自分自身も科学寄りの人間なので、きちんと研究・実験され、理論が確立しているものを信用する傾向にあります。そして実際に自分の目で見て確認することで、その信用を強固にしています。
作品に登場する主人公も科学をテーマにした喫茶店を経営し、自分で見たものだけを信じることに重きを置いています。しかし目の前では説明が付かない不思議な現象が起きていて・・・。
あらゆる物事・人を見かけたときに、それを信じるかどうか、騙されているのではないか、何が正しいのか、間違っているのか、人はそれぞれの思想や信条・経験などからそれを判断して、常に振り分けをしています。ただ材料不足によってどちらとも判断が付かないものというものも実際にはあって、それが目の前に出てきたときにひとまず受け入れるのか、怪しい存在として疑って掛かるのか、主人公とは別に読者にもその判断が求められ、考えながら読む作品だと感じました。
著者の作品で「科学喫茶」( https://kakuyomu.jp/works/1177354054889573891 )も同じ舞台で別の日の様子が描かれています。どちらが前後しても大丈夫だと思うので、合わせて読むことでさらに答えが変わりそうな部分もあって楽しめます。
十分に発達した科学技術は、魔法と見分けがつかない。この小説を読んだ後そんな有名な言い回しが何故か頭に浮かびました。この作品も一口にファンタジーと言っていいのかどうか判別がつかない。読後感も意味がわかると笑える話とか怖い話とか、単純な心地よさとか、いろんな印象が浮かぶ。
同一のように見える存在に対する問いかけも、結論はとても単純で身近で共感の出来る者だったけれど、その問いかけ自体は主題に置かれるものと相反する印象のSF的なものでもある。
悲しくて温かくてどうしようもなくて──まるでそれは甘さと苦さを一緒に内包したコーヒーのような。
……ネタバレしないように印象を書いたらクソポエムのようになってしまいましたが、実際一言で言えないようないろんな印象を感じられる作品だと思います。
そしてメイン枠ではないですが小説家のお兄さん好きです! こんな不思議と科学が混じり合っているような喫茶店にも行ってみたいです!
短編集「科学喫茶」シリーズを締めくくる長編小説です。短編集から先にご覧いただいて、次にこちらを読むのが、一番味わい深く楽しめると思います。
店主の猫目緋子と、常連の小学生・七ツ森夏乃佳。それから、それを取り巻く魅力的な人々。科学を信奉する女と霊能をもつ少女、「違う世界」「違う日常」を見ている彼女たちの足取りが重なって、「当たり前」が揺らいでいく。否定してきたものに直に関わらざるを得なくなったとき、見極めねばならなくなったとき、緋子は。
非現実に触れたって、世界は何ひとつ変わらない。
滲むような夏の色。陽炎の向こう側。
本物と偽物、現世と幽世、すべて、よしなしごと。