襲撃された村を救う話

@i4niku

襲撃された村を救う話

 見えたのは、女が右手首を左右に振ったことだけだ。



 それはまるで羽虫でも払うような動きで、しかし次の瞬間にはオークの顔面が爆発した。少なくとも、そのように見えた。首から上が風船でも割れるように消滅して、内容物を撒き散らしたのだ。



 女が口の中で何か呟いて、左手の杖を薙いだ。中空に火炎のカーテンが現出して、跳びかかってきた四匹のゴブリンを焼き払った。炭化したゴブリンが地面に落ちて砕ける。



 オークが駆ける。丸太のような棍棒を振り被った刹那、その右腕が肩から切断された。――女が振り上げた右手を袈裟懸けに流すと、隻腕と化したオークの身体が斜めに分断された。六分割された身体が崩れ落ち、衝撃で水風船めいて弾けた。



「大丈夫?」



 女が振り返って云った。その場にへたり込んでいる少年は瞳に恐怖を湛えながら、何度も何度も頷いた。少年には女が何をしたのか分からなかった。



 ただ女の右手、その手袋の先から伸びる極細の糸が、血肉を帯びて太くなっているのは見えた。女の周囲を漂うそれは、森の葉の隙間から差し込む陽光を受けて煌めいていた。







 少年を村に送り届けた女が見たのは、家々の炎上だった。絶句した少年を背後に残して女が駆けた。女が右手を薙ぐと、手袋の先から唸りを上げて五条の糸が飛び出した。陽光を受けて閃いた糸が、松明を持ったゴブリンのこめかみをぶち抜いた。



 数匹のゴブリンが女に気付き、手に手に武器を振り上げて襲い掛かった。女が振り抜いた右手を反転させると、横一閃、口笛のような音を響かせて糸が殴った。六分割にされたゴブリンが、バランスを崩した積み木のように崩れ落ちた。



 遠くでゴブリンが矢をつがえた。眉間へ飛来する矢を打ち抜いたのは、女の杖から放たれた電撃だった。弓矢を爆ぜ飛ばして勢い、二の矢をつがえようとしていたゴブリンの眉間を穿った。



 燃え盛る家々から、住民を引きずり出したのは人間だった。それは一様に浮浪者のような風体で、しかしその瞳には餓えた野獣のような凶暴性があった。女、子供の身体を縄で縛りつけて、荷車の上にのせている。



 女は人間――おおよそ盗賊の類いだろう――を殺すことにためらいを感じなかった。彼女の瞳はゴブリンを殺すときと同じ色をしていた。手首のスナップを利かせて右手を振るうと、糸が残像を帯びて一直線にすっ飛んだ。盗賊の頭部がまるで爆発したみたいに破裂した。女が手繰る動作を取ると、風を切って糸が巻き戻って彼女の周囲に漂う。女と盗賊は二十メートル以上も離れていた。



 女は杖を燃える家へ向けて呪文を呟いた。見る見る火事が収まっていったのは、その位置に真空を作りだしたからだ。彼女は奔りながらそれを繰り返し、ときおり跳びかかってくるゴブリンを糸で細切れにしている。徐々に村の火事が鎮火していく……。



 女に駆け寄った盗賊がロングソードを振り被って火柱に変わった。杖から発せられた火炎は一瞬で消えて、炭化した盗賊が崩れた。槍と盾を構えて突進した盗賊は、盾ごと糸にぶち抜かれた。束ねられた糸は一直線、まるで鞭打のように、しかしライフル弾のような貫通力を発揮した。



 女は盗賊を殺し、ゴブリンを駆逐し、家々を消火していく。



 ――大きな家、おそらくは村長の家から、大男が出てきた。歩くと背負った大袋が揺れて、ジャラジャラと銀貨の擦れる音を響かせた。







 大男を敵と判断した女は正しかった。事実それは盗賊の頭だ。



 二十五メートルほど離れた位置から右腕を振るうと、鋭い風切音を響かせて、血肉を帯びた糸が鈍く閃いた。常人には視認すら困難な速さだ。――大男は迫る糸を見、背負った大袋を打ち合わせた。



 何百枚もの銀貨が緩衝材と盾の役割を果たし、女の糸が弾かれた。大袋は破れ、宙を舞う砕けた銀貨が陽光を受けて乱反射する。女は糸を引き戻しながらサイドステップをうった。何かが閃きながら飛んできたからだ。――彼女の頬を掠って血を滲ませたのは銀貨だった。



 大男は握り込んだ銀貨を、親指で弾いて女へ飛ばしていた。左右の手からリズミカルに射出され続ける。弾き出された銀貨は衝撃で変形しつつも、弾丸のような風切音を響かせた。――女が糸を繰る。その眼前に無数の銀閃が刻まれて、飛来した銀貨をすべて切り飛ばした。



 大男が口の中で何か呟くと、右手の指輪が蠱惑の光を放った。刹那空気が震え、村の外から数十匹のゴブリンがなだれ込んできた。それは一斉に女に襲い掛かった。――大男が足元に散らばった銀貨を十数枚補充して顔を上げた瞬間には、女の周囲には血肉しかなかった。



 女が奔る。



 大男が両手から銀貨を飛ばし続け、女が駆けながら糸で切り飛ばした。強い金属音と共に、火花が散って銀貨が地面に落ちていく。――空手になった大男は連続バックステップで距離を取りながら、口の中で何かを呟いた。大男の左手の指輪が魔性の輝きを帯びた。



 女が右手首のスナップを利かせて前へ糸を放つ。鞭打のような軌道で、しかし弾丸のごとき素早さで大男の左胸をしたたかに打った。それだけだ。常人なら皮膚を貫いて肉もろとも心臓を穿っていたはずだった。



 それなのに糸はあろうことか



 大男の身体は隆起し、鋼色に変化していた。いや色味だけではなく、実際――女の糸が弾かれた――その皮膚は鋼のような強度を誇っている。いやそれ以上か。筋肉量は数分前と倍ほど違う。身長は二メートル五十まで膨れ上がった。大男は右肩を女に向けて突進を繰り出した。



 轟、と空気が震えた。その迫力から女は大砲の弾を連想した。サイドステップで躱した女の髪が、タックルの風圧で大きく持ち上がった。地面には抉られるように大男の足跡が刻まれている。――彼女は口の中で素早く詠唱を終えて、左手の杖を振るった。



 女に向き直った大男の眉間へ稲妻が叩き付けられた。衝撃のまま身体が後方へ倒れ始め――おお、恐るべきことに、大男が踏ん張った。一瞬、手を使わないブリッジのような体勢で静止して、そのままグイッと上体を持ち上げた。わずかに黒ずんだ眉間から細い煙が昇る。大男が歯を見せて笑い、女の瞳に驚愕が浮かんで、すぐに打算の光を帯びた。



 連続バックステップで離れていく女へ大男が追いすがる。地面を踏み込む度に地鳴りが響き、蜘蛛の巣のようなひび割れがはしった。――女が十個の火球を展開して放つが、大男の裏拳がすべて弾き飛ばした。地面に落ちた火炎の欠片が水滴のように飛散する。



 バックステップを続ける女の横目に、村人やら怪物の死体やら鎮火した家々などが映り込む。女の薙いだ糸が唸りを上げて襲い掛かり、大男の皮膚がそれを弾き返した。大男は得意げに鼻を鳴らし、大きく息を吸い込んだ。常人の指ほども太い血管が筋肉に浮かび上がる。――女はまだ打算を練っている。何かヒントはないか……。



 駆ける大男が加速した。一瞬で肉薄された女は眼を剥きつつも、口の中で詠唱を済ませている。それはほとんど反射的に行われた。彼女の皮膚が岩のような質感を帯び、刹那、大男のボディーブローが叩き込まれた。



 女が吹っ飛ぶ。身体を地面に打ち付けながら転がって血を吐く。彼女の文字通りの岩肌に傷はないが、衝撃は内臓に伝わっていた。全身の痛覚が痺れるように悲鳴を上げ、大きく呼吸が乱れている。――仰向けになった女が見たのは、大空を背景に宙返りする大男だ。それが脚を振り上げたのを見、とっさに女が横に転がった。落下の勢いを乗せたかかと落としは空振り、勢い地面に叩き込まれた。まるで杭打機が放たれたように地面が抉れて土埃が舞う。



 立ち上がった女の皮膚は常人のそれに戻っている。全身を岩のように変えるこの魔術は、防御には使えるが移動に極端な負荷がかかる。――大男も同じような魔術を使っているのだろうと女は考える。あのしなやかな動きは筋肉増強の魔術でカバーしているのだろう。けれど相手も人間だ。ならば必ず殺せるはずだ……。土煙の中から大男が飛び出し、女目掛けて右腕を薙いだ。



 丸太のような腕を飛び退いて躱す。眼前を駆け抜けた風圧が、女の頬から汗を吹き飛ばした。大男は踏み込み右ストレートを繰り出した。サイドステップで躱した女が火球を放つ。大男の顔を包むがすぐに手で掻き消された。



 大男の息が上がっている。さすがに疲労したのか。ぜえぜえとせわしなく呼吸をしている。――それを見て、女はひらめきを得た。打算が成ったのだ。



 女が詠唱した。



 大男が女に掴みかかろうとして、しかし、その手で自分の眼前を掻いた。まるで纏わりつく羽虫を振り払うような動きだ。大男の顔色が見る見る悪くなっていく。傍目にはそれが攻撃だとは思わないだろう。



 女は大男の顔を包み込むように、。それは家々の火事の消火に使った魔術だ。



 真空、すなわち、無酸素! ……どれほど皮膚を硬化させようとも、その行使者が人間である以上、呼吸は不可欠である。それを奪ったのだ。大男が逃げ惑うが、一向に酸素は吸えない。女は杖を大男へ向け続けていた。



 大男は何かを叫ぶように口を動かし、右手を振るうが、しかし何も聞こえない。右手の指輪も反応しない。空気がなければ音は響かない。宇宙と同じだ。故にいかなる詠唱も聞こえず、伝わらず、媒体たる指輪は指飾りに成り下がる。



 大男は断末魔を上げたが、しかし真空ではそれも響かず、誰にも届かず、彼は無音の中で絶命した。







 村は救われた。ゴブリンに襲われた村人へ、女はできる限りの治癒を施した。盗賊に襲われた女、子供は無傷だった。しかしそれは攫って奴隷商人に売り飛ばすためだったから、果たして幸か不幸か。



 村人の感謝を背中で聞きながら、女は村を後にした。

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