第18話 天乎の未来

 武蔵の国である。

 武辺好みの殿の嫁探しが始まった。


 漢に仕えし者どもは、愚痴を云いつつ探しまわった。

「まったく、わが殿は何を好んで醜女しこめを探す。われ等とて、どうせ探すなら美形を探すほうが楽しくて力が入るというものだ」

「こらこら、何をぬかす。そんな愚痴が殿の耳に届けば、どんなお仕置きを受けるか知れたものではないぞ。くわばら、くわばら。ささ、がんばって見目良くない女子を探すのだ」

 さすがに、「シコメーは、おらぬかぁー」と声高に叫べない。

 やがて、醜女を探す郎党たちの耳に、高麗の里に、それはそれは醜い女子がいると云う噂がもたらされた。

 いわずと知れた天狗の子、天乎であった。

 背丈は七尺(二メートル以上)とは、大げさな云いようだが、三郎は、天乎を覗き見て、仰け反った。

 ――― むむむぅ、何だ、この女子は?

 かかかかかぁ、髪が躍っているではないか?

 この鼻は、何だ? 天狗の子とは本当であったか?

 目が、目が、どんぐりぞ?

 しかし、貴奴らは、どうしてこの女子を醜女と思うたのじゃ?

 あの輝く白い肌が見えぬのか、鼻をどかせば、三国一の美形ではないか。

 天乎は、何も考えなかった。慕ってくれた家来の猿と蛇に心を置いて来たせいだろう。

 ととは泣いていた。かかさまは、病床からすっくと起き直り、嫁入りの支度を始めた。

 武辺好みの恐ろしい漢だと聞いていたが、婿どのは案外に心やさしい人だった。

 愛馬が前足を骨折した。力自慢のゆえだろうが、漢は前両脚を肩に担ぎ、屋敷へと連れ帰り、患部を冷やして看病した。もう戦の役にはたたないが、随分と役立ってくれた駿馬だ。

 天乎は、何気なくうまやを覗いた。嫁して一月ほど後だ。

 漢は、心配顔を上向け、微笑んだが、心を預けた天乎は顔色ひとつ変えることもなく厩を出た。

 表へ出た天乎を光の環が包んだ。

 陽の気が、預けてしまった天乎の心を戻しに来たのだ。

 天狗の親分は、蛇と猿を叱り飛ばした。人間の心をもてあそんではならないと。

 ふらりと揺れた天乎の胸は、きりきりと痛んだ。井戸端で少し吐き、喉の渇きを癒すと、桶に水を汲み上げ、厩に運んだ。足元を濡らし、愛馬を冷やすための水を運んできた妻の頬は、桃色に輝いていた。

 三郎は、天乎をこよなく愛し、三人の男児と二人の女児をもうけた。

 何がほんとで、何が嘘か、夫婦の真実は分からない。



 *



 男衾三郎の妻となった天乎は、その後立派な絵巻にその姿を残し、悪意の企みで作り上げられた意地悪な醜女の話を後世まで伝えた。


 正統でない者を正統な地位に付けるには、誰の目にも明らかな事象と理解できる説明が必要だろう。下々まで納得する証拠として絵巻は制作された。悪い奴をやっつけた奴は、良い奴と分かりやすく、漫画にしたようなものだ。

 フェイクニュースは、ネットのない世界では、噂として流布される。それは、戦略であり政策であり、正当な諜報活動であった。

 北条一族が武蔵国に乗り込んで来たのは、頼朝が死に、頼家を殺した後、幼少の実朝が将軍となってからだ。

 それまで秩父一族が、武蔵の豪族と培ってきた主従関係を切り崩すため、小豪族に地頭職を与えるなどした。それは東国の要衝である武蔵の支配権を得て、幼少の将軍の代理人としての北条氏への権力の集中を計ったものである。

 武蔵国を統べるためには、見栄や外聞などものともせず、北条に対して謀反の心を抱かぬようにとの触れまで出した。

 古く蝦夷えみしとの戦いの兵站の地として馬を養う牧を有し、武士のあるべき姿として弓馬の道を目指してきた武蔵は鎌倉の屋台骨として狙われ、しぶしぶながらその任を果たした。


 何はともあれ、北条家の悪事を繕った絵巻は完成し、時代を越えて現代にもたらされた。


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東国一の醜女絵巻 千聚 @1000hakurin

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