒に星空を見上げる。
「これからも、妾を楽しませよ。妾はもうドラゴンには戻れぬ。じゃが、戻りたいと思わぬほど、充実させよ。それが、妾がぬしに求める見返りじゃ」
「……難しいこと言うなあ」
「できなければそれまでじゃな」
「お前はあっさりしてるな、相変わらず」
陸が近づいてくる。
着いたら、まずはみんなで何か食べよう。
それから魔王城をどうするか、話し合おう。
どうにかなったら、今度はまた仲間を増やそう。
それからミスターの背中で楽しく暮らそう。
みんな俺が守るんだ。
もっともっと強くなって、
そして。
「まあでも、頑張るよ」
「今度も期待はしておらんぞ」
「バカ、見てろよ」
ミスターが高らかに鳴く。
空の星が、その声を受けて輝く。
俺たちは目を閉じる。
これからの生活に、今までの生活に思いを馳せる。
「ありがとう」
どちらの声か分からないその言葉を合図に、俺たちは立ち上がる。
さあ行こう。
やりたいことが、たくさんあるんだ。
元ミミックの魔物配合ノート~魔王と配合されたミミック、うっかり身体を乗っ取って最強になってしまう~ 丸深まろやか @maromi_maroyaka
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