第4話 女の子になった男の子の話し
私の塾は中学対象、売りは関西のの有名大学の付属高校に入れることを謳っていました。少人数で、五教科全てを私が教えていましたから、人件費は要らず、家賃以外は大して経費は要りません。ただ、新学期生の募集のときにチラシやら宣伝広告費がまとまって要ります。それを呑んでしまった年があり、生徒が集まらず苦労した年がありました。それで考えたのが、無事、有名私大附属に合格した暁には20万円頂くことにしました。苦肉の策です。
一人で5教科教えるのは大変という人がいますが、どこかとりえはあるもの、その子の良いところを見つけて、自信を持たせていくと、そこそこ、成績は上がるものです。
数的センスに優れている子、言語回路の発達した子、社会的な事に関心がある子、自然現象に興味を持つ子、その子の持つ何かを見つけるには間口は広い方がいいのです。美術や、音楽など感覚面も見られたら最高でしょうね。
2年生から入ってきた子に、松岡君という男の子がいました。色の白い、少しポッチャリした感じのおとなしい子で、めがねをかけて、身長は中ぐらい、走らせればお尻の方の感じのする子でした。成績はみごとにオール3、真ん中の子でした。申し込みに付いて来られたお母さんは、塾の近くの眼科医の看護婦をされていました。
あるとき、「お父さんは何をされているの?」と聞くと、松ちゃん(とよんでいました。)は「知らん。小さいとき出て行っておらん」と答えました。これはいかんことを聞いたなーと思いました。以降、父親のことには触れないようにしました。松ちゃんは卒業まで、ずぅーとオール3を続けました。1科目とて2に下がることなく、また4に上がることもなしに…。
でも、数学と理科は限りなく4に近い3だったと思います。仮に80点からを4とすると、何時も78点というところでしょうか。松ちゃん、ある時、お母さんにこう言ったらしいです。「ずぅーとオール3を取るのも難しいもんなんやでぇ」と。
かくて彼は中ぐらいの公立の高校に進みました。彼の数学ですばらしかったのは、まず計算の正確さでした。私は数学ではまず何より計算をしっかり教えました。理解して、解っていても計算が不正確だと答えにたどり着きません。点数が悪いと面白くもなくなり、自分はだめだと思ってしまいます。いいセンスを持っている子でもです。計算は正確な手順を踏めば正解にたどり着きます。この手順を、答えを急ぐあまり皆、はしょろうとするのです。くどいぐらいに書くことを要求します。形にはめようとすると、慣れてくるとほとんどの子が抵抗してきます。そんな中で松ちゃんは素直に聞いてくれ、理解できたところでは計算ミスは見事にありませんでした。
そのことで、一度褒めたことがあるのです。それで「何か自信を持ったようです」と、後日、お母さんが話されていました。もう一つこんな特徴を持っていました。これも素晴らしい事に入るのでしょう。興味ある一つの問題に行き当たると、解けるまでその問題を解こうとします。図形の問題に多かったです。教えると機嫌が悪いのです。家に帰ってもこんなときはテレビゲームもせず、そればっかりになると、お母さんが苦笑されていました。こんなときは、先に進みたくても、彼が聞きに来るまで待つしかありません。
時には「先生、こんな解き方でいいのかな。」と、解法がわかって嬉しいという顔つきで聞きに来ます。「こんな解き方もあるんだ!」と思う様な、松ちゃんオリジナルがあります。こんな調子ですから、学校の成績では中々4を取れません。それと塾での授業中、中程で必ず30分程居眠りをします。そのとき、大事なところであれば休憩を取り、松ちゃんには特別にコーヒーを眠気醒ましように入れます。大事でないときはそのまま眠らせておきます。
合格したのは中位の公立高校だったのに、お母さんは来られて、20万円の謝礼を出されました。「付属の場合は受け取りますが…」と断ってもだめでした。「2年間休まず、楽しそうに通わせて貰ったお礼です」と、おっしゃり、出されたものを仕舞われませんでした。ありがたく戴きました。
高校に行ってもたまに遊びに塾に来たりしていました。私のマンションと松ちゃんのマンションは近くで、冬なら黒い制服服姿で、夏なら白いシャツで通学するのをちょくちょく見かけました。会えば、挨拶してくれます。
ある日、郵便局の前でアイスクリームをなめながら掲示物を見ている女子高生を見かけました。横顔が何処かで見かけたようだったので、横よりよく見ると松ちゃんではありませんか。髪はロングで、櫛で後ろに束ね、唇にはうっすらと紅が引かれていました。勿論服装は、白いシャツに黒いスカートでした。 そのときの、私の驚きは一瞬心臓が止まりそうでした。今時、ニュウハーフとか言って珍しくもない話題と思われるかもしれませんが、すぐ、近いところであってみなさい、きっと驚かれると思います。
朝起きてきた息子が口紅つけた女性の格好だったらと考えて見てください。ご主人が起きてきて会社に行く姿がだったらどうします?ともかく、私はどう声をかけていいのか分からなくて、足早にその場を気付かれないように立ち去りました。それからも、通学途中の女子高校生になった、松ちゃんをちょくちょく見かけたのですが、どう声をかけていいのか分からなかったので、見かけると道を避けました。
丁度その頃、「目ばち」こができて、お母さんの勤められている眼科に行きましたが、お母さん別に変わった様子もなく、「松ちゃん、元気してますか。」と尋ねても、「実は、先生…」という話もありませんでした。それから、半年位が過ぎたある日、髪こそ少し長く後ろを輪ゴムで止めていましたが、黒のズボン姿の松ちゃんに出会いました。向こうから会釈をしてくれました。
私は、ほっとして「前見たときは、女の子やったけど、どうして?」と思い切って訊いてみました。松ちゃん「うん、なりたかったからや」と答えました。「どうして男の子に戻ったの?」
松ちゃん、答えて曰く、「だって、もともと男の子やもん」と、にっこり笑いました。最初に見たとき、お母さんどんなに驚かれたことでしょう。学校はどう対応したのでしょうか?きっと上を下への大騒ぎであったことでしょう。思い出しただけでも面白く、なんだか松ちゃんが羨ましくなってきました。男と女の間を何の屈託もなく行ったり、来たりして…。何より偉かったのは、松ちゃんのお母さんのような気がしてきました。きっと学校を説き伏せたのはお母さんだったかも知れません。あれから10年、松ちゃんスーツ姿で会社に通っているかしら?ひょっとして一児のパパになっていたりしてと考えて、塾の夜の先生を楽しく勤めています。
塾日誌 北風 嵐 @masaru2355
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