32 エピローグ 曇りのち……。 好きと嫌いの境界線

 エピローグ


 曇りのち……。


 好きと嫌いの境界線


「きっとあの雨の日に、あの猫を拾わなかったら、僕はこうして亜美とは付き合っていなかったと思う」

 後年、棗は亜美にそんなことを言った。

「そんなことないよ。あの猫ちゃんを拾わなかったとしても、棗はきっと、私に告白をしてくれたと思う」

 棗の隣にいる亜美は言った。

「ううん。もし、棗が私に告白をしてくれなかったとしても、そのときは私は、棗に告白をしていたと思う。……そうしたら棗は私の告白を受けてくれた?」

 亜美は言う。

「もちろん。当たり前だよ」にっこりと笑って棗は言う。


 二人のいる場所は結婚式場だった。

 でも、今日、結婚をするのは棗と亜美の二人ではない。もうすでに二人はずっと以前に、結婚式をあげて(結婚式には真もさやかも出席してくれた)結婚をして、同じ家に暮らす、新しい家族となっていた。

 今日結婚をするのは、棗の妹の柚だった。


 棗は美しい(自分の妹のことだから、身内びいきになってしまうけど、本当に白いウエディングドレス姿の柚は美しかった)妹の柚の姿を見て、心からおめでとう、と棗は思った。

 母も、ずっと柚のそばにいて、その日は泣いたり笑ったり、すごく忙しそうにしていた。(でもずっと幸せそうだった)


 その結婚式場には一匹の猫がいた。

 本当は動物はだめなのだけど、新婦である柚が「猫ちゃんは家族だから」と言って、特別に許可してもらっていた。


 その猫は今、亜美の腕の中にいる。(開きっぱなしのドアから、部屋の中に入ってきたのだ。棗の視線からそのことに気がついて、猫を見つけた亜美はすぐに猫を拾い上げて、いじり始めた)

 小さな灰色の毛並みをした子猫。


 子猫は亜美のポニーテールの髪を手で弾いたり、いじったりして、楽しそうに遊んでいた。(猫好きの亜美も全然嫌そうな顔はしていなかった)

 棗はそんな亜美と子猫の姿をぼんやりと見つめながら、ずっと昔のことを、なんとなくふと思い返していた。


 そうやって、ぼーっとしながら、棗の目はずっと(亜美が「可愛いね」と言ってる)灰色の毛並みをした子猫ではなくて、自分の隣にいる亜美の横顔を追っていた。

 亜美はとても綺麗だった。

 棗にとって、木下亜美は、世界でただ一人だけの特別な女性だった。

 棗にとって、亜美は初恋の女性だったからだ。

 そして、今は棗のパートナーとして、一緒に(そして、おそらくは生涯にわたって)暮らしてく大切な家族だった。


 もしかりに、なにか『とても大きな危機』が僕たちの間に起こったとしても、僕と亜美がなにかの理由で、離れ離れになってしまうようなことがあったとしても、僕は絶対に、生涯、木下亜美という女性のことを忘れたりはしないだろうと思った。亜美はずっと僕の心の中に居続ける女性だと、棗は思った。

 なぜなら棗は、亜美のことを本当に、愛していたからだった。


「猫ちゃん」

 柚の声がした。

 すると、その声に反応して、子猫は亜美の元を離れて、今日の主役である柚のところにとことこと駆け寄っていった。柚の隣には、柚の旦那さんである新郎さんが立っていた。

 柚の旦那さんは棗を見て、軽く笑ってから、小さく頭を下げて会釈をした。

 棗も柚の旦那さん(体が大きく、とても優しくていい人だった)に会釈を返した。

 柚は棗に小さく手を降って、幸せそうな顔のままで(その顔はばいばい、と棗に言っているようだった)旦那さんと一緒に棗と亜美のいる部屋を出て行った。


 結婚式が終わり、棗は柚と柚の旦那さん。そして母と、数人の友人たちに挨拶をして、亜美と一緒にバスに乗って自分たちの家に帰った。


「ただいま」

 亜美がそう言って家のドアを開けると、家の中から一匹の猫が亜美の元へやってきた。

 それは、もうずいぶんと年老いた灰色の毛並みをした一匹の猫だった。

「ただいま、曇り。元気にしてた?」

 そう言って亜美は絆を抱きかかえた。

 そんな絆のあとを追いかけて、もう一匹の、今度はとても小さな子供の猫が棗のところにやってきた。

 絆と同じ(柚の家にいる子猫と同じ)灰色の毛並みをした子猫。その子猫を見て、「晴れ(はれ)もただいま」とにっこりと笑って亜美は言った。


 その子(晴れ はれ)は、曇りの子供だった。(子供は双子であり、一匹は柚の家に行ったのだった。あの結婚式場にいた灰色の毛並みをした子猫のことだ)


「じゃあ、疲れたけど、夕ご飯にしようか? ご飯、なんにする?」

 笑顔で亜美が棗に言った。

「カレーかな? 手伝うよ」

 棗はそう言って、亜美と(そして二匹の灰色の猫と一緒に)自分の家のキッチンに移動した。

 年老いた曇りは今も、生意気な顔をしたままで、全然棗に懐かないままだった。


 そんな生意気な一匹の猫のことを、棗はすごく愛していた。

(なぜなら、家族だったからだ)


 そんなわけで、今日も二人の家(我が家)には、中学生のころに気まぐれで棗が拾った珍しい灰色の毛並みをした(青色の海のような瞳をした)、一匹子供が増えて、二匹の生意気な猫がいるのだった。


 僕と生意気な灰色の猫 終わり

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僕と生意気な灰色の猫 雨世界 @amesekai

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